第4話 夢見る檻
# 第4話 夢見る檻
2ヶ月と3週間。
腐った企業の掃除を続けて、俺の「仕事」も板についてきた。下級市民の清掃員という隠れ蓑は、思った以上に使い勝手がいい。
ホテル・ミラージュの受付で、いつもの無表情な女が目配せをした。
「503号室ではなく、VIPルームだそうです」
最上階か。マロンの気まぐれか、それとも重要な案件か。
エレベーターで最上階へ。VIPルームの扉を開けると、相変わらずオレンジ色のツインテールが目に入った。
「遅いぞホークス! もう3回もお茶のおかわりしちゃったじゃないか!」
マロンは頬を膨らませていたが、その目は子供のそれではない。長年研究に没頭してきた科学者の、計算高い視線だった。
「仕事があったんだ。下級市民は暇じゃない」
「ふーん、じゃあ座れ。パティ、新しいお茶!」
口のないパティシエが、ティーポットを構築して紅茶を注ぐ。相変わらず理解不能な能力だ。
「それで、今日は何の用だ?」
「まずはお礼なんだ!」
マロンは小さな手で、革製のケースを差し出した。
「アルケミアの件、綺麗に片付けてくれたでしょ? おかげで私のC.E.V.の優位性が証明されたんだ。チココ、...騎士団長をギャフンと言わせられた」
ケースを開ける。特殊な弾丸が整然と並んでいた。
「これは?」
「私の最新作! 濃縮CEV弾が5発と、キメラ化弾が3発」
マロンの目がキラキラと輝く。まるで新しい玩具を自慢する子供のようだが、その内容は物騒極まりない。
「濃色CEVは、あの時君に打った薬の超濃縮版なんだ。こんなものを人間に撃ち込めば、3秒でアノマリー化する。成功率は100%! まあ、どんな化物になるかは運次第だけどね」
「キメラ化弾は?」
「こっちはもっと面白いぞ!」
マロンは身を乗り出した。
「アノマリーに撃ち込むと、一時的に使い魔にできるんだ! 君が持って帰った特異点技術のデータ、あれを解析して作った。意識を部分的に乗っ取る仕組みでね――」
「簡潔に頼む」
マロンは不満そうに唇を尖らせた。
「つまらないなあ。まあいいや、要するに30分間、3つまでの簡単な命令を聞かせられる。『あいつを殺せ』とか『ここを守れ』とか」
「便利だな」
「でしょ? ただし、Aランク以下にしか効かないから注意してね。それ以上だと、逆に怒らせるだけだから」
俺は弾丸をポケットに仕舞った。
「それで、次の仕事は?」
マロンの表情が変わった。無邪気な笑顔が消え、冷徹な研究者の顔になる。
「ドリームエンターテイメント。知ってる?」
―――
「完全没入型VRテーマパーク『エターナル・ワンダーランド』」
マロンは資料を広げた。華やかなパンフレット、笑顔の家族写真、「あなたの理想の一日を夢の中で」というキャッチコピー。
「上級市民向けの超高級娯楽施設。1日で平均的な下級市民の年収分の料金を取る」
「それがどうした?」
「表向きはね」
マロンは別の資料を取り出した。今度は監視カメラの不鮮明な写真。地下施設、無数のカプセル、ケーブルに繋がれた人々。
「これが真実」
写真を指差しながら、マロンは早口で説明し始めた。
「地下には『夢見基盤層』っていう巨大施設があってね、数千人規模で下級市民を薬物で眠らせて、生体演算機として使ってるんだ!」
「生体演算機?」
「人間の脳をコンピューターとして使うんだよ。特異点技術の『夢界接続術』で意識をネットワーク化して、VR世界の演算処理を全部人間にやらせてる」
俺は煙草を取り出したが、マロンに睨まれて仕舞った。
「しかもね、一部の人間は自我を保ったまま夢の世界に閉じ込められてるんだ。プログラムで強制的にNPCを演じさせられて、永遠に同じ役を繰り返してる」
「......胸糞悪い話だな」
「でしょ? 私も人体実験は大好きだけど、これは効率が悪すぎる。もっとスマートなやり方があるのに」
お前も大概だろう、と思ったが口には出さない。
「それで、俺に何をしろと?」
マロンは小さな装置を取り出した。
「これ、データ吸出し器。夢界接続術のコアにこれを接続して、特異点技術を盗んできて」
「それだけか?」
「できれば......」
マロンは少し躊躇った。
「施設も壊してほしいんだ。あんな非効率的な実験、見てられない」
嘘だな。こいつの目は別のことを考えている。恐らく、ライバル企業の研究を潰したいだけだ。
「分かった。で、警備は?」
「そこが問題でね」
マロンの表情が曇る。
「ドリームエンターテイメントは巨大企業だから、専属エージェントを大量に抱えてる。レベル80~100クラスがゴロゴロいるって話だよ」
「俺のレベルは8だぞ」
「本当は88でしょ? 私の薬のおかげで」
さらりと見破られた。まあ、作った本人だから当然か。
「それでも戦力差は大きい」
「だから、これをあげたんじゃない」
マロンは弾丸のケースを指差した。
「上手く使えば、なんとかなるはずだよ。君、そういうの得意でしょ?」
―――
翌日の夕方。
俺は従業員用通用口の前で、最後の準備を確認していた。
清掃員の偽造ID、掃除道具に偽装した武器、マロンから貰った特殊弾、そしてデータ吸出し器。
「さて、悪夢の国にお邪魔するか」
煙草を踏み消し、薄汚れた作業着の襟を正す。
警備員に近づき、IDを提示した。
「夜間清掃のサニテック・サービスです」
若い警備員は、俺の汚れた作業着を一瞥して鼻を鳴らした。
「ああ、聞いてる。地下2階の機械室だろ? エレベーターはそこだ」
「すみません、トイレは?」
「入ってすぐ右だ。さっさと済ませろよ」
俺は頭を下げて中に入った。トイレに向かうふりをして、監視カメラの死角を確認する。
従業員用エリアは、客向けエリアとは別世界だった。飾り気のないコンクリートの廊下、最低限の照明、そして至る所にある監視カメラ。
だが、下級市民の清掃員なんて誰も気にしない。透明人間も同然だ。
エレベーターに乗り込む。ボタンを見ると、B2までしか表示されていない。だが、パネルの奥に別の階層があることは調査済みだ。
「完全偽装、発動」
監視カメラに偽の映像を流し始める。あとは時間との勝負だ。
エレベーターが地下へ下っていく。
B1、B2......そして、非常停止。
天井の点検口をこじ開け、エレベーターシャフトへ。ケーブルを掴んで、更に下へ降りていく。
B10を過ぎた辺りから、薬品臭が漂い始めた。
B15で、微かに人の声が聞こえる。いや、これは......悲鳴か?
B20。横穴を見つけた。通風口の格子を外し、中を覗く。
「......これか」
長い廊下の先に、重厚な扉が見えた。
『夢見基盤層 - 関係者以外立入禁止』
ビンゴだ。