第16話(最終話) 変わった世界
# 第16話(最終話) 変わった世界
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虚無から現実へ。
時空の扉から這い出た瞬間、俺は違和感を覚えた。
「ここは......」
見慣れたはずの中央駅の地下。だが、何かが違う。壁は真っ白に塗装され、床は鏡のように磨き上げられている。
「おかえりなさい、ホークスさん」
駅員が心配そうに近づいてきた。
「また行かれてたんですね......ジェラルド社長が心配してましたよ」
「また?」
「はい、前回は3ヶ月も......でも今回は1週間で済んだようで」
何かがおかしい。俺は混乱しながらも、とりあえずヌカヌカコーラ本社へ向かった。
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社長室のドアを開けると――
「やっと戻ったか」
ジェラルドが深いため息をついた。その表情は、心配と安堵が入り混じっている。
「考え直してくれたのか?」
「考え直す?」
「また『あの英雄みたいに、自分を必要としてくれる世界に行く』なんて言い出すんじゃないかと」
ジェラルドは俺の薄汚れた作業着を見て、苦笑した。
「相変わらず、向こうではその格好なのか」
俺は状況を理解し始めた。この世界の『ホークス』は――
「すまない、ジェラルド。記憶が少し混乱してる」
「また記憶の混濁か......虚無鉄道の副作用だな」
ジェラルドが説明してくれた。
この世界では、15年前に現れた謎の英雄が街を救った。その英雄に憧れた俺は、必死に強くなり、ヌカヌカコーラの特色エージェント『赤き閃光』にまでなった。
「レベル300を超える実力者だったのに」
ジェラルドは首を振った。
「『もっと自分を必要としてくれる場所がある』と言って、虚無鉄道で別の世界へ旅立つなんて」
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その時、ドアが勢いよく開いた。
「ホークス! 戻ってきたんだ!」
オレンジ色のツインテールの少女が飛び込んできた。マロンだ。
「もう! 心配したんだから!」
だが、この世界のマロンは違った。手にはヌカヌカコーラの缶。
「ほら、これ! 新作のプロトタイプ!」
誇らしげに赤く光る缶を差し出す。
「君がいない間に開発したんだ。放射線量を通常の5倍に上げて、でも味はまろやかに」
「お前、ヌカヌカコーラ派なのか」
「当たり前でしょ!」
マロンは胸を張った。
「ベップシなんて健康なだけの泥水、飲む価値なし! 刺激と危険こそが人生の醍醐味よ!」
元の世界と同じ性格だが、嗜好が真逆だ。
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「ところで」
マロンが急に真剣な顔になった。
「また向こうの世界の記憶、持って帰ってきた?」
「記憶?」
「前回、あなたが持ち帰った記憶媒体、まだ研究してるの」
彼女は小さなチップを見せた。
「別の世界の私の記録。すっごく面白い! あっちの私はベップシ中毒なんだって。信じられない!」
研究室で、マロンは今回の記憶媒体を解析し始めた。
「わあ! 今回のデータ量すごい! 戦争まであったんだ!」
画面に流れる記録を、彼女は興奮しながら見ていく。
「ふむふむ、あっちの私は強制進化薬を......ひどいなあ」
だが、批判的というより、純粋に興味深そうだ。
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会議後、ジェラルドが部屋を出て行った。
マロンだけが残り、じっと俺を見つめていた。
「ねえ」
彼女の声が、いつもと違う。
「あなた、本当にこの世界のホークス?」
「......何を言って」
「記憶媒体の解析、もう終わってるの」
マロンは端末を取り出した。
「そして、気づいちゃった。今回のデータ、一人称視点なのよ」
俺は黙った。
「前回までは三人称。つまり、この世界のホークスが向こうで見聞きしたことを記録してた。でも今回は違う」
マロンは俺に近づいた。
「あなた、向こうの世界のホークスでしょ?」
「......いつ気づいた」
「さっき、『お前、ヌカヌカコーラ派なのか』って聞いた時」
マロンは苦笑した。
「この世界の私は、生まれた時からヌカヌカコーラ一筋よ。それを知らないなんて」
俺は観念して、すべてを話した。
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「なるほど、入れ替わっちゃったのね」
マロンは複雑な表情を浮かべた。
「この世界のホークスは、今頃向こうで......」
「ああ、俺の人生を生きてるんだろう」
マロンはしばらく考え込んでから、口を開いた。
「ねえ、この世界のあなたの家族のこと、知りたい?」
「......生きてるのか?」
「うん。15年前、あの英雄に助けられて、全員無事」
マロンは微笑んだ。
「今は郊外で、平和に暮らしてる。お母さんは花屋、お父さんは修理工、妹さんは看護師になったわ」
俺の心臓が高鳴った。生きている。この世界では、家族が生きている。
「でも」
マロンの表情が曇った。
「この世界のホークスは、家族と距離を置いてた。英雄への憧れで頭がいっぱいで、普通の生活に満足できなかったみたい」
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「あ、そうそう」
マロンが急に立ち上がった。
「向こうの世界から通信が来てるよ」
「通信?」
「世界線を越えたメッセージ。すごい技術よね」
彼女が端末を操作すると、画面に文字が流れ始めた。
『あなたがどの世界の私かは分からないが、今の私はあの時に救ってくれた英雄がいた世界に来ているらしい。あの英雄は私達自身だったようだ。過去に飛んだまま戻ってこれない英雄のために、私が英雄の世界で生きようと思う。どうか、私の代わりにこの世界の家族を守って欲しい』
俺は煙草を取り出し、火をつけた。
「......はぁ」
深く煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「俺が英雄か」
マロンが心配そうに見つめてくる。
「どうする?」
「どうするも何も」
俺は肩をすくめた。
「この世界のホークスが疲れて帰ってくるまで、家族を守ってやらないとな」
皮肉な笑みを浮かべながら、窓の外を見る。
「英雄なんて柄じゃないが、掃除屋なら慣れてる」
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その夜、俺は郊外の住宅街にいた。
小さな花屋の前。『ホークス・フラワー』という看板が、優しく灯っている。
店の中では、母さんが花を整理していた。15年歳を取っているが、確かに母さんだ。
父さんは隣の修理工場で、遅くまで仕事をしている。相変わらず働き者だ。
二階の窓には、妹の部屋の明かり。看護師の勉強でもしているのだろう。
「生きてる......」
俺は遠くから、じっと家族を見つめた。
近づきたい。話しかけたい。抱きしめたい。
でも、俺は彼らの息子じゃない。この世界のホークスじゃない。
「守るだけだ」
煙草を踏み消し、俺は闇に消えた。
明日からまた、掃除屋として生きていく。
この世界を、家族が安全に暮らせる場所に保つために。
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翌朝、ヌカヌカコーラ本社。
「新しい仕事があるわ」
マロンが資料を広げた。
「違法な人体実験をしてる企業。いつもの掃除、お願い」
「ああ、いつものホークスの掃除をしてやる」
俺は頷いた。
「ところで」
マロンが小声で聞いてきた。
「家族には、会いに行かないの?」
「遠くから見守るだけで十分だ」
俺は新しい煙草に火をつけた。
「向こうのホークスが帰ってきたら、全部返す。それまでの、仮の人生だ」
「仮、か」
マロンは複雑な表情を浮かべた。
「でも、あなたがやることは本物よ。この世界を守ることも、家族を守ることも」
「......そうだな」
俺は立ち上がった。
「じゃあ、掃除に行ってくる」
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エピローグ
それから3ヶ月。
俺は相変わらず、この世界の英雄『赤き閃光』として生きていた。
企業の悪事を暴き、人々を守り、裏では家族の安全を確保する。
時々、花屋に寄って花を買う。母さんは俺を息子だと気づかないが、優しく接してくれる。
「いつもありがとうございます」
「こちらこそ。でも、どうしていつも赤い花ばかり?」
「......大切な人が、赤が好きだったんです」
嘘じゃない。ヌカヌカコーラの赤は、俺にとって特別な色だ。
マロンからの通信によれば、向こうの世界のホークスは頑張っているらしい。
まあ、いつかは音を上げて帰ってくるだろう。その時まで、俺はここで掃除を続ける。
ある日の夜、俺は屋上でヌカヌカコーラを飲んでいた。
「なあ」
誰もいない空に向かって呟く。
「お前が作った英雄像、重すぎるぞ」
でも、悪くない。
家族が生きている世界を守れるなら、英雄の仮面も被ってやる。
煙草の煙が、夜空に溶けていく。
この腐った世界も、守る価値はある。
家族がいる限り。
【完】