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第15話 虚無からの帰還

# 第15話 虚無からの帰還


##


虚無鉄道から降り立った瞬間、俺の全身を凄まじい衝撃が襲った。


時空の歪みが内臓を裏返しにするような感覚。骨が軋み、血管が沸騰し、脳が頭蓋骨の中で暴れ回る。


「ぐっ......」


震える手で、ヌカヌカコーラ・アトミックウイスキーのボトルを取り出す。残り少ない黒い液体を、一気に煽った。


65度のアルコールと放射性物質が喉を焼く。だが次の瞬間、全ての苦痛が心地よい酩酊感に変わった。


「はぁ......ジェラルド、あんたは天才だ」


時間圧縮装置の副作用は想像以上だったが、このウイスキーのおかげで正気を保っていられる。


俺は周囲を見回した。


15年前の故郷の街。記憶の中にある、あの懐かしい風景。だが――


ドォォォォン!


凄まじい爆発音と共に、商店街が吹き飛んだ。コンクリートの破片が雨のように降り注ぎ、炎が夜空を赤く染める。


「始まってる......」


俺は煙草に火をつけ、紫煙を深く吸い込んだ。


視線の先には、巨大な黒い花のような化物が聳え立っていた。高さは20メートルを優に超え、無数の触手が建物を薙ぎ倒している。


クルーシブ・レイン。レベル700の化物。


「あの魔力......間違いない」


15年前、瓦礫の下から見た、あの禍々しい魔力。俺の家族を奪った、憎むべき存在。


だが、今は違う。


化物の周囲では、複数の人影が戦闘を繰り広げていた。


「Sランク冒険者、『雷帝』ガルバス!」


巨漢の戦士が雷を纏った大剣を振るい、触手を切り裂いていく。


「同じくSランク、『氷結の魔女』エルザ!」


青いローブの女性魔導師が、極大氷結魔法を放つ。巨大な氷の槍が、クルーシブの花弁を狙う。


「『剣聖』バルトロメオ!」


細身の剣士が、神速の剣技で触手を切り刻んでいく。


都市連合が誇る最強の冒険者たち。普段なら報酬次第で何でもやる連中だが――


「効いてない......全然効いてない......」


ガルバスの声が震えていた。額には脂汗が浮かび、握る剣も小刻みに震えている。


クルーシブの再生速度は異常だった。切られた触手は瞬時に再生し、凍らされた部分は内側から砕けて元通りになる。


「に、逃げるぞ!」


エルザが叫んだ。だが、足が動かない。圧倒的な恐怖が、彼女の体を金縛りにしていた。


「う、動けない......なんだこれ......」


バルトロメオも同じ状態だった。レベル700の威圧感が、彼らの本能を完全に支配している。


野生動物が天敵を前にした時のように、体が硬直して動かない。逃げることすらできない。


「まだエリアナは来てない......今がチャンスだ」


俺は完全偽装を発動し、戦場を迂回しながら移動を開始した。


家族を探さなければ。


##


記憶を辿りながら、俺は瓦礫の間を走った。


15年前のあの日、俺たちは夕食を終えて居間でテレビを見ていた。突然の揺れ、そして窓の外に現れた巨大な影。


「あそこだ」


3ブロック先に、半壊した屋根が見えた。見覚えのある青い瓦。間違いない、俺の家だ。


その時、背後で凄まじい爆発が起きた。


振り返ると、『雷帝』ガルバスが触手に貫かれていた。


「ひっ......ひぃぃぃ!」


恐怖で声にならない悲鳴を上げながら、屈強な肉体が見る見るうちに干からび、塵となって風に舞う。


残った二人の顔が、恐怖で真っ青になった。


「い、いやだ......死にたくない......」


エルザが膝を震わせている。魔法を唱えようとするが、恐怖で呪文が出てこない。


金で雇われた冒険者の限界だった。命の危険が迫れば、使命感など吹き飛ぶ。ただ、恐怖で体が動かないだけだ。


俺は瓦礫の山を登り始めた。崩れた壁、砕けたコンクリート、折れ曲がった鉄骨。その下に、家族がいるはずだ。


「ここか......」


母さんが大切にしていた青い花瓶の破片を見つけた。間違いない、この下だ。


「分子分解再構築」


慎重に瓦礫を分解していく。下に人がいる以上、派手にやるわけにはいかない。


そして、ついに見つけた。


瓦礫の隙間に、4人の姿があった。


父さん、母さん、妹、そして幼い俺。全員生きているが、巨大な梁に押さえつけられて身動きが取れない。


「待ってろ、今助ける」


俺は梁に手をかけ、レベル115の力を総動員して持ち上げようとした。だが――


「びくともしない......」


そうだ、これは記憶にある。この梁は、当時の救助隊でも動かせなかった。特殊な重機が来るまで、俺たちは見殺しにされた。


「ヌカヌカランチャー」


俺は武器を取り出し、超濃縮クァンタム弾を装填した。梁の接合部を正確に撃ち抜く。


バキン!


梁が割れ、重量が分散された。今度こそ、持ち上げられる。


「うおおおお!」


渾身の力で梁を持ち上げる。筋肉が悲鳴を上げるが、少しずつ隙間が広がっていく。


「今だ! 出て!」


父さんが最初に動いた。自分の体を引きずり出し、次に母さんを助ける。妹を抱えて脱出し、最後に幼い俺を引っ張り出した。


全員が脱出した瞬間、俺は梁を手放した。ドシンという音と共に、瓦礫が完全に崩れる。


「はぁ......はぁ......」


間に合った。だが、安堵する暇はなかった。


##


「ギャアアアア!」


断末魔が響いた。振り返ると、『氷結の魔女』エルザが触手に締め上げられていた。


「た、助け......金なら......いくらでも......」


最期まで金の話をしながら、彼女も干からびて塵と化した。


残るは『剣聖』バルトロメオのみ。


「ひっ......ひぃ......」


もはや剣聖の面影はない。ただ恐怖に震える、一人の臆病者がそこにいた。剣を取り落とし、腰を抜かして地面に座り込んでいる。


街の住民たちも同じだった。避難しようにも、恐怖で足が動かない。ただ立ち尽くし、迫り来る死を待つばかり。


このままでは、全員がクルーシブの餌食になる。


「......仕方ない」


俺はジェラルドがくれた装備を確認した。


足元のブーツ。一見すると普通の作業靴だが、かかとにヌカヌカコーラのロゴが刻まれている。


『ヌカヌカ・ジェットブーツ試作型。核融合反応で推進力を得る。ただし燃料はヌカヌカコーラ・フュージョン味のみ』


ジェラルドの手書きメモを思い出した。『念のため入れといた。空を飛べるぞ!』と書かれていた。


「空を飛ぶ、か」


俺はフュージョン味を1本取り出し、ブーツの燃料タンクに注入した。青い液体が装置に吸い込まれ、ブーツが微かに振動し始める。


「おい、腰抜け共!」


俺は恐怖で硬直している人々に向かって叫んだ。


「ちょっとばかし派手にやるから、正気に戻ったら逃げろ!」


ブーツを起動させる。


ゴォォォォ!


凄まじい推進力が、俺の体を空へと押し上げる。核融合の青い炎が、夜空に軌跡を描く。


「うわああああ!」


制御が難しい。空中でバランスを崩し、クルクルと回転してしまう。だが、なんとか体勢を立て直し、クルーシブへと向かった。


「おい、デカブツ!」


俺は空中からヌカヌカランチャーを構えた。特別装填の弾薬――ジェラルドが「これは最後の手段だ」と言って渡してくれたもの。


『ヌカヌカ・ミニニューク』


小型化された核弾頭。手のひらサイズだが、威力は本物の1/100。それでも、通常兵器とは比較にならない破壊力を持つ。


「目を覚ませ!」


引き金を引く。青く光る弾頭が、音速を超えてクルーシブに向かっていく。


着弾。


ドォォォォォォン!!


凄まじい爆発が起きた。キノコ雲が立ち上り、熱風と衝撃波が街全体を襲う。


「うわあああああ!」


衝撃波に吹き飛ばされ、地面に転がった人々。だが、その衝撃が恐怖の呪縛を解いた。


「い、生きてる......?」


バルトロメオが震えながら立ち上がった。剣を拾い、周囲を見回す。


「に、逃げるぞ! 今のうちだ!」


恐怖から解放された冒険者が、我先にと逃げ始めた。金も名誉も関係ない。ただ生き延びることだけを考えて、全速力で走り出す。


市民たちも同じだった。


「逃げろ!」


「子供を連れて!」


「こっちだ、こっちへ!」


硬直が解け、避難が再開された。人々が悲鳴を上げながら、街の外へと走っていく。


煙が晴れると、クルーシブの巨体に大きな穴が開いていた。黒い体液が噴き出し、花弁の一部が吹き飛んでいる。


「効いた......?」


だが、次の瞬間、俺の期待は打ち砕かれた。


穴は見る見るうちに塞がり、花弁も瞬時に再生する。ダメージは与えたが、致命傷には程遠い。


それどころか――


クルーシブの無数の眼球が、一斉に俺を捉えた。


「やべぇ」


破壊光線が、雨のように俺に向かって放たれる。赤い光の奔流が、夜空を切り裂く。


##


「うおおおお!」


俺は必死にジェットブーツを操作し、回避機動を取る。だが、不慣れな空中戦は困難を極めた。


光線が掠め、作業着が焼け焦げる。熱い。痛い。でも、まだ生きている。


「もう一発!」


俺は2発目のミニニュークを装填した。今度は、より中心部を狙う。


だが、クルーシブも学習していた。触手が防御壁を形成し、弾頭を空中で迎撃する。


爆発は起きたが、本体には届かない。


「くそっ......」


残弾はあと1発。これを使い切ったら、もう打つ手がない。


少なくとも、市民の避難は進んでいる。俺の攻撃で正気を取り戻した人々が、必死に逃げていく。


「もう少し......もう少し時間を稼げば......」


俺は高度を上げ、クルーシブの攻撃をかわし続けた。ヌカヌカコーラ・ダークマター味を飲み、集中力を高める。


黒い液体が重力を歪ませる感覚。これなら、もう少し頑張れる。


「来い! 化け物!」


俺は挑発しながら、縦横無尽に飛び回った。クルーシブの注意を引きつけ、市民が逃げる時間を稼ぐ。


触手が俺を追い、破壊光線が空を切る。だが、ジェットブーツの機動力があれば、なんとか回避できる。


そして――


空が、眩く輝いた。


聖なる光が天から降り注ぎ、戦場を白く染める。


銀色の髪をなびかせた女騎士が、優雅に着地した。


エリアナ・レイン。


ロイヤル・パラディン、レベル800代前半。


「ここからは私が引き受ける」


彼女は俺を一瞥し、静かに言った。


「よくやった。市民の避難を頼む」


圧倒的な存在感。俺とは次元が違う、本物の強者のオーラ。


「......了解」


俺は素直に引き下がった。これ以上ここにいても、邪魔になるだけだ。


ジェットブーツで地上に降りた。まだ避難できていない人々が、瓦礫の下や路地裏に隠れている。


##


「おい! まだ生きてる奴は声を出せ!」


俺は瓦礫の山を駆け回りながら叫んだ。ヌカヌカランチャーを構え、邪魔な瓦礫を吹き飛ばしていく。


「たすけて......」


か細い声が聞こえた。崩れた店舗の下から、老婆が手を伸ばしている。


「待ってろ!」


俺は瓦礫を持ち上げ、老婆を引きずり出した。足を怪我しているが、命に別状はない。


「立てるか?」


「あ、ありがとう......でも、孫が......まだ中に......」


「分かった」


俺は再び瓦礫に潜り込んだ。奥の方で、小さな泣き声が聞こえる。


「大丈夫だ! 今助ける!」


5歳くらいの女の子が、テーブルの下で震えていた。俺は彼女を抱き上げ、外へ運び出す。


「おばあちゃん!」


「よかった......よかった......」


祖母と孫が抱き合う姿を見て、俺は次の場所へと走った。


「全員、森へ向かえ! 走れない奴は助け合って移動しろ!」


俺は避難する人々を誘導しながら、更に生存者を探した。


銀行の金庫室に閉じ込められていた行員たち。地下室に逃げ込んで出られなくなった家族。怪我で動けなくなった老人。


一人、また一人と救出していく。


「おい、あんた!」


若い男が俺を呼び止めた。


「まだあっちに人が残ってる! でも瓦礫が多すぎて......」


「案内しろ」


男について行くと、完全に倒壊したアパートがあった。中から複数の声が聞こえる。


「分子分解再構築」


俺は慎重に瓦礫を分解し、道を作っていく。中にいたのは、若い母親と3人の子供たちだった。


「大丈夫、もう安全だ」


子供たちを一人ずつ運び出し、最後に母親を助け出す。


「森へ走れ! 振り返るな!」


背後では、エリアナとクルーシブの戦いが激化していた。聖なる光と邪悪な闇が激突し、その余波で更に建物が崩れていく。


「まだだ......まだ人がいるはずだ......」


俺は走り続けた。瓦礫の下、崩れた建物の中、あらゆる場所を探し回る。


そして、ようやく家族と合流した。


「お父さん! まだ向こうに......」


幼い俺が、崩れかけた建物を指差していた。


「分かった。お前たちは先に行け」


俺は最後の救助に向かった。建物の中では、足を挟まれた中年男性が助けを求めていた。


「もう少しだ、頑張れ」


瓦礫を取り除き、男性を担いで外へ出る。


その時、空が真っ白に光り始めた。


「まずい......自爆が......」


俺は男性を背負ったまま、全速力で走った。森へ、森へ。少しでも爆心地から離れなければ。


「全員伏せろおおおお!」


俺の叫び声が、避難民たちに届く。人々が次々と地面に伏せていく。


そして――


凄まじい閃光が、世界を白く塗り潰した。


##


爆風が森を襲った。


俺は欲望変換炉を最大出力で起動し、避難民全体を覆うように防御壁を展開した。


金色の障壁が、熱風と衝撃波を防ぐ。それでも、凄まじい圧力に障壁がひび割れていく。


「持ちこたえろ......!」


数分後、ようやく爆風が収まった。


恐る恐る顔を上げる。


街があった場所には、巨大なクレーターが穿たれていた。建物も、道路も、何もかもが消滅している。


だが――


「み、みんな......生きてる......」


避難民たちが、信じられないという顔で周囲を見回している。


奇跡的に、俺が救助した人々は全員無事だった。怪我人はいるが、死者は出ていない。


「ありがとう......ありがとう......」


人々が俺に礼を言い始めた。涙を流しながら、何度も頭を下げる。


「あんたが飛び回ってくれなかったら......」


「化け物の注意を引いてくれたおかげで......」


「瓦礫から助けてくれて......」


俺は照れくさくなって、頭を掻いた。


「たまたまだ。たまたま、そこにいただけだ」


家族が俺に駆け寄ってきた。


「おじさん、すごかった!」


幼い俺が、目を輝かせている。


「みんなを助けて、かっこよかった!」


「......そうか」


俺は彼の頭を撫でた。この子は、この世界線では英雄を見て育つ。それもまた、いい人生だろう。


「名前を教えてください」


父さんが真剣な顔で聞いてきた。


「命の恩人の名前くらいは......」


「ホークス」


俺は空を見上げながら答えた。


「ただの掃除屋、ホークスだ」


遠くから、救助隊のサイレンが聞こえてきた。もうすぐ、騎士団か都市連合の部隊が到着するだろう。


「じゃあ、俺はこれで」


俺は森の奥へと歩き始めた。


「待って!」


幼い俺が叫んだ。


「また会える?」


俺は立ち止まり、振り返った。


「......分からない。でも、お前は強い子だ。困ってる人がいたら、助けてやれる大人になれ」


「うん! ホークスさんみたいに!」


俺は手を振って、闇の中へと消えていった。


森の奥深くで、俺は最後のヌカヌカコーラを開けた。アンチマター味が、疲れた体に染み渡る。


「家族も、街の人も、救えた」


復旧の特異点を起動させ、時空の扉を開く。


元の時代へ、帰る時が来た。


だが、心は軽かった。


復讐ではなく、救済。破壊ではなく、守護。


それが、俺が本当にやりたかったことだったのかもしれない。


扉をくぐりながら、俺は思った。


マロンに会ったら、まず何て言おうか。


「任務完了。ついでに街の連中も助けてきた」


そう言ったら、あの餓鬼はどんな顔をするだろうか。


虚無の回廊を進みながら、俺は薄く笑った。

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