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第14話 最高の友人

# 第14話 最高の友人


##


ホテル・ミラージュのVIPルームに入ると、マロンが逆さ吊りになっていた。


天井から伸びた機械の腕に足首を掴まれ、ぶらぶらと揺れている。オレンジ色のツインテールが重力に従い、フリルのスカートも同じく。


「......何をしてるんだ」


「脳への血流を最大化してるの!」


マロンは顔を真っ赤にしながら答えた。


「君が持ってくる特異点の解析に備えて、脳のパフォーマンスを最適化してるんだよ」


「普通に座れ」


俺は懐から二つの特異点を取り出した。青く光る立方体と、黄金に輝く球体。


「はい、約束の品だ」


「キャアアアア!」


マロンが興奮のあまり暴れ、機械の腕から落下した。パティが慌ててクッションを構築して受け止める。


「すごい! 本物だ! 質量ホログラムと欲望変換炉!」


マロンは目を輝かせながら、二つの特異点を手に取った。


「MR.ハウスマスター、元気だった?」


「ああ、相変わらず狂ってた」


俺は煙草に火をつけ、ソファーに腰を下ろした。


「それより、時間逆行について詳しく聞かせてくれ」


##


マロンの表情が真剣になった。


「まず、最初に言っておくわ」


彼女は分析装置に特異点をセットしながら言った。


「時間逆行は、想像以上に危険よ。データが少なすぎて、まだまだ分からないことだらけ」


「危険?」


「バタフライエフェクトって知ってる?」


「下級市民だから知らん」


「蝶が羽ばたくだけで、嵐が起きるって理論よ」


マロンはホワイトボードに複雑な図を描き始めた。


「過去に行った瞬間から、君の存在自体がバタフライになる。呼吸するだけで、歩くだけで、誰かと話すだけで、歴史が変わる可能性がある」


「大げさだな」


「大げさじゃないわ!」


マロンは振り返った。


「例えば、君が道端の石を蹴ったとする。その石が転がって、馬車の車輪に挟まる。馬車が転倒して、乗っていた科学者が死ぬ。その科学者が、実は電気を発見するはずだったトーマス・ヴォルタスだったら?」


「トーマス・ヴォルタス?」


「300年前に電気の基礎理論を確立した天才よ。でも、彼が死んでも、多分誰か他の人が電気を発見するでしょうけど」


マロンは肩をすくめた。


「ハインリヒ・ソナールが音波の研究を始めたのも、たまたま聞いた鐘の音がきっかけだったって言うし。歴史なんて、偶然の積み重ねなのよ」


「下級市民だから、お前が何を言ってるのか全くわからん」


##


「とにかく!」


マロンは両手を腰に当てた。


「過去で余計なことをしないこと。人を助けたり、殺したりは最小限に。タイムパラドックスが起きたら、元の世界に戻って来れない可能性もある」


「タイムパラドックス?」


「自分の祖父を殺したらどうなるか、みたいな矛盾よ」


マロンは複雑な表情を浮かべた。


「でも、一番可能性が高いのは、世界線が分岐すること。君が過去を変えても、この世界は変わらない。代わりに、新しい世界線が生まれる」


「つまり?」


「家族を救っても、この世界の君にとっては何も変わらない。別の世界線で、家族と幸せに暮らす別の君が生まれるだけ」


俺は黙って煙草を吸った。


それでも、構わない。


別の世界線でも、家族が生きているなら。


##


「そうそう」


マロンが急に立ち上がった。


「実は、君の故郷を襲った魔力の持ち主、分かってたのよ」


俺の手が止まった。


「......何だって?」


「クルーシブ・レイン」


マロンは古い資料を取り出した。騎士団の紋章が入った極秘文書。


「元騎士団のスターパラディン。元は凄腕のスナイパーだったけど、15年前にアノマリーに洗脳されて暴走した」


写真が添付されていた。銀灰色の髪を持つ男。かつては鋭い眼光で敵を射抜いていたであろうその瞳は、今や狂気と復讐心に染まっている。


「洗脳初期の段階でレベル400代前半。君の故郷を襲う頃には、700に到達してたでしょうね」


マロンは別の写真を見せた。同じ人物だが、まるで別人のようだった。夜のように闇に染まった外套を身に纏い、復讐者の風貌と化している。


レベル700。


俺の今の実力では、到底敵わない。


「なぜ今まで黙ってた?」


「だって、君じゃまだ勝てないもん」


マロンはあっけらかんと答えた。


「希望を持たせて絶望させるより、実力がついてから教えた方がいいでしょ?」


「......そうか」


##


「でも、朗報もあるわ」


マロンは別の写真を見せた。金髪の女騎士。凛とした表情で、正義感に溢れている。


「エリアナ・レイン。ロイヤル・パラディン、チココの親衛隊長よ。レベルは800代前半」


「強いな」


「本来の歴史なら、彼女がクルーシブ・レインと相討ちになって討伐する。だから、彼女が来るまで隠れてればいいわ」


「もし来なかったら?」


マロンの顔が曇った。


「......チココ本人が来る」


俺は息を呑んだ。


「騎士団長チココ。本体ならレベル900後半。分体でも800後半から900前半」


化物だ。


「まあ、どっちも一般市民に手を出す趣味はないから、戦わなければ大丈夫よ」


マロンは励ますように言った。


「自殺願望がなければ、逃げることね」


##


俺は立ち上がった。


「準備が必要だな。欲望変換炉の特異点を俺の装備に組み込むまで何日かかる?」


「そうね......」


マロンは指折り数えた。早口でぶつぶつと計算を始める。


「まず時間逆行装置の調整に復旧の特異点の解析が必要で、それだけで最低2ヶ月。欲望変換炉を君の体質に合わせて最適化するのに1ヶ月。合計3ヶ月は欲しいわね」


「3ヶ月か」


「その間に君も準備してきて。レベル上げとか、武器の調達とか」


「分かった」


俺はドアに向かいながら言った。


「武器の強化は、最高の友人に頼んでくる」


マロンが首を傾げた。


「友人? 君に友人なんていたっけ?」


「ヌカヌカコーラ社のジェラルド・クァンタムだ」


「ああ、あの時の」


マロンは納得したように頷いた。


「じゃあ、3ヶ月後にまた会いましょう」


##


3ヶ月の間、俺は週に3回、ヌカヌカコーラ本社に通った。


表向きは品質管理部門の臨時社員として。実際は、ジェラルドと共に特殊な武器開発を進めていた。


「ホークス、今日はこれを試してくれ」


ジェラルドが差し出したのは、真っ黒な缶。


「ヌカヌカコーラ・ヴォイド。虚無の味を再現してみた」


「虚無に味があるのか?」


「飲んでみれば分かる」


プシュッ。


一口飲んだ瞬間、舌の感覚が消えた。いや、口の中の存在感そのものが希薄になったような感覚。


「......すごいな」


「実はマロンから聞いたんだ。時間圧縮装置を使うって」


ジェラルドは真剣な表情になった。


「副作用対策として、もっと強力なものを用意している。後で渡すよ」


##


そして3ヶ月後。


ヌカヌカコーラ本社、最深部の特別開発室。


「完成だ」


ジェラルドが誇らしげに布を取り払った。


そこにあったのは、見たことのない武器だった。


ライフルのようで、ライフルではない。銃身にはヌカヌカコーラのロゴ。グリップには放射能マーク。全体が青く輝いている。


「ヌカヌカランチャー・クァンタムエディション」


ジェラルドが説明を始めた。


「通常弾として超濃縮クァンタム弾を使用。でも、本当の価値は特殊弾にある」


彼は弾薬ケースを開けた。


「フュージョン弾、ダークマター弾、アンチマター弾。それぞれ、ヌカヌカコーラの試作フレーバーを兵器化したものだ」


「威力は?」


「フュージョン弾で半径50メートルを焼き尽くす。ダークマター弾は重力場を生成して敵を押し潰す。アンチマター弾は......まあ、小型核兵器並みだ」


俺は武器を手に取った。重いが、バランスは完璧だ。この3ヶ月、俺の体格と戦闘スタイルに合わせて調整してくれたのだろう。


「ありがとう、ジェラルド」


「礼はいらない」


彼は微笑んだ。


「友人のためだからね」


##


「あと、これも持っていけ」


ジェラルドは大きなリュックを差し出した。


「ヌカヌカコーラ・サバイバルキット。あらゆるフレーバーが100本ずつ入ってる」


「100本!?」


「空間圧縮技術を使ってるから、重さは普通のリュック程度だ」


「そして、これが本命だ」


ジェラルドは黒いボトルを取り出した。金色でヌカヌカコーラのロゴが刻まれている。


「ヌカヌカコーラ・アトミックウイスキー。アルコール度数65度、放射性物質を最大限に配合した」


「酒か?」


「ただの酒じゃない。マロンから聞いたよ、時間圧縮装置の副作用のことを」


ジェラルドは真剣な表情になった。


「どんな苦痛も、このウイスキーを飲めば最高の酔いに変わる。吐き気も頭痛も、全部が幸福な酩酊感に包まれる」


「さすがだな」


「3ヶ月かけて、君の体質に合わせて調整した。副作用が出たら、迷わず飲むんだ」


最後に、彼は小さなバッジも渡した。


「ヌカヌカコーラ・終身名誉社員の証。これがあれば、どの時代のヌカヌカコーラ施設でも歓迎される」


俺は感動で言葉が出なかった。


「ジェラルド......」


「なあ、ホークス」


彼は窓の外を見ながら言った。


「この腐った世界で、純粋に何かを愛せる奴は貴重だ。君のヌカヌカコーラへの愛は、本物だ」


「ああ」


「だから、必ず生きて帰ってこい」


ジェラルドは振り返り、手を差し出した。


「新フレーバーの感想を聞かせてくれ」


俺は彼の手を握った。


「約束する」


##


さらにその後、中央駅の地下深く。


俺は完全武装で、ヴォイド・レイルの特別プラットフォームに立っていた。


ヌカランチャーを背負い、サバイバルキットを装備。この3ヶ月の特訓で、レベルは103から115まで上がっていた。


「準備はいい?」


マロンが俺の隣で聞いた。手には復旧の特異点と欲望変換炉を組み合わせた、彼女が3ヶ月かけて作り上げた携帯型装置。


「ああ」


俺は懐からトーマス・ヴォイドにもらった切符を取り出した。行き先には『過去』とだけ書かれている。


「虚無鉄道で過去に行くなんて、理論上は可能だけど実証例がないのよね」


マロンが心配そうに言った。


「でも、復旧の特異点があれば、時間軸のズレも修正できるはず。欲望変換炉で必要な物資も生成できる」


黒い列車が音もなくホームに滑り込んできた。通常の虚無鉄道とは違う、特別仕様の車両。


「あ、そうそう」


マロンは小さな装置を取り出した。手のひらサイズの円盤で、複雑な魔法陣が刻まれている。


「時間圧縮装置。3000年の虚無体験を10分に圧縮できる優れものよ!」


「それは助かる」


「でも副作用があってね」


マロンは申し訳なさそうに言った。


「時間の歪みで、ものすごい吐き気とめまいと頭痛が同時に襲ってくるの。実験したメイドは3日間嘔吐が止まらなかったわ」


「......」


「でも大丈夫! ジェラルドさんが対策を用意してくれたでしょ?」


俺は懐から黒いボトルを取り出した。ヌカヌカコーラのロゴが金色で輝いている。


「ヌカヌカコーラ・アトミックウイスキー」


ジェラルドの最高傑作。アルコール度数65度、放射性物質をふんだんに使用した究極の酒。


「これを飲めば、どんな苦痛も最高の酔いに変わるって言ってた」


「さすがジェラルドさんね」


マロンは感心したように頷いた。


「じゃあ、最後の注意」


マロンは指を立てた。


「クルーシブ・レインとは絶対に戦わないこと。レベル差がありすぎる」


「分かってる」


「時間圧縮装置は列車に乗ってから起動して。そして苦しくなったら即座にそのウイスキーを飲むこと」


「ああ」


「それと」


彼女は少し寂しそうに微笑んだ。


「こっちの世界も、悪いことばかりじゃないからね。ちゃんと帰ってきて」


「約束する」


列車のドアが開いた。中は完全な闇。


俺は切符を改札機に通し、虚無の中へと足を踏み入れた。


「行ってくる」


煙草を踏み消し、俺は列車に乗り込んだ。


ドアが閉まり、列車が動き出す。


窓の外の景色が歪み始めた。現実が溶けて、虚無が顔を覗かせる。


今だ。


俺は時間圧縮装置を起動させた。円盤が青白く光り、周囲の時間が急激に加速し始める。


瞬間、凄まじい吐き気が襲ってきた。


「ぐっ......」


視界が回転し、胃が裏返りそうになる。頭が割れるように痛み、全身の血管が沸騰するような感覚。


これが時間の歪みか。


震える手で、アトミックウイスキーのボトルを取り出す。栓を開け、一気に煽った。


65度のアルコールと放射性物質が喉を焼く。だが次の瞬間――


「......はは」


最高の酩酊感が全身を包んだ。吐き気は消え、代わりに幸福な浮遊感。頭痛は心地よい痺れに変わり、世界がヌカヌカコーラの青い光に包まれた。


ジェラルド、あんたは天才だ。


10分後。


気がつくと、列車は停車していた。


ドアが開き、15年前の世界が俺を迎えた。


すべてが始まった、あの日。

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