第12話 賭博都市ゴールドラッシュ
# 第12話 賭博都市ゴールドラッシュ
##
ホテル・ミラージュのVIPルームに入ると、マロンが逆立ちをしていた。
オレンジ色のツインテールが重力に従って垂れ下がり、フリルのスカートも同じく。下着が丸見えだが、11歳の餓鬼のそれを見ても何も思わない。
「何をしてるんだ」
「脳に血を送ってるの!」
マロンは顔を真っ赤にしながら答えた。
「復旧の特異点のデータ解析で3日間寝てないから、これが一番効率的なんだよ」
「普通に寝ろ」
俺は煙草に火をつけ、懐から復旧の特異点を取り出した。手のひらサイズの球体が、虹色に輝いている。
「はい、約束の品だ」
「わあああああ!」
マロンは勢いよく起き上がり――そのまま後ろにひっくり返った。
「いたた......」
頭をさすりながら立ち上がり、目を輝かせて球体を受け取る。
「すごい! 本物だ! 300年前の技術がこんなに綺麗に保存されてるなんて!」
「それより」
俺はステータスウィンドウを開いた。
【真実のステータス】
名前:ホークス
身分:下級市民
職業:清掃員
レベル:88 → 103
「レベルが上がってた」
「へえ、トーマス・ヴォイドと相対して生き残ったんだから当然ね」
マロンは球体を分析装置にセットしながら言った。
「レベル100超えってことは、もう『特色』と呼ばれる最上級エージェントと同格よ」
「特色?」
「二つ名を持つ化物たちのこと。さっき会った『紅蓮の双刃』ザイードとか」
ああ、あの厨二病みたいな連中か。
「君もそろそろ二つ名を考えたら? 『汚物清掃人』とか『ゴミ収集王』とか」
「やめろ」
##
「それより、次の仕事があるんでしょ」
マロンは分析装置から目を離さずに頷いた。
「実はね、私の古い友人から連絡があったの」
「友人?」
「300年前の前文明の生き残り。MR.ハウスマスターって呼ばれてる」
俺は眉をひそめた。300年前といえば、企業都市連合と騎士団ができる前。今よりも遥かに文明が発展した時代だ。
「そいつも化物か」
「まあね。いろんな特異点を使って、私みたいに不老の身体を持ってるわ」
マロンは苦笑した。
「腐れ縁ってやつね。100年に1回くらい、技術交換で会ってるの」
「で、何の用だ?」
「ギャンブルで勝負しないかって」
「......は?」
マロンは新しい地図を広げた。砂漠の真ん中に、不自然に輝く都市が描かれている。
「賭博都市ゴールドラッシュ。MR.ハウスマスターが支配する、欲望の街」
##
「300年前、最終戦争が起きた時」
マロンは説明を始めた。
「一人の天才ギャンブラーがいたの。彼は世界の終わりを予見して、砂漠に巨大なカジノ都市を建設した」
「なぜカジノ?」
「人間の欲望は不滅だから」
マロンは皮肉な笑みを浮かべた。
「戦争が起きても、世界が滅んでも、人は賭け事をやめない。その欲望をエネルギーに変える特異点を開発したの」
「欲望をエネルギーに?」
「正確には、欲望をアンチマターに変換して、あらゆる物質を製造できる『欲望変換炉』」
なるほど、人間の業を燃料にする都市か。
「そこで何でもギャンブルで決まるのよ」
マロンは指を立てた。
「商売も、裁判も、結婚も、生死さえも。すべてはサイコロとカードで決まる」
「狂ってるな」
「でも繁栄してるわ。企業も騎士団も手を出せない、中立地帯として」
確かに、どちらの勢力も欲望に溺れた都市には興味がないだろう。
##
「それで、俺に何をしろと?」
「質量を持ったホログラムの特異点を手に入れてきて」
マロンは古い写真を見せた。青く光る人影が、まるで実体のように物を持ち上げている。
「ホログラムが物理干渉?」
「そう! 光でありながら質量を持つ。防御不可能な攻撃手段になるし、完璧な偽装にも使える」
「MR.ハウスマスターが持ってるのか?」
「多分ね。でも彼は絶対に売らない」
マロンは肩をすくめた。
「だから賭けで勝ち取るしかないの。彼の提案は『究極のギャンブルで勝ったら、特異点をあげる』って」
「究極のギャンブル?」
「ロシアンルーレット」
俺の手が止まった。
「......正気か?」
「MR.ハウスマスターの趣味なの。自分の不死性を試すために、定期的にやってるらしいわ」
狂人の道楽か。
##
「でも朗報があるわ!」
マロンは小さな箱を取り出した。
「これ、イカサマ用の特殊弾丸」
中には通常の弾丸に見えるが、微かに魔力を帯びた6発が入っていた。
「見た目は本物と同じ。でも、こっちの意思で発射をコントロールできる」
「つまり?」
「絶対に死なないロシアンルーレットができるってこと!」
なるほど、勝負は最初から決まっているわけか。
「ただし」
マロンの表情が曇った。
「MR.ハウスマスターも同じことを考えてるはずよ。あらゆるイカサマを想定して、対策してるはず」
「面倒な勝負だな」
「あと、これも持っていって」
マロンは青い錠剤の瓶を差し出した。
「ギャンブル依存症抑制剤。ゴールドラッシュの空気を吸うだけで、賭博中毒になるから」
「そんなに?」
「欲望変換炉が常に稼働してるからね。街全体が、人間の欲望を刺激するように設計されてるの」
##
翌日の夜。
俺は砂漠の一本道を歩いていた。地平線の向こうに、不夜城のような光が見える。
近づくにつれ、異常さが際立ってきた。
ネオンサインが砂漠を照らし、スロットマシンの音が風に乗って聞こえてくる。そして何より、空気が違う。
甘い誘惑の香り。脳を直接刺激するような、欲望の匂い。
「これが賭博都市か」
俺は青い錠剤を飲み、煙草に火をつけた。ニコチンで頭をクリアにしないと、一瞬で飲み込まれそうだ。
都市の入り口には、巨大なアーチが立っていた。
『GOLD RUSH - Where Dreams Come True or Die』
夢が叶うか死ぬか、か。分かりやすい。
「ようこそ、旅人さん」
門番は骸骨のような痩せた男だった。目だけがギラギラと輝いている。
「入場料は魂の1%。ルーレットで赤に賭けて勝てば無料」
「......魂?」
「比喩じゃないよ。負けたら寿命が1%減る」
男はルーレット台を指差した。すでに何人かが群がり、熱狂的に賭けている。
「現金で」
俺は金貨を差し出した。
「つまらない奴だな」
門番は舌打ちしたが、金を受け取って道を開けた。
##
街の中は、狂気の楽園だった。
カジノ、バー、ショー劇場、娼館。あらゆる娯楽と欲望が渦巻いている。
通りでは、人々が些細なことで賭けをしていた。
「次に通る女の髪の色で勝負だ!」
「いいだろう! 俺は金髪に生活費全部!」
「じゃあ俺は黒髪に右腕を賭ける!」
実際に、片腕や片足のない人間が大勢いた。賭けに負けて、肉体を失ったのだろう。
だが、彼らの目は死んでいない。むしろ、次の賭けに燃えている。
「さて、MR.ハウスマスターはどこに......」
見上げると、街の中心に巨大なピラミッド型のカジノがそびえていた。頂上が光り輝き、まるで太陽のようだ。
『ハウスマスター・パレス』
ビンゴだ。
##
パレスの入り口は、当然のように賭けで守られていた。
「挑戦者か」
青いホログラムの門番が現れた。半透明の体だが、確かに武器を持っている。質量を持ったホログラムの試作品か。
「MR.ハウスマスターに会いたい」
「なら、私に勝つことだ」
ホログラムがカードを取り出した。
「ブラックジャック。21を超えたら即死。私に勝てば通してやろう」
「......いきなりか」
だが、拒否権はない。俺はテーブルに着いた。
最初の2枚。俺は18、ホログラムは表向きの10。
「ヒット」
3枚目、2。合計20。
「スタンド」
ホログラムが裏向きのカードをめくる。J。合計20で引き分け。
「引き分けは挑戦者の負けだ」
ホログラムが武器を構えた。
「待て、もう1ゲーム」
「ほう? 賭けるものは?」
俺は懐からヌカヌカコーラの最後の1本を取り出した。幻のプルトニウム味。
「これだ」
ホログラムの動きが止まった。
「それは......まさか、300年前の......」
「MR.ハウスマスターも欲しがるだろう」
これは賭けだ。前文明の生き残りなら、この価値が分かるはず。
「......いいだろう」
カードが配られる。今度は慎重にいこう。
だが、最初の2枚で21が出た。ブラックジャック。
「......君の勝ちだ」
ホログラムは消え、扉が開いた。
##
エレベーターで最上階へ。
扉が開くと、そこは巨大な水槽に囲まれた部屋だった。水槽の中には、奇妙な機械に繋がれた人間の脳が浮いている。
いや、よく見ると、脳だけではない。眼球、心臓、肺。必要最小限の臓器だけが、機械で生かされている。
『ようこそ、ホークス』
機械音声が響いた。
『私がMR.ハウスマスター。300年前から、この姿で生き続けている』
「......趣味が悪いな」
『肉体は不要だ。必要なのは、思考と欲望だけ』
部屋の中央に、ルーレット台が現れた。そして、リボルバー拳銃。
『マロンから聞いている。質量ホログラムが欲しいのだろう?』
「ああ」
『なら、私とロシアンルーレットで勝負だ』
水槽から、ホログラムの体が形成された。若い頃のMR.ハウスマスターの姿だろう。ハンサムな顔立ちに、自信に満ちた笑み。
『ルールは簡単。6発中1発が実弾。交互に引き金を引き、死んだ方が負け』
「お前は脳だけだろう」
『このホログラムボディが破壊されれば、私の負けとしよう』
ホログラムがリボルバーを手に取り、シリンダーを回転させた。
カチャリ。
銃口を自分のこめかみに当て、引き金を引く。
カチッ。
空撃ち。
『君の番だ』
俺は銃を受け取った。重い。これは本物だ。
マロンのイカサマ弾丸は使えない。すでに装填されている。
仕方ない。俺は銃口をこめかみに当てた。
引き金に指をかける。
1/5の確率。悪くない賭けだ。
カチッ。
空撃ち。生き残った。
『素晴らしい。久しぶりに楽しめそうだ』
MR.ハウスマスターが銃を受け取る。
また回転させ――いや、違う。
よく見ると、ホログラムの指が微かに光っている。シリンダーの中を透視しているのか。
『では、2回目』
カチッ。
当然のように空撃ち。
イカサマ野郎め。だが、俺も負けてはいない。
受け取った銃を、さりげなく観察する。シリンダーの重さ、回転の癖。実弾の位置を推測する。
おそらく、次で来る。
「なあ、MR.ハウスマスター」
俺は銃口を向けながら言った。
「300年も生きて、楽しいか?」
『楽しい? とうに忘れた感情だ』
「じゃあ、なぜ生きてる?」
『死ぬのが怖いからさ』
正直な答えだ。
俺は引き金を引いた。
カチッ。
まだ生きている。
『3回目か。確率は50%を超えた』
MR.ハウスマスターが銃を構える。だが、その手が微かに震えている。
ホログラムが震える? まさか――
『私だって、たまには公平な勝負がしたい』
そう言って、目を閉じた。
本当に運に任せる気か。
カチッ。
4回目も空撃ち。
『はは、まだ生きているぞ!』
狂気じみた笑い声。300年の退屈が、このスリルで紛れるのか。
俺の番。確率は2/3。
「最後の質問だ」
「何だ?」
「ヌカヌカコーラは好きか?」
MR.ハウスマスターが一瞬、きょとんとした。
『大好きさ。300年前、それしか飲まなかった』
「そうか」
俺は笑った。そして、引き金を引いた。
カチッ。
5発目も空撃ち。
つまり、次は――
『100%か』
MR.ハウスマスターが銃を見つめる。
『久しぶりだな、この感覚』
「やめてもいいんだぞ」
『冗談だろう? これが一番生きている実感がする』
ホログラムが銃口をこめかみに当てた。
『もし私が死んだら、約束通り質量ホログラムの特異点をやろう』
「ああ」
『もし生き残ったら......そうだな、また100年後に勝負しよう』
MR.ハウスマスターが引き金に指をかける。
だが――
『待て』
急に手を下ろした。
『せっかくだから、最後に賭けをしよう』
「賭け?」
『この弾丸が、本物か偽物か』
ホログラムがシリンダーを開け、最後の弾丸を取り出した。
見た目は本物の実弾だ。
『君はどっちだと思う?』
俺は弾丸をじっと見つめた。そして――
「ホログラムで作った弾丸だ」
『理由は?』
「俺のターンだけ活性化して、お前のターンでは不活性化する。質量を持ったホログラムの技術を使った、究極のイカサマだ」
MR.ハウスマスターが大笑いした。
『その通り! さすがマロンの使い走りだ!』
ホログラムが弾丸を握り潰す。青い光の粒子となって散っていく。
『完璧なイカサマだったろう? でも君に見破られたなら、それはそれで面白い』
弾丸が消えた後に、小さな紙片が舞い落ちた。
『質量ホログラムの特異点認証コード。約束通り、君の勝ちだ』
##
地下の保管庫で、俺は特異点を受け取った。
手のひらサイズの立方体。中で青い光が明滅している。
『楽しかったよ、ホークス』
MR.ハウスマスターの声が響く。
『マロンによろしく。そして、100年後にまた会おう』
「待て」
俺は立方体を懐に仕舞いながら言った。
「いや、ここは欲望の街だったな。もう1ゲームといこう」
『ほう?』
「トーマスからもらったチケットで過去に行く前に、欲望を形にする特異点が欲しい。虚無では物資も回復薬もない」
MR.ハウスマスターのホログラムが興味深そうに首を傾げた。
『欲望変換炉の特異点か......それは私の命そのものだ』
「だからギャンブルだ。お前の好きな賭けで決めよう」
ホログラムの目が輝いた。300年間待ち続けた、究極の勝負。
『面白い。いいだろう、受けて立とう』