第1話 掃除屋
## 第1話 掃除屋
朝の7時。俺は煙草をくわえながら、灰色のコンクリートで覆われた巨大な建物の前に立っていた。
『ノヴァ・バイオテック研究所』
表向きは医療技術の開発施設。だが、俺のような人間が呼ばれる場所に、まともなところなんてない。
「下級市民の掃除屋ね」
受付の女が、俺の薄汚れた作業着を一瞥して鼻を鳴らした。
「身分証を見せなさい」
俺は懐から古びたIDカードを取り出す。
【ステータス】
名前:ホークス
身分:下級市民
職業:清掃員
レベル:4
【登録スキル】
・汚染拡散 LV.5
・分解構築 LV.4
・完全清拭 LV.6
・消音 LV.3
・クリーンアップ LV.5
・ワイプアウト LV.4
・サニタイズ LV.3
受付嬢が端末でスキャンする。
「掃除用スキル以外は封印処理してるわね。これが清掃員用のIDカードよ」
臨時入館証を投げるように渡される。
「あと、歩きタバコはやめなさい。下級市民は教育もルールも知らないの」
俺は煙草を指で弾いて、床に落とした。
「すぐに気にならなくなるほど綺麗になる」
肩に担いだ業務用掃除機を軽く叩く。
「俺が来たら、ゴミは1個も残らない」
ピッ。
IDカードでゲートを通り、中に入った。
エレベーターで地下3階へ。そこが今日の「清掃場所」だ。
扉が開くと、薬品臭い廊下が延々と続いていた。監視カメラが俺を見下ろしている。
「消音、発動」
周囲の音が完全に消える。俺の足音も、呼吸音も、何もかも。
「分解構築、発動」
業務用掃除機が分解され、中から隠していた部品が現れる。それらが瞬時に再構築され――
カチャリ。
サイレンサー付きの拳銃が、俺の手に収まった。
まずは監視カメラだ。
ピュッ、ピュッ、ピュッ。
天井の監視カメラを正確に撃ち抜いていく。レンズが砕け、配線がショートして火花を散らす。記録装置も忘れずに破壊する。
廊下の奥から、警備員が歩いてくる。カメラの異常に気づいたか。俺を見つけて、大声を出そうとする。
だが、消音の効果で、その声は虚空に消えた。
「クリーンアップ(一掃)!」
ピュッ、ピュッ、ピュッ。
攻撃用スキル『クリーンアップ』。社会のゴミを一掃する技術。
この都市連合では、身分証に自分が覚えているスキルと概要を登録しなければならない。
だから、俺は掃除用の同名スキルを身分証に登録してある。
だが、俺の場合は抜け穴も使う。同じ名前の攻撃スキルを、裏で習得しているのだ。
上から下まで腐敗しているんだ。同じ名前の別のスキルを持っているなんて誰も気付かないし、気付いたところでわざわざチェックしようとも思わない。
スキルの効果で拳銃から複数の弾丸が放たれた。
弾丸が正確に眉間を貫き、警備員たちが音もなく倒れていく。
「さて、掃除を始めよう」
俺は研究所の最深部へと進んでいく。
サーチ魔法で生体反応を探知しながら、邪魔者を「掃除」していく。研究員、警備員、事務員。区別はしない。この施設にいる時点で、全員がゴミだ。
なぜなら、俺はこの施設で何が行われているか知っているから。
上層階に向かい、役員フロアも徹底的に掃除する。逃げ惑う重役たち、データを持ち出そうとする幹部たち。全員、等しくゴミとして処理した。
厚い鉄扉の前で立ち止まる。『立入禁止 レベル5認証必要』の文字。
さっき掃除した研究主任の手首を切り取って、認証パネルに押し当てる。
ガシャン。
重い扉が開いた。
中に入った瞬間、吐き気が込み上げてきた。
「......相変わらずだな」
ガラスケースが並ぶ部屋。その中には――
人間と魔物を融合させた、おぞましい失敗作たちが浮いていた。
腕が触手になった子供。
頭部が完全に昆虫化した女性。
下半身が蜘蛛になった老人。
どれも、まだ生きている。苦痛に歪んだ表情のまま、培養液の中で呼吸している。
「プロジェクト・キメラ、か」
俺は壁のモニターに映る資料を確認する。
『特異点技術を用いた、人間と魔物の完全融合実験』
『成功率0.3% 被験体の99.7%は廃棄処分』
『軍事利用の可能性:極めて高い』
特異点技術。この世界の大企業だけが独占する、異常な技術体系。彼らの特許技術を使って、こんなことを。
「データベースは......ここか」
奥の部屋で、メインサーバーを発見した。この研究所の全データが入っている。
特異点と呼ばれる会社の秘密技術、特許技術の情報が詰まったハードディスクを丁寧に取り外し、静電気防止の袋に入れて梱包する。そして、持参したゴミ袋に放り込んだ。
「ワイプアウト」
完全消去のスキルで、バックアップを全て破壊する。
最後に、壁のパネルを操作する。
『自爆シーケンスを開始しますか? Y/N』
迷わずYを選択。
『10分後に施設は完全に消滅します』
アラームが鳴り始めた。だが、消音の効果で、誰にも聞こえない。
脱出しながら、残った研究員たちを掃除していく。
逃げ惑う白衣の男女。データを持ち出そうとする者。命乞いをする者。
全員、等しくゴミだ。
正面玄関から堂々と出る。受付嬢は既に片付けてある。
施設から500メートル離れた場所で、煙草に火をつけた。
10、9、8......
カウントダウンしながら、紫煙を吐き出す。
3、2、1――
ドォォォォン!!
背後で、巨大な爆発が起きた。ノヴァ・バイオテック研究所が、跡形もなく吹き飛ぶ。
キノコ雲を見上げながら、俺は携帯を取り出した。
「仕事は終わった。いつもの場所で買い取ってもらう」
通話を切り、ゴミ袋を肩に担ぐ。
中身は、この世界の闇そのもの。特異点技術の機密データ。
これを欲しがる連中は、山ほどいる。
俺は掃除屋。
社会のゴミを掃除して、そのゴミを別のゴミ溜めに売る。
それが、下級市民の俺が生き残る術だった。
朝日が昇る中、俺は次の「掃除場所」へと歩き始めた。
この腐った世界で、俺にできることは掃除だけ。
だが、いつかは――
あいつの元にたどり着いてやる