7.ミラの夢
ずっと挑戦してみたかったこと。
それは、「平民でも魔法が使えるようにすること」だ。
この世界には、元素の他に、魔素という目に見えない素粒子が存在している。魔法の属性ごとに、火、水、風、土、雷の五つの魔素だ。
魔素は、人間が発する特殊な脳波に反応し、その意志を具現化する。
火を放つイメージを持てば物が燃え、風よ吹けと念じれば強風が吹き荒れるのだ。
そして、本人の魔力量が多ければ多いほど、その魔法の威力が強くなる。
平民に魔法が使えないのは、魔力量が少ないからではなく、魔素が反応する脳波が生まれつき微弱だからだ。これは遺伝的なものであるため、貴族の子は魔法が使えるし、平民の子は魔法が使えない。
これらはすべて、クリスが過去の研究で明らかにしたことだ。
元々、ここルミナシア王国では、魔法の使えない平民を軽んじる貴族が多く存在した。
しかしクリスの研究により、「貴族が貴族となったのは、貴族が偶然、特殊な脳波を強く発する体質だっただけであり、貴族と平民の魔力量に大差はなく、脳波以外の能力的な差は存在しない」という事実が国中に広まった。それにより、平民蔑視の風潮が大きく弱まったのだ。
クリスの功績は大きかったものの、残念ながら未だに平民を軽んじる貴族は存在する。平民を見下し、平気で暴力を振るう貴族もいるくらいだ。正直、見ていて気持ちの良いものではない。
ミラはそんな現状を変えられないかと、「平民でも魔法が使えるようにする」研究がしたいと考えていたのである。
「微弱な脳波を増幅する魔道具が開発できれば、平民でも魔法を使うことは可能だと思うんです。平民が魔法を使えるようになれば、この国はもっと大きく発展するはずです」
魔法は便利だ。
農作業に水魔法を使えば、水撒きが一瞬で終わる。料理の際、いちいち火を起こす必要もない。怪我を治すことだってできる。
魔法によって捻出できた時間を、他の生産的な活動や余暇に当てれば良い。
「医療の逼迫はこの国の課題のひとつです。平民が簡単な治癒魔法を使えるようになれば、医療の緩和にも繋がると思いませんか?」
治癒魔法は比較的難易度の高い魔法なため、重い傷も治せる上級治療師は貴重な存在だ。
しかし、治癒魔法の使えない平民は、小さな怪我でも病院に頼らざるを得ない。それにより、病院側は本当に治療を必要としている人へのケアが満足に出来ていない現状にある。
ミラは研究を通して、そういった問題も解決したいと考えていた。
「ミラ、お前それ……一人で考えたのか?」
話を聞き終えたクリスは、珍しく驚いたように目を見張っていた。深い碧色の瞳が、真っ直ぐに向けられている。
その視線の真意が読み取れず、ミラは内心冷や汗をかいた。
何かまずい事を言っただろうか。「平民に魔法を使わせようとするなんて」と責められるだろうか。
ミラは肝を冷やしながら恐る恐る返事をする。
「はい、そうですが……」
「お前はやはり発想力が素晴らしいな。非常に面白い研究になりそうだ。なるほど、確かに理論上は不可能ではない」
満足そうに頷くクリスにそう言われ、ミラは安堵するとともについ嬉しくなってしまった。天才クリス・ロイドに褒められて喜ばない研究者はいない。
「あ、ありがとうございます……!」
ミラは思わず顔をほころばせた。彼の反応がここまで好感触なら、きっとこの研究テーマをやらせてもらえるだろう。
そう思ったのだが、クリスはすぐに真剣な表情になり、こう釘を刺してきた。
「俺はお前の意思を尊重するし、その研究を応援する。だが、お前の研究内容を良しとしない奴がいることは忘れるな」
「マナリア教団、ですか?」
「ああ、そうだ」
魔法は元々、神が人間に与えた神聖な力として扱われてきた。これまで何百年と行われてきた魔法研究の数々も、その神聖な力をいかに極め、発展させていくか、というものが大半だった。
そんな中、国民のほとんどがマナリア教という宗教を信仰していた。魔法の始祖である大魔法使いマナリアを崇める一大宗教だ。
マナリア教団は名声を極めていたが、クリスが魔法の発生原理を解明して以降、その信者はたった数年で十分の一程度に激減した。魔法が「神秘的なもの」でなく、「科学で解明できるもの」に変わってしまったからだ。
「前にも言ったと思うが、俺が魔法の発生原理に関する論文を発表したときは、教団からかなりの妨害にあった。だから研究内容は、成果の目処が立つまでは不用意に口外しないほうが良い」
クリスは以前、教団から命を狙われるほどの状態にあったらしい。しかし、国が教団擁護でなく技術推進を是とする方針を大々的に掲げたことで、教団からの妨害は収まったようだ。
現在も、マナリア教団は衰退の一途を辿っている。とはいえ教団の活動は続いており、研究者とは度々衝突を起こしていると聞く。
一時は名声を極めたマナリア教団だが、今となっては非常に厄介な団体なのである。
「教団だけじゃなく、平民蔑視の貴族もお前の研究を良く思わないかもしれない。何か危険な目に遭いそうになったら、すぐに俺に相談しろ」
「わかりました」
テーマが決まったミラは、クリスと今後の研究計画を練ったあと、彼にこんな提案をしてみた。
「先生。事務仕事は私が引き受けますよ。大学からお給金をもらっているわけですし、それくらいはやらせてください」
この研究室には、学生や研究員だけでなく秘書もいない。
そのため、全ての事務仕事はクリスが一人でこなしていた。天才の有限な時間が事務作業に消えていくのはなんとももったいないと、学生時代から思っていたのだ。
「不要だ。俺はお前に雑用をやらせたくて雇ったわけじゃない」
「だったら、どうして秘書さんを雇わないんです? 秘書さんに事務仕事を任せてしまった方が、研究に集中できるじゃないですか」
至極当然な疑問。ミラは特に深い意図もなく何の気なしに尋ねたが、なぜかクリスはとても答えにくそうにしていた。
「……自分でやったほうが早いからだ」
彼はそう言うと、話題を変えるかのように一つの小箱を差し出してきた。
「ああ、あとこれ。研究員になった祝いだ」
綺麗に包装されたそれを丁寧に開けると、中からは高級万年筆が出てきた。しかも、ミラという名前入りだ。
クリスから贈り物をされるなんて初めてだったので、ミラは嬉しくて舞い上がってしまった。
「天才からの贈り物、すっごくご利益ありそう……! 家宝にします……! ありがとうございます!!」
ミラが万年筆を天に掲げると、クリスは思いっきり呆れ顔になった。
「馬鹿。道具は使うものであって飾るものじゃない。使え」
「ええ……でも……」
使うだなんてもったいない。それに、憧れの研究者からもらった貴重な贈り物を、万が一にでも壊してしまったら、後悔してもしきれない。
ミラが渋っていると、クリスはやれやれというように溜息をついた。
「もし壊れたらまた買ってやる。だから使え」
「……ほんとですか!? では、たくさん使います!!」
ミラは満面の笑みでそう答えると、万年筆を胸に抱き、上機嫌で実験室へと向かうのだった。