42.クリスの本音(2)
「やあ、クリス君。彼女との面接、随分と盛り上がったんだって?」
後日、クリスが食堂で昼食を取っていたところ、学長であるブレイディ・ノースに声をかけられた。前回と違うのは、彼の表情がとてもにこやかなことだ。
そんな彼をクリスはジトリと見遣る。
「ノース学長。俺が合格を出すとわかってましたね?」
「さあ、どうかな?」
おどけた様子のノースに、クリスは軽く苦笑を返す。どうやら全て、彼の手のひらの上で踊らされていたらしい。
「一人で研究をするのも結構だが、彼女が隣にいることで研究の幅も広がるはずだ。君と彼女なら、互いに良い刺激を与えられる素敵な師弟関係を築けると思うよ」
ノースはそんな言葉を残し、その場を去って行った。
その後、新学期になり、ミラが大学入学とともにクリスの研究室に配属された。
彼女は自分一人しか配属されていないことに驚いていたが、どうやらクリスの「口の悪さ」のせいで人がいないのだと勘違いしているようだった。
ミラと共に研究してわかったことは、彼女はやはり非常に優秀で、才能に溢れ、前途有望な人物だということだ。このまま研究を続ければ、いずれ研究者として大成することは間違いないと思える程に。
しかし彼女は、クリスとの間に明確な一線を引いていた。自分は秀才なだけで天才ではない、天才なのは先生だ、と。
その一線が、少し寂しくもあった。
なぜ寂しいと思ったのか、その時はわからなかった。だが、いつか彼女が自分との間にある一線を取り払ってくれる日が来ればいいと、心の奥底で思っていた。
ミラは明るく、天真爛漫な女性だ。家族に愛されて育ってきたのだろう。純粋で、よく笑う、優しい女性だった。
感情を出すのが苦手で無愛想な自分にも、彼女は気兼ねなく接してくれる。以前この研究室にいた研究員や学生たちは、「畏れ多い」、「研究以外で天才の時間を奪うことなんて出来ない」と言って、あまり話しかけてくることはなかった。
そんな昔と比べると、ミラと過ごす日々はとても心地よく楽しいものだった。毎日の会話の中で、彼女はクリスの性格や考え方をよく理解してくれた。
そうした日々の中で、クリスは気づけば彼女に惹かれていた。
これまで才能のせいで周囲から妬まれても、敬遠されても、別に構わなかった。研究は一人でもできるし、一人でも生きていける。そもそも他人など信用できない。理解者など、いらないと思っていた。
そう思っていたのに、一度理解者を得てしまえば最後、それを手放すのは何とも難しい。心の奥底では、己を理解してくれる人をずっと渇望していたのだ。
彼女を、欲しいと思ってしまった。
ずっとそばにいて欲しいと、思ってしまった。
しかしクリスは「ミラを手に入れたい」と渇望する心を押し殺した。誰かにこんな感情を抱くのは生まれて初めてのことだったが、彼女には婚約者がいる。彼女は大学を卒業したら、研究を辞め、結婚するのだ。それを邪魔することなど、自分にはできなかった。
状況が一変したのは、ミラが大学卒業を間近に控えた頃。クリスは彼女から、婚約破棄されたと聞かされた。
その話を聞いたときは、彼女を傷つけた元婚約者に心底腹を立て、憎らしく思った。だが同時に、感謝をしている浅ましい自分もいた。彼女を手に入れるチャンスが巡ってきたと思うと、愚かしい元婚約者に感謝せずにはいられなかったのだ。
クリスは一切の迷いなく、ミラに研究員として残るよう提案した。彼女を自分の元に繋ぎ止めるために。そして、彼女の才能を潰させないために。
ミラが無事大学を卒業し研究員となってから、クリスは彼女と少しずつ距離を縮めるよう努力した。しかし、自分の想いを言葉で直接伝えることはしなかった。彼女に気を遣わせてしまうからだ。
侯爵である自分が気持ちを伝えれば、伯爵家の令嬢である彼女は断りにくいだろう。その上、自分の上司ともあらば尚更。
クリスはミラを無理やり手に入れるつもりは一切なかった。そんなことをしたら、彼女の心は一生手に入らなくなってしまう。それは絶対に嫌だった。
そのため、まずは行動で自分を男として意識してもらう必要があった。それでこちらの好意に徐々に気づいてもらえたらなお良い。
しかし結果として、ミラに振り向いてもらうのは非常に難儀した。
毎日昼食を共にしたり、居室で雑談したりと、彼女と会話する時間を増やしたが、何かが変わることはなかった。
クリスはミラに対してだけあからさまに態度を変えていたのだが、彼女がそれに気づくことはなく。
彼女はこちらの想像を遥かに超えて鈍感だったのだ。彼女よりも、シリウスや学長がクリスの変化に気づくほうがずっと先だった。
クリスは基本的に表情が乏しく、愛想がない。己の性格が歪んでいるのは、自分でも自覚していた。
誰のことも信じられず、常に人を疑って生きてきたせいで、相手に隙を見せまいと常に仏頂面。その上、喜びや楽しさといった感情を表に出すのが苦手。誰かに好かれるような性格ではなかった。
そんな自分がミラに好いてもらうこと自体が無謀なことなのかもしれない。そう思って諦めようとしたときもあったが、彼女の笑顔を見るとどうしても諦めきれなかった。
そして、夏の終わり。ミラの両親からの手紙で、クリスは焦った。
両親は彼女に新たな婚約者を見つけるつもりらしい。彼女が自分の元にいられるのは、来年の春までと決まってしまった。来春には彼女はここを去り、二度と会えなくなる。それはクリスにとって、耐え難いことだった。
――どこぞの知らぬ男に取られるくらいなら。
クリスは意を決し、ミラの父であるハインズ伯爵と連絡を取った。一度会って話がしたい、と。
 




