41.クリスの本音(1)
三年前の冬。ちょうど、大学入試の採点が終わった頃だった。
クリスが食堂で昼食を取っていたところ、学長であるブレイディ・ノースに声をかけられた。
「クリス君、学生の面接を全員断るって、本気かい?」
彼は渋い顔でそう言いながら、クリスの正面に座った。どうやら今から長い説教が始まるらしい。
「君の研究室を希望している学生は、合格者のうち実に四分の一にも上るんだ。その全員に対して面接をするのは時間がかかりすぎるという君の言い分もわかるが、一人も面接をしないというのは流石にいただけない」
大学に合格した学生がどの研究室に配属されるかは、入試の成績と、希望する研究室の教授との面接で決まる。
今年もクリスの研究室には多くの学生が希望を出していたが、誰も取るつもりはなかった。研究成果を盗まれる事件があって以降、己の城には誰も入れないことにしたのだ。
学生はもちろん、研究員も、秘書でさえも例に漏れない。
「出来の悪い学生を見る暇はありません。私の議論に付いてこられる学生がいるとは思えない」
「まあまあ、そう言わずに。せめてこの子だけは面接してくれんかの?」
ノースはそう言って、一枚の履歴書を差し出してきた。
名はミラ・ハインズ。伯爵家の長女らしい。女性が大学に進学するとは、珍しいことだ。
履歴書にざっと目を通し、入試結果の欄に視線を移した時、クリスはわずかに目を見開いた。その反応を見て、ノースはやれやれと溜息をつく。
「やはり誰の履歴書にも目を通してなかったか。彼女は入試を満点で通過した首席合格者じゃよ? 君以来の傑物だ。流石に面接無しで研究室の希望を通さんのは、本人も納得できんじゃろう」
ノースからの視線が痛い。初めから誰も取る気がなかったので、履歴書など見てすらいなかったのだが、それが裏目に出てしまった。
クリスは侯爵家の当主であるが、大学では爵位など関係なく皆平等だ。教授と言っても立場がそこまで強いわけではなく、国や大学から資金を得て研究をしているので、今回の件が職務怠慢に当たると言われればそれまでなのである。
「……わかりました。彼女だけ面接します。ですが、面接するだけです。それでよろしいですね?」
「ああ、構わんよ」
クリスの答えを聞いたノースは、にこにこと上機嫌な笑みを浮かべ、思った以上に満足気な表情をしていた。
クリスはその反応を不思議に思いつつ、これ以上余計な説教は受けまいと、特に笑顔の意味を尋ねることはしなかった。
* * *
ミラ・ハインズとの面接当日。
クリスは己の教授室で彼女と対面した。
紫色の大きな瞳と、ゆるくウェーブがかった薄紅色の髪が印象的な、可愛らしい女性だった。
「ロイド先生、お会いできて光栄です! 私、ずっと先生に憧れていて……この大学に入れたら、絶対に先生の研究室に希望を出そうと決めていたんです!!」
眩しい。好奇心と希望に満ち溢れ、キラキラと輝く紫の瞳が眩しい。
誰のことも信じられず、常に人を疑って生きてきた自分にとって、彼女は眩しすぎる存在だった。
「どうしてうちの研究室に希望を? 何かやりたい研究が?」
「理論魔法学を探求したいからです。先生がこの分野を新たに切り拓かれてから、私はずっと最新の論文を追ってきました。ここ数年で理論魔法学の研究者人口も増え、かなり発展しましたが、まだまだ未解明な部分が多いと感じています」
「なるほど。例えば?」
「魔法属性の得意不得意は何に起因するのか、という問いです」
「ここ最近のトレンドだな。お前はその問いをどう考える?」
「五種類の魔素濃度が一定だった場合、各属性の魔法強度に差が出るのは、人によって脳波の型が異なるからではないかと考えられています。しかし、実際にそれを裏付ける実験はまだ成功していません。その理由として――」
控えめに言っても、彼女は非常に優秀だった。
しばらく問答を続けたが、こちらの質問に正確に答え、さらには持論を展開できる頭脳を持っている。自分の議論にここまで付いてこられる人間は、そうはいない。ここまで臆さず意見を言える人間は、さらに少ない。
クリスはミラの才能に、心惹かれた。
自分の城には二度と誰も入れないと強く心に誓ったのに、好奇心がその決意をグラグラと揺らす。彼女と一緒ならば、今まで以上に心躍る研究ができるのではないか。そんな確信めいた直感が、クリスの心を掴んで離さない。
(だが、もう二度と他人と研究はしないと決めた)
クリスは心の中で頭を振り、雑念を追い払う。
どうせ断るなら、面接は早く終わらせた方が良いだろう。断られた理由が何となく分かるような会話で終えられるとなお良い。
そう考えたクリスは、彼女を少々脅かすことにした。
「俺の研究によって、世間の魔法に対する価値観が変わった。魔法が『神秘的なもの』から『科学で解明できるもの』に変わったんだ。それ自体に良いも悪いもない。ただ、俺の研究がきっかけとなり、マナリア教は廃れた」
「はい。存じております」
マナリア教の衰退の速さは、クリスの想像を遥かに超えていた。
盛者必衰と言えばそれまでだが、自分の研究が国の一大宗教を潰してしまったことに、思うところがないわけではなかった。それは「申し訳無さ」とかそういった単純なものではない、もっと複雑な感情だ。
だが、それが研究の手を止める理由にはならなかった。真理を追い求めるのはいつだって、人間の性だからだ。
「俺が魔法の発生原理に関する論文を発表した時、教団からかなりの妨害にあった。それこそ、命を狙われるほどのな」
彼女はわずかに息を飲んだ。その反応を見て、「やはり」と思う。
誰だって怖いだろう。命を賭けてまで研究する酔狂な人間は、それほど多くはない。彼女もきっと、これで諦めてくれるはずだ。
「俺は教団からかなり恨まれているらしくてな。俺と研究をしていれば、お前も危険な目に遭う可能性がないとは言い切れない。それでもお前は、俺の研究室に入りたいか?」
「はい」
即答だった。
思わぬ回答に、クリスは珍しく表情を崩し、その目を大きく見開いていた。
(正気か?)
普通のご令嬢なら身を引くところだろう。それなのに彼女は、自分が危険にさらされるとしても、ここで研究をしたいと言う。
動揺するクリスに対し、彼女は真剣な表情でまっすぐにこちらを見つめてくる。
「たとえ妨害にあったとしても、私はこの世の真理を知りたいという欲求を抑えきれません。人間が知的好奇心を失ってしまえば、それはもはや人間とは呼べないのではないのでしょうか」
「…………」
クリスの決意が崩れた瞬間だった。
彼女になら裏切られても構わない。そう思えるほど、彼女に惹かれた。ミラ・ハインズという人物への好奇心が止まらない。
自然と口角が上がる。
「お前にとって、魔法とは何だ?」
「一生をかけて解くべき命題です!」
キラキラと輝くその紫の瞳は、今まで見たどんな宝石よりも美しかった。
その後クリスは、気づけば四時間もミラと語り合っていた。
これまでどんな研究をしてきたのか。貴族学校ではどんなことを学んできたのか。そして、ロイド研究室に入ったら、まずどんな研究をしてみたいのか。
彼女との話題は尽きることなく、ここまで誰かと会話を重ねたのは初めてのことだった。夕暮れになり、流石に彼女を帰したが、本当はもっと語り合っていたかった。
ミラが帰った後も、生き生きと語る彼女の姿が、眩しく脳裏に焼き付いて離れなかった。




