33.色んな意味で、大変なことになってしまった
学会後、ミラは「魔法補助装置」の実用化に向け、忙しい日々を送っていた。
学会から戻ってすぐ、研究内容を聞きつけた魔道具商会が、商品化のサポートと製造委託を請け負う代わりに専売契約を結んでくれと、研究室にやってきたのだ。もともと実用化するつもりだったミラにとって、その話は渡りに船だった。
装置を実際の商品に落とし込むには、装置の小型化と安全性の担保が必要となる。今は魔道具商会と連携しながら、その辺りの詳細を詰めているところだ。素材の調達経路の確立や、売価の設定などは、商会の人々が担ってくれていた。
もちろん、国との交渉も並行して進めている。「魔法補助装置」は平民が魔法を使うための道具なので、この国の在り方を変えかねない代物だ。販売を許可してもらえない可能性も大いにあったので、ミラは早めの段階で国の担当者に相談していた。
しかし、国からは特に反対されることなく、トントン拍子に話は進んだ。どうやらクリスが裏でシリウスに話を通してくれていたらしい。詳しくは聞かされていないが、シリウスが関係各所に根回しをしてくれているようだ。
バタバタとした日々が続いたが、ミラは学会最終日のあの夜のことは、極力思い出さないようにしていた。思い出すと、どうしてもクリスを意識してしまうからだ。ミラは彼に自分の気持ちがバレないよう、いつも通りの振る舞いを心がけていた。
そうして月日は過ぎ、春が近づくある朝のこと。
研究室に到着したミラは、いつも通り教授室にいるクリスに挨拶を済ませ、居室にある自分のデスクに荷物を置いた。
実験室に向かう前に、デスクの上の書類の山を整理をしていたところ、その中に一通の白い封筒が紛れてることに気づいた。ここ数日、書類仕事を後回しにしていたこともあり、もしかしたら随分前に届いたものかもしれない。
宛名を見ると自分の名前が書かれており、誰からだろうと裏返すも、そこに送り主の名は書かれていなかった。
(書き忘れかしら……)
そう思いペーパーナイフで封を開け、入っていた白い紙を取り出す。折りたたまれたそれを広げると、思いもよらない言葉が目に飛び込んできた。
『ケンキュウ、ヤメロ。ケガレル』
書かれていたのは、たったそれだけ。しかも手書きではなく印刷された文字なので、筆跡で相手を推察することもできない。何とも気味の悪い手紙だ。
「なにこれ……嫌がらせ?」
そう思った時、ふとある光景が蘇ってきた。
学会の会場前でデモを行っていた、マナリア教団。もしかしたら本当に、彼らの標的になってしまったのかもしれない。
(もし……もし本当にそうなら……)
最悪の未来を想像してしまい、背筋がぞわりと粟立った。クリスが教団の標的になったときは、命を狙われる事態にまで発展したという。今はそれほど過激な話は聞かないが、身に危険が及ぶ可能性もゼロとは言い切れない。
いずれこういうことも起きるかもしれないと覚悟していたとはいえ、いざ自分が狙われると怖いものだ。しかし、こんな脅迫に屈するわけにはいかない。
ミラはその時、ふと左手に持っていた封筒に厚みを感じた。封筒を逆さまにして、右手で中身を受け止めてみる。
「痛っ!」
右手に鋭い痛みが走り、反射的に手の中のものを取り落としてしまった。右の手のひらはすっぱりと切れており、真っ赤な鮮血がダラダラと湧き出ている。
カランと音がした方向を見ると、床に薄い折れた刃が落ちていた。この刃が、封筒の中身だったのだ。そう理解した途端、頭から血の気が引いていった。
「どうした?」
ミラの声を不審に思ったのか、クリスが教授室から顔を覗かせた。彼に振り向き口を開くも、あまりの事態に頭が混乱して、上手く言葉が出てこない。
「え、と……あの……」
ミラの右手から血が流れているのを見た途端、クリスは血相を変えて駆け寄ってきた。そしてミラの右手首を掴み、手のひらを上に向かせる。
「見せろ」
「だ、大丈夫です。これくらい自分で治せます」
「いいから、じっとしていろ」
クリスはそう言って治癒魔法をかけてくれた。
治癒魔法は扱いの難しい高度な魔法だが、クリスはいとも簡単にそれを使いこなす。そうこうしているうちに、彼は一瞬にしてミラの傷を治してしまった。流石は天才だ。
ミラの手首を離したクリスは、デスクの上の手紙が目に入ったらしく、憎々しげに眉根を寄せた。
「……教団の仕業か」
低く唸るようにそうこぼした彼は、ギリリと歯を食いしばっている。その表情や仕草から、彼の教団への強い嫌悪を感じた。
「シリウスに連絡を入れておく。魔法師団が調べれば、犯人もすぐに捕まるだろう」
「い、いえ! そんな大事にしなくても……! 犯人が教団と決まったわけでもありませんし……」
いくら今後身に危険が及ぶかもしれないとはいえ、現状だけ見れば悪質な嫌がらせを受けただけだ。魔法師団長であるシリウスに頼めば確かにすぐ解決してくれるだろうが、いち伯爵令嬢の分際で王族に動いてもらうのは何とも気が引けた。
ミラが遠慮していると、クリスがより一層渋面になる。
「馬鹿を言え。何かあってからでは遅いんだぞ」
「それは、そうですが……」
「とにかく、シリウスには連絡を入れておく。それとミラ。お前はしばらく俺の家に泊まれ」
「……はい?」
クリスの突飛な発言に、ミラは目を丸くした。
今までロイド侯爵家に呼ばれたことなど一度もない。もちろん呼ぶ用事がないからだろう。彼はあまり家には帰らずほとんど大学にいて、ミラに用があればその場で済んでしまうのだ。
ミラはクリスにとってただの教え子。婚約者でも、ましてや「親しい女性」というわけでもないのに、いきなり「しばらく泊まれ」だなんて、何とも滅茶苦茶な話だ。
しかし彼は、至極真面目な表情で続ける。
「大学寮が安全とは言い切れない。うちなら警備も万全だ」
「そうかも知れませんが、え、あの、それは流石に。それなら実家に帰ります」
「ご両親も危険に巻き込まれる可能性がある。それはだめだ。俺も今日から毎日家に帰るようにする。そうすれば万が一何かあっても、俺がお前を守ってやれる」
「あの、待ってください、先生」
「今日は実験室以外では一人になるなよ。いいな」
彼はそう言い残すと、ミラの言葉も聞かずに慌てた様子で教授室へと戻っていった。そしてすぐに通信機で誰かと話す声が聞こえてくる。会話の内容からして、相手は恐らくシリウスだ。
「色んな意味で、大変なことになってしまったわ……」
ミラは居室でひとり呆然と立ち尽くし、そうこぼすのだった。




