25.タイムリミット
夏の終わり。日中は強い日差しが降り注ぎ汗ばむものの、夜は随分と涼しくなった、そんな季節。ミラは日夜実験に明け暮れていた。
完全に研究が行き詰まっていたのだ。
ここ数ヶ月は、脳波を増幅する素材をひたすらに探していた。試せる素材は全て試したが、どれもこれも失敗。一向に打開策が見つからず、焦りばかりが募る日々が続いていた。
「まだ残っていたのか?」
夜の二十三時を過ぎた頃。ひとり実験をしていたミラの元に、クリスが声をかけにやってきた。彼はすでに帰り支度をしており、どうやら今日はロイド侯爵邸へと戻るようだ。
「お疲れ様です、先生。戸締まりやっておきますね。私はもう少し残ります」
「ミラ。最近根を詰めすぎだ。そのうち倒れるぞ?」
「大丈夫です。まだ日も変わってない時間ですし、これくらいは」
クリスの指摘通り、ここ数日は睡眠時間を削って実験を行っていた。彼と違ってミラはショートスリーパーではないので、このままだと体調を崩しかねないということはわかっている。しかし、手を動かしていないと落ち着かないのだ。
「全く……一体何を焦っている? 素材が見つからない以外、研究の進捗具合は順調すぎるくらいだというのに」
クリスは半ば呆れたように溜息をついていた。ミラのここ最近の焦りに関しては、彼も気づいていたらしい。
ミラは視線を逸らすように伏し目がちになる。
「先生は、十八歳で偉大な研究を成し遂げました。それに対して私は……何の成果も残せていません」
「そんなことはない。お前が過去に出した論文は、どれも高い評価を得ているだろう」
ミラの言葉を、クリスはすぐに否定した。彼の瞳はまっすぐにこちらを捉えていて、本当の理由を探るような鋭さがある。これは言い訳して誤魔化すことは出来なさそうだ。
ミラは観念して、正直に話すことにした。
「……実は先日、両親から手紙が届きまして……来年の春までに新しい婚約者を見つけるから、来春には大学を辞めて戻ってきなさいと……」
そう。ミラが焦燥感に駆られていたのは、研究生活のタイムリミットが決まってしまったからだった。
いずれは結婚のために帰ってこいと言われるだろうとは思っていたが、想像以上に早かった。
父はミラが結婚後も研究を続けられるようにと、婚約者選びを慎重に行ってくれていたらしい。しかし母がそれを許さず、早急に良家と婚約を結ばせる方向で話が進んでいるそうだ。
来年の春まで、半年と少し。両親から手紙を受け取ってからというもの、ミラはそれまでに何かしらの成果を残そうと躍起になっていた。自分が研究者として生きた証を、少しでも多く残すために。
話を聞いたクリスは、心底驚いたように目を大きく見開いていて、その美しい碧眼がよく見えた。彼がここまで驚くのも珍しい。
「私には時間がないんです。だから、何としても今の研究を成功させたいんです! 今が正念場なんです!!」
クリスの碧眼を見据え、ミラは力強くそう告げた。いくら彼に止められたって、この焦燥は抑えられない。
「…………」
「…………」
しばらく見つめ合う時間が続いた。ミラは絶対に引かないという強い意志でクリスを見つめ、彼は何かを思案しているような、そんな表情でミラを見つめていた。
夜が更けたこの時間に聞こえてくるのは、実験室に設置された時計の音だけ。時を刻むその音だけが、二人の間に流れていた。
そして、とうとうクリスが沈黙を破った。
「ミラ。今週末、空いてるか?」
ようやく出てきた言葉がそれだったので、ミラは呆気にとられ間抜けな声を出してしまった。
「はえ? え、ええ……空いてますが……」
「よし。少し付き合え。外に出る」
「え、あの、行き先は? 何をしにどこへ行くんですか?」
そう尋ねたときには、彼はすでに踵を返していた。実験室の扉を開けて出ていく直前、彼は振り返る。
「当日まで秘密だ」
クリスは目を眇めて、いたずらっぽく口角を上げていた。
* * *
そして、週末。
ミラはクリスとともに列車に揺られていた。
ルミナシア王国には、二十年ほど前に魔導鉄道が開通している。魔力を燃料に動くこの鉄の塊は、ルミナシア魔法大学の学長、ブレイディ・ノースの研究が元になったものだ。彼の研究のお陰で、王国の交通、物流網は大幅に拡大し、大きな経済発展を遂げている。
「先生、そろそろどこに行って何をするか、教えてくれても良いんじゃありませんか?」
ミラは隣で静かに本を読んでいたクリスに声をかけた。
列車に揺られ三十分。それなのに、ミラはまだ行き先を知らない。
今朝方、クリスが侯爵家の馬車でミラの住む大学寮まで迎えに来た。そして、何も教えられないまま彼に連れられ、今に至るというわけだ。
どこに行って何をするのか聞かされていないため、ミラは今日の服装にシンプルなワンピースを選んだ。ストンとしたシルエットなので、動きやすいし活動の邪魔にならない。屋外を想定して、帽子も持ってきた。
クリスも白いシャツに紺のスラックスというシンプルな服装をしているので、そこまで見当外れではないだろう。
彼は本を閉じると、ようやく答えを教えてくれた。
「俺が研究に行き詰まった時に、頭を空っぽにするための場所だ。誰にも言うなよ。シリウスにも教えてない」
ミラは予想外の行き先に目を丸くした。てっきり魔道具店や魔鉱石店に連れて行かれると思っていたのだ。
本当は今日も研究に時間を充てたいと思っていたのだが、クリスはミラがそうすることを見越して、強制的に息抜きの時間を設けてくれたのだろう。
そして、自分だけが知る特別な場所に連れて行こうとしてくれているようだ。
(先生にとっての、特別な場所……)
親友のシリウスですら知らない、彼の秘密の場所。それを自分だけに教えてもらえることに、ミラは密かな優越感を覚えた。
思わず笑みが湧いてくるのを抑えながら、言葉を返す。
「先生も、研究が行き詰まる時、あるんですね」
「当たり前だ。失敗することのほうが断然多い」
そう言うと、彼は再び本を開きそれに目を落とした。行き先がわかって満足したミラは、残りの時間、車窓からの風景を楽しむことにした。
窓の外には広大な草原が広がり、きらめく陽光が降り注いでいる。
本日は雲一つない晴天。絶好のお出かけ日和だ。




