24.嘘?
ミラの実家、ハインズ伯爵家は、海路での貿易業を行っている。そのため、陸路での運輸業や貿易業を営むウォルシュ伯爵家にとって、ハインズ伯爵家は同業であり、ある種の商売敵であった。
数年ほど前から海路にも販路を広げようとしていたウォルシュ伯爵は、ハインズ伯爵家の力を削ぎたいと目論んだ。
そこで彼は自らの娘をジュダスに差し向け、ハインズ伯爵家とクウォーク伯爵家の縁を断とうとしたのだ。ジュダスとの縁談はハインズ伯爵家にとってもそれなりに利になるものだったため、そこに目をつけたのだろう。
その後、自分の息子がキャシーという女にたぶらかされていると知ったクウォーク伯爵は、ウォルシュ伯爵に文句を言いに行った。しかしウォルシュ伯爵は、かえってこんな甘い話を持ちかけたそうだ。
『クウォーク家が取り扱う美術品の販路をさらに拡大しませんか? うちの娘と婚約を結んでくだされば、陸路での販路を提供すると約束しましょう。ミラ嬢との婚約を破棄しても、ハインズ伯爵家との取引がなくなることはないはずだ。閣下との事業であれだけの利益が出ているのだから』
クウォーク伯爵はその言葉を鵜呑みにし、息子がキャシーにのめり込んでいっても見て見ぬふりをした。
一方、ジュダスだけは蚊帳の外だったらしく、何も事情を知らずにただただキャシーに惚れただけのようだった。頭の弱いジュダスに事情を伝えれば、早々にボロが出ると判断して皆黙っていたのだろう。
その後の結果は皆が知る通り。ミラの父、ハインズ伯爵は婚約破棄に激怒し、クウォーク伯爵家との取引を絶った。
クウォーク伯爵が最初に謝罪に来た時に、「ジュダスの婚約破棄については全くの寝耳に水」と言っていたのは、とんだ猿芝居だったらしい。
一方、ウォルシュ伯爵の目的はその時点で達成されたので、彼は「ジュダスが魔法師団をクビになったから」という理由をつけて、キャシーとの婚約をなかったことにした。キャシーも魔法師団員という地位を失ったジュダスに興味はなかったようだ。
ウォルシュ伯爵は近頃、キャシーを上位貴族の家に嫁がせるべく、色々と画策しているらしい。彼女が今日この場に来たのも、おそらくはその一環だろう。
これが、ミラの婚約破棄騒動に関する一連の裏側である。
キャシーがジュダスをけしかけ、婚約破棄を誘発させたことそれ自体は罪に問える内容ではない。しかし、クリスの領地内での違法麻薬の売買が決定打となり、そこから芋づる式にウォルシュ伯爵家の悪行が明らかとなった。
噂通りの麻薬および武器密売に加え、税の着服、収賄。さらには他国への機密情報漏えい。その他にも挙げれば切りが無いが、実に犯罪のオンパレードであった。
そして、事態を重く見た王家がウォルシュ伯爵家の爵位剥奪を決定し、今に至る。
「そういうわけだ。お前は近く平民になる。両親の操り人形になるのはもう辞めて、自由に生きるんだな」
「そんな……」
キャシーは両親が犯罪に手を染めていたことは知らなかったようで、茫然自失とした様子だ。
ミラもそれなりにショックは受けたが、正直今となってはどうでも良いことだった。クウォーク伯爵家との取引がなくなったことで確かに損失は発生したが、ハインズ伯爵家にとってそこまで痛手というわけでもなかったからだ。
ミラよりも圧倒的に精神的ダメージが大きいキャシーは、絶望顔のまま力なく立ち上がると、ふらふらと出口に向かって歩き出す。
扉付近にいたミラは、虚ろな瞳のキャシーを引き止めることもできず、ただただ彼女を見送った。彼女が居室から出ていく寸前、クリスがその背中に声をかける。
「最後にひとつ、言い忘れていたことがある」
キャシーはゆっくりと振り向いたが、クリスを見た途端、絶望に染まっていたその表情が一瞬にして恐怖に変わった。クリスが射殺さんばかりの視線をキャシーに向けていたからだ。彼は地を這うような声で言う。
「次はない。今度ミラに手を出そうものなら、お前を社会的に抹殺するからそのつもりでな」
「ひぃっ……! ご、ごめんなさいぃっ!!」
キャシーは悲鳴を上げると、逃げるように走り去っていった。
キャシーのいなくなった居室は、一瞬にしてシンと静まり返る。
(万事解決……でいいのかしら?)
ミラがそろりと隣を見上げると、クリスの表情から先程までの冷酷さは既に消え去っていて、いつもの彼に戻っている。そのことに安堵し、ミラはクリスに話しかけた。
「あの、先生。色々とありがとうございました。裏で動いてくださっていたんですね。それはそうと、いい加減離していただけると助かるのですが」
クリスの腕は、依然としてミラの腰に回されている。
そう。クリスは一連の事情を話す間、ずっとミラを抱き寄せ続けていたのだ。
何とも言えない表情でミラが訴えかけると、クリスは忘れていたとでも言わんばかりに「ああ」とだけ言ってミラを離した。全く、この人の頭の中が本当にわからない。
「あとですね、先生。キャシーに嘘つく必要ありました?」
「嘘?」
クリスは何を指摘されているのかわかっていない様子で、かすかに首を傾げていた。珍しく物わかりの悪い彼に、ミラは困ったように眉を下げる。
「告白を断るにしても、もっと別の方法があったでしょう?」
ミラのことを「愛する女性」だと言って、キャシーの告白を断ったこと。
結局のところ、キャシーがクリスに告白したのは「ミラのものを奪いたい、上位貴族に嫁ぎたい」という邪心からだったようなので、どんな断り方でも構わなかったのだが、クリスへの想いを自覚した直後のミラにとって、「愛する女性」発言だけはいただけなかった。
しかし、当の本人は全く反省する様子もなく、真顔で言い返してくる。
「いや、あれが最善だった」
「絶対にそうは思いませんけど……」
彼にからかっている様子は見当たらない。だとしたら、なぜあんな言動を取ったのか。今のミラには、やはりわからなかった。
納得できずに唇を尖らせていると、クリスがフッと口角を上げて言った。
「すぐに助けに入ってこないで、廊下で盗み聞きしていたことを不問にしてるんだ。そう怒るな」
「気づいてたんですか!?」
「ああ。廊下から聞こえてきた足音でな」
ミラは内心、冷や汗ダラダラだ。盗み聞きなんて到底褒められた行為ではない。
(どうしよう、先生に軽蔑された? どうして部屋に入らなかったか言い訳する? でもなんて?)
そんなことが頭を巡るばかりで思考がまとまらず、ミラは結局何も言い返せなかった。
するとクリスは、目を眇めてからかうような視線を向けてくる。
「部屋に入ってきたときの、しらばっくれた演技はなかなかに上手かったぞ」
彼はそう言い残し、颯爽と教授室に戻っていった。
(この人には一生敵わない気がするわ……)
クリスの背中を見送りながら、ミラは胸の内でそんなことを思うのだった。




