20.任せてください!
「……私のこと、信用できませんか?」
その問いを投げかけるのは正直怖かったが、こればかりは聞いておきたかった。もし信頼できずに自分を研究室に置いているなら、彼にとって少なからず負担になっているはずだ。
もしそうなら、自分から研究室を去ることも考えなければならない。クリスの研究の邪魔になるのだけは絶対に嫌だった。
クリスはミラの言葉に大きく目を見開いたあと、顔を顰めて舌打ちをした。
「シリウスの奴、余計なことを……」
そしてひとつ溜息をついてから、徐ろにミラの正面にしゃがみ込む。彼は困ったように眉を下げ、気遣うような声で言った。
「信用していなかったらそばに置いていない。だから、そんな顔をするな」
「だったら……だったらどうして、全てご自分で抱え込もうとするんですか?」
その問いかけに、クリスは視線を逸らし、わずかに俯いた。
いつもより弱々しく見える彼の、その黒髪に触れて、目一杯頭を撫でたくなった。あなたは一人ではないのだと、わかって欲しかった。
「……昔から、人に頼るのが苦手なんだ」
クリスは俯いたまま、ぽつりとそうこぼした。
(…………っ)
彼の本音を初めて聞けた気がして、ミラの胸の奥底から言いようもない感情が湧いてくる。その感情が喜びなのか何なのか、自分でもよくわからなかった。
すると彼は顔を上げ、ややためらいがちに口を開く。
「もし迷惑でないなら、今後お前に事務仕事を任せたい。頼めるか?」
「……もちろんです! お任せください!!」
ミラは満面の笑みを浮かべて快諾した。クリスに頼られたことが嬉しくなり、腕を引っ張って彼を立たせると、背中をグイグイ押してベッドへと向かわせる。
「さあさあ、研究費の申請書作成も私がやっておきますから、先生はゆっくり休んでください」
「おい……」
クリスは渋い顔をしていたが、ミラは構わず彼を寝かせ、上掛けを被せた。三日間も寝ていないなら、まだまだ休息が必要だろう。
しっかりと休むよう、彼によくよく言い聞かせたあと、ミラは一度部屋を出ていこうとした。しかし、ドアノブに手をかけた時、ふと重要なことを思い出す。
「あ……」
踵を返しベッド脇にしゃがみ込むと、クリスが不思議そうな顔で「どうした?」と尋ねてきた。
ミラはすぐには答えず、脳内で慎重に言葉を選んでいく。今から伝える内容が、彼の機嫌を損ねる可能性があるからだ。
「あのですね……先生にひとつご報告がありまして……」
「なんだ?」
「今日、元婚約者が大学までやってきて、その…………やり直そうと言われまして。その時、新しい婚約者がいると言ってしまいました……すみません」
クリスが弱っているこのタイミングで伝えるかは迷ったが、早いに越したことはないだろう。変な形で彼の耳に入るほうが、よほど彼の機嫌を損ねてしまいそうだ。
ミラはクリスの反応にやや怯えたが、彼は想像以上にあっけらかんとしていた。
「やはりそうなったか。気にするな。別にいい。そもそも俺がそうしろと言ったんだからな」
「やはりって……先生はこうなることがわかってたんですか?」
「ああ」
なんてことないように軽く返事をしたクリスに、ミラは目を丸くする。
(ということはつまり……)
クリスはパーティーの時点で、ジュダスがミラに復縁を迫ることを予知していたということだ。彼の言うことがことごとく的中するので、本当に未来が見えるのではと思ってしまう。
「あの手の女は地位を失った男に興味を無くす。あのジュダスとかいう男を捨て、新たな男に行くのは目に見えていた」
その発言で、ミラは彼がなぜ今回のことを予知できたのか、ようやく理解した。
人間不信となった彼は、常に相手の表情を伺い、相手が自分に害を成す存在か見極めながら生きてきた。その長年の経験により、ジュダスとキャシーの人柄と行動を言い当てる事ができたのだろう。
(だとすれば、なんて悲しいことなのかしら……)
ミラがそんなことを考えていると、クリスは冗談交じりでこんなことを言ってきた。
「そのうち、あのキャシーとかいう女が俺のところに来るかもな」
「ええっ!? そんな、まさか……! でも先生がそう言うと、なんだか本当にそうなる気がしてきました……」
「フッ。そうなったら、今度はお前が俺を助けてくれ」
彼はそう言って、わずかに口角を上げていた。どこか楽しげに見えたのは、気のせいだろうか。
結局、クリスが今回の件で機嫌を損ねることはなかった。
この様子だと、彼がジュダスに対して物騒なことをすることはなさそうだ。自分の先生を犯罪者にさせずに済んだと、安心するミラなのだった。




