15.抱き寄せた理由は
不機嫌そうなクリスと二人きりになったミラは、何ともソワソワした気持ちになった。
彼が不機嫌なのはさほど珍しくないので、それは別に気にならないのだが、先程の「恋人のフリ」を思い出すとどうしても意識してしまう。
「座らないのか?」
クリスが隣の椅子を指で示しながらそう言うので、ミラは彼の隣に座らざるを得なくなった。控えめにちょこんと座ると、彼がすぐに声をかけてくる。
「大丈夫か? 結局目立たせてしまって悪かったな」
「いえ、ありがとうございました。困っていたので、助かりました」
そう返事をしたときには、彼の機嫌は幾分平常に戻っていて、雰囲気が和らいでいた。それに伴い、ミラの緊張も解けていく。
「お前に会うために来たんだろう、あいつ。両家の取引を再開するよう父親を説得してくれ、とでも言われたか?」
クリスは悠然と足を組みながら、唐突に図星を突いてきた。すべて彼の推察どおりで、ミラは目を丸くする。彼の頭脳は本当に計り知れない。
「め、名探偵ですね……」
「フン。非常識なやつだ。もしまた絡まれたら言え。ドラゴンの餌にでもしてやる」
クリスが至って真面目な顔でそんなことを言うので、ミラは思わずフッと吹き出した。
「ふふっ。先生の言う事はいちいち物騒ですね」
彼は何か言葉を返してくることはなかったが、わずかに口元を緩めていた。雰囲気がさらに和やかになり、先程のひと悶着で乱れていたミラの心も随分と落ち着いてくる。
心が冷静になったおかげで、ようやくこの部屋を見渡せた。
王族の休憩室というだけあって、豪華なソファがいくつも設置されている。その上、隣にも部屋が続いており、どうやらそちらには寝台が設置されているようだ。
ミラたちが座っているのは部屋の隅に並べられた椅子だが、これひとつ取ってみてもかなり高価な一品である。フカフカで実に座り心地が良い。
ミラが興味深く部屋をキョロキョロと見回していると、クリスは何かを思い出したように急に気まずそうな顔になった。視線を合わせず、彼にしては力のない声で言う。
「……さっきは悪かった。勝手に触れて。不快に思ったなら本当にすまない」
腰に回された腕、密着した体、繋がれた手、彼の体温。
クリスの言葉でそれらが一気に思い出され、ミラの顔は一瞬にして真っ赤に染まってしまった。それを誤魔化すように、ミラは慌てて言葉を返す。
「い、いえ、そんなことは……! でも、どうして恋人のフリなんかを?」
「元婚約者の隣にいたお前の幼馴染……あいつ、俺を見た途端、目の色を変えていた。新しい獲物を見つけた目だ」
彼から返ってきたのは、思いがけない言葉だった。キャシーの視線をずっと追っていたわけではなかったが、そんな事があったのかと驚く。
しかし、婚約者が隣にいるのにクリスに惹かれるだなんて、どれだけ節操がないのだろうか。
「俺はああいう奴が一番気に食わない。人のものを平気で奪おうとする奴が」
そう言う彼は、まるで嫌な過去を思い出したかのように忌々しげに顔を歪めていた。研究成果を奪われた経験のあるクリスだからこそ出てきた言葉だろうか。
そう言えば、婚約破棄された翌日にクリスに事情を話した際、キャシーは人のものを奪って愉悦を感じるタイプだから関わらないほうがいいと言っていた。あの言葉も、彼の過去に起因するのかもしれない。
「あの女はお前から婚約者を奪った挙げ句、より条件の良い男に乗り換えようとしたんだ。お前を傷つけ平然としているのも腹立たしい。だから俺がやったのは、ちょっとした仕返しだ」
「仕返し?」
キャシーに仕返しするのに、どうして恋人のフリをする必要があったのだろうか。未だに彼の行動の理由が掴めないミラは首を傾げた。
するとその疑問に答えるように、クリスが口を開く。
「あの女はどうもお前を目の敵にしているところがある。お前に向ける視線が終始嘲りか侮蔑だったからな。だから、狙った獲物がすでに他の女……お前のものだと知ったら、あいつは嫉妬に狂い、かなりの屈辱を受けるだろう」
確かに、クリスが現れて以降のキャシーは、ずっとこちらを睨んでいたように思う。あれは嫉妬の視線だったのか。
「それで、恋人のフリを……?」
「ああ。俺がお前を抱き寄せた時、あの女は案の定、悔しくて仕方がないという表情をしていた。いい気味だ」
そう言ったクリスは、口角を上げニヤリとほくそ笑んでいた。まるで演劇に出てくる悪役の表情だ。相変わらずの彼に、ミラはふふっと笑みをこぼす。
「前から思っていましたが、先生って本当に意地悪な性格してますよね」
「気に入らない相手に対してだけな」
彼はさらりとそう答えると、どこか虚空を見つめながら続ける。
「あとは、あの低俗な男に、自分がいかに良い女を捨てたのかを思い知らせたかった。罪悪感も抱かずのうのうとミラの前に現れる神経が全くもって理解できない」
「え……?」




