13.せっ、先生!? あの、腕、腕!!
「ええと……元婚約者と、幼馴染です」
ミラが無理やり笑ってそう答えると、クリスの表情が一瞬にして冷たいものになった。
彼の仏頂面は見慣れたものだが、これは怒っているときの顔だ。ミラは二年間クリスを見てきたおかげで、その仏頂面に込められた感情を読み取れるようになっていた。
「ああ、こいつらが」
低い声でボソリとそう呟くと、クリスは徐ろにミラの腰に腕を回し、そっと抱き寄せた。そしてジュダスに向かって、思いっきり嘲笑を浴びせる。
「フッ。別れて正解だな。こんな雑魚じゃ、いざというときお前を守ることも出来ない」
(…………!?!?)
ミラは一体何が起きたのか理解できず、頭が真っ白になってしまった。
クリスの腕が、なぜか自分の腰に添えられている。不思議と嫌な気はしないが、それ以上になぜ彼がこんな行動を取っているのかが、本当に理解できない。
「せっ、先生……!? あの、腕……腕!!」
小声で訴えかけると、クリスはミラの耳元に顔を近づけささやいた。
「お前は何も話さなくていい。あいつらは俺が黙らせる」
彼の低音が耳に響き、ミラは思わず首をすくめた。元々いい声だとは思っていたが、こんなに至近距離でささやかれると流石に恥ずかしい。
(それに、こんなに密着するなんて……!)
クリスの体温を嫌でも感じ、ミラは何ともいたたまれない気持ちになった。
ミラが俯きながら人知れず顔を赤らめている一方、馬鹿にされたジュダスは額に青筋を立てながら顔を歪めていた。
「な、何だって……? ただの研究者の分際で……! 僕は魔法師団の人間だぞ!?」
「団の制服を着ているんだから言わなくてもわかる。なるほど、魔力も弱ければ頭も弱いらしい。ミラ、お前にこの男は合わんだろうよ」
人を煽る能力に関しては、クリスの右に出る者はいないかもしれない。
ミラはこれまでクリスがいろんな人と議論、もとい言い争っているのを見てきたが、口喧嘩で彼に勝てた人物を見たことがない。頭脳で圧倒的に劣るジュダスに勝ち目はないだろう。
「彼女は僕と話していたんだ。邪魔をするな! あなたはミラの何なんだ!?」
「さあ? 何だと思う?」
そう言うクリスは試すような笑みを浮かべている。正直に先生だと言えばいいのに、なぜそんな含みのある言い方をするのか。ミラにはクリスの狙いが本当にわからなかった。
二人に視線を移すと、ジュダスはショックを受けたような顔をしており、キャシーはなぜか心底悔しそうな表情でこちらを睨みつけている。
「まさか……ミラも浮気を……」
(今、「も」って言ったわね……?)
婚約破棄騒動のあの日、ジュダスは「肉体関係を持ったわけじゃないから浮気ではない」と言っていた。あの時は本当に浮気のつもりがなかったのかと思っていたが、彼はやはり浮気をしていた自覚があったのだ。
ミラが呆れていると、クリスが厳しい声を上げる。
「お前と一緒にするな低俗。お前の身勝手な行動でミラがどれほど傷ついたかわかるか? お前はミラに近づく権利すらないんだよ」
クリスは辺り一面が凍ってしまうような冷酷な表情をしており、切れ長の碧眼はナイフのように鋭い。威圧的な彼に押され、ジュダスはぐっと言葉を詰まらせていた。
(そうか、先生は、二人に絡まれていた私を助けるために……)
彼の真意がようやく掴めてきた。しかし、抱き寄せられた理由は未だにわからない。
ほんのわずかな沈黙の後、クリスが腰に回していた腕をスッと解き、今度はミラの手を掴んだ。
「行くぞ、ミラ」
手を引かれるまま、ミラもクリスに続いて歩き出す。彼の背中が、いつもよりとても大きく思えた。握られた手が、とても熱い。
「待て! まだ話は終わってないぞ!」
後ろからジュダスが大声を上げて追いかけてきたが、クリスがすぐに振り向きそれを制した。
「黙れ。二度とミラに近寄るな。馬鹿がうつる」
地を這うような声。今にも人を殺しそうな目と、機嫌が悪そうに寄せられた眉間のシワ。
(先生……いつも以上に顔が怖いです……)
ジュダスの動きはピタリと止まり、その場で見事に固まっている。ミラはクリスの渋面を見慣れているので何ともないが、初見では相当怖いだろう。
すると、先程のジュダスの大声で揉めていることに気づいたのか、周囲の人々の視線が集まりだした。
(ああ……結局目立ってしまったわ……)
よりにもよって、今はクリスに手を握られている。女性たちの視線が何とも痛い。しかし当の本人は全く気にすることなく、ジュダスを睨み続けている。
そしてキャシーはというと、少し離れたところでミラのことを思いっきり睨みつけていた。悔しそうに唇を噛み、ドレスの裾をギュッと握りしめている。
(睨みたいのはこっちよ……)
あれよあれよと人が集まり、いつの間にかクリスとミラ、ジュダスを中心として、丸い人垣ができてしまっていた。ジュダスとキャシーから助け出してくれたことには感謝するが、できれば目立ちたくなかったと言うのは贅沢だろうか。
しかし、こうなってはもはや後の祭りだ。
ミラがもうどうにでもなれと半ばヤケになっていると、この殺伐とした空気に似合わない、明るく朗らかな声が耳に届いた。




