12.やっぱり浮気はないでしょう……!
パーティーも中盤を過ぎた頃。
ミラは一人で会場を練り歩きながら、たくさんの研究者や魔法使いたちと交流していた。途中まではクリスと一緒にいたのだが、彼は大学のノース学長に連れられてどこかへ行ってしまったのだ。
隣にいろと言ってたのに、とは思いつつ、多種多様な魔法の専門家と話す機会はそうそうない。ミラは「クリスを女性から守ること」は一旦頭の片隅に追いやり、様々なグループに顔を出しては魔法の話に花を咲かせていた。
そして、ひとしきり話し終え、輪から抜けて一人になった時。思いがけない人物に声をかけられた。
「あら、ミラじゃない」
少し鼻にかかったような可愛らしい声。振り返らずとも誰だかわかる、聞き間違えようのない彼女の声。
数ヶ月ぶりに聞いたその声で、ミラは嫌でも婚約破棄の日を思い出し、心臓がドクンと跳ねた。
「キャシー……どうしてここに?」
振り返ると、そこにはやはり思った通りの人物がいた。
幼馴染のキャシー。ミラから元婚約者のジュダスを奪った人物。
彼女はこちらを見てニヤニヤと笑っている。婚約破棄の日にも見た嫌な笑みだ。
キャシーが身にまとっているピンク色の華美なドレスは、彼女の豊満な胸を最大限強調するようなデザインで、何とも目のやり場に困る。
「ジュダスと一緒に来たに決まっているじゃない。妻や婚約者の同伴は認められているでしょう? ついさっき着いたところなの」
(まさかジュダスも来ているだなんて……)
このパーティーは下っ端だから呼ばれないということはなく、魔法師団と大学のほぼ全ての人間が招待されている。
しかし、ジュダスは婚約破棄騒動の一件で、非常に肩身の狭い思いをしていたはずだ。
(だから、この場にも来ないと思っていたのだけれど……)
魔法師団の面々から白い目で見られるだろうに、それでもなおパーティーに出席するとは、彼は相当面の皮が厚いらしい。
「ミラは大学に残ったんですってね。本当に物好きね、あなた。研究と結婚するつもりなのかしら」
嘲りを含んだ笑みでそんなことを言われ、ミラは流石に気分を害した。先程までの楽しい気分が台無しだ。
(……昔の彼女は、思いやりがあって笑顔が素敵な、とても優しい子だったのに……)
キャシーとは家が近かったこともあり、幼い頃はよく二人で遊んだものだ。あの頃は仲の良い友人だと思っていたのに、どうしてこうなってしまったのか。
「言いたいことはそれだけ? 私、他の研究員と話したいから、これで失礼するわね」
何とも虚しい気持ちとともにそう吐き出し、この場から立ち去ろうとすると、キャシーが手に持っていた扇で行く手を阻んだ。
「まあまあ、ちょっと待ちなさいよ。いいこと教えてあげるから」
彼女の顔には依然として嫌な笑みが浮かんでおり、絶対に「いいこと」でないことは明らかだ。ミラはすぐに踵を返そうとしたが、その前にキャシーが耳元でこう囁いてきた。
「ジュダスがあなたに大学進学を勧めたのは、あなたとの結婚を少しでも先延ばしにするためよ」
「……え?」
ジュダスが大学進学を勧めてくれたのは、ミラの「研究をしたい」という意向を汲んでくれてのことだったはずだ。彼は「君の才能をここで潰すのはもったいない。結婚は大学に行ってからでも遅くはない」と、そう言ってくれた。それなのに。
(……あの言葉は、全て嘘だったっていうの?)
もはやミラには、ジュダスの何が嘘で何が真実なのか、わからなくなっていた。
「あなたとの結婚にずっと不安を感じてたのよ、彼。貴族学校時代からよく言ってたわ。ミラと話していてもつまらないって。だから結婚を先延ばしにして、あなたを見極めていたの」
(……貴族学校時代からって、婚約してすぐじゃない……)
初めて知る真相に、頭から血の気が引いていく。信頼関係を築けていると思っていたのは、やはり自分だけだったのだと思い知らされる。
(私は……彼の何を見ていたのかしら……)
「でも結局ジュダスはあなたを捨てる決断をした。その間、あなたは呑気に研究をしていたわね。ふふっ。見ていて滑稽だったわ。婚約者の気持ちにこれっぽっちも気づかないなんてね」
(彼のことをわかってる気になって、結局何も、わかっていなかったのね……)
婚約破棄されたのは、やはり自分のせいだと思えてきた。自分なりにジュダスと向き合っていたつもりだったが、どうやら不十分だったらしい。
婚約してすぐに合わないと感じていたなら、その時点で婚約を解消してくれればよかったのに。
そう思ったが、あの婚約は政略的なものだった。ジュダスも家業のことを考えれば、言うに言い出せなかったのだろう。優しげな笑顔の裏で、相当我慢していたのかもしれない。
しかし彼は、浮気をした挙げ句ミラに婚約破棄を突きつけたせいで、結局その我慢を台無しにしてしまった。浮気せず、早い段階で婚約の解消を申し出ていたなら、もう少し状況は変わっていたかもしれないのに。
婚約破棄当日のジュダスの言動を思い出したことで、ミラの沈みきっていた心に怒りの炎が灯り始める。
(いや、でも……やっぱり浮気はないでしょう……!)
ミラの目の前でキャシーと仲睦まじげに抱き合い、挙句の果てに結婚式の招待状を送ると言ってきたジュダス。いくら気の合わない相手と婚約させられたからと言って、その仕打ちはあまりにひどすぎる。
ジュダスもジュダスだが、キャシーもキャシーだ。わざわざ婚約者がいる男を選ぶなんて。
キャシーは元々、とある子爵令息との縁談があった。
しかし彼女は、貴族学校の卒業間際に、その縁談を断っている。もしかしたら二人は、その頃からそういう関係にあったのかもしれない。もし本当にそうなら、浮気されていた期間は二年にも及ぶ。
(二年も…………!!!)
ふつふつと怒りが湧いてきたところで、また聞き慣れた声で名を呼ばれた。
「ミラ!」
ミラの元に駆け寄ってきたのは、他でもないジュダスだ。もう二度と顔も見たくなかった二人が目の前に並び立ち、ミラは今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られた。
「良かった、やっぱり来てたんだね。ここに来ればミラに会えると思ったんだ。散々屋敷を訪ねたのに、どうして会ってくれなかったんだい?」
ジュダスは心底理解できないという顔で首を傾げている。
浮気した挙げ句に婚約破棄してきた男と、誰が会いたいと思うだろうか。やはり彼はその辺の感覚が大幅にズレているようだ。
「ねえ、ミラ。君からお父君に話をしてみてくれない? うちとの取引を再開するよう説得して欲しいんだ」
「………………は?」
(私に会いたかった理由って、それ!?)
魔法師団から爪弾きにされているジュダスがわざわざパーティーに姿を現したのは、ハインズ伯爵家とクウォーク伯爵家の関係を修復すべく、ミラに頼み込むためだったようだ。
非は完全に向こうにあるというに、そんなお願いをしてくるなんて、図々しいにも程がある。
「頼むよ、ミラ。ね?」
「そうよ、ミラ。ジュダスだってたくさん謝ったのに、少し心が狭いんじゃないの?」
(本当にこの二人は……どこまで人を馬鹿にすれば気が済むの……!?)
とうとう怒りが爆発したミラは、思わず大声を上げそうになった。しかしこの場で叫べば、皆の注目を浴びることになる。幸い周囲の人間は、ミラが元婚約者たちと揉めていることにまだ気づいていない。
(好奇の目にさらされるのはごめんだわ。冷静に、この場を収めないと)
ここで立ち去ろうとすれば、ジュダスはしつこく付きまとってくるだろう。そうなれば結局、衆目を集めてしまう。
かと言って、彼の要求を飲むつもりは一切なかった。
(さて、どうしましょうか……)
穏便に片付ける方法がなかなか思いつかず頭を悩ませていると、クリスがやや疲れた顔で戻ってきた。
「ミラ、ここにいたのか。悪い、学長に連れ回されてな」
ミラのそばに来た彼の声には、やはり疲労の色が伺える。ノース学長が良かれと思って彼を色んな人に紹介して回ったのだろう。
すると彼はすぐにジュダスとキャシーの存在に気づき、小声でこそりと尋ねてくる。
「誰だ?」




