11.先生が固まっちゃったじゃない!
そして、魔法師団との懇親パーティー当日。
王城の大ホールには大勢の魔法使いと研究員が集まっていた。皆、グラスを片手に、それぞれ交流を楽しんでいる。
天井にはきらびやかなシャンデリア。床には重厚で質の良い絨毯。テーブルの上には見ただけで食欲をそそられる美味しそうな料理たち。流石は王家主催のパーティーだ。
参加者の大半が男性だが、ちらほらドレス姿の女性も見受けられる。そしてその女性たちの視線は、その大部分がミラ――ではなく、隣のクリスに向けられていた。
「流石は先生……想像以上のモテ具合ですね」
隣を見上げると、当の本人は女性たちの視線を完全に無視し、ミラの方を見て渋い顔をしていた。
今日の彼は普段の白衣姿とは異なり、黒の燕尾服をビシッと着こなしている。前髪も掻き上げて丁寧に整えられているので、いつもとはまた違った印象だ。
整った顔がよく見えるので素敵だと思うのだが、眉間に寄せられたシワが何とも残念である。
「ミラ、お前……」
「? どうしました?」
「露出が多い」
「そうですか? 割と普通のデザインかと思いますが」
渋面の彼に指摘を受けたミラは、視線を下げて自分のドレスを確認した。
ミラは今、自身の瞳の色と似た淡い紫のドレスを身にまとっている。薄紅色の髪も相まって、春の花園を思わせる色合いだ。
このドレスは腕からデコルテにかけてと、背中もやや見えるデザインだが、そこまで露出が多いものではない。むしろ夜会ではこれが標準的だ。
髪は結い上げているので首筋も見えてはいるが、これで露出が多いと言われると困ってしまう。
「このデザイン、そんなに不愉快でしたか? すみません、お目汚しを……」
「そうじゃない。ただ――」
クリスがやや気まずそうに何かを言いかけたが、ちょうどその時、遠くから名を呼ばれた。
「ミラ!」
振り返ると、大柄な赤髪の男が大きく手を振りながら近づいてきていた。久しぶりに見るその顔に、思わず表情がパッと明るくなる。
「お兄様! 久しぶりね!」
「久しぶりだなあ、ミラ!」
満面の笑みを浮かべる彼は、三つ歳上の兄、エイダン。魔法師団の特務部隊に所属しており、普段は王城に住み込みで働いている。そのため、彼と会うのは随分と久しぶりなのだ。
エイダンは特務部隊のみが着用を許される特別な軍服を身にまとっており、その左胸には「特級」を表す四つ星が輝いている。彼は国内でも右に出る者がいないと言われるほど圧倒的な魔力量を誇っており、将来の隊長候補として有力視されているそうだ。
「元気にしてたか? 婚約の件は大変だったな。ジュダスのクソ野郎には怒りの鉄拳をお見舞いしておいたから、お前ももうあんな奴のことは忘れろ」
エイダンは背が高く、非常に体格が良い。魔法使いは基本的に肉弾戦をしないので、そこまで鍛える必要もないのだが、彼の趣味が筋トレということもあり、筋骨隆々の武人のような見た目をしている。
そんな彼に思いっきり殴られれば、歯の一本や二本くらい折れてしまいそうだ。
「ふふっ。そうするわ。実際のところ、研究が楽しくてすっかり忘れていたの」
「そうか、それは何よりだ。母上には悪いが、お前が望む道に進めて、俺は嬉しく思っているよ」
そう言うエイダンは、まるで陽だまりのような笑顔を浮かべていた。
兄は昔から変わらずとても優しい。
ミラがまだ幼い頃は、母に叱られて泣きべそをかくたびに慰めてくれたし、魔法研究もずっと応援してくれていた。ルミナシア魔法大学に入学が決まったときは、父と同じく泣いて喜んでくれた。
そんな兄が、ミラは大好きなのだ。
「私が研究の道を諦めなかったのは、お兄様が励まし続けてくれたおかげよ。本当にありがとう」
はにかみながら礼を言うと、エイダンは満足そうに頷いた。そして彼はクリスを見つけたようで、ミラも兄の視線を追う。
気づけばクリスはミラから少し離れた場所にいた。兄と妹の再会を邪魔しないように配慮してくれたらしい。
「あなたが、かの有名なクリス・ロイド教授ですか。私はミラの兄のエイダン・ハインズと申します。妹が大変お世話になっております」
朗々と挨拶をしたエイダンに、クリスは少し押され気味だ。クリスも長身とはいえ、厚みが全く違う。面と向かって正面に立たれると、やはり威圧感があるようだ。
「いえ、彼女は大変有能な研究員ですので。彼女が研究員として残ってくれて、とても助かっています」
「でしょう! ミラは昔から頭の出来が良くて!!」
妹を褒められたエイダンは、まるで自分のことのように喜んでいた。食い気味のエイダンに、クリスはやはり押され気味だ。
エイダンはクリスに向かってしばらく妹自慢をした後、ミラに小声で話しかけてきた。
「とても素敵な方じゃないか。まさか、新しい婚約者かい?」
兄のとんでもない勘違いに、ミラは目を見張って小声で言い返した。
「なに言ってるの! そんなわけないでしょう!?」
「そうなのか? それにしては何というか……」
エイダンは首を傾げてそう言いながら、何やらぶつぶつとつぶやいていた。そしてしばらくして、なにか良いことを思いついたかのようにパッと顔を上げると、満面の笑みでクリスに話しかけた。
「ロイド教授。兄である私が言うのもなんですが、妹は気立ての良いとても優しい子です。妻にするなら持って来いの女性だと思うのですが、いかがでしょう?」
「…………」
なんて良い提案をしたんだと満足気なエイダン。目を丸くして固まるクリス。
兄のとんでも発言とクリスの反応を見て、ミラの心臓は縮み上がった。一瞬の沈黙も耐えられず、思わず声を上げる。
「ちょっとお兄様、変なこと言わないで! ご迷惑でしょう!? ほら、びっくりしすぎて先生が固まっちゃったじゃない!」
必死の形相のミラに非難され、エイダンは「やってしまった」という顔をしていた。そして彼は、バツが悪そうに頭を掻きながら苦笑する。
「ああ、失敬。遠くから見た二人があまりにお似合いに見えて。申し訳ない」
「いえ……少し驚いただけです」
ようやく動き出したクリスは、なんとかそう返事をしていた。
ミラはこの微妙な空気をなんとかしようと懸命に話題を探したが、口を開く前に遠くからエイダンを呼ぶ声が聞こえてきた。どうやら上官に呼ばれたらしい。
「呼ばれているので、これで失礼します。ミラ、またな」
彼はそう言って、そそくさとその場を去っていった。兄の背中を見送りながら、ミラは額に手を当て盛大に溜息をつく。
「私の兄が申し訳ありません……昔からああなんです」
「いや、気にしていない。妹思いの、良き兄君だな」
(意外な反応だわ……)
てっきりエイダンはクリスにとって苦手なタイプなのだと思っていた。しかし、勢いに押されていただけで、どうやら苦手というわけではなかったようだ。
身内を褒められ嬉しくなったミラは、先程の気まずい空気を忘れ、思い切りパーティーを楽しむのだった。




