幸福について/単純明快、平易に自分の考えを語る
大抵の人は自分の存在理由(神の有無込みで)と、幸福について考えたことがあると思います。
そして一般論として古代から、所属集団と同じ程度の物や概念を獲得することが幸せだと言います。
例:家・車・家族・良い給料・昇進・友達など。
これらが不足すると不平だと感じて不幸だと感じます。これらは長期報酬系を達成するための願望ですから、ドーパミンが放出されずに、この観点からも不幸だと感じます。
よって、不幸だと感じます。
また、彼らはしばしば短期的な報酬系を刺激する物事に逃避します。
とはいえ、普遍的な幸せの概念から遠ざかっており、真の幸せだと感じることは不可能だと思います。
なぜなら、短期的な幸せは長く続かずに一瞬で終わるからです。
未来を考える人間は、24時間の大半を、長期的な幸せ実現に向けて人は動くのです。
だから、死ぬ瀬戸際には必ず後悔すると思います。
また、存在理由についても同様です。社会通念として、~すべきや~したほうがいい言動は複数あり、それらが自分の存在理由だと人はよく言います。
例:家族のために生きる・恋人のために生きる・社会のために生きる・会社の人のために生きる・趣味のために生きる・幸福になるために生きるetc
これらの存在理由の概念を達成できないと、自分は不幸であると感じると思います。
だから、幸せや存在理由をしっかりと哲学レベルで考察しない限り、人は不幸せの度合いが高いまま生涯を終えると思います。
逆に考えた人は、外的な幸福を除いて、内的動機による幸福を手に入れられます。
それは達成できなくても良く漸次的に近づくことが重要だ。達成したら次なる内的動機の心を聞けばいい。そうしたら、幸福なまま終えることができると思っています。
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では、元来知性がない人は、どうなのでしょうか?
極めて低い人や人格異常者を除いて、同じように感じると思います。
ただし、幸福についての一般論を漠然と認識する違いがあるでしょう。
追記:
つまるところ、人間は長期的目標と短期的目標のバランスで成り立っていることになります。
今回の追記で、長期的目標と反対の方向性の概念はなるべく見ないほうが幸福だと語ろうと思います。
例えば、書籍化作家になりたいと、長期的目標を立てた人がいます。
その目標に漸次的に近づく過程で、幸福と反対の不幸の概念を見るのは避けたほうがいいかと思いました。
その幸福と反対の不幸の概念とは、目標と相反する事柄です。
今回の例で言えば、書籍化目標(幸福)-------怠惰に創作する(不幸)創作への嫉妬などが多い掲示板など。
なぜなら、
書籍化目標(善い)-----------怠惰に創作する(悪)創作への嫉妬などが多い掲示板など。
ですからです。戦争経験者がPTSDになるように、人は悪に触れると心が荒みます。
あるいは、会社での不快で不条理な出来事でも同じです。不条理と考えているのは、それが善いの対義な悪だからです。
とは言え、悪に触れないと善悪の幅を知る機会が損失します。幸福が何か知る手立てが無くなることを意味します。
つまり、究極的に言えば悪を知ることは必要不可欠ですが、過剰な摂取は不必要ってことです。
用法容量を守って使用するのが良いと思います。
自分が思う、幸福についての話でした。本当はもっと深く書きたいのですが、時間もないですし、小難しくなるのでこの簡易形式でエッセイを書きました。
以上です。