恋の形
――騎士団長ジークウェルト・サーベルは無敗であるという。
少なくとも王立学園の同期には一度も負けたことがないことを私は知っている。
彼は王国の英雄、王国を代表する存在だ。
だから彼が誰かの前で膝をつき頭垂れるなど、あまつさえ床に両手をつくなどあってはならない大事件に違いない。
(でも、私の目の前で事件は起こっている)
困惑しながら私も膝をつくと、ようやくジークウェルト様は顔を上げてくれた。
いつも凜々しいはずなのに、どこか情けない顔だけれど可愛く見えてしまう。
そっと手を差し出せば「君をエスコートするべきなのに逆になってしまったな」と苦笑しながら大きな手が重ねられた。
次の瞬間、立ち上がったジークウェルト様に力強く引き上げられる。
そして抱き締められていた。
「正直に言おう……ひと目見たとき恋に落ちて、次の瞬間愛していた」
ジークウェルト様は私を抱き締める腕の力を強めてきた。何かが不安ですがりつく子どもみたいに。
だから平凡な私に一目惚れするなんて、すぐに愛するなんて絶対にあり得ない、という言葉を口にすることはできなかった。
代わりに宥めるようにそっと広い背中に手を回す。
「見ての通り、俺は普通じゃない」
確かに普通ではない……でも、嫌悪感を感じはしない。
精霊や聖獣、この世界には人を人ならざる姿に変えてしまう呪いや魔法が存在すると書物で読んだことはある。
けれど人が犬になってしまうなんて、遠い世界の出来事だとどこかで思っていた。
「気持ちが悪い……だろう」
ジークウェルト様はその言葉をいったいどんな表情で口にしたのだろう。
抱き締められているせいで、顔は見えないけれどその声は微かに震えていた。
ジークウェルト様の人生を私は知らない。輝かんばかりの活躍と完璧すぎる所作と誰も追いつけない優れた頭脳……それが彼の全てだと信じて疑わなかったのに。
(……本当に、本当にそう思っていた?)
それだけではないことを私は知っていた。受け取って、手にしたままのハンカチを握りしめる。
ジークウェルト様にハンカチを差し出した日、私は見たのだ。
あの日、学生でありながら侯爵の地位に就くことになったジークウェルト様の、雨に隠れた一筋の涙を……。
今ならわかる、あれは見間違いではなかった。そしてもしかして、と思う。私の前だからこそ素顔を見せてくれたのではないかと……。
そっと胸を押せば、先ほどまで息が苦しいほど抱き締められていたのが嘘のように容易にその腕はほどけた。
「すまなかった……」
「……っ、何を勝手に納得しているんですか!」
シャツの襟元を引き寄せると抵抗を忘れたみたいにジークウェルト様の顔が私に近づく。ジークウェルト様が犬に姿を変えるからといって、彼の何が変わるというのだろう。
口から飛び出しそうになる心臓を叱咤して私はおもいっきり背伸びをした。
ジークウェルト様が用意してくださった靴はヒールが高いから、背の低い私でも屈んだジークウェルト様の頬に何とか唇が届く。
次の瞬間、片手で口づけされた頬を覆ったジークウェルト様。
「は……?」
あれだけ距離を詰めてきて求婚までして、あんなにも苦しげに秘密までさらけ出したのに、私の行動が信じられないとでも言うように青い瞳が見開かれた。
ジークウェルト様は、しばらく私のことをその表情のまま見つめ、少し震えた手でゆっくりと確かめるように私の頬に触れた。
けれど私の次の言葉をその唇で塞いでしまうまではあっという間だった。




