大型犬に振り回される
(本当にジークはジークウェルト様なのかしら……)
けれど、ジークウェルト様の手を握っていたはずがいつのまにかジークの前脚にすり替わっていた。
その間私は手を離していないのだから、故意にだまそうとしたのでなければそういうことなのだろう。
もちろん、ジークウェルト様が私のことをだましたところで何一つ利がない。
(そもそも、ジークウェルト様が私をだましたりしないなんてわかりきっているもの)
王立学園時代、遠目に見て、ごくまれに挨拶を交わしただけだけれど、それでもジークウェルト様が誰よりも高潔な精神を持っていることを私は知っている。
困っている者には手を差し伸べ、正義感が強く、少し堅物なところもあるけれど……。
(ああ、素直に認めよう。婚約者がいるからって気がつかないようにしていたけれど、ジークウェルト様に強い憧れを抱いていた)
早朝にはいつでも鍛錬をしていた。雨の日も、風の日も、雪が降り積もる日だって。
天才だからとか、侯爵家の地位があるからとかそういうことではなく……。
そう、ジークウェルト様は努力の人なのだ。
(それにしても、本当にジークウェルト様なの?)
大型犬の体力は無尽蔵だ。階段を駆け上がっていく大型犬。ついて行く私の息はすでに上がっている。三本足でピョコピョコとしているのに足が速い大型犬ジーク……いや、ジークウェルト様?
「どこまで行くんですか、ジークウェルト様!」
『グルル……』
名を呼ぶととても不機嫌そうなうなり声を上げた。
「……ジーク様?」
『ワフゥ……』
「……ジーク?」
『ワフ!』
まさかと思ってそう呼んでみると、ブンブンと尻尾を振りながら階段を駆け下りてきてご機嫌で私に額をすり寄せてきた。
「えっと、このお姿の時はジーク……様」
『グルゥ……』
「ジークとお呼びした方が……?」
『ワフゥ!』
ご機嫌だ……言葉を交わすことが出来なくてもわかる。この姿の時は、ジークウェルト様はジークと呼んでもらいたいのだということが。
(人姿の時にもお許しいただいたから……良いのかしら?)
「ジーク」
『ワフ!!』
そうこうしているうちに、一際重厚な装飾の扉の前にたどり着いた。
後ろ足で立とうとして、さすがに一本の足では体重を支えられなかったのだろう、諦めたらしいジークが私を振り返っては扉を前足でガリガリとひっかく。
「扉を開ければ良いのですか?」
『ワフワフ!』
その鳴き声は肯定に違いない。そう判断して扉のノブに手をかけて少しだけ開く。
隙間にジークが無理矢理体を入り込ませて扉を大きく開いた。
「もしかしてジークウェルト様の私室?」
膝の裏に額をグイグイと押しつけてくるものだから、バランスを崩した私はよろめいて部屋の中へに入ってしまった。
「あの……さすがに私室に私が入るのは問題があるのではないでしょうか」
『ワフ?』
今になって初対面の時のアメリさんの反応の意味を理解する。
それと同時に湧き上がってくる疑問。
(……アメリさんは犬の姿のジークウェルト様は威厳を崩さないと言っていたのに)
まるで本当の犬になってしまったように見えるジーク。
とても威厳があるようには見えない、どう見たって可愛い大型犬にしか見えない。
本当に目の前の大型犬がジークウェルト様なのか自信を持ちきれなくなってきた。
(まって……ジークがジークウェルト様でないとしたら、勝手に私室に入ってしまったことに!?)
慌て始めた私の前に、一枚の小さな布を口にくわえたジークが尻尾をちぎれんばかりに振って戻ってくる。しゃがみこんだ私にその布が押しつけられた。
口を離せば手の上に落ちてくる布。それは白いハンカチだ。そしてハンカチにほどこされた青い小花の刺繍。
――その刺繍には見覚えがある。
「……これ、学園時代に」
それは、本当に少ないジークウェルト様と私の学園時代の共通の思い出だ。
どうして未だにジークウェルト様がこのハンカチを持っているのだろうか。
驚く私の前でジークの姿が白銀に輝く。
私の目の前に再び現れたジークウェルト様は、膝をつき、両手を床につけてうなだれている。
「……ジークウェルト様」
「…………見ての通り、というわけだ」
「えっと……犬のお姿に変わることだけは理解しました」
「そうか……」
ジークウェルト様は四つん這いでうなだれたまましばらくの間打ちひしがれたように顔を上げてくれなかった。




