8話/父さんの涙・其の三
サーと水の流れる、心地良い音。
清らかな白い石畳の部屋。
壁際には天井から落ちる水のカーテンがあり、流れ落ちた水は部屋の四隅を囲むようにある溝へ流れ、それもまた地下へと流れていく。
部屋の中央の天井からは白い絹の天蓋が垂れている。
その布の中には寝台。そして眠る人物を覗き込む背の高い男鬼の影。
まず中で眠っているのは珠だった。
白い花弁を敷き詰めた棺桶のような石の寝台で眠っている。
絹の寝巻きの綺麗な布地と同じく、今の彼女には傷一つ残っていない。
酸による火傷は完全に治っていた。
そんな彼女の絹のような髪に5本の指を通して梳く男鬼。
金斬だった。
金斬は浮かない顔で珠を見つめている。
「よく眠っているな珠……。
お前が聞いてない今なら、本当の事を伝えられる。」
彼はいつもの横柄な顔ではなく、柔らかい表情だ。若き妃を迎える王の顔。
「今までの態度からして、きっとお前は覚えていないだろう。俺も思い出させようとはしなかったからな。
お前と出会ったのは俺が19の頃だった……。」
***
ーー先代の酒呑童子·緋寒に一族を半ば滅ぼされた後、俺は奴を倒そうと修行の日々を送っていた。
髪色で悟られぬように布で頭を覆って身分を隠し、佐渡から南の陸に渡り、更に南の山脈へと向かった。
しかし、飛騨の猛吹雪に阻まれ身動きが取れなくなった。
近くの、穴蔵に入ったものの吹雪は10日以上止まなかった。
吹雪から12日目、俺は穴の外でフラフラしているものを見つけた。
それが珠、お前だった。まだ3,4歳程の子供だった。
俺はお前を赤鬼の姫だと理解した。子供にしては高価な着物を着て、髪色に淡い朱色が混じっているからな。同時に、女なら厄介の塊だと言う事にも気付いた。
そのまま、放っておこうと思ったが、誰もお前を迎えに来ない。
仕方ないので俺はお前を穴蔵に連れ込んだ。
着る物を貸して、火の側で温め、見張ってやった。無垢で柔らかな寝顔を今でも覚えている。
次の日。吹雪は止んでいた。
お前が見当たらない。
と、思った瞬間、騒がしい声で俺を叩き起こしてきた。
『そこの見知らぬ鬼!よくぞわらわを助けた!
“さいきょーー”のわらわに手を貸してくれたからには、褒美を与え、懐の広さを見せねばならぬ。
さあこれを食え!!』
そう言って、野兎を1匹投げて渡した。
俺はそれを叩き捨てた。
『なぬーー!?』
俺は無視して、穴蔵を出て行こうとした。
そしたらお前は俺の脚にしがみ付いて来た。しかもよじ登って手で目隠しまでしてきた。
『ま〜て〜!!さいきょーーの、わらわの施しを捨てるのか?!』
『……離せ。俺に関わるな。』
『いーーやーーだ!!
わらわが捕まえてきた、うさぎ食べるのじゃぁーー!!』
俺は騒がれて、もし赤鬼が寄ってきたら厄介なので、仕方なくそれに付き合ってやった。
俺がその場で肉を食らうと、お前は嬉しそうに笑った。
『えへへ〜。美味しいかのう?』
『あーー……。美味い美味い。親切にされて全く涙が出る。』
『うーーん、そうかそうか♪わらわは強い赤鬼だから、足りなければもっと捕まえてくれてやるぞーー。
目下の鬼に奢ってやるのは、強い鬼の嗜みだからの。』
着物の雪や血の汚れから察するに、苦労してやっと持ってきたのだと思う。
自分を凄い鬼だと思い込む、子供らしい子供であるが、妄想を妥協なく現実にさせるような固い意志を感じた。
食事中も、お前は俺にまとわり付いてきた。
『ねーー、ねーー。其方の名前は?』
『唯の旅人だ。名乗る名は無い……。』
『むぅーー!!子分のクセに生意気な!』
『俺がいつ子分になった?』
『奢ってやったから、わらわが目上で、其方は子分の"黒頭巾"じゃ!』
『勝手に名前を付けるな!自分から食い物を押し付けておいてよく言う……!』
『黒頭巾!何して遊ぶーー?何して遊ぶーー?』
『人の話を聞け!』
他愛の無い話をしていると、ふと、お前は何かに気が付いた。
俺の着物に付いていた一本の髪の毛を摘んだ。俺の髪だった。
王鬼の髪は金糸と間違われる程美しい。お前はそれを手に取り、うっとりとした顔で見つめた。
『金の絹糸だ……。キラキラしていて綺麗……。』
(強気で強情だが、女らしいというか、美しいものに見とれる繊細な心もあるようだ。あと20年歳をとった姿を見てみたいものだな……。
……いや、どうでもいいか。)
と、思わず笑みが溢れた。
それも束の間、俺は大勢の鬼がこちらに接近する音を聞いた。
(赤鬼なら……不味い!)
俺は外へ出た。
悪い事に珠が追って来てしまった。
『どこ行くのじゃ?
遊び相手!もっとわらわと一緒に居てたも!』
『馬鹿!来るな!!』
そうこうしている間に、赤鬼達があっという間に俺達を取り囲んだ。
淡い紅色の髪色をした天鬼達だった。
長らしき男鬼が前に出る。
『どこの鬼だか知らぬが、薄紅天鬼の領地に入り込むとはいい度胸だ。
……そして女児の鬼を、それも私の孫を奪おうなどと、余程の死にたがりと見える!』
周りが一斉に変化し、俺も身構えた。
(この程度、倒せぬ相手ではないが、国同士の要らぬ争いを作って、我が島の者達に迷惑はかけたくない……。
それでもやるしか、ないか……?!)
鬼達の瞳孔が細くなり、俺に一斉に飛び掛かろうとした。
だがその時、彼女が俺の前に躍り出た。
その小さな手を広げて庇う。
『薄重のじいじ、やめて!
この者は雪で迷子になっていたわらわを助けてくれたの!殺さないで!!』
『た、珠?!馬鹿を言わず、下がっていなさい!』
その行動で生まれた隙は、俺が逃げるには十分だった。
『礼を言う……!さらばだ。』
俺は赤鬼を軽く突き飛ばしながら、その場を走り抜けた。
『あ、まって!!』
珠は聞こえない距離になるまで、俺に向かって叫んでいた。
『黒頭巾ーー!!また来てねーーっ!!そしたら一緒に遊ぼーー!!』
俺は無事に飛騨から脱出し、佐渡に戻った。
それから数十年の時が経った。
俺は先代・酒呑童子が息子、今の黒の酒呑童子に敗れたと聞き、落胆した。
代わりに黒の酒呑童子を倒して、緋寒の血筋を断ち、王鬼の汚名を晴らす事を決めた。
身分を隠し、今度は大江に出掛けた。
黒の酒呑童子の居場所を探っていた時、俺は偶然お前と再会した……。
視界の悪い山奥で、しかもお前は遠くにいて気付かなかったと思うが、俺は直ぐにあの時の姫だと分かった。
絹のような銀に、頬を染めた乙女の頬のような優しく淡い朱が滲んだ長い髪……。溶けた蜜蝋のような瞳と、整った顔……、しなやかな四肢ーー。
あの小娘だったお前が、すっかり目を奪われる程の美しい大人の女になっていたと知り、どういう事か……俺の心は乱れた。
その後、結局黒の酒呑童子は西の海の果てに旅立ってしまったので会って戦う事は出来ず、俺は仕方なく佐渡へ戻った。
しかし、お前の事が忘れられず、家臣に詳しく調べさせた。未婚ならば縁談の誘いをしようと淡い想いを抱きながら……。
……そして、そこで初めてお前が『緋寒の娘』だという事を知った。
好いた女が……俺の親達を殺し、俺に屈辱を与えた男の娘だと知った時の絶望……。この気持ちが分かるか?
語り終わり、金斬は珠に微笑む。心からの優しい笑み。
「珠……。
俺は本当はお前に心から惚れていた……。
本来ならば真っ当な形でお前に求婚し、お前に好かれるように礼儀を尽くして、自ら俺を認めてくれるようにする気であった……。
だが……、お前は父上の仇の娘……!お前に好かれようとするなど、一族の無念に背を向ける事。許されんのだ……!
それで、お前をあんな風に扱い、傷付けた……。そして、お前を我が手の中に閉じ込めようと、歪んだ愛を向けた。
だが、この真実をお前に伝える事はない。言い訳して好かれようなど……情けなさの極みだからな……。」
金斬は彼女の頬を震える両手で包む。
「お前が……、お前が!緋寒などの娘じゃなければ……!お前の本当の笑顔を見ながら夫婦になれたというに……!」
彼は非情な表情に戻り、涙を拭った。
「明日はいよいよ婚礼の儀だ……。それまで十分休んでおけ。」
名残惜しそうに彼女の髪を撫で、踵を返す。
「……。」
珠は黙っていた。
実は起きて、全部聞いていた。
真実を告げられ、何を感じて、髪を撫でられていたのか。それは彼女しか分からない。




