5話/暁の天女に首を垂れろ·其の三
準決勝の日。
八雲達は七浦の海岸にある夫婦岩の前に集まった。
海から黒っぽい岩肌が点々と散らばって顔を出す。その中に目立つ三角に持ったような2つの大きな岩がある。
海岸の高台に大きく黒い野点傘。その下では金斬と銀雅が人鬼の侍女に汗を拭かせながら寛いでいる。
元々王鬼は地下や洞窟に住む土鬼の亜種であり、特に上位種である彼らはあまり外に出ないので太陽の下は苦手らしい。
金斬は下にいる珠の後ろ姿を眺めている。
珠や八重達は浮き出た岩の一つに敷物を敷いて狭そうに座っている。下は岩なので尻が痛くなりそうだ。
その岩の隣に、巨大なタライが流れ着く。
気付く珠。
「あらら、でっか!
洗濯物と一緒に流れちゃったのかな。」
乗っているのは洗濯物では無かった。
ムスッとした顔の曙光と万耀、それにくじなが乗っていた。
「よう、この間学校で会って以来だな。」
「曙光!来てたの?
……貴女達重いからそのタライ舟沈まない?」
「……。大きなお世話だ。」
万耀は射貫を見つけると、ぶっきらぼうに言った。
「角狩、今日は呑気に酒を飲んでる暇はねえぞ。
死闘は免れねえ。」
射貫は目を合わせず言い返す。
「おめえに言われんでも分かるさ。わんこ坊や。」
「もう坊やじゃねえ。お前はジジイで間違いねえけどな。」
八雲と天陽は開始位置に着こうと夫婦岩の方に歩く。
潮風や風景を楽しむ事なく睨み合う。
しばらく無言だったが、天陽が口を開く。
「貴女、前々から聞こうと思っていたの。
貴女は『酒呑童子』について何処まで知っているの?」
「なんだいきなり?
全部の鬼が羨む称号だろ?簡単だ。『鬼の中で一番強い』んだ。
私の父さんも先代の酒呑童子を倒したから、酒呑童子として認められるようになったんだ。
あたしもそれになるっ!!
だから、どんな強い奴とも戦って鍛えてみせるんだ!」
八雲は拳を握りしめ、堂々と言い放った。
だが天陽は鼻で笑った。
「それだけですか?
……子供ね。」
「あん?!何が言いたいんだよ?」
「酒呑童子は鬼としての実力を約束された天鬼。
その代の酒呑童子に決闘を挑んで倒す事で、称号を受け継ぐ事ができる。
鬼としての地位を認められると共に、全赤鬼を従える総族長(大江の国主)としての資格も手に入る。貴女のお父上は族長になる権利は私のお父様に譲りましたけれど。」
いきなり知識自慢のような事をされ、少し癇に障る八雲。
「そんなの学校で習った事の丸暗記じゃねえか?!」
「あら、これはまだ序盤ですよ?
初代の酒呑童子は約400年前に大江山で初代・源頼光と戦った赤鬼『雅童丸』。人間からは『外道丸』と呼ばれていたようですね。
鬼は群れずにただ強さを求めて孤高に生きる生き物。だから争いが絶えず、国が出来る事はなかった。
しかし、雅童丸は鬼の歴史の中で初めて”部族の統一”と”団結”を呼び掛け、荒々しい鬼達を倒して見事に手懐けた。そして朝廷が討伐を考える程の大きな軍団を作り上げた。
そしてその雅童丸の血を引く私達、朱天鬼の一族は、その意思を継ぎ全赤鬼を統率し続けた。
それにより、かつては人間によって奪われ続ける一方だった住処を徐々に取り戻し、逆に震え上がらせるにまで鬼の栄誉を取り戻した。
しかし、そこに至るまでの道は険しかった。
鬼が元は服従を嫌う種族である以上、反乱は絶えず、統率者である酒呑童子は常に敵対する鬼と人間を力で捩じ伏せ、勝ち続けなければならなかった。そこに加え、鬼が飢えたり、種が絶えたりする事がないよう、内政に気を配る必要もあった。」
「歴史の授業なら帰ってからやれよ!戦う気があんのか?!」
「まだ分からないの?
酒呑童子は多くの仕事をこなさねばならない。
また、その名を名乗るならば、称号を奪おうと群がる挑戦者達を全て倒し続けなければならない。
貴女のお父様だって、総族長の仕事はしていなくても、それをぜずに自由に生きる権利を、挑戦者に勝って振るい落とす事で示しているのですよ。
……まさか、それさえも知らないのですか?」
八雲は父の事を思い出す。
(そういえば、父さんは昔からよく何処か遠くへ出掛けて、何ヶ月も帰って来ない事もあった……。
『果し合いがある』って珠姉ちゃんが教えてくれたけど、そういう事だったのか……。
父さん……、いつもそんな大変な事をしているって素振りを見せなかった……。
何もなかったのようにフラフラ帰って来て、疲れなんて見せずに、あたしと遊んでくれたりもした……。
あたし……、今までそんな事も知らずに……。)
「その様子だと、知らなかったようですね。
子供のように『なりたい』とだけ言って駄々をこねておきながら、酒呑童子であるお父上の苦労も知らず、支えようともせず、自分のしたい事だけにしか目を向けていない……。」
天陽は俯く八雲の真横に立ち、呪い殺すかのような目を向ける。
「酒呑童子の娘と呼ばれながら、その立場を理解して無い愚かさ……。
恥を知りなさい……!」
言われっぱなしの八雲に、珠は慌ててフォローを入れようとする。
(天陽は八雲を心から折ろうとしているな?!)
「八雲!今は深く考えちゃ駄目!
それに、兄上と八重ねえが貴女を一族の面倒に巻き込まないように、わざと色々教えなかっただけなんだから!仕方ないんだよ!」
それでも八雲は何も言えないままだ。
やっと、言葉を呟く。いつもより勢いが無い。
「天陽、お前は……どうなんだよ。」
「そうですね。いい機会だから話してあげましょう。
長である痛みを知り、お父様を心から愛し支える……。その私が貴女より優っている事を。」
***
ーー知っての通り私は大江の国主・陽光の一人娘。大江山を住処とする、朱天鬼の家に生を受けた。
代々、酒呑童子を輩出してきた一族であり、戦時中は鬼からも人間達からも最も恐れられた一族に……。
***
大江山にある、大江城。かつては新しい時代の象徴として大江曽城とも呼ばれていた。
人間から奪った城を岩や金属で補強しており、赤黒いヤマアラシのような形状は鬼らしい禍々しさを漂わせている。
その地下に蟻の巣のように作られた地下居住区の中に、広い子供部屋があった。
綺麗な鞠や子供用の琴、紙雛(かみびな ※紙で折った雛人形)など女児用の玩具が床に転がっている。
その奥に白蛇と芍薬が描かれた屏風があり、そこから篠笛の音が聞こえてくる。
3歳くらいの女児が笛を吹き、その前で髪の長い男が舞を踊っていた。
女児は絹のような朱色の長い髪を床に這わせ、錦の美しい着物を重ね着している。天が落とした子というべきか、髪が時々反射で赤銅や日の光のように輝くその姿は、子供とはいえ頭を下げたくなるような美しさだ。
これが幼い時の天陽である。
そして男の方は陽光だ。
天陽と同じ美しい髪を揺らしながら、扇子を手に静かに回る。
男で肉体も男らしくありながら、整った顔立ちと憂いのある表情は天人も酔う艶やかさだ。
舞が終わると天陽は頬を染めて陽光に抱き付いた。
『とても素敵でした!お父様!』
抱きしめ返して抱っこしてやる陽光。
『そうかな。ありがとう。
暫くやらなかったから腕が鈍ってしまったかもしれん。』
天陽は少し顔を逸らし、袖で照れ顔を隠しながら視線を流して見つめる。
『どうしたらお父様のような綺麗な動きができるのかしら……!女の私でも検討がつかないわ!』
『困ったな、芸能の先生からこんなに沢山褒められるなんてね。』
陽光は楽しそうではあったが、疲れているのか時々目がトロンとしていた。
『さて、そろそろ仕事に戻るよ。
ゆっくり、お休みなさい。』
天陽を床に下そうとする。
天陽は「あ、待って!」と、彼の頬に両手で触れた。
『お父様が元気になりますように……。』
すると、陽光の髪が光り輝き、彼は自然と笑顔になった。
『凄いね、天陽。
お父さんは見ただけで相手の心を読めるけど、君は”心に直接気持ちを流せる”んだね。
気を配る、気配り上手さんだ。
将来、きっと君の力で大勢を助けられる……。』
褒められた上に父にもう一度抱き締められ、天陽は満足げな顔をした。
***
ーーお父様は昔からとても優しかった。
国主故に忙しい身ではあったけど、休みたいのを我慢して私と遊んで下さった……。
それだけでなく、無闇に叱ったりする事はせず、些細な事でも話を聞いて、沢山褒めて下さった。
荒々しい赤鬼という種族としては珍しく、慈愛に満ちたお方だった。
しかし、力強さを重んじる鬼の中には、それを良しとしない者もいた。
ある時、私はお父様の噂話を聞いてしまった。
***
幼い天陽は中庭でくじなの背に乗って遊んでいた。
『くじな、いい子ですねえ。
万耀が帰って来ませんねえ。」
ふと、話し声と『陽光』という単語が耳に入り、耳をそばだてた。
話しているのは城で働く天鬼のようだ。
『しかし、陽光様へ反抗する鬼が減らないな。』
天陽は不安そうに息を止めて聞き入る。
(お父様が何か大変なの……?!
確かに、隠していらっしゃるけど、疲れたお顔を見る事が多い気がする……。)
『負けず嫌いの鬼の性格から言って、誰が族長になってもある程度は反発する者がいるものだが、陽光様の代になってからほぼ毎日挑戦者や謀反の知らせが入る。』
『とはいえ来た者は拒まず、全て自らお相手して力を示し、彼らの不満を取り除いてやっておられる。
長としてのお役目をきちんと果たしておられるではないか。
他にも鬼なのに細かい気遣いができ、おまけに慈悲深い。それを受け入れて慕う者は多い。
勿論我らもだ。』
『それでも不満が上がるのは……やっぱり"あれ"が原因だろうか……?』
1人が声を潜める。
『……前の戦で、陽光様は夜光様に負けてしまわれた。
両者とも申し分ない強者で、ほぼ互角ではあったが、あと一歩の所で夜光様に倒されてしまった。
しかも夜光様は陽光様を殺さず、生かしたまま倒し、慈悲をお与えになった。』
天陽はハッとした。
(鬼にとって慈悲は『強い者にだけ許された行為』、反対に慈悲をかけられた者は『弱い者』とみなされるので屈辱的……。)
『それだけじゃない、色んな事が噂になったままだ。
夜光様は半分人間の血を引いていて理屈上では劣っているはずなのに、純血の、しかも朱天鬼という優れた血統の陽光様が勝てなかった事ーー。
お父上の元実様も弟の≪緋寒様≫に先を越され、酒呑童子の称号を得られず、その後も族長に落ち着いてしまい、称号を奪い取る事もされなかった事ーー。
また、陽光様もお父上の元実様と共にあれだけ酒呑童子の称号を得ると意気込み働いておられたのに、結局夜光様に負けたその直後に、先に夜光様が酒呑童子だった緋寒様と戦って勝ってしまい、称号を取り損ねた。
そして、今も夜光様から称号を奪うような事はせず、族長に落ち着き、親の元実様と全く同じ立場になられてしまわれているーー。
やっぱりその突ける古傷があるせいで、反抗する者が減らないのではないかと……ーー。』
もう1人が嗜める。
『おい……!聞かれたらどうする……!』
『そうだな……。昔より土地が豊かになったし、人間に侵略される事もないし、今の陽光様の働きにこちらも不満があるわけではない。過去の事は忘れて差し上げるのが一番だ。』
天鬼達が仕事に戻ると、天陽はその場にへたり込んだ。
そこへ万耀が走ってやって来る。
『お待たせしやした姫様!
オオスズメバチの蜜の飴さんですよ。』
万耀は竹串に刺さった金色の飴を手渡そうとするが、その手を払い除けて彼に縋る。
『教えて万耀!本当の事なの?!
……お父様はーー。』
天陽は聞いた事を全て話した。
それを聞いた万耀は、迷った後に口を開く。
『陽光様は誠実なお方です……。もし知られたら隠さず正直に話せと、予め仰ってやした。
……本当です。姫。』
「でも」と、付け加える。
『負けた後も陽光様が酒呑童子になろうとしないのは、勝てる勝てないとか、もうそんな次元の話じゃないんす。従兄弟であり、友である夜光様を認めているからです。
夜光様が天鬼に不遇に扱われてきた過去や争いの記憶を忘れ、家族と静かに暮らせるように、そのままにしたんすよ。
ただ、周りにはそれで納得しない輩もいるんです。』
***
ーー私はその時思った。
お父様は決して弱くない。
私が知る限り、負けた話を聞かない。……黒鬼以外は。
でも、たった一度の敗北で何故、こんなに素敵なお父様が何も知らない者に揚げ足を取られて苦しまねばなければならないのか。
そして誓った。
『せめてお父様の痛みを一緒に背負い、朱天鬼を更なる繁栄に導く長になる。
そして、娘の私が立派に酒呑童子になる事で、嘲笑う者を全て退け、私を育ててくれたお父様はもっと凄いのだと分からせてやる』と。
それから私は、遊ぶ事を、子供でいる事を止めた。
日々、長としての知識を学びながらも、鬼として己を鍛え続けた。
友達と遊ぶ事もせず、勉学に励み、詳しい師を探して訪ね、また、強い相手と手合わせして回った。
10になる頃には実力が付き、自分から朱天鬼に仇なす反乱分子を探し、その場で罰して回るようになっていた。
***
天陽が10代になった頃。
天陽は部下の若者数名を引き連れ、とある部族の岩の邸宅に押し入る。
黒塗りの笠を被り、真っ黒な生地に銀細工の飾り物が付いた打掛を羽織った黒づくめの格好。朱の髪と黄金の瞳の鮮やかさが際立つ。
仲間も同じ格好をしていた。
岩戸を蹴破って邸宅に入ると、男鬼数十匹が待ち構えていた。赤鬼の天鬼だ。
邸宅の主である、顔に傷のある男鬼が天陽を一目見て嘲笑う。
『これはこれは……。天陽様、大きくなられましたな。
しかし、足癖が悪くてはその美しさが勿体無い事です。』
『最後に言いたい事はそれですか?八塩。
隣の部族も秘密裏に誘って、大江の城に向かう予定だったのでしょう?
各地から鬼が集まる様子をうちの烏鬼がよく見ておりました。』
彼女が合図すると、烏天狗のような赤子と同じ大きさの鬼が彼女の肩に留まる。
八塩は鼻で笑う。
『秘密裏に?
隠してなどおられませぬよ。"朱天鬼の腰抜け末代"に奇襲など不要。真っ向から手合わせに行こうと思っていた所ですよ。』
『そうですか。正直なのは褒めて差し上げましょう。
頭を撫でて差し上げましょうか、貴方が亡くなられた後に足の裏で。』
八塩は腹を抱えながら立ち上がった。片時もそらさない視線は常に相手にのしかかっているようだ。
『……丁度いい。大江城から貴重な女を奪う手間が省けた。
手足を捥ぎ取られ、花園を暴かれた姿を陽光に見せるのが楽しみだ……!』
八塩の合図で男鬼達が一斉に変化した。
5mは当たり前の巨体が壁のように立ち並ぶ。
天陽の仲間が数に少し怯むが、天陽は「狼狽えるな!」と喝を入れる。
天陽は落ち着いて青い炎に身を包んで変化した。
長い髪を水草のように揺らし、脚を組んで天井まで浮く。
暁の天女の登場に、薄暗い邸宅はパッと明るくなり、夜明けのように隅々まで照らされた。
八塩が動き開戦かと思われた時、天陽は静かに見下ろし、人差し指をスッと向けた。
すると、髪から光が指先に集まり、球体になったかと思うと、そこから橙の光の線が伸びた。
熱光線である。
線は八塩の額に当たり、肉と骨を焼き溶かして風穴を開けた。
八塩は目玉を痙攣させて、体を炎上させた。
そのまま体の原型留めずマグマのような液体になって溶けてしまった。
『む、娘も陽光と同じ技を?!この歳で?!』
他の男鬼は数で天陽を押さえ込もうとしたが、天陽は宙を自在に飛び回ってかわす。
すかさずまた熱光線を撃って辺りを墨かマグマ溜まりに変えた。
圧倒的な力。
しかし、どうにか彼女の背後から脚を掴んだ男鬼がいた。
『仲間の仇だ!!上から乗って頭粉々にボコして悲鳴を上げさせてやるっ!!』
だが、天陽は動じず、ただ彼と目を合わせた。
瞳が翠玉のような緑色に変わっていた。
天陽は眉を寄せてカッと睨むと、強く念じた。
《お父様を困らせる悪い人達っっっ!!
全て滅びろっっっ!!!!》
男鬼の脳裏に言葉が流れ込み、頭や目の奥に刃で抉るような痛みを与えた。
地面に落ち、悍ましい悲鳴を上げてのたうち回る男鬼。
天陽は彼の首の上に着地し、踏み躙って窒息させた。
彼女の仲間が声をあげる。
『今回も姫様1人で十分だったな!』
『凄いや!また、謀反者を倒したぞ!』
『朱天鬼サイコーーーーぅっ!』
そこへ万耀が遅れて現れる。
苛立った様子で彼女に詰め寄る。
『探しやしたよ、姫様!!
こんな危険な事はもうしないでくだせえと言ったはずです!!』
『親に守って貰ってばかりでは、強くなれません。
自立し、誇り高い鬼である事を自覚し、前に進むのが若者の役目です。』
万耀はやや乱暴に天陽の両肩を掴んで言い聞かせた。
『今は勝っていても、いつか隙を突かれて酷い報復をされる可能性だってあるんだ!!
そうなったら俺は陽光様に顔向け出来ねえ!
……それに、そうなったら陽光様は。
かけがえ無い者を失う痛みがどんなものかわかりやせんか?!
大事な者の為に傷付いている時よりも、何倍も痛くて辛いんすよ!!??』
天陽は一瞬揺らいだが、万耀の手を振り払い背を向けた。
『それでも……負けないように、妥協なく己を高め続けるだけです。
私はお父様が安らげる時が来るように、どんな事があっても戦い続ける。
例え貴方やお父様に嫌われてでも……。』
天陽はすれ違い様に「ごめんなさい」と、震える声で呟いて去る。
彼女が目に溜めた涙を見て、万耀は追う訳にもいかず、唸り、立ち尽くした。




