八話 旅立ちⅢ
事件は旅路の三日目の夜、都市コルドまでの道のり最後の野営地点で起こった。
「ラッド、テセウスは群れの左舷を討て! 私は右舷を叩く、ゴードン援護しろ! エルリックは御使い様の側につけ!」
「「「「了解!」」」」
アリスのいる馬車に立ち塞がるように現れたのは、人の子供ほどの巨躯を持つ蜂、トゥループ・ウェスペの群れ、たき火と月明かりに照らされてその全容ははっきりとしないが、その数はおよそ百。
多様な生き物が生息するベルフ大森林の中でも、トゥループ・ウェスペは統率された群れによる連携だけで無く個としても高い戦闘力を有することから、危険度が高い魔物と見なされている。生息域は森の深部で、このような森の表層に出てくることは普通は無い。
何故こんなところに――そんな動揺を抱いたのも一瞬の事、咄嗟に馬車の中に押し込められたアリスが慌てて窓から顔を覗かせた頃には、騎士達は既に戦闘を始めていた。
ラッドとテセウスの二人は、臆する事無く突撃しては蜂たちの身体を切り裂いていく。トゥループ・ウェスペも当然やられるばかりでは無く、綿密な連携で二人を取り囲んでは腹部の毒針を突き刺し、時には毒液の塊を打ち出して応戦する。しかし背中合わせに陣形した二人は全て見えているかのように躱し、その纏う鎧には傷一つ付いていない。
更に目を見張るのは、右舷側で大立ち回りを披露するリチャードだ。右手のオーソドックスな騎士剣に対し、左手には盾の代わりに片手斧を握った攻撃的な戦闘スタイルのリチャードは、たった一人で左舷側の二人に勝る早さで蜂たちを葬り去っていく。
野放しにしては危険だと判断したのだろう、後方で様子を見ていた蜂たちが大軍をもってリチャードを取り囲もうと動く。しかし、弓使いであるゴードンが一体一体確実に打ち落としていき、リチャードの元へたどり着く援軍は一体もいなかった。
「すごい……」
「だろー? ほんと、先輩達むちゃくちゃな強さだからな-、っと!」
馬車のすぐ側で肩をすくめるエルリックは、前衛の三人の死角から襲いかかろうとする個体を狙い、ワイヤー付きの短剣を鞭のようにふるって羽をピンポイントで断ち切り落とすという曲芸じみた活躍を見せていた。
「ま、ちゃーんと守ってやるから安心して見てな! それ、次々ー!」
数的に圧倒的優位であったはずのトゥループ・ウェスペは、瞬く間に数を減らしていく。一切の危なげなく行われる騎士達の戦闘を、アリスは非常事態である事も忘れてすっかり観戦気分で眺めていた。
(そういえば、昔にこの辺で戦った戦士達も強かったな)
生き残りを集めてベルフ大森林で拠点を築いていた残党達。ただの寄せ集めだと思いきや、流石に長年の戦いを生き残った者達というだけあって、かなり楽しめる相手だったことを今でもよく覚えている。
(そういえば、彼らも同じように装備を青く染めていたわね。確か、『蒼影の誓い』とか名乗ってたっけ)
もしかしたら、リチャードら蒼影騎士団のルーツなのかもしれない。今度、それとなく聞いてみようと頭の片隅におきながら、アリスは目の前の戦闘をじっと眺める。
(……ほんと強いなぁ)
厳しい訓練を積んできたのだろう。記憶に残る残党達と比べても、リチャードらは決して見劣りするものではない。トゥループ・ウェスペらを葬る洗練された連携は一つの芸術作品のようで。
――嗚呼、彼らを一人一人くびり殺し、その身体を血で真っ赤に染め上げればどれだけ愉しいのだろう。
「……いま、わたしはなにを?」
頭によぎった思考に、アリスの胸がざわつく。戦闘を愉しみ、殺戮を好む。魔王でなくなってからは欠片も抱くことが無かった感情が、何故かこの瞬間、鎌首をもたげていた。
(きっと、昔を思い出しちゃったからだよね)
そう、自分を納得させようとも……胸のざわつきは決して収まることはなく、むしろ次第に強くなっていく、その時。
生暖かいどろっとした液体がアリスの頬に飛んできた。べちゃりとした不快感に、反射的にその液体を手で拭って気づく。
「……あかいろ?」
エルリックに肉薄してあっけなく切り伏せられた、一体のトゥループ・ウェスペの返り血だ。虫としては珍しい、人間と一切変わらない色をした血液で真っ赤に染まった手を見て――ドクン、とアリスの心臓が大きく鳴動する。
その瞬間、トゥループ・ウェスペの動きが変わった。
「おい、そっち抜けた!」
「なんだ、様子がおかしいぞ!?」
トゥループ・ウェスペは狡猾な魔物だ。常に仲間と連携して可能な限り消耗をさけ、分が悪い戦いと判断すれば撤退を選ぶ。それにもかかわらず、何かに取り憑かれたように一斉に同じ方向へ向かう。
蜂たちの狙う先はただ一人。
「アリスちゃん、頭下げろ!」
「ぴぃ!?」
運良く騎士達の攻撃をすり抜けた蜂がアリスめがけて放つ一撃は、咄嗟に頭を下げた事で寸前で回避。すると、トゥループ・ウェスペの腹部が紫色に染まって膨らんだ……毒弾が来る。
「ッ、『ブラスト』!」
咄嗟に選んだのは、魔法による抵抗。
風系統初級魔法『ブラスト』――不可視の風の砲弾を相手にぶつける、今のアリスが使える最大の攻撃が、アリスめがけて放たれた毒弾をはじき散らした。
「あ、あぶなかった……ひっ」
トゥループ・ウェスペは腹部を馬車の中から引き戻すと、体勢を反転させて今度は馬車の中へと侵入した。虫特有の感情の読み取れない複眼と目が合い、アリスは小さく悲鳴を漏らした。
(昔なら、こんな相手どうとでも倒せたのに)
災厄と恐れられた力も、世界を救うために身につけた力も、今のアリスにはもう無い。
――怖い。
狩る側では無く、狩られる側。初めて感じる命の危機に、アリスの身体が小刻みに震える。アリスめがけて羽音を立てながら飛びかかる巨大な蜂の
「っうぉら、捕ったぁぁー!」
「ひぇっ」
大顎がアリスに届く直前、窓から腕を突っ込んだエルリックがその羽をむんずと掴んだ。蜂の身体が力任せに馬車から引き抜かれ、ぽーいと外に投げ捨てられる――直後、ゴードンが放った矢に貫かれて絶命。
「言っただろ? ちゃんと守ってやるって」
呆然とするアリスに向かって、エルリックはにかっと笑いかけた。
◇◆◇
その後、トゥループ・ウェスペの群れはリチャードらによって一匹残らず倒された。リチャードとラッドが死体を一カ所に集めて焼き払う作業を何気なく眺めていたアリスのもとへ、馬車の点検を終えたゴードンがやって来た。
「怪我は無いか?」
「あ、ゴードンさん。うん、だいじょうぶ」
「そうか」
ゴードンは寡黙な男のようで口数は少ないが、その瞳は心配そうに揺れている。
「ゴードンさん、おつかれさまなの。かっこよかったよ」
「そ、そうか」
「あ、照れてる」
「……それより、魔法を使えたのだな」
「あ、うん一応ね」
「誰に教わった?」
「うっ」
アリスは目をそらした。まさか前世で覚えましたなどと言うわけにもいかない。
「……きょ、きょうかいちょーのお部屋の本で勉強したの」
苦し紛れの言い訳だったが、ゴードンは「そうなのか」とひとまず納得してくれたようだ。
続いて、焼却作業を終えたリチャードもアリスのもとへやってきて、片膝をついた。
「御身を危険に晒してしまったこと、護衛として申し訳なく……」
「ううん、気にしてないよ。エル兄が守ってくれたから」
「寛大な心遣い、感謝する……聞きたいのだが、トゥループ・ウェスペをおびき寄せたのも御使い様の魔法か?」
どうやらゴードンとの会話を聞かれていたらしい。しかし、心当たりの無いアリスはこてんと首をかしげた。
「ううん、違うよ?」
「そうであるか。しかし、トゥループ・ウェスペが暴走する直前、確かに大きな魔力のうねりを感じたのだが……何でも言い、心当たりは無いだろうか」
「それは……」
――実のところ、アリスに心当たりはある。
(魔王だった時も、ああやって魔物に襲われた)
魔王を恐れていたのは何も人だけでは無い。知能を持たない魔物にすら存在してはならない敵と見なされ、常に最優先で狙われていた。
その時の魔物は総じて内から生じる本能的な恐怖に突き動かされた、単調的な動きをしていた……まるで、今日のトゥループ・ウェスペのように
(あの時、一瞬だけ昔に戻ったみたいだった)
久しく抱いていなかった、戦闘と破壊を愉しむ衝動。もう蘇ることはないと信じていた黒い感情があの一瞬だけ、鎌首をもたげていた。その直後に起こった魔力の鳴動とそれに続く魔物達の凶行。無関係には思えない。
だが、それを話すわけにもいかず、アリスは「知らない」と首を横に振った。
「そうか……我々は周辺の警戒にあたるので、もし何か思い出したり気づくことがあれば、すぐに教えて欲しい」
そう言い残して、リチャードはゴードンを連れ立って去って行く。事実を話せないことに罪悪感を感じるアリスだけが、その場にぽつんと残される。
「もう寝よ」
気づけば、夜も更けて久しい。小さくあくびをしたアリスは、自分の寝床である馬車の車内へ入っていく。ちなみに中に飛び散った毒液は綺麗に掃除済みだ。
「……ん、あれ?」
馬車に入る直前、遠くに知らない人物の姿が見えた。外套で頭からつま先までをすっぽり覆った、子供ぐらいの背丈の人物で、野営地から森へと切り替わる、まばらに生えた木の陰に隠れるようにじっとアリスを見ていた。
あれは誰だろうか、騎士達に報せるべきだろうか……するとその人物は、アリスをちょいちょいと手招きして、森の中へと消えていった。
着いてこい、ということだろう。
「おやすみなさーい」
眠かったアリスは、それをばっさり無視して車内へと入っていったのだった。
「――死にたくなければ、動くな」
その瞬間、アリスの首筋に冷たい刃が添えられた。
次回の投稿は9/20を予定しております。
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