六十四話 亜人狩りⅣ
「まずは改めて僕から話をしようか。今よりおよそ八年前、歴史上二人目となるエルネスタ様の天使が生まれた。それがここにいる天使アリスだ。そしてそれに呼応するかのように、今度はフレイヤ様が新たな天使を生み出し始めた……それも異常なペースでだ」
そもそも本来、天使とは神が人を導くために遣わされるものだ。しかし文明が成熟し、安定した今となってはもはや必要が無い。あるとしても数百年に一人、世界の維持のため、あるいは神々の気紛れで新たに生まれる程度だ。
それなのに、察知できただけでも五年の間で七人。
「数もだけど、なにより問題なのは目的が一切明かされていないことだ。それを探るべく、こうして僕が世界を飛び回って探し出すことになった」
「……そういえばクシャナ、昔からのフレイヤ様の天使にもまだ生きてる人がいるんだよね? その人に聞いたらわかるんじゃないの?」
「もちろん、真っ先に尋ねに行ったよ……これが奇妙なことにね、誰一人としてフレイヤ様の目的も、それどころか天使が増えたことすら知らなかったんだ。そもそもフレイヤ様が必要最低限のことしかやりとりしない主義だから、というのもあるだろうけどね。ことあるごとに話しかけてくるうちのアシュヴァルド様と違って」
「え、そうだっけ?」
聖女時代はむしろことあるごとにフレイヤから語りかけられていたような。前世を思い出してアリスが首をかしげていると、苦笑いしたクシャナが「君のは例外だよ」と囁いてきた。ただ単に、当時はそれほど聖女に指示しなければいけない事があったと言うだけの話だ。
「そういうわけで、真実を確かめるため苦労して君を捕まえたわけだ、テレア……答えて貰おうか。フレイヤ様の目的は一体何なんだい?」
「さあね? あたしは知らんよ」
「……しらばっくれる気かい?」
クシャナが剣呑な目つきで睨んでも、テレアはどこ吹く風な様子で酒をぐいっとあおる。
「って言われてもねぇ。つい最近天使になったってのはその通りだけど、フレイヤ様が一体何考えてるかはあたしもよくわからないよ。そもそもあたしみたいなのが他にいるってのも今初めて知ったし? 昔からの生き残りがいるってマジの話なのかい? あたしはそっちの方が驚きだよ」
「……一応言っておくけど僕たち天使の目は魂を見ることができる。嘘をついたらすぐわかるからね」
「え? あんたそんなことできんの? アリス、もしかしてあんたも?」
「へ? うん、できるけど……」
「うわぁ、天使ってのは便利なもんだねーってあたしも天使か」
嘘を見抜くという言葉にも動揺はなく、テレアは不思議そうにアリスの目を覗き込んでは「どうなってのんかねー」と首をかしげる。
(もしかして……まだ目を使えない?)
「……まぁ、見たところ嘘は言ってないみたいだね。いいよ、信じるよ」
「そりゃどーも。ていうかさ、むしろあんたんとこの神様こそなんでそんな気にしてるんだい? 別にどうだっていいじゃないか」
「あ、そういえばそれ私も気になってた」
「……アシュヴァルド様の神意は正直なところ、僕にもわからないよ。けれどこれは、世界の危機ではあるんだ」
「は? どういうことだい?」
「この世界は思っているよりも危うい均衡で成り立っているんだ。創世の物語を君は漁っているかい?」
「教会で司祭様が話してくれるやつだろ? それぐらい知ってるよ」
――かつて、世界とは何も無く、何も生まれない停滞した場所であった。それを哀れに思った二柱の神が、それぞれの権能から事象をこの世界に作った。
その一節から始まるのが、世界の成り立ちの物語だ。『創造』を司る神フレイヤと『滅び』を司る神アシュヴァルドが協力して世界を作り上げ、始まりと終わりから成る無数の事象が生み出された。
「そうそう、お話の中では二柱の神が協力したみたいな美談だけどね、実際はただの勢力争いだったらしい。そもそも神というのは自分の支配する権能を拡大することが存在意義で、その意味では、あの二柱の神々は決して相容れない存在なんだよ」
「……はあ、どういうこと? 要するに、神様同士は仲悪いってことか?」
「簡単に言えばそうだね。わかりやすく例えるならば一つの土地を二人の領主が奪い合っているとでも言おうか。それもとびっきり仲の悪い二人がね」
「うーわ、そりゃ大変だ。戦争が起こるじゃないか」
「まさしくその通り。そしてその意味では――僕ら天使は実質、神の尖兵だ。直接的に争い合うことはしなくても、手先となる僕たちがいるだけで神様がより強く世界へ干渉できるようになる」
クシャナは立ち上がり、部屋のキャビネットの引き出しを開けた。そこから取り出してきたのは、領地の取り合いを模した陣取りゲームのセットだ。
マス目で区切られたボードを机に広げ、各プレイヤーの位置に領主の駒を置く。次に兵士の駒がまばらに並べられた。
「これまではね、二柱の間で勢力のバランスは取れていたんだ。神代以降に至ってはそもそも『審判の日』の日にほとんどの天使は死んじゃって、それからも僕のような少数の例外を除けば勢力の拡大自体、ほとんど起こらなかった……それがここ数年で変わった」
クシャナは片側にだけ七体の駒を追加した。盤上はこれだけで勝敗が決すほどの戦力差となる。
「僕としてはあのクソ神……アシュヴァルド様が劣勢になろうと知ったことじゃないけど、この不均衡を機に本格的な神々の争いがはじまることだけは避けたいんだ。だって、そうなったら争いの矢面に立たされるのは他でもない僕ら天使だろう?」
「なるほどねぇ。あんたの事情はわかったよ。そういうことなら協力しなきゃね」
テレアの反応は随分と好意的なもので、クシャナに屈託の無い笑みを向ける。
「とはいえクシャナ、正直なところあんたの心配してるようなことにはならないんじゃ無いか? あたしがフレイヤ様に命じられたことってそんな神の喧嘩? とかとは関係なさそうだしね」
「……さっき、フレイヤ様の目的は知らないって言ってなかった? 話が違うんだけど」
「別に何も命じられてないとは言ってないだろ? ただ、あたしも何でこんなことさせられてるのかわからないんだよ。だからフレイヤ様の考えはよくわからんってわけ」
「じゃあ、君に与えられた使命を教えてくれるかい? 僕には少しでも情報が必要なんだ」
「ああ、いいよ。といっても隠してる訳じゃないし……あんたらも、あたしが巷でなんて呼ばれてるか知ってんじゃ無いの?」
「……亜人狩り」
王都中の人族以外の民を無差別に狙い、襲撃する。その相手は種族、貴賤問わず、狙われる理由はただ亜人であるということだけ……それが文字通り、亜人狩りの名前の由来だ。
ふと、アリスは気づく。それが今までは天使が与えられた力を悪用して犯行に及んでいたとばかり思っていたが、それ自体に神が関わっているのだとしたら。
「もしかして、フレイヤの目的は亜人を消すこと?」
「そうそう。『手段は問わず、この地から亜人を消し去れ』ってのがあたしがフレイヤ様から命じられたことだよ」
「いや、え、おかしくない? あのフレイヤがそんなこと言うなんて……!」
「僕も同意見だよ。むしろそういうこというのはアシュヴァルド様の方じゃ無いか? そもそも亜人を生み出したのだって他ならないフレイヤじゃないか」
亜人に限らずあらゆる生命の産みの親。それがフレイヤという女神でもあり、この世に命が満ちあふれることこそ至上の喜びのはずだ。
かつてフレイヤは前世のアリス――聖女シルヴィアに世界を救うことを命じた。それも何より、滅びに瀕した世界で再び多くの命が育まれるように導くためのはずだった。だからこそ、アリスには人一倍信じられない……いや、むしろ信じたくないという気持ちがあった。
「あたしに言われても知らんよ。あたしは命じられた通りにやってるだけだからねぇ」
「……あ、そうだ! 奴隷のこと!」
「あん?」
「警備隊の人に聞いたの。亜人狩りが人身売買組織と関わってるって……ほんとなの?」
「僕もその噂なら聞いたよ。是非とも真相を聞きたいことだね」
「……なんだ、そんなことまで知ってるのかい」
仄かな警戒心。テレアの魂に初めて剣呑な色が浮かぶ。アリス達から注意を逸らさないまま視線で逃走経路を確認する姿は、完全に荒事に慣れた動きだ。
「嘘は見抜くんだっけ? じゃあ隠しても仕方ないね、その通りだよ」
「……まさかとは思うけど、それもフレイヤの指示なの?」
「いーや完全な別口。いつだったかなー、あたしが普通に襲撃に行ったらちょうど狙ってた奴が違う奴らに襲われててね。それで話を聞いてみりゃあ利害が一致してさ、手を組むことにしたのさ。あたしが亜人を襲って、あいつらに卸す。そういう関係だよ」
「……そうなのね。安心した」
これまでの不信感はあるにしろ、アリスにとってフレイヤはまだまともな方だと信じている神だ。人身売買などと言う行為にまでは関わっていないことに、安堵で胸をなで下ろした。
とはいえ、一件落着とは成らない。聞かなければならないことはもう一つ。
「じゃあ、その組織を仕切っているのは誰? どこの手のもの?」
「悪いけどそれは教えられないね。あたしにも世話になってる義理ってもんがある」
「……じゃあ、クージンって名前のいう薬草売りのエルフに心当たりは?」
「あん? どうだか、エルフは結構な数襲ったけど……なに、アリスの知り合い?」
「そういうわけじゃないんだけど……ちょっと探しててね」
『――もう一つの青い、水の精霊晶はクージンさんから預かっていたものなんだ。もし、彼に会えたら返してほしい……お願いして良いかな?』
ウェシロ村で出会ったエルフのティッタ。彼女から安否を確かめてほしいと頼まれたことが、アリスが亜人狩りを知るきっかけだった。
「ま、組織の方に聞くだけ聞いてみるよ。んで、聞きたいことはもうそれぐらい?」
「……もう一つだけ。どうしてそんなことしてるの?」
「金のため。他に何かあるのかい?」
これがバカみたいに稼げるんだよねーと笑うテレアには、不気味なほど一切の罪悪感が見られない。
「そうだ! せっかくならあんたらもあたしと手を組まないか!?」
「へ!?」
「……それは、なんとも予想外なお誘いだね」
「ほら、協力してもっと効率的に亜人を集めて……いや、それより天使が三人も揃うんだ、あたしらでもっとでかいもうけ話を作れるかもな! それなら亜人なんてちまちま捕まえて稼ぐ必要なんてないな、組織の情報売ってやってもいいよ!」
「……お断りよ。いくら情報のためとはいえ、そんな悪事に協力する気は無いの」
「僕も同意見だね。天使の力は私利私欲を満たすために使うものじゃ無い」
「つれないなぁ、二人して良いこぶってまぁ。クシャナ、そう言うけど……あんたはっきり言ってあたしと同類の人間だろ?」
「さて、どうかな」
クシャナは飄々と肩をすくめる。胡乱げに睨むテレアの目が、続いて向けられたのはアリス。
「アリス、あんたもそうなんだろ?」
「わ、私?」
「ずっと最下層で生きてきたからさ、人を見ればそいつの本性がわかるんだ。あんた大人しそうな面して、本当は人の命なんて何とも思ってないタイプだろ? あたしやそこの奴よりもたちが悪い類いだ」
「んー、そう言われると……」
「それは違うよ」
災厄と呼ばれた前々世を言い当てられた様な気がして口ごもるアリス――代わりに、クシャナが力強く否定してみせる。
「確かにアリスちゃんは清廉潔白な人間ではないけど、僕や君とは全然違うよ。君の人を見る目もまだまだだね」
「そうか? あたしには同じに見えるけどな……ま、なんにせよ交渉決裂か。んで、どうするんだい、クシャナ?」
「どうとは?」
「元々あんたが執拗に追っかけて捕まえてきたんだろ。話すことは全部話したが、もうこれで満足かい? それともあたしをアシュヴァルド様のところにでも連れてくのかい? ……それとも、亜人狩りの主犯として衛兵に突き出すか?」
「……さて、難しい問題だね、それは。現状ただでさえ僕らアシュヴァルド陣営から君たちフレイヤ陣営へちょっかいをかけている状況だ。こっちからこれ以上大事にするのも問題なんだ……それに天使が犯罪行為に関わってるなんて世にバレるのはちょっとね」
アリスを取り巻く情勢がただでさえ不安定な今、主神が違うとは言え同じ天使が不祥事を起こすことはアリスの不利益にも繋がりかねない。
「そうかい。ま、できればあんたら二人とは仲良くしていきたいと思ってるよ。同じ天使のよしみじゃないか」
「あはは、僕もそう思うよ……とはいえねぇ、元を辿ればフレイヤ様の方が不穏な動きを始めてこうなったわけで、ほんとにこのまま見逃していいのやら。こういうときに限って普段うざったいアシュヴァルド様は何も言ってはくれないし、困ったなぁ」
困った困った、と言いながらクシャナはちらりとアリスに視線をよこす――『裁定』の天使に判断を任せる、と言外に伝えていることにアリスは気づいた。
(……うーん、どうしたものかなぁ)
実のところ、アリスもどうするべきか悩んでいた。
確かにアリスも亜人狩りを捜してはいたが、それは単に成り行きで頼まれた人捜しのためや、たまたま出会った同胞の身の安全のためだ。別に強い正義感をもって動いていたわけではない。
無論、クシャナの言うとおり良識に従えばここで捕まえるべきだ。そうすればクージンの行方だってわかるかもしれない。だが、それよりもアリスには目的がある。
(……テレアがいれば、フレイヤに会えるかもしれない)
かつての主神に会ってその神意を確かめる、そのためには一時的にでもテレアの所業を見逃して、協力関係を築くべきでは無いか。
良識か、それとも目的を果たすか――二つの選択で悩むアリスの思考に、突如雑念が交じる。
原因は、いつの間にか鼻をつんとつく匂いだ。
「……お酒臭い」
「まあ、さっきから遠慮無く飲んでる人がいるからね。また一本開けてるし……ちょっと、それよく見たら相当強いやつじゃ無いの!?」
テレアがぐいっと煽る酒瓶……たしかあれは割って飲む前提のじゃなかったっけ? とお酒に詳しくないアリスでも知っているものだ。
「こんくらい喉にかぁーっと来るほうがいいんだよ、こういうのはさ……おおっと」
「あー!? なにこぼしてるのさ!?」
「いやーわるいわるい」
「汚したら弁償するの僕なんだよ!? まったく……」
手から酒瓶が滑り落ち、高級そうなカーペットに盛大な酒のシミが生まれた。やがてさらに充満する、鼻をつんとつく酒気。
「……ちょっと、窓を開けてくるね」
耐えられなくなったアリスは、一旦考えは意識の外、せめて換気でもしようと窓へと向かう。道すがら投げ捨てられた空の酒瓶を拾って、何気なく匂いを嗅いでみるとこれも相当に度数が強いお酒のようだった。
(……そういえば、前にお酒に火をつけて竜退治したことあったなぁ。あのときも匂いが酷かったっけ)
聖女時代の記憶をふと思い出しながら、取っ手に手をかけた窓――その外の夜景が不意に目に映る。
大聖堂の尖塔ほどでは無いにしろ、最上階のスイートルームから見下ろす景色は、王都を隅々まで見渡せる。目に映ったそこは繁華街らしく、夜でも灯りの絶えない景色には見覚えのあるところも多く……
「そうね、考えるまでも無かった。やっぱり捕まえて突き出しちゃちゃおっか」
「……いいのかい、アリスちゃん?」
「んー考えてみれば、そもそも亜人狩りにはちょっとした恨みがあったなーって。まずは気が済むまでぶん殴って、後のことはそれからでもいいかなっ」
それは、死んでしまった暁箔亭の店主夫妻のこと。関わったのはわずかとは言え、根は優しくもう一度会いにいきたいと思える二人だった。
なにより――この王都のこと。元はといえば、前世で文字通り死ぬほど苦労して復興した都市だ。それを我が物顔で好き勝手に荒らされるのは、度しがたい思いがあった。
「はん、そうかい。残念だよ……酒がまずくなっちまった」
興がさめたと言わんばかりに酒瓶を置き、テレアはだらんと下げた翼を引きずり扉へ向かう。
「じゃあね、アリス。あんたのことは別に嫌いじゃ無いけど、今度会った時はもう敵だよ」
「……今度? 随分悠長なこと言うのねぇ。今からだよ?」
「はっ? ……って、おい」
「ちょっとアリスちゃん!? ……まさか!」
「クシャナ、先に謝っておくね~……いくよ、『イミテアエクス・深炎』!」
「ちょっとぉ!?」
――狭い部屋の中、紅蓮の大火が迸った。
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