六十二話 亜人狩りⅡ
ウィト族が長きにわたり暮らしてきたは渓谷はほとんど日の差さない暗闇の世界。その中で、自然と彼らは視覚に頼らずに生きる術……魔力を感じる力を手に入れた。
魔力を探ること自体は決して珍しい能力ではなく、上級の魔術士であればおよそ習得しているものだ。しかしウィト族の探知能力は普通の魔術士がたどり着ける領域の遙か上を行く、痕跡程度の魔力があれば正確に見分けられるという。もともと魔族領は魔力が濃い地域、その中に自分の魔力を紛れさせて潜む獲物を捕らえるために鋭敏な知覚を得る必要があったのだ。
――と、かつてセシルフィーラから聞いた受け売りの知識を自信満々に話せば、帰ってくる反応は二つ。何故そんなことを知っているという胡乱げな声と、素直に驚いて感心する声だ。
「あれって魔力だったんだ……」
「え、気づいてなかったの?」
ちなみに一番驚いていたのはジェイク本人だった。よくわからないけれど皆に見えていないものが見えるなー程度の認識だったのだ。
「随分と便利な力だな」
「でしょー? ……それで、伯爵様。ジェイクのことを雇ってあげられないかな?」
「え、天使様!?」
「ジェイク、魔族領ってすっごく遠いよ? お金貯めないと」
「それは、そうですけど……」
「伯爵様はお金持ちだからお給料はずんでくれるよ。それにほら、うちって強い人がたくさんいるからついでに鍛えて貰おうよ。旅するなら強くならないとね」
名案! と、どや顔のアリスだが、これまで酒場の下働きがせいぜいだった根っからの小市民なジェイク。学も身分もない自分など鼻で笑われるばかりか文字通り切って捨てられるのではないかとビクビクしていたが、それは杞憂だった。
「そうだな。では一つ、試してみることにしよう。今、お前を見張っている者がいる。数を当ててみろ」
「へ? えっと……天上裏に一人と書棚の裏に隠れて一人です」
「……なるほどな、どうやら力は本当のようだな」
なお、アリスは「え、なに? 誰かいるの!?」と一人キョロキョロとしていた。
「だがそれだけか? 扉の外にも一人いるのだがな」
「いますけど……外の人は俺じゃなくてずっと廊下の方見てますよね。あ、でも窓の外の遠くに、かなり薄いけど誰か……これは、弓を持っ」
「――そこまで。合格、期待以上だ」
アインズバードは、窓の外に合図を出し――その先で姿を消して潜んでいたゴードンは、ジェイクを狙っていた矢を下ろした。
数を当てられたらまずまず、向けられている注視の違いにまで気づけたなら諜報として十分使える。そう考えていたアインズバードだったが、本命として潜ませていたゴードンの存在まで気づかれたのは完全に予想外だった。『シェイド』で完全に隠蔽状態に入ったゴードンを見破れた者はこれまで誰もいなかったのだ。
「ああ、確かに素晴らしい能力だ。他にお前の能力を知っている者はいるか?」
「多分、いない……あ、でも、俺の髪と目の色が特徴? らしくて、それ知ってる奴なら気づいてたかも……」
「それはあり得ないよ、ジェイク。ウィト族ってただでさえ珍しかったのにとっくの昔に滅んだんだから、知ってる人なんかいないって」
「ほう、なるほど。失われた一族の秘技というわけか」
「そうそう、だから普通は知らない……待って今のなし、いやそうじゃなくてほんとなんだけどね、なんで私が知ってるかってのは、えーっと、その……」
口を滑らせて一人で勝手に慌てているアリスのことはもはや気にもならなかった。失われた一族の強力な探知能力を受け継ぐ生き残り。それも存在自体が世に知られていない。
――これはとんでもない掘り出し物だ。
「アリス、よく連れてきてくれた。偉いぞ」
「……伯爵様、悪いものでも食べた?」
アリスは本気で心配していた。
「珍しく褒めたらそれか……まぁいい。ジェイク、お前の力を私の元で生かさないか? アリスの言うとおり、給金は納得いくだけの額を出す」
「いいんですか? でも俺、魔族で……前にいたところも、そのせいで襲われて……」
「構わない。お前にはそれだけの価値がある。それと魔族領に行きたいと言う話だったな? これは口で言うほど容易いことではない」
「……俺のご先祖様の生まれた地を一度見てみたいんです。天使様の言うとおり、やっぱり遠いんですか?」
「距離もあるが、今では魔族領の大部分は禁域指定されている。普通であれば入れないな……だが私ならいくらか伝手がある。もしお前が私のもとで良い働きをしたのなら褒美として旅路を支援すると約束しよう」
これ以上ないと言うぐらいの高待遇。アインズバードが浮かべているのは警戒させないための優しい造り笑顔で、アリスの背筋に冷たい悪寒が走った。
もしかして早まっただろうか。今更悩んでいる間にも話は進み、遂にジェイクは首を縦に振ったのだった。その瞬間、アインズバードがニヤリと口元を歪めたのをアリスは見逃さなかった。
「契約成立だな」
アインズバードは部屋から人払いをすると、パチンと指を鳴らした。すると天井板が一枚外れたと思えば軽装の布衣を纏った女が降りてきた。ジェイクは気づいていたので平常だったが、もちろんアリスは驚いて飛び上がった。
「アリス、良い機会だからお前にも紹介しておこう。私直属の諜報部隊、『霧』だ。ジェイクにはここに所属してもらう」
「驚かしてしまい申し訳ありません、アリス様。以後、お見知り置きを」
「びっくりしたぁ。うん、よろしくね。えっと……」
「我らは裏の世界のものゆえ、一人一人の名を知るべきでも無ければ顔を覚えていただく必要もありません……と、普段なら申し上げるところですが。ご当主様、宜しいでしょうか」
「許可する。幸いにもこの件はお前が適任だ、顔見せをしておいて損はない」
「では、失礼します」
女は顔を隠していた覆面をしゅるりと解いた。暗褐色の髪に同色の目の、一見して人族ながらも特徴的な容貌を見たアリスは真っ先にピンときた。
「あ、もしかして魔族?」
「さすが、アリス様はよくお分かりですね。ええ、クタ氏族の末裔、ノストゥラと申します。階級名は既に失った生まれゆえ、ご容赦を」
「へぇー、クタ氏族って言うと……やっぱりナンデモナイデス」
クタ氏族といえば、代々王家に仕える優秀な諜報を排出していた一族。反射的にそんな豆知識を披露しそうになって寸前で思いとどまった。もう同じうっかりはしない。
「俺以外にも、魔族が……」
「ふふ、同胞と会うのは初めてかな? ジェイク君」
「はい、家族以外では。父さんは北方の村には魔族がたくさんいたって言ってたけど、でも今はかなり数が減ったって」
「そうね。魔王のせいで、ただでさえあたしたち魔族は生きづらい世界だから。ここまで生きて辿り着いたこと、同胞として嬉しく思うわ」
魔族は魔王の災禍を最も近くで受け、どの種族よりも数を減らした最大の被害者。けれどそのような事情はあまり知られることは無く、今でも魔王を生んだ一族として世間では冷たい目で見られるのが実際だ。
魔族冷遇の当の原因ことアリスは気まずさにサッと目を逸らした。いつか魔族のための世直しでもしよっかなーと現実逃避的に思う。
「それと暁箔亭の事件のことだけと、あたしも気になって調べたわ。あれは亜人狩りに便乗したただの物盗りの仕業だった。君のせいじゃない」
「……そうだったんですね」
ジェイクはどこか憑き物が落ちたような、けれどどこか複雑そうだった。
「では詳しい指示は追って下す。ノストゥラ、それまではお前の裁量で進めておけ」
「承知致しました。ではジェイク君、付いてきて。まずは『霧』の拠点に案内するわ」
「はい、これからよろしくお願いします!」
「ジェイク……その、まだ受け止めきれないこともあると思うけど。とにかく頑張ってね。私も出来る限りの協力はするから」
「はい、でももう大丈夫です。本当に……何から何まで、ありがとうございました! このご恩は一生かけてでも返します、天使様……いえ、我が姫!」
「ま、まいふぃあ?」
「伯爵様に仕えると言うことは、天使様にも仕えるってことですよね。だからこれからは我が姫って……ダメですか?」
「だめというか、なんていうか……」
フィアとは魔族の姫を表す階級名。確かにそう教えたが、まさかこんなところで使われることになるとは。そもそも今は魔族でも姫でもないのだが。
(……ていうか、まさかこれで私の正体がばれたりしないよね?)
それだけは絶対に避けなければならない。やっぱりやめさせるべきだろうか、けれどなんて言えば良いのだろうか。うーんと首をひねっているうちに、ジェイクはノストゥラに連れられてどこかへ去っていた。
ちなみに扉が閉まる直前、ノストゥラが「我が姫……なんかいい響きね。あたしも使おうかしら」など呟いていたのもアリスは聞き逃さなかった。隠密部隊、というイメージに似合わず意外とノストゥラのノリは軽いようだ。
呼び名のことは次に会ったときにでも考えよう。アリスがそう問題を棚上げしたところで、胡乱げに見下ろしてくる庇護者と目があった。
「あれをつれてきたのは、一体どういうつもりだ? ……理解していると思うが今回の件は特別だ。犬猫のように次々と哀れんで亜人を拾ってきても、受け入れることは無いぞ」
「わかってるって。まぁ同情とか成り行きもあるんだけど……実のところ、亜人狩りを捕まえるのに役に立つかなーって」
「なるほど。確かにあの探知能力があれば容易いか。しかし今まで亜人狩りの捕獲にはそこまで興味がなさそうだったが、急にやる気を出したのか?」
「んー、ちょっと思うところがあってね。亜人狩りを捕まえてフレイヤのところに連れて行ってもらおっかなって」
フレイヤとは聖女だったときに付き合いも長く、一方的な指示ばかりだったとは言えまともに会話を交わせていた。文字通り死ぬまで働かされた恨み辛みはあれど、クソみたいな呪詛を植え付けてくるアシュヴァルドや正体不明のエルネスタに比べれば極めてまともな神だと思っていた。
しかし今のフレイヤの行動は全く不可解だ。必要も無いのに秘密裏に天使を生み出し、一人は亜人狩りをしている。この平穏の時代に神託をよこしてまで新たな聖女を求めたと思えば、一方でフレイヤに仕えるセティナが非道な実験の材料とされているというのに、何一つ行動を起こしている様子もない。
そして神域でフレイヤが自分に向けた、他人のような、あるいは路端の石でも見るかのような一切の感情が映っていない瞳。自分が自分だと気づいていないはずがないのに、それが決定的な不信感となった。
いつか必ず、直接神意を問いたださなければならない。アリスは一人決意を固めていた。
「待て、亜人狩りとフレイヤが何の関係がある?」
「あっ」
「亜人狩りが教会とつながりが……いや、違うか。まさかと思うが、あれも天使だと?」
「あ、あははー大正解……」
「……いったい、この街にはどれだけの天使がいるというのだ。滅びた存在ではなかったのか?」
もはや呆れたと言わんばかりの庇護者のぼやきには、アリスも同感だと思うのだった。
評価・感想などいただけると励みになります。
呟いています:X(旧Twitter)→@Ressia_Lur