六十一話 亜人狩りⅠ
一昼夜のうちに為された、聖女の時代以来となる神器の顕現と史上でも類を見ないエルネスタからの神託(偽)。どちらか一つだけでも為したならば国を挙げて祀り上げるべきほどの一大事で、アリスは休む間もない日々が待ち受けることになる。
けれどそれは大人達が入念な根回しや政治的調整をした後のこと。しかも夜のうちにエカテアが気を利かせて、できる限りアリスの負担がかからないような手配をしてくれていた。おかげで簡単な聞き取りだけ終えれば朝のうちにでも屋敷へと帰り、やがて来る多忙という現実から目をそらす、つかの間の平穏を享受できる……はずだった。
「え? 帰っちゃダメなの? 話が違うんだけど」
「大変心苦しいのですが……」
それが崩れたのは、改めて神器を授かった経緯を聞かれたときのこと。さすがに自分の正体に関わる部分はぼかしつつ、エルネスタから与えられた自分の使命を馬鹿正直に話してしまっていたのだ。
『世界から不要な事象を見定め、剪定する』
アリスはこの使命をそれほど重く捉えてはいなかった。感覚としては部屋が散らかりすぎて手に負えないから片付けを頼まれた、そんな程度の認識だった。それも掃除道具だけ渡されて後はいい感じにやってくれ、と適当に押しつけられたようなものだ。
しかし大勢の見方は違う。それは『神による世界の審判』が始まったことを意味するのだ。それも幼い少女一人に全ての判断が委ねられた形で、だ。
朝食のスコーンを頬張りながら気楽に話すアリスとは対照的に、その重大さに気づいたエカテアは青い顔で緊急の会議を招集することになる。
そうして引き起こされたのは、アリスの処遇そのものを巡っての紛糾の議論。
――そのような危険な存在、いっそ処刑してしまえ
――いや、むしろこれは利用できるのでは
――まだ子供だ、いくらでも操りようはあるな
――馬鹿言え、そんなことをすれば神の怒りを買うぞ
――殺したところで、結局また新たな天使が現れるだけでは?
――そもそも『剪定』とは何を意味するのか?
前代未聞の事態を前にしてもはや派閥の域すら超えて意見は割れる。全員に共通していた認識は、この話は不用意に漏らしてはならないということだ。下手をすれば王都どころか世界全土に恐慌が巻き起こることになる。
そんなわけで当初の予定から一変。アリスは帰ることを許されず、一日中監視付きで律世楼の自室に軟禁されることになった。
約束があるから帰らないといけないと言っても聞き入れられる事は無く、それどころか誰かと会うことも連絡をとることも許されず。拗ねたアリスは部屋に運び込ませた菓子を頬張ってはふて寝する生活を二日ほど続けていた。
それでも幸運なことに、ジェイクと約束した三日後の夜には帰れることになった。理不尽に軟禁されて、アリスの機嫌がとてつもなく悪くなっていることが伝えられた結果だ。アリスは無意識だったが、普段は魂のうちに眠っている魔王の魔力がかすかに漏れ出ていたらしい。
少女が一人不機嫌になる程度のこと、意に介する必要すら無かった――それが今となれば話が変わる。下手に不興を買えば真っ先に『剪定』されることになるのは自分たちの存在なのではないかのかね?
三日間の間、意見を出すことなく静観に徹していたルードベルド伯爵が放ったその一言が契機となる。まるで試すような口ぶりの問いかけを受け、枢機卿の中でも最も保身的な男、リューシャンエン侯爵が強固に主張した意見が暫定的な結論となる。
すなわち、『神器さえとりあげておけば何もできまい』ということだ。
枢機卿らの許可が無い限り神器に近づかないこと、今後エルネスタからの接触があれば直ちに報告することを条件に、アリスの身柄は解放されることになった。
こうして晴れて自由の身になったアリスは、迎えに来たリチャードと共に伯爵邸への帰路を急いでいた。しかも足の遅い馬車に揺られるのではなく、リチャードに馬を全速力で駆けさせるという急ぎっぷりだ。
「……もっと急いで! 間に合わない!」
「限界だ! これ以上足を速めたら曲がりきれない!」
リチャードの背にしがみつきながらアリスが急かす。リチャードは律儀に答えながら、しかし何故そんなに急いでいるのかと不思議に思っていた。確かに、先日助けた少年が訪ねてくると説明されたが。良く聴けば、そもそも時間を指定したわけでもないという。一体、何に間に合わないのか?
「……そもそも本当に来るのであろうか? ああいや、ジェイク君を疑っているわけで履く、浮浪者が貴族街に入ろうとすればすぐに警邏騎士につまみ出されて――」
「違うの! それが入れちゃうから問題なわけで……家、見えてきた!」
夜闇の中、伯爵邸が見えてきた――何事か起きたような、物々しい雰囲気に包まれた状態の伯爵邸が。
「あぁ~、やっぱり。悪い予感がしてたの」
「……おおかた事情は想像ついた。ともあれ、警備の者に話を聞きに行こう」
事態を刺激しないようにゆっくりと馬を歩かせれば、すっかり臨戦態勢で武器を構えていた門番が気づいて敬礼した。何事かと尋ねれば、屋敷に侵入者がありという報告。リチャードが詳しい状況を聞こうとし、それを遮ってアリスが門番に詰め寄った。
「それってジェイク、えっと、白い髪の魔族の男の子であってるよね!?」
「あ、お帰りなさいませ。ええ、たしかにその通りですが……なんで知ってるんです?」
「まだ生きてる!? 殺しちゃってないよね!?」
「ええ、無傷で拘束しただけで……あの、ベルベット隊長。これはどういうことで?」
「……つまり、その者は御使い様の客人だったらしい、というわけだ」
「きゃ、客人……!?」
もしや、自分たちは勘違いでとんでもないことをしでかしたのでは。離れてこっそり聞き耳を立てていた同僚とともに顔を青ざめさせた彼に、リチャードは苦笑いで問題ないと告げた。なんにせよ、侵入者であることは間違いない。
「……ともかく、最低限を除いて警戒を解除するように。あとは私が引き継ごう」
◇◆◇
ジェイクは混乱していた。
天使様に言われた屋敷に来てみれば、あっという間に騎士達に取り押さえられて武器を突きつけられ。ああ、今日が自分の命日かと察したと思えば何故かすぐに拘束が解かれ、すっかりボロボロになった服を剥ぎ取られて値段を聞くのも恐ろしい上等な服に着替えさせられ、有無を言わせず身だしなみを小綺麗に整えられた。
そして妙にビクビクとおびえた騎士に付き添われ、こちらもビクビクしながら案内されたのは応接間らしき部屋。そこで待っていたのはアリスとお貴族様らしき壮年の男性、それと騎士が数人だ。お貴族様は疲れたように眉間を指で押さえ、天使様はその横にちょこんと座って、すごくばつが悪そうに視線をさまよわせていた。
「ジェイク、だったか?」
「は、はい!」
「一応問おう。私を害しに来た刺客ではないのだね?」
「も、もちろん三神に誓って! 俺、天使様に今日ここにくるようにって……」
「来客の予定など、私も初耳だったのだがな」
ぎろりと睨まれ、アリスは顔を真反対に背けた。耳を澄ませば小声で「私わるくないもん、部屋から出してくれなかったんだもん」とブツブツつぶやいている。
「……事情が事情故に今回は不問にする。さて、私はエルドラン伯爵家当主、アインズバードだ。そこの天使アリスの身分庇護者でもある」
「あ、えっとジェイク・ノーア・ウィトです!」
「ノーア……なるほど、神官姓か。何故正面から訪ねず壁を越えて侵入した?」
「警備の人がいたからです」
「は?」
「門におっかない武器もった人が立ってて、一瞬目が合ったらすごい顔で睨まれて、ああ、やっぱりこんな立派なお屋敷には俺みたいな平民なんて入れないんだなって……でもここに来いって天使様に言われてましたから。だから壁を越えて入りました」
ジェイクの答えを聞いたアリスが顔を手で覆った――これが帰路を急いでいた理由だ。
思い返せば、三日前にもアリスに会うために律世楼の最上階にまで侵入してきたのだ。常識や倫理観がない、というよりどちらかと言えば少々手段を選ばないというか、思い切りの良すぎる天然気質か。どちらにせよ、懸念していたことが的中した。
アインズバードも何を言っているのだコイツはとばかりに表情をしかめている。一人わかっていないジェイクは気まずい空気の中オロオロしていた。
とりあえず空いている対面のソファに座ったほうがいいのか。そう思って動き出すも一瞬、平民は貴族と同じ席にていてはいけないってどこかで聞いたことを思い出して踏みとどまった。正解だったようで、アインズバードの後ろに控えていた他より偉そうな強面の騎士が、合格だと言わんばかりに頷いていた。
どうやら正解だったようだ……いや、そもそもこういうときって跪くべきなのでは? 慌てて平伏しようとしたら、今度はお貴族様自身から「話しにくいからそのままにしろ」止められた。
「最低限の礼節でかまわん。私は形式よりも実利を重視する」
「わ、わかりました」
「……それと今後のために言っておく。どれだけ警備が厳しくても、後ろめたいことがないのであればまずは堂々と訪ねるように。少なくとも当家の門番には、身分で有無を言わせず追い返すような愚か者はいない。ああ、加えて正式な招待ならば必ず紹介状をもたせるように」
前半はジェイクに向けて、後半はおそらくアリスに対してか。二人とも気まずそうに頷けば、アインズバードは珍しく疲れたようにためいきをついた。
「……本題に入る前にもう一つ聞きたい。どうやってここまで来た?」
「はい?」
「当家の警備は、加えて貴族街の見回りの警邏も、素人の侵入を許すほど甘くはない。にもかかわらず、貴様を捕らえたのは当家の中庭にまで入られてからだ。律世楼に誰にも気づかれずに侵入したとも報告を受けた……いったいどんな手品を使った?」
「――そうそう伯爵様! それを話したくてここに呼んだの!」
意気揚々と身を乗り出したのは、ジェイクではなくアリスだ。何故か自慢げに、たっぷりもったいぶって。
「なんとねー、ウィト族の子って魔力を探知することができるの!」
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