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幕間 在りし日の魔王Ⅱ

 故郷に帰りたい、そんなジェイクの決意を聞いたからだろうか。


 その夜、アリスは夢を見た。魔王としての生を過ごした最初の故郷の記憶だ。


 大陸南西に広大な領土を有する魔族領アムルテイア。その奥に居を構える魔王城から、人族の国家がある大陸中央までは途方もない距離がある。馬車の足で数ヶ月、最速を誇る飛竜で空を最短で駆け抜けても数日は優にかかる。


 とはいえそれも人知を超えた身体能力を誇る魔王セレナーデにかかれば、一日もかけずに超えられる程度……だからと言って、まともに往復するのはめんどくさい距離であることは変わりない。


 それでもセレナーデは、どれだけ遠征したとしても毎回律儀に城へと帰っていた。別に生まれ故郷としての愛着があるという訳ではない。それこそ、雨風しのげる寝床さえあれば十分とすら思っているほどだ。


 では、なぜわざわざ苦労してまで毎回必ず城へと帰っていたのか。


 これは自分でもずっとわからなかったその理由に初めて気づいた、セレナーデが十九歳の時の追憶――それがかけがえのなく、もう取り返しがつかないものだと気づいた、ある日の記憶だ。




◇◆◇




 ある日、セレナーデはセシルフィーラを殺した。


 ずっと魔王様に殺して欲しいと願っていた、セシルフィーラの狂気に応えたわけではない。ただ戦場の中で止まない破壊衝動に巻き込んでしまった、そんな些細な不幸で長らく付き従ってきた副官の少女を不意に失ってしまった。


 それからというもの自分でも理解できない感情に駆られ、アシュヴァルドの加護が植え付ける破壊衝動の呪いに抗うことなく身を委ねるようになった――それも人里をいくつか滅ぼせば止み、わずかばかりだが落ち着ける時間ができる。


 そういうときは、今までならば戦利品に拾った本を読み、おしゃれを楽しみ、暖かな陽気に包まれながら眠るなど心穏やかに過ごすものだ。


 そのためには城に帰る必要がある。でもその気になれば半日も経たずに着ける魔王城に何故か帰ろうとする気になれず。けれどどうしてか何か手に着けていないと落ち着かなく……迷っている中でふとあることを思いついて、早速とばかりに実行してみることにした。


 それは意外にも楽しく時間を忘れて没頭し、気づけば始めてから半日あまり、それが完成・・した頃には……今更冷静になって頭を抱えていた。


「……私、なにやってるのかしら」


 セレナーデが衝動的に作り上げたもの――それは家だった。


 その辺から持ってきた木材や石材をもとに、魔王の膂力と莫大な魔力を惜しみなく活かして一日足らずで作り上げた。意外にもセレナーデには造形の才能があったようで、見た目だけならどこにでもありそうな立派な一軒家の様相だ。


 こんなものを作ろうとしたのは、酷い雨が降りそうな空模様だと気づいたから。城に帰る気にはならないけれど雨には濡れたくない。ならば雨風しのげる場所を作ってしまえばいい。できあがった今になって思えばこれほど凝った物を作る必要は無かったし、そもそも城まで帰った方が圧倒的に楽だった。


 ふと、肌に感じる湿気が強まる。間もなくぽつりぽつりと降ってきた雨粒が頬を伝った。


「……入ろっと」


 過ぎたことはもう気にしないようにして、セレナーデはできたばかりの家へと入った。外観のみならず内装までしっかりと仕立て、ついでに城にある使い慣れた執務机と本棚を忠実に再現して置いた。もちろん隙間風や雨漏りの一つも無い。


 思った通りに作り上げられた完璧な家の中を見て、セレナーデは思う。


 何かが違う、と。


「ちゃんとイメージ通りにできたはずなんだけど……何が違うのかしら。ねえ、シルフィはどう思う――」


『ほーんと、魔王様って肝心なところでずれてますよねー』


 いつもならば聞こえてくる、セシルフィーラの呆れ声……今となってはもういない。


 ため息一つ、悩むことにも飽きて執務机に向かった。魔王城のものと同じ椅子に座り、いつもしているように机の上に放置した本の続きを読もうと――伸ばした手が何もない空を切る。


「シルフィ、お茶を淹れて……あっ」


『はいはーい。すぐに淹れてきま――』


 当然のようにした呼びかけに、応える声はない。


 ――ふと気づく。本当に一人になったのは、生まれてからこれが初めてだった。


 物心ついてすぐ両親を殺して魔王となり、暴虐の日々が始まった。それからも一部の使用人は城に残って――逃げだそうとして目をつけられる恐怖や王族への忠誠心など事情は様々だ――セレナーデに仕え続けていた。それも段々といなくなるが、偶然にもちょうど最後の一人が消えた日が、セシルフィーラが魔王に仕え始めた日だった。それ以来誰よりも長く、自分がこの手で刺し殺すまでずっと仕えてくれていた。


「そっか、だからか」


 帰ったところでもう誰も待ってはいない。その現実から無意識に目をそらしたくて、ずっと城へ帰るのを拒んでいた。


 家の形をした物を新しく作っても、そこに本当に求めている相手はもういない。どれだけ理想を形にしても、絶対に帰るべき場所にはなり得ない。


 そんな自分の内心に、ようやくセレナーデは気づくことができた。


「……おなか空いたなぁ」


 そういえば、最後にまともに食事をしたのはいつのことだったか。とにかく何か食べられるものを探さないと。ふらふらとした足取りで家を出れば、雨は一層激しさを増していた。少しだけ迷って、セレナーデは豪雨の中へ繰り出した。


 雨に濡れて滲んだ視界の端に、家のすぐ隣に寄り添うようにして立つ墓石と、そこに刻まれた銘が映った。


『魔王の忠実な副官セシルフィーラ・ファル・ウィト 三神の導きのもと、この地で安らかに眠る』


 セシルフィーラのために見よう見まねで作った墓だ。そもそも、ここは彼女を刺し殺したまさにその場所で、そこに彼女を埋めた。ああ、だからここに家を建てようなんて思ったのかと、今更セレナーデは気づく。城という場所ではない、いつの間にかセシルフィーラのいる場所こそが自分の帰るべき場所になっていたのだと。


「雨だいじょうぶかしら?」


 豪雨で遺体を収めた棺が腐らないだろうか。そう心配するも、埋めたときにしっかりと保存の魔法をかけて対策済みだったことを思い出した。セシルフィーラの亡骸を守るためだけに作り出した、物の劣化を半永久的に止める魔法だ。雨水程度ではびくともしない。


 大丈夫だろうと、安心して背を向けた。


「いってきます」


 いってらっしゃいませと送り出す声も、ただいまと告げることも――もう無い。 

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呟いています:X(旧Twitter)→@Ressia_Lur

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