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六十話 律世楼にてⅣ

 アリスはウィト族について知る限りを、ジェイクに話して聞かせた。


 とはいえ知っていることはそれほど多くはない。魔族の少数血族であること。魔族領の中でも日射の極端に乏しい地で代々生きてきたこと。そのせいで魔族には極めて珍しい色素を失った外見を持っていること。魔王の災禍により滅んだこと。それくらいだ。


 付け加えるならばかつて起こった一人の少女セシルフィーラに対する迫害、それが巡り巡って、わずかな生き残りですら根絶やしにされるに至ったこと――それはジェイクには話さなかった。


 今となっては、もう知る必要も無い。


「あとね、ウィト族の人には不思議な力があって……どうしたの?」

「……ちょっと変だなって」


 ジェイクはおぼろげな記憶を思い出すように語る。確かに父さんも母さんも魔族だった、と。


「でも父さんは色白でしたけど、俺みたいに真っ白じゃなかったし、母さんは、ちっさい頃に死んじゃって覚えてないけど……そうだ、一回だけ父さんが見せてくれた芝居小屋。そこの女の人が母さんそっくりだったって」

「その人は?」

「髪も目も、黒っぽい青でした」

「うーん、多分お父さんの方がウィト族だと思うんだけど。もう血が薄まってるからかなぁ? 四百年も経つんだもんね」


 いくら生き残りがいたとしても、間違いなく一族の者同士で血を残すことは難しい。長い時間を経て混血が進み少しずつ、特徴が失われてしまったのだろう。


「ジェイクは先祖返りってやつなのかもね」


 セシルフィーラは純血のウィト族の中で、一族が色素を失うよりも遙か前の特徴をそなえて生まれた。対するジェイクは薄まった一族の血を蘇らせて生まれた。同じ血族で起きた先祖返りの、全く対照的な結果にアリスは人知れず不思議な感慨を覚えていた。


 一方のジェイクは、それを聞いて何か考え込んでいる……というよりも、何かに納得しているようだった。しきりに「そっか、どうりで」とつぶやいている。


「その、実は父さんはウィトなんて姓じゃなかったんです。ノーアなんてのも、名乗ってませんでした」

「えっそうなの?」

「はい、でも俺には一人だけこの姓を名乗る様に言いました。ずっと不思議だったんです……でも、そうか。ようやくわかった気がします。きっと代々受け継いできて、守ってきて、それで……」


 ジェイクはふらふらと吸い寄せられるように開け放たれた窓へと向かい、そこから大きく身を乗り出した。


「天使様! ウィト族の村ってあっちですか!?」

「へっ!? えーっと、窓が南向きだから、魔族領はもうちょっと左の方……かな? 多分?」


 指し示したのはざっくりと魔族領アムルテイアがある南西の方角。夜闇でわずかにも見通せない先を、ジェイクは食い入るように見つめていた。


「時々、父さんがこうやってどこか遠くを見てたんです。何見てるのって聞いたら父さんは、生まれ育った北方の村を思い出してるんだって言ってたけど……今になってわかりました。ご先祖様が生まれた地を、本当に帰るべき故郷を見てたんだ」

「……きっと、いつか帰りたかったんだろうね」

「父さんは何も教えてくれなかった。受け継いできた姓も捨てて、もう諦めて……でも本当は諦めきれてなかったんだ。決めました。俺、この目で故郷の地を見てきます。それでいつか、俺たちの本当の故郷はこんなところだったってあの世で父さんに話すんです」


  振り返ったジェイクの顔からは、死相は完全に晴れていた。その目には明日を生きる希望が宿っているとアリスは気づく。


「ありがとうございます。俺、本当にやりたいことを見つけました」

「うんうん、良かったねー」

「天使様はほんとうにすごいです。何でも知ってて、落ち着いてて……こんなに小さいのに」

「うんう……小さいは余計よ!?」


 ちなみにジェイクは十三歳ぐらいという年齢よりは少し大人びて見える。それが生きてきた境遇のせいだとはわかっていても、嫉妬の感情を覚えずにはいられなかった。


「ご、ごめんなさい……あっ!」

「ちょっと、どこにいくの!?」


 ジェイクは突然窓から身を乗り出した。飛び降りようと、というよりも焦って何かから逃げようとしている。


「飛び降りる気!? 大丈夫だよ、本気で怒ってるわけじゃないからっ」

「そうじゃなくて、誰か来ます!」

「え、誰か……ってまさか亜人狩り!?」

「違います、向こうの方から……!」


 ジェイクが指さした先は窓とは反対、部屋の本来の入り口だ。耳を澄ませば、確かにカツ、カツ、と近づいてくる足音がアリスにも聞こえてきた。


「誰だろう、見回りの兵士さんかな?」

「とにかく、誰かに見られたらやばいです……!」

「あーそうだね。不法侵入だもんね」


 知り合いだとしても、さすがにお咎めなしとはいかないだろう。なお、幼女とは言え淑女の部屋に深夜に浮浪者の男が忍び込んでいるという状況の危なさにアリスは気づいていない。


「俺、行きます。天使様、本当にありがとうございました」

「あ、待って!」


 アリスが制止するより一瞬早く窓から身を投げ出していた。生身で落下すれば決して無事では済まない高さを、ジェイクは壁を蹴り、乱立する尖塔の間を飛び移って器用に駆け抜けていく。


「三日後! 三日後に貴族街南一番区の伯爵邸に来て!」


 遠ざかるジェイクの背に向かって、アリスが力一杯叫んだ。果たして届いたかどうか、遠く夜闇に姿が解ける直前にジェイクが頷くのが見えた。


「……帰るべき故郷かぁ」


 ジェイクを見送ったアリスは、頬杖を着いて夜空を見上げた。自然とため息がこぼれる。


「なんだか私も帰りたくなっちゃった」


 思い浮かぶのは両親が待つ自然豊かなケールの町並み。教会との決着が付くまではと決めていたが、二ヶ月足らずですっかり故郷が恋しくなってしまっていた。


 せめて、学園にいるケリーにでも会いに行ってみようか。こぼした二度目のため息が夜に溶けた頃、部屋の扉がこんこんとノックされる。


「……御使い様、起きていらっしゃいますか?」

「ん? 誰?」

「ああ、やっぱりお目覚めでしたのね――失礼いたします」


 入ってきたのは巡回の兵士……ではなく、塔所属のシスターだった。確か、アリス付きの世話係として紹介された内の一人だ。


 紹介されたはずだが、何人もいたせいでどうにも名前が思い出せない。困っていると、察したシスターがミサリエ・ジオメードルと改めて名乗る。

 

「あ、そうそうミサリエさんだ。栗毛のお目々くりくりミサリエさん」

「改めて、どうぞよろしくお願いいたします。また、今宵の当直として控えておりますので、何なりとお申し付けくださいませ」


 そういえば、何かあれば当直のシスターが来てくれるとエカテアが言っていた。ジェイクが聞いたのは彼女がやってくる足音だったのだろう。しかし使用人呼び出しのベルなど鳴らしてなどいない……と考えたところで、アリスは彼女が来た理由に気づいた。


「……もしかして聞こえてた?」

「物音がしておりましたので。何かあったのかと案じ、恐縮ながらご様子を伺いに参りました」

「あはは……えっとねー」


 ピンチの状況だが、実のところそこまで焦ってはいなかった。何しろまたクシャナが深夜に遊びに来たときに備えて、言い訳を考えてあるのだ。


 察するに彼女は他の誰かがここにいたことまでは気づいていない。これならいける、とアリスは何でも無い風を装った。


「えっとねー、ちょっと翼にゴミが絡まっちゃって、頑張って取ろうとドタバタ――」

「――ところで話し声が聞こえたのですが、どなたかいらっしゃってました?」

「うえっ!?」


 訂正、しっかりとピンチだった。用意していた完璧な言い訳――と本人は思っている――を封殺されて、アリスはあたふたとテンパった挙げ句。


「……か、神様とお話ししてたのっ」

「エルネスタ様と!?」

「そうなの!」


 困ったときの定番、神頼み。思い浮かんだままとっさに言い放って、アリスはすぐにやらかしたと叫びたい衝動に駆られた。いくらなんでも見え見えの嘘が過ぎる。庇護者が開いたなら氷よりも冷たい視線を向けられることだろう。


「……すごいです、御使い様! エルネスタ様から神託・・を授かるなんて!」

「へっ?」


 どうやらミサリエは素直に信じたらしい。頬を紅潮させて「二度も奇跡に立ち会えるなんて……!」と感極まった様子だ。


 ひとまずこの場は切り抜けられた……が、それ以上に気になる言葉が。


「あの、神託って」

「今までどんな聖人が呼びかけても沈黙をもって答えられてきた偉大なる神が、遂に世界にお言葉を授け賜った! なんと素晴らしいことでしょうか!」

「そ、そんな大した話じゃないよ? ちょっと雑談してただけだから……」


 神託だなんて騒ぐようなことではないと言うアリスだが、実際のところ自分の感覚がおかしいことには気づいていない。何しろ聖女時代はことあるごとに用を言いつけてくるフレイヤと当たり前に言葉を交わし、先日などアシュヴァルドに神域まで招かれて直接話したのだ。


 しかし一般的には、神が現世の者に言葉を届けるというのは神託以外の何物でも無い。


「御使い様、しばしお待ちくださいませ! すぐに準備して参ります」

「何の!?」

 

  ミサリエが部屋を飛び出ていった。嫌な予感を抱えながら待つこと暫く、戻ってきた彼女はこんな深夜にどこから捕まえてきたのだろうか、目の下にくっきりと隈を浮かべた聖職者の男を連れてきていた。男の手には金糸でエルネスタを象徴する天秤の刺繍が刻まれた白紙の書物と、焦って一緒に持ってきてしまったのだろうか、『所属移動申請書』なるウィッタリア伯爵の名が書かれた用紙が握られていた。承認欄のサインはまだ無い。


「お待たせしました連れて参りました!」

「エルネスタ様から神託を授かったと聞いて馳せ参じました! 審問官が一人、司祭ディーノゲルト・ファンテルが全身全霊責任を持って記録させていただきます! これは百年、いえ千年先まで語り継がれる偉業となることでしょう!」

「待って、ねえ待って!? 違うのそういうのじゃないの!」


 アリスの必死の懇願は、感動に打ちひしがれるミサリエと、「睡魔に負けないで良かった……!」と徹夜続きで頭が働いていないディーノゲルトには届かなかった。


「さあ、御使い様。一体どのようなお言葉を賜ったのでしょうか!?」

「ご安心ください、一字一句、息づかいの調子まで欠かさず残させていただきますもの!」

「え、えっと――」


 テンションが最高峰に上がった二人を前に今更、嘘でしたなんて言い出せるはずもなく。いよいよ進退窮まったアリスはありもしないエルネスタの神託を適当にでっち上げて語る。


 即興で作った話ははっきり言って荒唐無稽だが、深夜で判断力の鈍った二人は正常な判断力も無く。何より実際に神の御許に招かれて神器を授かったという実績もあり、アリスのでっち上げは何の疑いもなく受け入れられて記されていく。後にそれを目にした者達も、首をかしげながらも堅物で名高い審問官が認めたのだからきっとそうなのだろうと受け入れた。


 やがて天使アリスの伝説と共に後世に語り継がれていくことになる、史上初めてとなるエルネスタの神託。その中身のあまりにも支離滅裂さの謎を解明すべく、いずれ数えきれないほどの歴史家の人生が狂わされることになるのは――また別の話である。 

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呟いています:X(旧Twitter)→@Ressia_Lur

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