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五十九話 律世楼にてⅢ

「ねえ大丈夫!? すっごいボロボロ、っ臭!」

「す、すみません……」


 ジェイクの様子は目を背けたくなるほど酷いものだった。


 全身についた擦り傷と打ち身の痕……化膿しているところもある。泥と垢が混ざった汚れがこびりついた肌は黒ずみ、すり切れた衣服はおそらく、アリスが見たあの日から一度も替えていないようだ。


(ずっと、逃げ続けてきたのね)


 亜人の境遇は日に日に悪化の一途を辿っている。未だ止むこと無く続いている襲撃のみならず、今ではその巻き添えを食らうことを恐れた者達からの迫害が横行しているらしい。中には積極的に亜人狩りに加担する者もいると噂で聞いた。


 王都を取り巻く闇をいつの間にか、他人事だと思うようになっていた。その現状を鮮明に見せつけられ、アリスの心がチクリと痛んだ。


「……って、ちょっと待って!?」


 アリスは開け放たれたままの窓から身を乗り出し、夜闇に包まれた外へ目を凝らした。


「誰もいない……?」

「あの、大丈夫です。追っ手に見つかるようなヘマはしてませんから」

「あ、うん。そうだけど、そうじゃなくて」


 亜人狩りもそうだが……何よりもアリスが気にしたのは律世楼を守る警備の存在だ。律世楼は大聖堂の主要機関の一つであり、当然ながら素人の子供が易々と侵入できるほど甘くはない。それが侵入者を報せる騒ぎの一つも起きている様子がなかった。おそらくここまで誰にも見つからずに来たのだろう。


 そもそもジェイクがここにやってきたことも不思議な話だ。何しろ、アリスが今宵ここに泊まるというのは急に決まった話で、関係者以外は知らないはず。


 一体どうやって、とアリスは疑問に思い……ジェイクの特徴的な白髪赤目の色彩を見て納得した。


「そっか、貴方ウィト族・・・だもんね。不思議じゃないか」

「えっと……?」

「あ、ごめんね。とりあえず怪我を治して綺麗にしちゃうからじっとしてて。いいって言うまで動いちゃだめだからね、そこから一歩も動かないでね」


 魔力をふんだんに込めた治癒と浄化の魔法をジェイクにかける。満身創痍の姿が見ていられなかったから……ではなく、そんな惨状で寝室をうろうろして欲しくないという身も蓋もない理由だ。


 とはいえ治療を施された本人は、全身の傷がたちどころに消え、こびりついて悪臭を放っていた汚れが綺麗さっぱり消えたことに感動していた。神に祈りを捧げるように跪いて「本当にありがとうございます、天使様」とうわごとのように繰り返していた。


「いーのいーの、こんなの手間でもないし……大変だったんでしょ?」

「……帰るところも、行く当てももう無くて。ずっと、路地裏とかスラムを逃げて生きながらえてきました。飯だってろくに食えて無くて、泥水をすすって、凌いで……」

「うんうん、辛かったねぇ」

「ずっと、逃げるしかなかったんです。あれから何度もアイツが襲ってきて、街の大人達も追いかけて。何故か兵士達もみんなおれのことを探してるみたいで、まともに外を歩けないんです。この前運悪く見つかって、血相変えて捕まえようとしてきて……」

「うそ、衛兵までなの!? もー、この街はどうなって……ん?」


 衛兵、ジェイクを捕まえようとする。アリスにある日の記憶がよぎった。


『じゃ、私はもう行くから、クージンさんの捜索よろしくね。あ、追われてた男の子も最優先で探してねー』

『は、はいぃ……』


 亜人狩りを追い払って衛兵に事情聴取を受けたあの日、伯爵家の縁者――それも伯爵の実娘だと誤解された上で――という権力を利用してジェイクを探させるように言いつけていた。すっかり忘れていたが、平民からすれば貴族からのお願いをかなえられない=最悪、首が物理的に飛ぶ話だ。きっと血眼になって探しているはずで……。


(もしかして、私のせい!?)


「……うん、もう大丈夫だから安心して。明日から衛兵には追いかけられないから。大通りだって堂々と歩けるようになるよ」

「天使様?」

「大丈夫、私って顔が利くから。きつーく言い聞かせておくから、ね?」


 とりあえず、帰ったらあのときの衛兵を呼び出そう。ついでにこのことは他言無用でお願いしておこう。そう決めるアリスだった。


「ありがとうございます……でも、大丈夫です」

「気にしなくても、たいしたことじゃないよ?」

「いえ、いいんです。もう、逃げる必要だってないんですから。そのためにここに来たんですから」

「ジェイク……?」


 跪き、両手をだらんと下げたまま、アリスを見上げるジェイク。その顔はまるで全ての憑きものが取れたかのように晴れやかに微笑んでいて……なのに目は、全くの虚ろだった。


「天使様、どうかお願いが――」

「先に言っとくけど、死にたいなら一人で死になさい」


 故にアリスは聞くまでも無く断った。誰が自殺・・の手伝いなどしてやるものか、と。


「……わかるんですね」

「まあね。どうせアレでしょ、私の手で逝ければ救われるとか、裁いて欲しいとか、そういう類いのお願いでしょ。その顔見たら誰だってわかるから」


 ……そう、それは聖女をしていた前世のこと。人生に絶望し、けれど最後の希望を聖女の救いに縋って来た者達が数え切れないほどいた。


『もう食べ物も帰る家もないんです。聖女様お願いです、私を女神様のもとへ導いてください。私を救ってください』


 聖女様の手で終わらせていただけるなら何よりの救いだ、貴女様の手で終わりを迎えられたら女神様の御許にいける、と。記憶に残るいつの日かそう懇願してきた彼女と、同じ顔をジェイクはしていた。


「死にたいってなら止めないよ。でもそれなら私を巻き込まないで……そんなことまで私に背負わせないで」


 今はもう聖女ではない。傷を治して汚れを浄化する程度のことはできても、命を背負って救いに導いてあげることはもうできない。


「……そう、ですよね。ごめんなさい」


 突き放されたジェイクは、怒るでも泣きわめくでもなく、ただ静かにうつむいていた。きっぱりと拒絶したアリスも、段々とその様子が気がかりになってくる。


「一体どうしたの? もう逃げ続けるのに疲れた……って訳じゃなさそうよね。何かあったんでしょ」

「ああ、やっぱり天使様は全部わかるんですね――店長達が、殺されたんです」


 ぽつりとつぶやかれた一言は言葉足らずだったが、アリスはすぐ理解できた。店長達……それは実の両親を失ったジェイクを引き取り、働き口を与えた暁箔亭の夫妻、ガンドとマルカのことだ。


「今朝、こっそり様子を見に行ったら店が倒壊してて。暴徒に襲われたって……」

「……そう、あの人達死んじゃったのね」

「街のみんなが話してました。襲ったのは亜人狩りの仲間だって。おれの……きっと、おれのせいで!」


 ジェイクの目から大粒の涙がこぼれた。


「父さんがずっと言ってた、悪いことをしたらエルネスタ様に裁かれるんだって! ねえ、天使様はエルネスタ様の天使様なんでしょ! ならおれのことを裁いてください! もう取り返しの付かないことをして、生きてちゃいけなくて――」

「隙あり、ていっ!」

「うへぁ!? ……え、あの?」


 嗚咽を漏らしながら懺悔するジェイクの首に、氷魔法でキンキンに冷やした手をぴたり。驚いて目を白黒させるジェイクに「ちょっと待ってて」と背を向け、アリスは寝室をキョロキョロ見渡す。


「あった、こんなところに」


 孤児院の双子に貰った、いつも持ち歩いているポシェットにもなる天馬のぬいぐるみ。世話役のシスターが気を利かせてくれたのか、レースでかわいらしく彩られたバスケットの中にちょこんと座らされて飾られていた。


 背中のファスナーを開け、中から取り出したのはさらに小さな小包。しゅるりと布をほどいて中身を取り出し、ジェイクへと差しだした。


「はい、これ。預かり物。時間は経っちゃったけど、ちゃんと保存の魔法をかけておいたから大丈夫だよ」

「なにそれ……あ、え、それって……!」


 出てきたのは小さなパン。どうしてぬいぐるみからそんなものが? と疑問に思ったのも一瞬のこと、ふわりと鼻腔をくすぐった香りに気づいた瞬間、ジェイクはひったくるように手に取り、かぶりついていた。


「やっぱりこれ店長の……!」

「貴方に会ったら渡して欲しいって預かったの。今日は一個しか持ってきてないけど、もっとたくさん、袋いっぱいに預かってるよ。わざわざ長持ちするように焼き固めてさ、手間がかかってるよねー」


 それだけ、彼らはジェイクに生きていて欲しいと願っていた。言外に込めたアリスのメッセージに気づくと、静かに嗚咽をこぼしながら、まるで石のように堅いパンを大事に、大事に、味わい食べる。


「……ありがとうございます」

「どーいたしまして」

「天使様、おれ、やっぱり生きます。もう両親も、店長達は戻ってこないけど……でも、これで諦めたらあの世ですごく怒られる、気がします」

「うんうん、それがいいと思うよ」


 ジェイクから死相はすっかり消えていた。一件落着と頷くアリスに、ジェイクは「それで……」と、決意を決めた表情。


「それで……おれはこれからどうすればいいんでしょうか」

「うんう……え待って、ここで私にふるの!?」

「う、でも……天使様なら、きっと導いてくれるって」


 なんでもかんでも頼るな、天使は便利屋ではない……そう怒りのままに叫びたいアリスだったが思いとどまる。目の前にいるのは少年だってことを思い出したからだ。


「そういえば、ジェイクって何歳?」

「へ? えっと、確か十二か十三……ぐらい」

「なんで曖昧なの。んー、それぐらいなら仕方ないかな?」


 この国では一人前の労働力と見なされる年齢とは言え、まだ子供であることは間違いない。全てを失って人生を再スタートというところで一から放り出すのは酷な話だろう。


 アリスは怒りから一転、迷える子羊を導く慈愛の笑みを浮かべた。ちなみに自分こそまだ十にも満たない幼女ということはすっかり意識の外だ。


 んーっと首をかしげて悩むこと暫く。名案が思いついた! と目を輝かせた。


「手始めに復讐でもしよっか!」

「わかり……えっ」

「ほら、やられっぱなしって魔族の流儀に反するじゃない? 手っ取り早く暴徒とか亜人狩りとか見つけ出して、同じ目に遭わせてやるのがまず先よね。亜人狩りは私も用があるし。その後のことは終わってから考えたらいいんじゃないかな?」

「あの、天使様?」

「ガンドさんとマルカさん、いい人だったしそのうちお店にも遊びに行きたかったのよねーなんだか私も腹立ってきた。決めた、全力で手伝ってあげる! そうだ、せっかくだから国中の魔族を集めてレジスタンスを作ったらどうかな? それで事が済んだらどこかの土地を乗っ取って魔族の王国を築き上げるの! そしたらもう王都の人たちももう迫害だなんて言っていられなくなるよっ」


 人生相談をしたつもりが、いつの間にかクーデター一歩手前の首謀者に仕立て上げられる話になっていた。というよりこのままでは魔王就任ルート一直線だ。


 目指せ魔族の地位向上! と一人テンション高く拳を突き上げるアリス。久しぶりにかつての同胞と話して、眠っていた魔王魂が燃え上がったようだ。もちろんそんな事情なんて知らないジェイクは、見た目ほんわかした幼女に似合わない血の気に溢れた気勢に引いていた。


 どうしてこうなったかわからないが、このまま放っておけば取り返しの付かない事態になる。本能的に察したジェイクは話題の転換を図る。


「いや、あの……そういえば、前に俺の名字がなにかって……」

「そうそう! 貴方ってウィト族なのよね! 魔族のウィト族っ」

「よくわからないけど、多分そうです? おれの名前はジェイク・ノーア・ウィトですから」

「階級名までちゃんと受け継いでるんだ! じゃあ間違いないかな。あ、階級名ってのはねー……」


 魔族の名前は個人を表す名前と、属する血族を表す氏族名、そしてその者が位置する立場を示す階級名で構成される。ジェイク・ノーア・ウィトならばノーアが階級名を示し、これは司祭の役を担う家の生まれであることを示すものだ。ちなみに神を信仰する文化自体が薄い魔族では極めて珍しい出身だ。


 階級名は数ある種族の中でも魔族に特徴的な名付けのルールで、それも魔王の災厄によって魔族のコミュニティそのものが壊滅状態にある中、その文化を受け継いでいる生き残り自体が少ない。それを含めて正確に継承しているならば、それだけ彼のウィトという氏族名が代々守られて受け継がれてきたことの裏付けとなる。


 ちなみにかつて魔王セレナーデにそれを教えた副官セシルフィーラ・ファル・ウィト――何故かその手のことに詳しかった――の場合ならファルというのは中級の兵士階級に属する生まれであり、アリスの前前世、セレナーデ・フィア・レティスならば、フィアが王族の姫であることを表す。つまり『レティス王家の姫セレナーデ』ということになる。


 なお、階級名は最初は生まれにより名付けられるが、階級や職の変化でコロコロと変わる。魔王を受け継いだセレナーデは本当ならばフィアではなく君主を表すデューマを名乗るべきだったのだが、妙にしっくりこなかったので使わなかった。


「すごいです。天使様、なんでそんなに魔族のことに詳しいんですか?」

「うっ……それは聞いちゃだめ、そして二度と気にしちゃだめ。あとさっきのこと私から聞いたって誰かに言うのも絶対に禁止。わかった?」

「えっと、わかりました。二度と聞きません、この命に替えても喋りません」

「よしよしいい子ねー」


 勘のいい者なら高確率で自分の正体に行き着く。そんな重大情報をペラペラと語ってしまったことに今更ながら気づき、冷や汗を垂らすアリスだった。


 そしてジェイクは不穏な計画がすっかり霧散したことを察して、ひっそりと安堵していた。 

お待たせしました。次回の投稿は少し早めにできる……と思います。


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呟いています:X(旧Twitter)→@Ressia_Lur

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