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五十七話 律世楼にてⅠ

 大聖堂を象徴する三つの塔には、それぞれ祀る主神に応じた特色がある。


 一つは言わずと知れたフレイヤを祀る創天楼。一神分派ほどの過激思想とまでいかずとも人族は歴史的にフレイヤを主神として崇めており、事実上、大聖堂を象徴する機関だ。塔の規模、所属人員数どちらをとっても最大規模で、同時に最大の政争の場でもある。歴代の枢機卿は皆、不文律ながら創天楼の聖職者から選び出されてきた。


 次いで二番目の規模を誇るのは、意外にも滅びの神アシュヴァルドを祀る枢現楼。滅びをもたらす神として名高いアシュヴァルドだが、一方で一度定まった形を新たなものへと作り替える職人の技を司る技術神という一面もある。また死を司る一面から、荒事を生業にする者には敬意と畏怖を以て敬われている。ゆえに創天楼には及ばずともアシュヴァルド信仰の総本山として恥じない規模を誇り、またそのような性質からだろうか、そこでは実利と修練という二つの概念が重んじられている。


 そして枢現楼から更に規模を大きく引き離されるのが、エルネスタを祀る律世楼。そもそも神エルネスタが司る秩序や『世界の循環』は、信仰の対象として存在を実感することは難しい。自然と共に生きるエルフのような種族では盛んなエルネスタ信仰も、人族の社会ではあまり重要視されていないのが現状だった。これにはフレイヤとアシュヴァルドには彼らに仕え、今も伝説に語られる名だたる天使が数多く存在した一方で、エルネスタにはたった一人しかいなかったという事情も絡む。


 それ故、律世楼への所属を選んだ者達はほとんどがエルネスタへの信心が強い者か、世界の理への帰依を通じて神の世界へ少しでも近づきたいと願う者だ。あるいは真理を追い求める探求者か。ともあれ、そのような者達が集う律世楼は厳粛な空気が流れている。


「お待ちしておりました、御使い様」

「……おはよ~、ふあぁ」


 そんな律世楼のエントランスで、凜と背筋を伸ばした老女――司祭エカテアの出迎える声に続いて、場違いに気の抜けた眠たげな声が響いた。言うまでも無く、あれから一睡もできなかったアリスのものだ。


 これが正規の聖職者だったならば気の緩みを咎められたことだろう。しかしそれが彼女らの崇める神の使いだからか、それとも幼い少女だからか、出迎えにエントランスに集った百人を超える聖職者の誰一人としてアリスを咎めることはしなかった。むしろ、目の下にくっきりと隈を浮かべたアリスを心配する視線が向けられている。


 だが、この場にはアリス以上に場違いな者がもう一人。


「なんじゃ、ちっこいの。寝てないのか。背が縮むぞ」

「なんでいるの、ウィッタリア伯爵」


 ぎょろりとした目をらんらんと向けてくる、赤髪の老人ウィッタリア伯爵……創天楼に所属する枢機卿であるはずが、何故かこの場所に現れていた。無論、所属する者以外の立ち入りが禁じられている訳ではないし、大事な神事なので枢機卿の一人や二人いてもおかしくないのだが、そのような予定は庇護者から聞かされていなかった。


 ところで、寝ないと背が縮むのではなく伸びないのではないか。他の者が言いたくても言えないことをアリスがぼんやりと働かない頭で指摘しようとしたところ、それを吹き飛ばすほどの問題発言がもたらされる。


「儂は昨日から律世楼に籍を遷した。ここにいても文句をつけられる筋合いはないわ」

「……へ?」


 ウィッタリア伯爵の所属は律世楼へ。ほんとなのかと手近なシスターに視線で問えば、こちらも甚だ理解できないとばかりの表情と共に肯定された。


 三神を祀る塔に所属する聖職者が籍を遷す。これ自体は珍しいことではなく、信仰や修行など様々な理由のもと、頻繁に籍の移動は起こっている。


 とはいえ、それは身軽な下級の聖職者に限った話。高位の聖職者……特に創天楼に所属する者となれば、厳しい勢力争いの中でせっかく固めた地位基盤を手放すことになるのでほとんど行われない。ましてや枢機卿ともなれば前代未聞だ。


 それをウィッタリア伯爵は一切事前の根回しもなく、昨日唐突に所属を移すことを宣言してその日のうちに実行した。なお、籍の移動に制限はないとはいえ無秩序な移動による混乱を防ぐために、移動申請の用紙には高位の聖職者から許可印を貰う必要がある。これにウィッタリア伯爵はなんと自分の印を押して提出した。


 用紙を受け取った律世楼の生真面目な事務係は、申請者本人の許可印では認められないと突き返すべきか、それとも最高位たる枢機卿の許可印だから認めるべきか……規律と権力の板挟みで、一晩経った今でも用紙の前で頭を抱えているという。


 そんな事情はつゆ知らず、ひとまずアリスは「そうなんだー」と納得した。というより、眠いのでこれ以上考えることをやめた。そんなアリスをウィッタリア伯爵は凝視する。


「えっと、なに?」

「ちょいと笑って見せろ」

「へ?」


 突然の要求に困惑していると、頬をぐにぐにと抓まれた。無理矢理笑顔にしようとしているようだ。アリスはそれをそっと払いのけると、愛嬌を振りまくのはお手の物とばかりににっこりと笑って見せた。一体何の意味があるのかわからないが、敵に回すとネチネチとめんどくさいウィッタリア伯爵には愛想を振りまいておけと言うのが庇護者からの指示だった。


 ニコニコ笑顔のアリスをウィッタリア伯爵がぐるぐると回って観察する。と思えばしわの一つまで見えそうな距離までぐいっと顔を寄せてくる


「ふーむ、やはり絵になる」

「……もういい?」

「よいぞ、楽にせい」


 アリスが作り笑顔をやめると、ウィッタリア伯爵は満足したのかくるりと踵を返して、エントランスの出口へと向かう。


「……え、帰るの!?」

「なんじゃい、文句あるのか」

「儀式に出るんじゃないの?」

「たわけ、儂がいても邪魔になるだけわい。ではの」


 ウィッタリア伯爵はどうやらアリスのことを見に来ただけだったようだ。ほんとに去っていってしまった後ろ姿を全員があっけにとられて見送る中、一足早く気を取り直したエカテアが「で、ではご案内しますね」とアリスを先導した。


 彼女について歩きながら、アリスは誰にも気づかれない小さな声でつぶやいた。


「……北東の、二の三十七?」


 それはウィッタリア伯爵が顔を寄せてきた拍子に、アリスにだけ聞こえるように伝えてきた言葉だ。何かの位置を示すメッセージだろうか。しかしそれだけではさっぱり意味がわからず、ひとまず意識の外へと追いやることにした。


 儀式が執り行われるのは、律世楼の最上階に位置する至聖の間。創天楼にあったものと同じ小部屋のような昇降装置にアリスとエカテア、そしてアリスのお付きにと選ばれた十人のシスター達が同乗した。


 しばらくの浮遊感を経験した後、しかし止まったのは最上階より一つ下の階。疑問に思いつつも先導されるがままに進むと、案内されたのは準備に必要十分なだけの設備がそろえられた控え室……ではなく、まるで王族の居住区もかくやと思しき部屋だ。


「……何ここ?」

「ここは御使い様のためにご用意させていただきました。今後、居室としてご自由にお使いくださいませ。もちろん、律世楼の中でも最上の部屋をご用意させていただきました」


 曰く、神に選ばれし御使い様を迎え入れることができるのはここに属する皆にとっての誉れであり、遠慮などせず自由に使って欲しい。


 むしろ、ここでアリスが暮らすことこそが律世楼にとって、なによりアリスにとっても神エルネスタに仕えるものとしての正当性を証すことになる。そのため今後は数日に一度はこちらで暮らしていただきたいとのことだ。もちろん、庇護者との話は付いているとのこと。


 そんなの聞いていない、と思ったアリスだが、そういえば暫く前に庇護者から調度品の好みについて聞かれたのを思い出した。見渡せば、部屋にはそのとき伝えた要望通り――アンティーク調の、小物の所々に少女趣味を取り入れた家具が揃えられていた。


 ちなみに気になって聞いてみれば、創天楼でシャルローゼが暮らしていた部屋と同じようなものだそうだ。むしろ、こちらの方が広いという。


 簡単に部屋の説明を聞いたあと、アリスはシスター達の手で儀式のための衣装へと着替えさせられる。いつもの法衣ではなく、純白の絹で織られたいわゆるキトンと称されるもの。過剰にならない程度のドレープが優雅さを演出し、天使というよりもまるで女神そのものを思わせる仕上がりだ。


 衣装の着付けが終わり、最後にアリスに薄く化粧を施しながらエカテアは嬉しそうに語る。これは古い文献にかかれていた儀式の様子を再現したものだと。神代の遙か遠き日を蘇らせられる、その一助となれることが何よりの幸福だと。


「ずっと私は……いえ、私の母、祖母、あるいはその前から、この律世楼で信仰を守り続けてきました。それはきっと、今日このときのためだったのでしょうね」

「そっか」

「私はこれまでの人生で四度、創天楼へと移籍するお誘いを頂いたことがあります。そのうち二度目は、ありがたいことにある枢機卿からお眼鏡にかない、大司教の地位まで用意していただけました。けど、私はその全てを断ってここに留まり続けています。なぜだかわかりますか?」

「んー、権力争いが嫌だったから? 今のあそこ、なんかドロドロしてるよね」

「ふふ、耳の痛いお言葉。それも理由の一つですが、そうではないのです」

「じゃあ、エルネスタこそが一番って考えてるから? 他の神に仕えるなんて考えられないって事でしょ」

「残念。私はフレイヤ様も、アシュヴァルド様も崇めていますし……それを言ってしまえば実のところ、エルネスタ様を強く信じているかと言えば、そうでもないのですよ」

「すごいぶっちゃけたね。んじゃ……うーん」


 フレイヤを祀る創天楼は、まさしくこの大聖堂の顔ともいえる機関。対して律世楼は同じく三神を祀るといえど、規模も何かも劣り、出世コースからも外れた道となってしまう。普通ならば大司教の地位まで用意されて断ることなど考えられない。


 その理由を考えて……考えてもわからないのでアリスは早々に降参した。さっさと答えを教えてと視線で促すアリスに、エカテアは笑って答えた。


 それはこの世界が大好きだからだ、と。


「命が生まれ、草花が芽吹き、朝の輝きに喜び、夜の静けさに心落ち着かせる。この世界は数え切れないほどの喜びと美しさに満ちています。それはとても素晴らしいことです。そう思いませんこと?」

「……そうだね」

「もちろん悲しいこと、目を背けたくなる事だって数多くあります。私自身、世界の残酷さを嘆いたことは何度だってあります。それでも、その全てを含めてなお、私はこの世界を愛しているのです」


 ようやくアリスは問いの答えにたどり着いた。『世界の循環』――エルネスタが定め、この世界の理の全てを司る大いなる流れ。いわばそれは、この世界そのものだ。その大いなる流れに対する畏怖と愛が、彼女の信仰の源泉なのだろう。


「変なの」

「あらそうでしょうか。生きとし生けるもの誰でも、日々の何気ない幸せに喜びを見いだすのでしょう。きっと、同じ事ですよ。それがいつまでも続きますように、世界へと祈りを捧げるのです」

「そう、なのかなぁ?」


 うーんと首をひねって悩むアリスの顔へ、ファンデーションのパフがそっと当てられる。「じっとしててくださいね」と微笑んだエカテアの手で、アリスの目の下の隈が段々と隠されていった。


「……はい、できましたよ。あまり夜更かししすぎてはだめですからね」

「ん、ごめんなさーい」

「儀式が始まるまでまだ時間がありますので、少しでもお休みになられてくださいな」


 深々とお辞儀をしたエカテアを筆頭に、気を利かせたシスター達が次々と部屋を出て行った。一人残されたアリスはベッドにぽふっと倒れ込み、ぼんやりと虚空を見上げる。


 寝不足なのは確かだが、このあとすぐ大事な儀式を控えているからか、一眠りしようという気にはなれなかった。影を潜める睡魔の代わりに頭に思い浮かぶのは、先のエカテアと交わした会話。


「……この世界を愛している、かぁ」


 この世界が好きだという気持ちは同じだ。もう滅びとも救いとも無縁なこの世界には、美味しい食べ物があり、何にも妨げられない安寧の夜があり、友達がいて、何より……故郷には愛すべき家族がいる。この不本意な王都暮らしをさっさと終わらせて、あの何もなかったけど自然豊かで穏やかな時間の流れるケールの街へと帰る。その決意は今でも変わらない。


 しかし、違う・・。アリスの抱く願いはあくまでも自分が三度目の人生で今度こそ、穏やかで平凡な人生を過ごしたいというもの。その願いを叶えるためならば邪魔する者を排除し、自分のために世界を振り回すことも厭わない。そんな身勝手な願いだ。決してエカテアが貫くような崇高な思いではない。


 そして、忘れてはいなかった――他でもない自分自身が、この世界にとって何よりの異物・・だという事を。


 『世界の循環』に深く刻まれた原初の疵から生まれた魔物。それが天使アリスという、存在の正体だ。自分を神代の大天使の再来として、下にも置かない扱いをしてくれている敬虔な聖職者達がその真実を知ったらどう思うのだろうか。


「罪悪感、ってやつなのかなぁ」


 自分自身の正体に対して、実のところアリス自身はそれほど思うことはなかった。自分が異物だというのならばそれはそれ、気にせず好き勝手生きていこうと思っていた。


 それが今になって柄にもない感情を抱いたのは、エカテアのまっすぐな信仰に感化されたからだろうか。


「……考えてもどうしようもないかな」


 ただでさえ寝不足なのに、これ以上余計な悩みを増やして大事な儀式を失敗するわけにはいかない。アリスはなるべく考えないように努めて、少しでも体を休めるのだった。




◇◆◇




 ――気づくと、アリスはどこか既視感のある厳かな祭壇に立っていた。


「……ここ、どこ?」


 ここは律世楼の最上階にある至聖の間――では、ない。


 アリスは直前までの記憶を思い返す。


 少し休んだあと、迎えに来た司祭らと共に最上階の至聖の間へと向かった。


 そこで、儀式は予定通りに執り行われた。これまでの世界の安寧への感謝を、そして続く未来への祈りを込め、司祭らが聖句を唱える。一つ今までの違うのは、その祈りを捧げる先が祭壇に祀られた神像ではなくアリスであること。かつて神代の時代には神に直接祈りを届けるすべを持たない人々のため、最も神に近い天使がその名代として祈りを受け取る役目にあったという。


 全てつつがなく進行し、最後に祭壇のトーチへ聖なる火を灯して終わりとなる。その役目も常ならば塔の最も位の高い者がするのだが、これも神代と再現としてアリスが担った。


 一年に一度の最も月が高く昇る夜にのみ咲くアマリアの青い花の花弁。雲より高く頂く霊峰ソルレア・リアからのみ採れる赤いガラスの砂。精霊樹の種子を聖水に七日七晩浸した後に砕いて採取した精油。これらをくべることで、火でありながら赤ではなく白く燃え上がる特殊な聖火となる。


 聖火を灯した杯を受け取ったアリスは、天使とはいえ少女が火を持つことに心配する視線を身に感じながら、何一つ動じることなく役目を果たした。祭壇のトーチに遷され高く燃え上がる聖火を目にほっと胸をなで下ろし――その瞬間、意識が途切れた。


 そこまで思い出したところでアリスは苦笑する。ここはどこか。そんなこと、問うまでもなくわかりきってたことだと。


「随分とまあ、予定調和なことね」


 見覚えのある祭壇。それもそのはず、かつて神域でアシュヴァルドに見せられた『世界の循環』を祀る祭壇だった。おそらく最も神に近い場で祈りを捧げたことで、エルネスタとの何かが繋がったのだろう。


 それはアリス自身も心のどこかで予感していたことだった。


 そして実のところ、祭壇を目にしたのはその一度だけではなかった。それはウェシロ村へと向かう馬車の中で流れ込んできた思念。その中で、祭壇の前に立つ少女に何者かが語りかける光景を見た。


 今の自分と同じように祭壇の前に立っていた少女の正体はきっと、かつて自分より前にエルネスタに仕えた大天使。ただあのときの思念と違うのは、それが少女に語りかける存在からの光景であったのに対し、今は自分自身が少女の立場にあるということ。


 それ故に――祭壇の上から見下ろすその存在を、アリスはようやく目にすることが叶った。


「ようやく会えたわね。人を勝手に天使なんかにしておいて随分と遅い登場じゃない? ねえ、エルネスタ」

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