六話 旅立ちⅠ
教会長から手紙が届けられた翌朝、アリスと両親は街の北門へと来ていた。
門の前には自身の騎馬と共に不安そうに待つカルトロ、加えて一台の幌馬車とその周りに揃いの蒼い鎧を纏った五人の騎士が待っていた。カルトロがアリス達の姿を見てほっと肩をなで下ろした。
「逃げなかったな」
「どうせ逃げても、地の果てまで追いかけてくるんでしょ?」
「ああ、そう命じられている……そうならなかったことを喜ばしく思うよ」
「私が大人しく行けば、お父さんとお母さんには手を出さないのよね? まさか私が離れたあとでこっそり始末しようとか……」
「三神に誓って、そのような蛮行に大聖堂が手を染めることはないと誓おう」
「ついでに、私の身の安全と自由も保障してくれるといいんだけど」
「……すまないが、それは確約できない。だが、せめてもの罪滅ぼしとして、私は其方が少しでも不自由しないように尽くすと誓おう」
「そ、お願いね」
「では、私はこれで失礼する。また王都で会おう」
「はーい……あれ?」
ひらりと馬に騎乗して森へと消えていったカルトロの後ろ姿を見送って、アリスは不思議そうに首をかしげた。去っていったカルトロと入れ替わるように、揃いの蒼く染めた鎧を纏った五人の騎士がアリスに近づいてきた。その中から、隊長格と思わしき徽章を付けた、二十代後半の男が前に出てきた。
「蒼影騎士団第二部隊隊長のリチャード・ベルベットだ。御使い様、よろしく頼む」
御使い様とは、天使の古い呼び名。アリスをそう呼んで優雅な所作で挨拶をした隊長のリチャードは、騎士団の名前とは反対に燃えるような赤い髪の男性だ。年齢は二十代後半だろう、しっかりと整えられた身だしなみと、物腰柔らかな雰囲気の貴族らしい男だ。
「アリスです……そうえいきしだん?」
「この地の領主であらせられるエルドラン伯爵様に仕える騎士である。主家は灼陽と蒼影の二つの騎士団を抱え、我ら蒼影騎士団は少数精鋭を特徴とする。私の部下を紹介しよう」
続いて、第二部隊の騎士達がアリスに挨拶していく。ワイヤー付きの短剣を腰に佩いた悪ガキのような雰囲気の茶髪の少年エルリック、長身の青年ラッドとやや変わった雰囲気の青年テセウス、弓使いのゴードン。
「我ら五人が御使い様の護衛をさせていただく。王都にむかうまでの道中、遠慮なく我々を頼りにして欲しい」
「カルトロさんは? 一緒じゃ無いの?」
「ヴィッカーナ卿は大聖堂への報告のため、先に王都へ向かうとのことだ。恐らく、御使い様と両親とを引き裂いた罪悪感もあるのだろうな。」
「ふぅん、そっか」
「……ヴィッカーナ卿とは古い付き合いなのだが、彼は民の模範となるべき誠実な騎士なのだ。此度の事は決して彼の本意でないこと、どうか知っておいて欲しい」
「あの人はただの使者で、悪いのはルーなんとかとかいう枢機卿なんでしょ?」
むしろカルトロは最後まで武力行使を躊躇ってくれた。彼に思うところは無い。そう伝えれば、リチャードは理解してくれて嬉しいと、それでいて悲しそうに微笑んだ。
「……運命とはかくも残酷なことだ。さ、我々もすぐに旅立たなければならない……ご両親殿と別れを」
「うん……お父さん、お母さん今までありがとうね――」
「……アリス!」
「わっ、お母さん」
ミーネの中でこれまで堪えていた感情が決壊した。アリスの小さな身体をぎゅっと抱きしめると、涙混じりの声で、うわごとのように何度も愛しい娘の名前を繰り返す。
「アリス……どこに行っても、絶対に、絶対に幸せになってね……お母さんは、いつだって貴女を愛してるから……!」
「お母さん……」
――さよなら。
その言葉は心の中だけでつぶやき、最後の抱擁が解かれる。続くロナルドはミーネのように抱きしめたりはせず、苦笑いながらアリスの頭にぽん、と手を置いた。
「お前は夜泣きも全然しなかったし野菜だって好き嫌いせずに食べる。ほんっとうに手のかからない子で……もうちょっと父さん達を困らせても良かったんだぞ?」
「ごめんなさい」
「昨日だってな、行きたくないって一言わがままを行ってくれれば、父さんと母さんはどんな手を使ってでも応える気でいたんだ。なのにお前は誰よりも早く、心を決めちゃうんだもんなぁ……全く、どこで育て方を間違えたのやら」
「……ごめんなさい、おとうさん」
「謝るんじゃない、馬鹿」
ロナルドは苦笑いしながらアリスの頭を優しく小突いた。そして膝をついてアリスと視線を合わせると、真剣な目で語りかける。
「アリス、お前がたどり着いた先にどんな運命が待っているかなんて父さんには想像もつかないけど……一つ、約束しなさい。どんな些細なことでもいいから、何か父さん達にして欲しいことがあれば我が儘を言いに来るんだ」
「かえってこれないかも」
「そんときゃ、どんな手だって使うんだ。周りの大人を頼ったりしてさ……誰にどんな迷惑をかけたっていいさ。父さんがいくらでも謝ってやるから……父さんは、これがお前との今生の別れなんて認めないからな。ずっと待ってるぞ」
「……うん、約束するね」
たとえ、それが叶わないかもしれない約束だとしても。
僅かな逡巡の後、未練を断ち切るようにロナルドの手がアリスから離される。それを見届けたリチャードが、アリスの身体をそっと抱え上げた。
「御使い様、それでは馬車へ。足下が高い故、お身体を抱え上げる失礼をお許しを」
「ううん、ありがとね」
リチャードに抱えられたアリスが馬車に乗り込む。馬車の中には前後に向かい合わせにして長椅子が設けられており、その後部側の席の端へ、アリスを抱っこしたままリチャードが座る。ゴードンが御者台へ座り、馬車を引く馬へ鞭を打った。ヒヒーン、と甲高い馬の嘶を合図として、馬車がゆっくりと走り出した。それに合わせて、各々の駆る馬に跨がった残り三名の騎士が馬車について歩を進める。
車内に向かい合わせに設置された長椅子は、大人が三人ずつ座っても余裕があるほど広々とした物だ。
そんな中で、アリスを腕に抱えたままのリチャードがあえて窓際ギリギリに身体を押し込めるように座ったのは――最後の最後まで両親の顔が見れるようにという、心ばかりの計らいだろう。しかし、アリスは外を見ない。
「ご両親殿に、手を振らなくて良いのか?」
「いい。もう別れはすませたから」
――別れなど慣れている。一々感傷に浸っていては前に進めない。
そう自分に言い聞かせて、アリスはぎゅっと目をつぶる……随伴する騎士から車内へかけられた言葉を聞くまでは。
「隊長、街から子供が追いかけてきているんですが」
「子供?」
「ええ、めっちゃ足の速い女の子が」
「足の速い――まさか!?」
アリスが窓から身を乗り出して後ろを見れば、予想通り、そこにいたのはケリーだ。
「……ケリー!? どうしてここに!?」
「まっ――アリスちゃ――どうし――て――」
アリスの出立は昨夜決まったばかり……事情を知らないはずの彼女がこの場に現れたことに、アリスは目を瞬かせる。
「まって――行か――で――」
友達を乗せて走り去る馬車に追いすがろうと、教会で見せた駿脚で走るケリー。しかし所詮はたった六歳になったばかりの子供の足では、馬車の速度に追いつくはずも無く、両者の距離は無情にも開いていく。
それでも、諦めずに追いかけてくる少女に、アリスは最後に言おうとした。両親にしたように、さよなら、と。
アリスが別れを言うより一瞬早く、ケリーが叫んだ。
「私、信じているから!」
「あっ……!」
ケリーの手に、昨日渡した羽が強く、強く握りしめられていた。
信じているから――何を、なんて決まっている。
幸運のお守りとして渡した。祝福を授け、これでもう誰も彼女の側からいなくならないと嘯いた。その言葉を今まさに裏切ろうとしているのに。
「またあえるって! しんじてる、から――」
「ケリー……!」
何か言わないと、答えないと。どうしてか抱いた衝動に突き動かされるまま、アリスは限界まで窓から身を乗り出して……けれど、肝心の言葉が出ない。
(……何を言えばいんだろう)
ごめんね? ありがとう? 思いつく言葉は無数にあるが、そのどれもが違う気がして――遂には何も言うことが出来ないまま、ケリーの姿は森の木々に遮られて見えなくなる。
「御使い様。少しだけなら時間がある故、馬車を止めて彼女と――」
「いい……このまま、進んで」
「……承知した」
静謐な森を駆け抜ける馬車の中、車輪が跳ねるガタンゴトンという音に混じって、アリスのすすり泣く声が静かに響くのだった。
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