五十五話 不意の再会Ⅴ
夜闇の中から火球にぼんやりと照らし出された広場へ、アインズバードが姿を現した。
「引き抜くなんて心外だなぁ。僕はただ、哀れな人間に力を授けてあげようとしただけだよ」
「ふむ、その割には私の騎士を一人、馬車馬のごとく使っているようだが?」
「……ありゃ、エルリックのことバレてたんだね。何にも反応無いからてっきり気づかれてないと思ってた。ていうかわかってたんなら、クビにしたりしないの?」
「泳がせておけば、いずれ貴様に繋がる手がかりが得られると思っていた。まさかそちらから接触してくるとは予想していなかった」
「そんなに僕に会いたかったんだー? きゃ、もしかして僕のこと狙ってる!?」
やだどうしよう……! とわざとらしくしなを作ってクシャナはくねくねもだえた。そしてアインズバードから白い目が向けられる。
「……こほん。まぁバレてるなら言うけど、彼のことはもう暫く見逃してあげてよ。ちゃんとこき使うのはお休みの時だけにしてあげてるし、アリスちゃんにとって悪いようにしないからさ」
「私の、ではないのだな」
「?? なんで君なんかのこと気にしなきゃいけないの?」
心底理解ができない、とクシャナが首をかしげる。主君を愚弄されたと感じたラッドが、クシャナに突きつけたままの剣を握る手に力を込めた。それをアインズバードが手で制する。
「ラッド、下がれ。後は私が相手をする」
「……伯爵様、やはりコイツは放っておいては危険です。いずれ、伯爵様にも危害をおよぼしかねません」
「必要ない。ああは言っているが、アレが私を害する事は無いだろう。違うか?」
「なーんか見透かされてるようで腹立つ。ま、癪だけどその通り。君の身に何かあればアリスちゃんが困るからね」
「だ、そうだ。何にせよ、私とて己の身ぐらいは守れる。下がれ」
「……承知しました」
ラッドは不承不承のまま、双剣を服の下に隠した鞘へ収めた。そして地面に転がったままの剣を拾い――刃が一閃して、目の前に浮かべられたままの火を切り払った。
「俺はお前の誘惑には屈しない。傀儡が欲しいなら他を当たるんだな」
「つれないねぇ」
そしてラッドが主君に場を譲って、背後に下がる。クシャナとアインズバード、天使アリスを守る二人の守護者が対峙する。
「改めて、よく来てくれたね、人間の伯爵よ。直接会うのは初めてだけど、君とはずっと話してみたかったんだ……いや、話さなければならないと思ってたんだ」
「意外だな。てっきり私は避けられているものだと思っていた」
「僕はこれでも忙しい身だからねぇ。君なんかとゆっくりお話をしている時間は無かったというわけさ。そんな時間があればアリスちゃんに会いたいもん」
「それでは、今宵は貴重な時間を割いてわざわざ私と会う時間を作ったと。貴様のような天上の存在にそのように計ってもらい、光栄の極みと言うべきであろうか?」
「……ま、さすがに僕の正体はもう気づいているか。いいよ、君の殊勝な態度とアリスちゃんへの献身の褒美に、特別に答えてあげようじゃないか」
クシャナは立ち上がり――瞬間、その体が燃えさかる火柱に包まれた。そして赫々と燃えさかる火柱の中から出てきたクシャナの姿はどこにでもいる吟遊詩人の装束は、幾枚もの布を重ねた異国風の装束へと。そして背中には、炎に照らされ赤く染まる純白の羽。
「僕は滅びの神アシュヴァルドから『根源の火種』を授かりし天使クシャナ。神代とはいかずとも、災厄の時代より生きる天使だ、この僕に会えたことを光栄に思えよ――ちょっと、少しぐらいは驚いてくれてもいいじゃないか」
「ふむ、これでも相応に驚いているのだが」
「嘘だ、全く表情変わってないもん!」
クシャナが指さしたアインズバードの表情は仏頂面のままだった。
「貴族たるもの、表情で胸中を相手に悟らせないことが癖になっているのでね……何度も言うが、本当に驚いているのだよ。何しろ、こうも容易く正体を明かしてくれるとは思っていなかったのでね……察するに、天使には何か人から隠れる理由、あるいは制約があるのではないか?」
天使達が自らに課した制約をアインズバードは知らない。それでも現状の数少ない情報から、およそその近いところまでは推測をしていた。
「そこまでわかっていたか。答えは是、二度と悲劇を引き起こさないために、天使は人々の前に姿を現さないと自ら制約を定めたんだ――かの大天使アリシエルの死をきっかけにしてね」
「……これはこれは、意外な大物の名が出てきたな」
「まるで人ごとみたいに言うじゃないか。君にとって無関係な話じゃないだろう」
途端、クシャナの纏う雰囲気が剣呑なものへと変わった。ここからが今宵の本題だと言うことを、言外に告げる。
「僕ら天使にとって犯すべきでない禁忌。それを破ってでも、こうして姿を現したのは、天使として、何よりアリスちゃんの友として、君が隠している秘密を暴かなければならないからだ。単刀直入に聞こう――天使アリスがこの世界に生まれる原因を作ったのは君だろう?」
◇◆◇
「最初に疑念を抱いたのは今からおよそ三年前……大聖堂が初めて天使アリスの確保に乗り出した時だ。そのときに思ったんだよ――遅すぎるって」
史上二人目のエルネスタの天使が現れた。それクシャナが初めて知ったのは、アリスが二歳となって初めて天使であることが公にされた時だった。そのときには既に二年前から突如現れたフレイヤの天使の捜索を命じられており、そのために広げていた情報網に引っかかった。
間もなくクシャナはケールの街に潜入し、アリスの姿を直接その目で確かめた。直接言葉は交わさずとも、長い時を経て新しく生まれた末の同胞――その魂が自分のよく知る魔王と同じだと気づいたときには驚愕した――が、不自由なく過ごしていることに何より安堵した。
そして大聖堂が初めて天使アリスの情報をつかんだのはそれから三年も遅れてのことだ。
いくら今の教会が権力闘争の場と化しているといえ、いやだからこそ、特に暗部は決して無能ではない。それが三年もの間アリスのことを――それも当の本人は存在を隠すことなく堂々としている――見逃すというのははっきり言って異常だった。さらに周辺他国に至っては、大聖堂の動きを察知して初めてその存在を掴んだほどだ。その気になれば魔術で七日足らずで世界の端から端まで情報が届く世界で、アリスの存在が知れ渡らないのは異常だ。
あるいは、世界はそれほどまでに天使への崇敬を忘れたのか――だが、当のケールの街での熱狂を見ればそれも違うとわかった。
「考えられる可能性はただ一つ……意図的に、情報が遮断されていた。それができるのは他でもない君だけだ」
「当然のことだな。何しろ、こちらにしても貴重な天使を大聖堂になどくれてやるわけにはいかない。情報の流出には細心の注意を払ったよ」
「僕だってそんなことだろうと思ってた。けど君の館を探った時、奇妙なことに気づいたんだ」
アリスが熱を出して倒れたと聞いてお見舞いに忍び込んだあの日。そのついでに、アリスにつきまとう人間の弱みの一つでも握れればと家捜しに踏み切った。
伯爵家の警備は厳重だったが、伊達に何百年もアシュヴァルドの密偵をやってはいない。隠蔽魔術のセキュリティを証拠も残さずかいくぐり、機密書類の発見に成功した。
「確かに、ケールの街から外部に流れる情報に徹底した隠蔽工作がされていた。それはおかしな事ではないよ――それがアリスちゃんの生まれる十年以上前から為されていた、という事実がなければね」
領地に潜む密偵を徹底的に洗い出し、掌握――買収や、エルリックの能力を使った洗脳によりエルドラン伯爵家の手先に寝返らせる――することで、ケールから流れる情報を完全に制御。外部には何事も起きていない、いつも通りの平穏な辺境として報告されるように防諜体制を作り上げた。あえて流しても問題ない程度の情報はエサとして掴ませ、諜報体制に不信感を抱かせない様にする徹底っぷりだ。
ただの一貴族がするには不自然なほどの、と言わざるを得ない。
「まるで、アリスちゃんが生まれることを前から知っていた様じゃないか……不思議だね、あの町の教会長がエルネスタ様から神託を受けたのは、アリスちゃんが生まれる前日だったってのに」
「理に叶った推理だが、それだけでは証拠が弱いな。確かに事実だが、私が情報統制を始めたのは、王都の大聖堂での政変を受けた後。宮廷治癒術士を辞め、代官に任せていた領地の経営に専念しだしたときだ」
「とある枢機卿の不祥事による大規模な勢力図の一変。内戦の一歩手前にまで発展し、王都のみならず多くの地で犠牲者を出した悲劇。その枢機卿の腹心だったベイルーク氏が失脚してケールに左遷された原因だったっけ……ああそうだった。君の最愛の奥方はそれで死んじゃったんだっけね」
まるで無神経なクシャナの指摘にも、アインズバードは意に介した様子もなく、「よく調べ上げているな」と感嘆した。
「あの事件の一部始終は僕も観測していたが……いろんな思惑や謀略が絡み合った、まさしく人間の醜さ極まれり、といったところだね。それで最愛の伴侶を奪われた結果、貴族社会に不信感を抱いて塞ぎ込んだ。なるほど納得はできるよ……さて、そんな君にこれを見せてあげよう」
クシャナは懐から、古びた手帳を取り出した。何かを書き留めたらしき、一見どこにでもあるようなそれの正体をアインズバードは一瞬はかりかね――
「――ッ!」
「あは、やっぱり」
その正体に気づいた瞬間、かつてないほど動揺した伯爵の手が無意識のうちに手帳へと伸ばされていた。普段何に対しても冷静な主が珍しく見せた焦燥に、護衛の騎士達にも動揺が広がった。
「そう、これは君の奥方が遺した手帳だ――エルネスタを祀る『律世楼』に所属するシスターだった若き日の奥方が暴いた、世界に秘された大天使アリシエルの真実を書き留めた、という但し書きが付くね」
「……どこで、それを」
「律世楼の旧第二蔵書室。還俗して嫁ぐ前に、万が一に備えて遺しておいたんだって。一番信頼していた司祭にだけ伝えて託し、他には伴侶である君にすら隠していた。奥方の死後に君はその遺品を執拗に処分した様だけど、これには気づかなかったみたいだ」
君は以外と信用されてなかったんだねぇ、とクシャナはケタケタ笑った。
「これのおかげで、欠けていた最後のピースが埋まった。さすがに僕も驚いたよ。まさか『審判の日』以来ずっと行方知れずだったアリシエルがベルフ大森林の最奥に眠っていて――しかもまだ生きていたなんてね」
クシャナは手帳をアインズバードに向け放り投げた。その最中、不意に吹き抜けた風にあおられた手帳が、導かれたようにある一ページを開いて見せた。
そこにかかれていたのはベルフ大森林の一帯を記した地図、そして最深部を囲むように配置された六つの地点。
「神代より眠るアリシエル。その眠りを維持するという六つの要、その一カ所となるのがあの偽天馬が決戦の場に選んだ花畑だった。確認すれば、そこに誰かが干渉した痕跡があった――君がやがて天使アリスが誕生することを予見したように執拗な隠蔽工作を計画し始めた、ちょうどその直前にね。さて、伯爵よ。まだ言い逃れを続けるかい?」
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