五十一話 不意の再会Ⅰ
『わたくし、あきらめませんから』
それからしばらく続いたお茶会の後、創天楼を後にするアリスに、シャルローゼは別れ際言った。
『いつかアリスにも認めて貰って、わたくしは必ずや聖女となります』
『そう、頑張ってね』
『そのためには――もっと一緒の時間を過ごして、わたくしのことをちゃんと理解していただく必要がありますわ! ええ、決まりですわね!』
『……へ?』
最後には何故か話が妙な方向に飛躍して、気がつけば一緒に観劇に行く約束を取り付けられていた。しかも日取りと演目までその場でさっさと決めてしまって、流石の行動力にアリスは面食らいっぱなしだ。
シャルローゼが引き起こした神託の内容の流出騒動は、ひとまずは教会が事実だと認める声明を出したことでそれ以上の混乱には発展せずに済んだようだ。もちろん全く平常通りに戻るとはいかず、帰りの馬車の窓から覗く街並みは明らかにお祭りムード一色だ。まだ誰が聖女になるかなど決まってないのに、新たな聖女の誕生を祝して早速宴会を開いている者も数多くいて、あまりの気の早さにアリスは呆れかえった。
そして思い知る。誰もが、新たな聖女の存在を心から歓迎していることに。聖女の存在が再び求められるような何かが起こるかもしれない、これは来る災厄の前兆かもしれない……そう考えている者など誰一人いないようだ。
(仕方ないか、あれから長い時が経ったんだものね)
世界を救った聖女の偉業は色褪せず語り継がれど、暗黒の時代の記憶は忘れ去られていく。それはきっと良いことなのだろうと、アリスは胸中にわだかまる不安を押し込めて自分を納得させた。
日が傾き始めたころ、間もなく馬車は屋敷へと着く。帰ってきたのはアリスと護衛の騎士達だけで、アインズバードはまだ大聖堂にいるらしかった。聞けば、アリスの処遇と今後の立場についてルードベルド伯爵、グランザロ侯爵の両名と緊急で会談しているらしい。帰ってきたのはそれから更に遅く、夜も更けたころだった。
「ひとまずは、こちらの要求がほぼ理想的な形で通ることになった」
簡潔にまとめて曰く、問題をなかったことにする形での現状維持。アリスの身柄は今まで通りアインズバードの庇護下に置かれ、一方でレスター子爵が引き起こした一連の茶番劇については公的に『なかったこと』にされることとなった。これには明文化はされていないが、シャルローゼという現枢機卿の孫娘が神聖な場に闖入して荒らし、更には最重要の機密を漏洩した疑いがあるという事実もまとめて隠蔽するという意味も同時にあるという。これによって一神分派は攻撃の材料となり得てしまう不祥事をなくす代わりに、この場では天使に関する利権を失うことになった。
一方で、全くの元通りとはいかない。グランザロ侯爵はアリスを庇護下に置く正当性がアインズバードにあることを認めつつも、天使という世界のパワーバランスを揺るがしかねない存在が一貴族の手にあることを問題提起。これにはアインズバードの方が譲歩する形で受け入れ、アリスはエルドラン伯爵家から出向という形で大聖堂に所属することとなった。
「ひとまず、お前は主神であるエルネスタを祀る戴世楼に主として所属することとなった。詳しいことは協議中だが、秩序の神の使徒として大聖堂で執り行われる数々の神事に関わることになる」
「ん、とりあえずお祈りとかすればいいのね。まふぁせて」
「これは決して悪いことではない。幸いにして、戴世楼はグランザロ侯爵の影響が強い。当初の目的どおり侯爵の派閥と友好関係を築くにはうってつけの環境だ」
「ふぅん」
「また、これを足がかりに直接は大聖堂に関わりが薄い貴族とも関係を深め、勢力の基盤を得る。年齢故に公式な社交の場としての夜会にはまだ出ないが、非公式な茶会やパーティーには今後出てもらう」
「うぅー、めんどふふぁいけどがんはふ」
「……ところで、なんだその大量の菓子は」
「んぐ?」
執務室に置かれた応接テーブルにはこれでもかとお菓子が並べられていて、ついでに眠気覚ましのコーヒー。会談から帰ってきたアインズバードをアリスが出迎えたときには、すでに執務室が不在だった当主の代わりに甘い香りで占拠されていた。
庇護者の呆れ顔を向けられて、アリスは頬張っていたクッキーを冷めたコーヒーで流し込んだ。
「シャーリィからお土産にもらったの。あの子専属のパティシエが作ったんだよ」
「シャーリィ……? ああ、シャルローゼのことか。多くないか?」
「私が何が好きかわからないから思いつくもの全部作らせてたんだって。それでこれはお茶会で食べなかった分。さすがお嬢様、やることが豪勢だよねー」
伯爵様も食べる? と一口サイズのカップケーキを差し出せば、呆れ顔が向けられた。
「お前は敵やもしれない相手のテリトリーにむざむざとつれていかれて、そこで出された食事に無警戒に口をつけたという訳か。毒を盛られていたら命はなかったぞ?」
「んー、大丈夫だよ? 毒が入ってたら味とか匂いでわかるし……あっ」
「ほう、興味深いな。毒の味を学ぶ機会があったとは初耳だ」
かつて魔王に立ち向かったものたちの中には、魔王の毒殺をはかったものも数多くいた。もちろん魔王に毒など効かないので無駄な努力に終わったのだが、おかげで自然と毒入り食べ物の判別ができるようになっていた。
そんなことは話せるわけもないのでそっぽを向いてだんまりの姿勢。こうなったら意地でも口を割らないと諦めたのか、アインズバードはこれ以上の追求はしてこなかった……代わりに毒の中には無味無臭の物や、一定回数摂取すると初めて効果を発揮するものもあるから気をつけろという忠告をした。
「念のため後で詳細な検査を行う、寝る前に私のところに来るように」
「はぁい……でもほんとに変なことは何もされてないと思うよ。シャーリィは私の味方だよ」
「……まあそうだろうな。コレを見る限りはこちらに敵対する意思は皆無だ」
「? 伯爵様何その紙?」
「シャルローゼからだ。会談の最中、控え室に待機させていたゴードンに彼女の使いが秘密裏に接触して渡してきた物だ」
読んでみろ、と差し出された分厚い紙束。おそらくシャルローゼ直筆だろうそれには、一神分派の内情や神兵計画の動向について知りうる限りの情報まで赤裸々に明かされていた。そしていずれは祖父が率いる一神分派とは決別して新たな勢力を築くという計画――そのときにはアリスに後ろ盾となってほしいという要請。
「うわ、すごいね……こんな大事なことばらしちゃって、シャーリィは大丈夫なの?」
「一神分派に対する内通だな。いくら重鎮の孫娘という立場であろうと、発覚したらただではすまないだろう」
「そんなに私に味方になってほしいのかな。天使だからって、何か特別なことができる訳でもないのに」
「お前は自分の肩書きを過小評価しすぎだ……だが察するに、今は信頼できる味方を一人でも求めているのだろうな。今のシャルローゼにも味方は数多くいるが、それらは多かれ少なかれ一神分派の息がかかっている者達だ」
「そっか、裏切るとなったらその人達に頼るわけにはいかないもんね」
いわば、今のシャルローゼは事実上敵地で孤立しているに等しい。秘匿されていた神託を流出させてでもアリスと接触する機会を作ったことといい、危険を冒してまでの内部事情の流出といい、信頼できる味方を欲するが故のなりふり構わない行動でもあったのだろう。
(……本気なのね、シャーリィ)
セティナを救い出し、やがては天使が再び帰ってこられる世界を作る。その夢にシャルローゼがかける覚悟を、アリスは改めて思い知るのだった。
諸事情により、次週の投稿はお休みします。次回の投稿は11/20を予定しています。
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