五十話 元聖女と聖女候補
「ええ、もちろんそのつもりですわ」
シャルローゼは迷い無く答えた。
「それって貴女のお爺さんにそう命じられたから?」
「いいえ、誰かに強制されるのでは無く、わたくしは自分の意志で聖女の位を欲します。たとえ候補にでなかったとしても……いえ、神託そのものがなかったとしても、いずれはその道を選んでいたはずでしょう」
「……随分と執着してるのね。いったい何のために?」
「人々の笑顔のために」
言葉は、落ち着いた声音とは裏腹に強い意志を秘めて。
「わたくし、よくお忍びで市井に出かけますから知っていますの。王都はとても恵まれていますわ。その日暮らしの孤児達ですら最低限食事には困らない、平民でも頑張ればわたくし達が口にするのと劣らない菓子を口に出来ますものね」
シャルローゼは紅茶のカップを持ち上げてみせる。お気に入りだという茶葉は、元はと言えば平民区画にあるカフェテリアで飲んで以来取り寄せるようになったという。
「アリスの生まれたケールの街もそうなのではなくて? ベルフの森の恵みがもたらす豊かさは、遠く離れたこの地でも名高いですわ」
「うん、小さいけどすごく豊かで良い街だよ。残念ながら両親を亡くしちゃった子達だっているけど、みんな幸せそうに暮らしている」
「よいことですね。では、北方の事情はご存じでしょうか? 五年前に起きた内乱の影響がまだ尾を引き、今でも飢餓に苦しむ民がいることはお聞きになられて?」
「……ううん。前に北方で内乱があったってのは知ってるけどそんなにひどかったってのは始めて聞いた」
少しばかりバツが悪そうなアリスを咎める様子は、シャルローゼには無い。代わりに世界で起きているいくつもの不穏な事情を語った。全て、アリスが知らない事だ。
「アリシエル様を始め、神代の偉大なる天使様方は人々の幸せを願い、数多の偉業を為しました。物語の中の彼女らは、わたくしのあこがれで……わたくしも、同じように誰かを笑顔にしたいのです」
「ふぅん、立派な夢だね」
ずっと、アリスはシャルローゼの胸の内を見ていた。そして理解した、この少女は本当に恵まれない人々の幸せを願っているのだろうと。であれば、かつてのシルヴィア以上に聖女というにふさわしい人物だろう。
だが同時に魂のゆらぎは雄弁に告げる――嘘では無いが、真実全てではないと。
「で、それだけじゃないんでしょう? まだ隠してる事無い?」
「あら、バレましたか」
シャルローゼは悪びれた様子も無く、アリスに隠し事はできませんからねと笑う。
「誤解なさらないでください。民を幸せにしたいというのは決して嘘でも方便でも無いのです。ただ、その先さらなる野望があるのですわ」
「それは?」
「ふふん、それはですね……遙か古代に世界から隠れられた天使達が、再び表に出てこられる世界にするのです!」
「あ、なんかそれシャーリィらしいね」
なんとも八歳の子供らしい願いだ。世界の平和や人々の幸福などといった壮大な夢を語られるよりも親近感を抱けた。
「人々からあらゆる悲しみや争いを除き、誰もが信仰のもと誠実に、笑顔で生きられる。そんな世の中になればきっと、今は人の世から隠れて生きられている天使様方もきっと表に出てこられる事でしょう。わたくしが聖女になった暁には、そんな世界を作るのです!」
「わー」
立ち上がってどや顔で宣言するシャルローゼに、とりあえずパチパチと拍手をするアリス。
(まあ、天使達が隠れたのって別に世界が悪くなったからじゃないけどね)
かつてクシャナから聞いた。天使達が姿を消したのは大天使アリシエルが引き起こした審判の日という事件が原因だと。だから世直しをしたからといって天使が戻ってくるとは限らないのだが、わざわざ少女の夢を壊すようなことは黙っておくことにして――
「……あれ?」
ふと、引っかかった。一般には天使はこの世からいなくなったと言われている。けれどシャルローゼは明確に人の世から隠れていると言っていて――
「……ってもしかしてシャーリィ、天使がまだ生きてること知ってるの!?」
「あら、その口ぶりですとやはり古の天使様方がまだ生きておられるというのは本当なのですね」
「……あっ!」
口を滑らせてしまったアリスに、シャルローゼは元々確信していた事実だったのだろう。余裕たっぷりにクスクスと笑った。
「知ったのは偶然ですわ。各地のおとぎ話や伝承を読んでいると、どうにも似たような特徴の牧童の娘が出てきます。エルフよりも長寿で、超常の力を振るう。まさかと思ってお爺さまに調べてもらえば……ええ、当たりでしたの」
「ねえ、待って。その天使ってもしかして」
「やはりアリスもご存じなのですね。ええ、名をセティナという天使様ですわ」
「――ッ!? 貴女が!」
セティナの存在を暴き出し、忌むべき神兵計画の原因を生み出した元凶。激情をすんでの所で押さえられたのは……シャルローゼの表情に浮かんだ後悔の色が見えたから。
「あの時、ナタリア様はわたくしに仰いました。天使様のことは教会が責任を持って保護するから安心して欲しいと……迂闊なことに、わたくしはその言葉を信じて全てあの方に任せてしまったのです」
シャルローゼは語る。自身が為したと公にされている数多の功績、その半分は実際にはセティナの存在を見つけ出したという、公に出来ない偉業の代わりにと与えられた架空のものだと……今にして思えば、それはセティナに関する権利をシャルローゼから買い上げる対価なのだろうと。
「保護なんて全くの嘘。今やセティナは非道な実験の材料にされていると。それを知ったのは今より半年ほど前でしたか、その時にはもう手遅れでしたわ。たかが何の実権も持たない小娘にはもはや止めることはできませんでした」
「半年前、ね……偽天馬が現れた時ね」
「れぷりさす……? ああ、もしかして被検体の白馬ですか。ええ、あの仔はわたくしがこっそり逃げる手伝いをしてあげたのですわ。最後にアリスに会えたのなら、せめてもの救いだったのでしょう……わたくしにはそれが精一杯なのです」
神兵計画は一神分派の者達、それもルードベルド伯爵とナタリアという二人の重鎮にとって重大な計画だ。それを警備をかいくぐって被検体の逃走の幇助をするとなれば、相当の綱渡りだったはずだ。
「世界をよくすれば天使様方は帰ってきてくださるのか、実のところわたくしにはわかりません……けれど、今このときにもし天使様が帰ってこられたのなら、再びセティナ様の二の舞になる事でしょう」
「……そうだね、私も一歩間違えていればそうなってたのかもしれない」
伯爵に助けられ、その権力の傘に守られてなければ。クシャナに出会い、力の使い方を取り戻すきっかけを得られなかったら。自分もきっと同じ道を辿っていたのだろう。
「そのような世界など許してはおけません。わたくしは聖女となって、この世界を変えてみせますわ……アリス、折り入って頼みがありますわたくしが聖女になるための後援をしていただけないでしょうか」
「私に? でももうシャーリィって最有力候補なんでしょ? 私の協力なんか無くても聖女になれるんじゃないの?」
「最有力とはいえ、候補は候補にすぎません。けれど裁定の神の遣いであるアリスがわたくしの後援となってくださればその座はきっと揺るがないものになるでしょう? どうか、わたくしの夢を叶える手伝いをして欲しいのです」
「そうね……」
アリスは考える。シャルローゼは頭も良く、優しい心の持ち主である事は間違いないようだ。それでいて、大胆とも言えるほどの行動力も供えている。
(……眩しいなぁ)
魔王として暴虐の限りを尽くしていた時、一度でも人々の幸せを願えただろうか。聖女として世界を救うために駆けずり回っていたとき、真に誰かの笑顔を願っていただろうか。
「きっとシャーリィみたいな子のことを人の上に立つべき器って言うんだろうね……でもごめんね、私は貴女には協力できない」
「……え?」
「だってさ、シャーリィの願いって全部、聖女にならなくても叶えられるんだもん」
世界を平和にする、セティナを助け出す、再び人と天使が手を取り合って暮らせる世界にする。全て、聖女で無くとも叶えられる願いだ。
「シャーリィの願いは立派だよ。叶えられるように私もできる限り協力する。だからね、聖女になんてなる必要は無いよ」
「……アリスはわかっていないのですね。世界はおとぎ話ではありません、願いがあるだけでは、ただ強いだけでは何一つ変えられないのです。この複雑に人々の思惑が絡みあった世界を変えようとするならば、それらをねじ伏せて従わせるだけの権力が必要なのですわ」
「随分と達観してるのね……」
「高位貴族の家に生まれれば、嫌でも見えてくる現実ですわ。特に大聖堂の中枢に足を踏み入れてしまえば……ね」
まるで政争に疲れ果てた老紳士のような、八歳の少女に似合わない皮肉気な笑み。
「確かに、わたくしは枢機卿の孫娘として、今やただの令嬢にはもったいないほどの権力があります。でもそれだけじゃ不十分。聖女という誰もを従わせられる絶対の地位こそが必要なのです……わかっていただけましたか」
「ごめん、それでも聖女になることに協力はできない」
「どうして!? まさか、貴女の庇護者に何か吹き込まれて……!」
「まぁ否定はしないけど。でもそれとは無関係だよ。これはただの私の我が儘だから」
聖女の座を獲れとアインズバードは言ったが、それに従うつもりは今でも無い。極論、見知らぬ誰が聖女になろうと知ったことでは無い。
ただ、拒むのは……この心優しい少女が悲しむ顔は見たくないと思ったから。
「ねえ、貴女は自分のために誰かを犠牲にすることが出来る?」
「……え?」
「聖女はね、決して何でも出来る万能の存在なんかじゃなかった。助けられなかった人達もたくさんいたし、世界を救うって使命のためにたくさんの人を犠牲にしてきたの」
やむを得ず救えなかった人達。理想に殉じて自分の元で命を落とした聖騎士達。そんな全てを、シルヴィアは仕方ないと割り切って進んできた。
そう思わないと、やっていけなかったから。
「そもそもさ、なんでこの平和な世界にまた聖女が必要になったのさ。間違いなく、お飾りのためなんかじゃないでしょ?」
「ええ、きっと今一度聖女という存在が必要となるほどの事態が起こるのでしょうね。それこそ、世界の滅びに匹敵するほどの」
「貴女には覚悟がある?。理不尽に押しつけられる運命に殉じて、あらゆるものを犠牲に進むその覚悟が。無残に積み上げられた仲間の屍を平然と踏み越えてでも世界を救う覚悟が」
「……ええ、もちろん覚悟していますわ」
シャルローゼははっきりと宣言した。けれど本人は気づいていない声の震えは。胸の内の魂がありありと映し出す本能的な恐怖の色は隠しきれていない。
きっとそれは普通のことなのだろうとアリスは思う。自分のために誰かを犠牲にする、自ら進んで犠牲となった数多の者達の命を背負って使命を果たす。きっと、普通の人間ならばいつかは心を壊してしまうのだろう。
魔王として生まれ、数多の命を平然と奪った――そんな自分ですら仕方ないと割り切らなければ耐えられなかったのだから。
「――ごめんね。やっぱり貴女を聖女には出来ないわ」
リアルが多忙気味のためやや投稿日時が不安定です。
とりあえず、次回の投稿は約一週間後を予定しています。
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