四十九話 シャルローゼⅡ
『これより先は関係者以外立ち入り禁止ですの。御使い様だけ来ていただきますわ』
騎士達と離されシャルローゼに引っ張られるがまま連れられたのは、大聖堂に三つある三神それぞれを祀る塔の中の一つ、フレイヤを象徴する創天楼。大聖堂の中心に堂々とそびえ立ち、王都の中で最も高く巨大なその姿はアリスにとっても印象深い場所だ。かつてこの塔の最上階全てが聖女シルヴィアのための部屋だった。聞けば、長いときが経った今でも当時のまま残されているという。
誰よりも高みから聖地を一望できるその立地は聖女という称号にふさわしい……とはいえ、実際に住んでた本人としては一々最上階まで階段を上らなければならないのは面倒以外の何物でも無かった。
そんなことを思い出しながら足を踏み入れたアリスは、シャルローゼに「こちらですわ」と示された方向を見て首をかしげた。かつて嫌というほど昇った階段とは反対方向だった。
不思議に思いつつも素直について行けば……その先に待ち構えていたものに驚いて口をぽかんと開けた。上階まで自動で上がってくれる昇降装置ができてたのだ。
「まさか、この塔にこんな便利なものが出来てたなんて……」
「行き来しやすくて便利ですわよね。お爺さまも大助かりだって言ってましたわ」
魔術具技術の粋を集めて作られたという、小さな部屋のような昇降装置。アリスには仕組みがさっぱりだが、シャルローゼの侍女クーナが小部屋の中央に設置された台を操作すると、部屋が一人でに浮き上がっていく。翼で飛ぶのとはまた違った浮遊感を感じてアリスはよろめいた。
創天楼は上層から順に重要な空間が配置されている。聖女の居住区域である不可侵の最上階から一つ下れば、神に特別な祈りを捧げるため『至聖の間』、そして枢機卿のみが立ち入りを許される円卓の間。
そしてその一つ下の階になんとシャルローゼ専用の私室があるという。本来は枢機卿やあるいは聖人と認められた者にだけ使うことが許され、決してただの司祭、それも幼い子供が占有して良い場所では無い。半年前に生誕の儀を執り行った功績を称えて――そして二代目聖女の最有力候補という立場を慮って――特別に与えられたのだという。
「実は、この階の部屋は結構余り気味なんですのよ。皆様大体は借り物の部屋などでは無く自分用の別邸がありますし、やはりここまで上がるのは手間ですからねぇ」
「へ、へえ……」
そんな裏事情を道中聞いているうちに目的の階層ににたどり着いた。ところどころ記憶と違う部分はあれど、やはり四百年前に見慣れた場所だ。
「あら、どちらへいかれますの?」
「へ? ……あ、ううん間違えちゃっただけ」
「もう、そちらは上階に続く階段ですわ。流石にその先はわたくしでも許可が無いと入れませんの」
つい、前世の癖で無意識に上階へ向かう階段に行きそうになったりもしつつ。アリスはシャルローゼの部屋にたどり着いた。
リビングルームと寝室が繋がった部屋は、やや古風のデザインで揃えられた格式高い家具と――なにより目を引くのは、本や羊皮紙の束が大量に収められたたくさんの本棚。そこだけ切り取ればまるでどこかの学者の部屋のようで、至る所に見える少女らしい花や小動物を象った小物が無ければ、部屋の主足る目の前の少女が場違いに思えるほどだ。
シャルローゼは侍女にお茶の準備を命じて、アリスを応接テーブルの席へと勧めた。当たり前のようにアリスを上座へ案内し、自身は下座に座る。
「では、改めまして……聖地クラビスへようこそおいでくださいました。わたくしはシャルローゼと申します。大聖堂にて司祭の位を戴いております。いまだ浅学非才の身なれど、お見知りおきいただければ幸いですわ」
「ケールの街のアリスよ。木工士ロナルドと裁縫士ミーネの娘で……一応、エルネスタの天使なんてやってる」
「よく存じあげております。それにしても、かの偉大なる秩序の神を呼び捨てとは。さすがは御使い様ですわね。お見それしますわ」
「……ねえ、その御使い様って呼び方変えられないかな?」
「へ? し、失礼いたしました! 御身をご不快にさせてしまったのならこの命をもって償いを……」
「そんなことされても困るからね!? ううん、別に嫌というわけじゃ無いの」
御使い様というのは天使を指す古い言葉で、特に天使に対する強い信仰と敬意の念が込められた呼び名だ。その呼び名自体には何も思うところは無い。
ただ、リチャードの様にいかにも臣下然とした態度の騎士にならともかく、同い年の少女にそう呼ばれるのはどことなくむずがゆかった。
「私のことはアリスでいいよ。様付けもいらないから」
どうにも目の前の少女からは警戒心を感じないせいか、アリスはそんな何気ない気持ちで言う。するとどうしたことか、シャルローゼは目に見えて動揺した。
「そそそ、そんな畏れ多いです!? いと尊き存在であらせられる御使い様を呼び捨てだなんてそんな……!」
「……へ?」
「ああでも御使い様ご本人に命じられたのならわたくしには拒否する権利などございませんわ! では、ああ、ア、アリスとお呼びしても!?」
「あ、うんそれでいいよ……?」
興奮して鼻息荒く、机に身を乗り出すシャルローゼ。なんだろう、思ってた反応と違う。
「で、では……アリス! わたくしのことはシャル……いえ! シャーリィとお呼びくださいませ! アリスだけの特別な呼び名です!」
「えっと……シャーリィ?」
「はぅあっ!?」
シャルローゼは恍惚とした表情のまま胸を押さえて固まった。アリスは心配になって目の前でひらひらと手を振ってみた。反応が無い。首をかしげていると、ちょうど紅茶のカップを運んできたクーナが主の様子を見て苦笑した。
「すみません、アリス様。きっとすぐに目を覚ましますので」
「クーナさん、だっけ? シャーリィどうしちゃったの……?」
「特別な愛称で呼んでもらえて幸せが過ぎたのですよ。お嬢様はずっとアリス様に憧れておいでですから」
「私に?」
「ええ。お嬢様は天使様が出てくる物語が大変お好きで、特にあの謎多き天使アリシエル様に強く魅了されておられるのですよ。アリス様はその生まれ変わりであられるのですから、お嬢様にとっては遙か古代の偉人に出会えたような心地なのです」
あちらをご覧ください、とクーナに指し示されたのは少女の部屋にあるには違和感のある巨大な本棚。見れば、その中に収められているのは全て天使が出てくる物語が書かれた本だった。きっと世に出回っている物語が全て集められているのではないだろうか。
とはいえ他の数多の天使ならともかく、アリシエルについては聖典にすら『神エルネスタに仕え、身を賭して世界に秩序と平和をもたらした、最も偉大なる天使』という一文が唯一にして全ての記述であるほど謎に包まれている。それを疑問に感じて尋ねれば、なんとシャルローゼは各地の伝承や古代の資料を集めては自ら解読してアリシエルに関する情報を探しているらしい。まだ子供なのにすごい行動力だと、アリスは感心するのだった。
「――すみません、お見苦しい姿をお見せしてしまいましたわ。あら? それは……」
「おはようシャーリィ。ごめんね、貴女の書いたノート勝手に読んじゃって」
シャルローゼが復活するまでの時間つぶしにと、クーナの勧めでアリスは彼女が古い資料を解読して書き記したノートを読んでいた。
「もちろんかまいませんわ。むしろ、アリスには是非見て欲しかったのですから。もしかしたら、その中にはアリスも知らない事が多いのではなくて?」
「うん、多いどころか全部はじめて知ることだよ」
シャルローゼが見つけ出したといいうアリシエルについての伝承は、特に重要なことは書かれてない。どこの地を訪れたとか、何を食べたとかその程度だ。それでも極めて貴重な資料であることは間違いないし、アリスにとっても自分の先代について少しでも知ることができるのは嬉しかった。
「……うん、ほんとすごい。これって古語を解読したんでしょ? 読める人はもう全然いないんじゃなかった?」
「たいしたことではありませんわ。いろんな資料と今の言葉を見比べて共通点を探し出せば、なんとなく何が書かれているかわかりますから」
「ほへー」
アリスも決して頭が悪いというわけでは無いが、難解な古語を解読しろと言われれば無理だ。それを(肉体的に)同い年の少女が軽々こなしているのは驚異的な話だ。
(きっと、こういうのを天才っていうのかしらね)
「……あ、そうだ! 是非アリスに見てほしいものがあるのです!」
「んゅ?」
「裁定の天秤に隠された誰も知らない秘密ですわ。実は、一時的に天秤の機能を停止する方法があったのです!」
「へ!?」
元聖女も初耳だ。シャルローゼは引き出しに厳重に仕舞われた一枚の紙を出して、「わたくし達だけの秘密ですわ」とアリスに見せた。
「つい先日、天秤を作った魔道具技師グレゴスが書き残した日記を解読してわかったのです。天秤にとある操作をすると、ウソを見抜いても反応しないように設定できるのですわ」
「そ、そうだったんだ……ってなんのためにそんな機能が?」
「グレゴスに天秤を作らせた神官がこっそり命じたようですわ。いつの時代にも悪いことを考える人はいるのですね」
そういえば、とアリスは思い出す。礼拝堂でシャルローゼは天秤を触っていたが。
「もしかしてあの時にも?」
「ええ、実際にやるのは初めてでしたが上手くできてよかったですわ。我ながら少々露骨だったかと思いましたが、意外ときづかれないものですわねー」
とんでもないことをしているはずなのに、のほほんと笑うシャルローゼ。華奢な見た目によらずかなり神経が図太いらしい。
「じゃあ、外で起こっている騒ぎはやっぱり貴女の手引きだったのね」
「もちろんですわ。ああ。証拠が残るようなやりかたはしていないので安心してくださいませ。天秤が機能しない限りはわたくしの手引きだと立証はできないはずですわ」
「なんのために、そんな危険なことを? もしバレたらただでは済まないんでしょ?」
「もちろんアリスを助け出して、こうしてお話しするためですわ。わたくし、ずっとアリスとお話ししたかったのですから」
「そう……」
即座に返される答えは決して嘘では無い。魂の動きを覗き見ずとも、シャルローゼの様子を見れば一目瞭然だ。
「でもちょうどよかった。私も、貴女に聞きたいことがあったの」
「そうだったのですか? なんでもお聞きくださいませ」
だからそのことに疑いは無い。それでも、明らかにしておかなければならないのは。
「シャーリィ、貴女は……本当に二代目聖女になりたいの?」
来週多忙につき、次回の投稿は少し遅れるかもしれません。とりあえず10/21を予定しています。
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