四十八話 シャルローゼⅠ
「あら? よく見れば御使い様にお茶の一つもお出ししてないじゃないですか。遠路はるばるお越しくださったというのに、枢機卿のおじいさま方も気が利かないことで」
何人もの付き人を引き連れて現れたのは、新雪のような白い髪を緩く巻いた紅い目の少女。目線の高さは、小柄なアリスよりも僅かに高い程度。身につけているのは司祭の位を示す、恐らく最上級の布地で織られた法衣。
目が合うと、友好的な微笑みが向けられた。初めて会う相手だが、その顔にはどこかルードベルド伯爵の面影が感じられた。
少女はアリスの目の前で、法衣の裾が汚れることも厭わず両膝をついた。瞬間、ざわめき出す貴族達。
「お初にお目にかかりますわ、御使い様。わたくしはルードベルト伯爵家現当主ザムエルが第三子、枢機卿ユストゥスが孫娘、名をシャルローゼと申します。以後お見知りおきをお願いいたしますわ」
「そう、貴女が……」
二代目聖女の最有力候補。その言外の含みが伝わったのだろう、立ち上がったシャルローゼは意味深に微笑んだ。
(どうしてここに?)
事前にアインズバードから聞かされた中にはいなかった名前だ。そして他の参列者達もそれは同じだったのだろう、シャルローゼが現れたことに驚いているようで――意外だったのは血縁者であるはずのルードベルド伯爵も、目を丸くしていること。
「これこれ、シャルよ。来てはいかんぞ、帰りなさい」
「お爺さま、だって待ちくたびれたのですもの。せっかく御使い様が来てくださってるのにお預けなんて酷いですわ」
「まだ一刻もたっておらんではないか」
「一刻では無く半年ですわ。本当ならばわたくし自らケールまでお迎えにあがりたかったのを、ここまでがまんしたのですからねっ」
シャルローゼを叱るルードベルド伯爵の魂を目をこらして見通せば、そこには確かな揺らぎが感じられた。シャルローゼが現れた事に本心から驚いているようだ。
(彼の差し金では無いって事?)
アリスが困惑していると、隣に何者かが音も無く跪いた。シャルローゼと共に現れた侍女だ。
「突然の非礼をお詫びします。この場は我が主にお任せいただけないでしょうか」
「……貴女達は味方なの?」
「そう信じていただければ。我が主に貴女様を害する意志はございません」
アリスが悩んでいると、屈んだアインズバードが耳元で「ここは様子を見よう」と囁いた。
「あの娘がルードベルド伯爵の思惑とは独立して動いていることは明らかだ。こちらに利する可能性が高いと見える」
「うん……私も、あの子からは嫌な感情を感じない」
アリスがシャルローゼをじっと見つめると、その視線に気づいて再び微笑み返される。その胸に宿る魂を見ても不快な色は感じない。
「わかったわ、貴女達に任せる」
「ありがとうございます」
侍女は微笑んで、シャルローゼの側に戻った。その間にもルードベルド伯爵は孫娘の叱責を諦めたようで――というよりも、真面目に咎める気が無かったようで――「困った孫だわい」と苦笑して引き下がった。代わりにグランザロ侯爵がシャルローゼに咎める視線を向けた。
「シャルローゼ嬢、今すぐ出て行きたまえ」
「ごきげんよう枢機卿グランザロ様。お会いするのは先日の聖誕祭以来でしょうか? あれからお変わり無きようで」
「聞こえなかったのか。今は重要な審問の最中だ、すぐに退出したまえ」
「もちろん聞こえておりますし、これが重要な審問ということも理解していますわ……そしてナタリア様方、一神分派の皆様がどんな企みをしてらっしゃるのかも。その上でこうしてしっかりと邪魔をしに来ましたの。グランザロ様なら歓迎してくださると思っていたのですが」
「……なんにせよ、だ。これ以上神聖な場を荒らすとなれば、いかにシャルローゼ嬢といえどただでは済まされないぞ」
「あら、それは困りますわね。お叱りを受ける前に、わたくしはお部屋に戻らせていただきますわ――こちらの御使い様を連れて」
「へっ!?」
シャルローゼはするりと自然な動作でアリスの腕を取り、引っ張る。彼女に任せていれば上手く言いくるめでもしてくれるのだろうかと、すっかり傍観者気分でいたアリスは突然引っ張られて困惑気味によろめいた。
「……おや、それは僕には聞き捨てならないことですね」
アリスを連れて行く、その一言に待ったをかけたのはレスター子爵だ。
「ご機嫌麗しゅう、シャルローゼ嬢」
「あらごきげんよう、レスター様。ご領地での公務はつつがなく終わられたのでして?」
「ええ、我が領の誇る水の都アクトルより、十日前にはるばる舞い戻って参りました。聖地に咲いた貴女という雪花へ、このような場での帰還の報せとなりましたことどうかご容赦を。そしてこのような聖なる場で御拝顔させていただく幸運を神に感謝いたしましょう」
「ふふ、相変わらず口がお上手ですのね。構いません、お忙しくなされてる話はお爺さまより聞いていますから」
シャルローゼ自身は貴族としてはあくまでも実権を持たない、ただの伯爵家の令嬢。しかし有力な枢機卿の孫娘という立場に加え、本人も物心のついた幼い頃から教会の聖務に携わって既に多くの実績を築き上げ、二年前には史上最年少で司祭となった。それでいて容姿、器量共に良く、民からも好かれている。
(確か、王都の三年祭で今年の聖誕の儀を行ったのも彼女だって話だったかしら)
幼いながら、将来の枢機卿の地位は確実。そのような事情からか、実権以上に貴族達は彼女に敬意を払っているようだ。
「さて、麗しきシャルローゼ公女。この場に貴女様が来てくださったのは望外のお導きでしょう。是非とも貴女様にも僕の話を聞いていただきたく――」
「お断りいたしますわ」
「……へ?」
「誤解無きよう、レスター様が何を仰られるのかもわたくしご存じですのよ。その上で言ったではないですか……これは茶番だと」
シャルローゼは口元を手で覆いクスクスと笑う。レスター子爵を見上げて向けられるのは、軽蔑の視線だ。
「レスター様はお芝居がお上手ですもの、きっと御使い様も十分お楽しみになられたことでしょう。もう道化師は舞台から降りる時間ですわ」
「……なるほど、シャルローゼ公女はたった今来られたばかりですから見ておられなかったのでしょうな。僕の言葉が道化師の戯れ言では無く真実である事は、天秤が証明してくれているのですよ。そうだろう、審問官よ」
「え、ええ……確かにこの審問の間、天秤は一度も傾いておりません。レスター子爵の言にも一定の正当性があるということに……いえ私にも信じがたいのですが、あるということになってしまいます……あ、ちょっと、シャルローゼ様!?」
審問官の制止する声も聞かず、アリスの腕を放したシャルローゼは侍女と共にスタスタと歩いて天秤に向かった。侍女が台から降ろした天秤を触ったり指で弾いたりして、どうやら検分しているようだ。
「どうやら天秤は正しく本物、決して壊れてもいないようですね。クーナ、もう戻して結構ですわ」
天秤が元の位置に戻され、壊されないかと蒼白の表情で見ていた審問官の男は安堵のため息をついた。
「これはこれは、わざわざお手間をかけていただき至極恐悦です。女神に愛されし貴女様に保証していただけたなら、もはや疑いようのないことでしょう」
勝ち誇った笑みを浮かべるレスター子爵に、シャルローゼもにっこりと微笑み返し。
「で、それがどうかいたしましたの?」
それをばっさりと切り捨てた。アリスの隣に戻ったシャルローゼは再び腕を組んだ。
「こちらの御方はあらゆる理を裁定する神が遣わされた天使ですのよ? そのお言葉に何の道理が勝ることがあるでしょうか。全く、枢機卿のお爺さま方が六人も揃ってそのようなこともわからないのです?」
シャルローゼの責めるような目がぐるりと向けられ、いかに将来を有力視されているとはいえ、ただの貴族令嬢でしか無い少女が言い放った直裁的な批判の言葉に誰もが困惑していた。
その中で最初に行動を見せたのは……ルードベルド伯爵。
「ほっほっほ、確かに孫娘の言うとおりですな」
「猊下!?」
「いかに神の祝福が授けられた天秤と言えど所詮はただの道具。対してこちらは神意を司る遣いそのもの。なるほど一信徒として、どちらに正当性があると判じるかなど自明の理でしたな」
飄々と、それまでの自身の企てをひっくり返すようなルードベルド伯爵の言葉に、一神分派の貴族達に動揺が広がった。
「あら、お爺さま。企みとやらはよろしいので?」
「もう十分、あの女狐の書いた筋書きには乗ってやったからの……それに、何やらそれどころじゃ無さそうだしの?」
「――し、失礼します、緊急です!」
大聖堂の門を守る聖堂騎士が、焦った形相で駆け込んできた。開け放たれた扉の外からにわかに聞こえてくるのは、大勢の人々が集い騒ぐ声。
「何事だ! 外で何が起きている!」
「はっ、枢機卿グランザロ猊下! それが、王都中の民が大聖堂の前に押しかけています! 今はまだ秩序だっていますが、このままでは暴動に発展する恐れが!」
「なんだと!? まさか、天使がここに来ていることがどこかから漏れたというのか?」
「いえそれが……不可解ながら、民衆は一様に二代目聖女などと口走っておりまして」
「……何!?」
「『一年前にフレイヤ様より神託があり、二代目の聖女が選ばれることとなった』、そのような内容の噂が今朝急速に広まったようで、その説明と真相を求めて押しかけているようです!」
二代目の聖女の出現を示唆する一年前の神託。大聖堂の上層部で秘匿されているそれを報告に上がった騎士は知らないようで、あくまで困惑している。一方でこの場に集ったその上層部に当たる教会貴族達はざわめきだす。どこから話が漏れたのだ、と。
「――あら、なにやらお爺さま方が秘密にしていた話が漏れてしまったようですね? お早く対処しないと大変なことになるのでは?」
その中で、同じく神託を知る者の一人であるシャルローゼは、平然とクスクスと笑っていた。
「不思議なことですが、隠し事というのはいつかあばかれてしまうのが自然の摂理。きっと今日がその時だったのでしょうね」
「シャルローゼ嬢、まさか……これは重大な責任問題だぞ! いかに其方とは言えど許されることでは……」
「わたくしがばらしたと仰るのでしょうか? ……ではお爺さま方が信じる天秤の前で宣誓いたしましょうか。この騒ぎにわたくしは関わっておりませんし、ましてや神託も二代目聖女の件も、誓って外に漏らすような手引きをわたくしはしておりませんもの。ええ、わたくしは無関係だときっぱり言い切りますわ」
状況からして、シャルローゼが関わっていることは明らか……しかし、天秤はシャルローゼの言葉に一切反応しない。どういうことだと困惑が広がる。
「審問官様、わたくしは一切の誤解無きよう天秤に誓いました。これでわたくしの嫌疑は晴れたと言って良いのですよね?」
「は!? え、ええっと……はい、その、確かにシャルローゼ様の言葉は真実であるようで……いえ、しかし……」
「エルネスタ様の名の下に公平と誠実さに奉じる審問官様に保証いただけて、安心しましたわ」
審問官も疑惑に思うところがあるようで、訝しげに天秤を検分し、しかし正常に動作していることに首をかしげて唸る。
「けどどうしましょう、このままもし暴動になってしまえば大事な御使い様の身に危険が及んでしまいますわ。すぐに安全な場所へお連れいたしませんと。ね、御使い様?」
「へ? あ、うん……」
「これから忙しくなるお爺さま方に変わり、御使い様の身はこのシャルローゼがお守りさせていただきますわ……二代目聖女として責任をもって、ね」
では、私の部屋へとお連れしますわ――シャルローゼは腕を組んだアリスをやや強引に引っ張っていくのだった。
次回の投稿は10/14を予定しています。
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