四十七話 聖女候補Ⅳ
「審問の議題は少女アリスが真に神エルネスタ様が遣わされた天使であるかについて。なお、開審にあたり本来ならば福音司祭以上の三名による宣誓を要するものですが、今回は特例により省略されます。審問により真であると認定されたならば、続いて大聖堂の名の下にその聖認を……」
「その前に、一つよろしいだろうか」
最初に動いたのは庇護者のアインズバードだ。進行の邪魔をするなという抗議の視線を無視して続ける。
「審問官よ、私の理解が正しいのなら、聖認を与えるとは『神の名の下に、大聖堂が聖人として認定する』とされる。違うかね?」
「ええ、その通りです。それが何か問題でしょうか」
「そして聖人とは神と大聖堂に奉仕する者という……ほう、面白い! 即ちそちらは、天使は大聖堂の下につくべきと考えていることに他ならない!」
「へえ、それは面白い事を聞いたわね?」
芝居がかった庇護者に合わせて、アリスは冷笑を浮かべて首をかしげる。
「私は主神エルネスタによりこの世界に遣わされた天使、いわば神意の代弁者そのものよ。貴方たちはたかが大聖堂とか言う人の集まりが、神意を従属させるに足ると、そう考えているというわけね?」
「そ、それは……」
威圧を兼ねた糾弾は、勿論アインズバードと事前に打ち合わせたシナリオ通りだ。聖認などという相手にとって都合の良いシステムを受け入れてしまえば、それを根拠に大聖堂はアリスに従属を迫る。まずはそれを覆す必要があった。
審問官の男はしどろもどろになりながら、反論の論拠を求めて法典のページを捲る……そこへ、「待たれよ」と制止する低い声――動き出したのは、グランザロ侯爵だ。
「エルドランが言った聖認の定義などたかが慣例的なものだ。原義によれば聖認とは大聖堂が事実を見定め、神の名の下に真実と保証することに他ならない。神意に従属を求めるような意志はこちらにないことを枢機卿レオンハルト・グランザロの名において宣言しよう」
「そもそも、私は貴方たちの保証なんて別に求めてないんだけど?」
「世界に存在する全ての信徒を代表して、この時代に新たに遣わされた神意の存在を確かめる。その義務が大聖堂にはあることを理解したまえ」
「……まあいいでしょう」
必要な言葉は引き出せた。アリスが庇護者の顔を仰ぎ見れば、小さな頷きが返される。
これ以上はグランザロ侯爵の心証を悪くする理由は無い。アリスが大人しく引き下がり、アインズバードが審問の邪魔をした非礼を詫びれば、ウィッタリア伯爵のぎょろりとした目がルードベルド伯爵を捉えた。
「全くくだらない議論に付き合わせおって。女神狂いの、今日の場の責任者はおぬしであろう、こういうのは事前に徹底しとけい」
「ふむ、何やら重大な行き違いが起こっていたようで申し訳ない。謝罪の意と共に、訂正させていただこう。審問官よ、グランザロ猊下のおっしゃられた通りに」
「は、はい仰せのままに!」
糾弾されて、ルードベルド伯爵はあっさりとアリス達の主張を受け入れる……向こうとしても重要視はしていなかったということか。
グランザロ侯爵の本心は読み取れないが、曲者のウィッタリア伯爵がルードベルド伯爵を糾弾する姿勢を見せたのは大きな収穫だ。少なくとも、アリスに対して悪感情は抱いていないようだ。
審問官の男は再び審問の開始を宣言する――審問とは名ばかりで、『少女アリスは真に神エルネスタが使わした天使か』という議題に対し、集った六人の枢機卿は即決かつ満場一致で『異議なし』という答えを出した。
(……私が本当に天使なのかを問題にする気は無いようね)
こうして実物を目にするのは初めてとは言え、それぐらいは向こうも既に裏付けを得ていると言うことか。天使である証を示せと言われても、背中の翼以外にそれといって証明する方法が無いアリスには助かる流れだった。
「は、えっと満場一致で異議なしと言うことで……しかし、審問は」
「儂は以前にかの天使を直接通じて神意の存在を確かに感じ取った。もはや議論を交わす必要など無い」
「同じくこの娘が神意を司っている事に対し、異を唱えるつもりはない……これほど見事な翼を見れば、疑いようがあるかね?」
狼狽する審問官に、ほぼ同時にルードベルド伯爵とグランザロ伯爵が、更に続いて他残りの枢機卿が各々本心かどうか読み取れない意見をぶつける。最後にウィッタリア伯爵が「うだうだと見苦しい、とっとと進めんかい」と、これは恐らく本心らしき苦情をぶつけた。
「……で、では。少女アリスは真に神エルネスタが遣わした天使である事が、ただいまこのときをもって証されました。枢機卿の過半数の同意を持って本審問は神意が成ったとみなし、これにて――」
「お待ちいただきたい、審問官殿! まだ証すべき真実は残っている!」
(……きた)
ここまでの流れは、所詮名目を満たすための予定調和――ここからが、本当の戦いだ。
演劇のような仰々しい身振り手振りで出てきたのは、ウェーブの金髪をなびかせる貴公子。
「神前での無礼のほどどうかご容赦願いたい! しかしこのレスターには是非ともこの場で申し立てねばならないのです。天使アリスは、僕の生き別れた娘であると!」
「レスター子爵、またそのような妄言を! 平時ならともかく神前を荒らすのであれば……」
「良い、好きにさせておけ」
「グランザロ猊下!?」
いきり立つ審問官といつでも制止できるよう剣に手をかけた聖堂騎士達を、対立派閥であるはずのグランザロ侯爵は止める。
「三神の御前で証立てたいと言うのだ、皆を納得させられるだけの相応の自信があるのだろう。そうだろう、枢機卿ルードベルドよ」
「はて、この老いぼれにはなんのことやら。しかし天使の親であるというのは聞き捨てならない話ですな。ここは一つ、彼の話を聞いてみようではないか」
白々しくとぼけるルードベルド伯爵に、残る四人の枢機卿は冷たい目を向けながらも静観の姿勢をとることにしたようだ。アリスの傍らに立っていたアインズバードは、目配せを一つしてアリスの後ろに下がった。この場は一人で切り抜けて見せろと言うことだ。
「猊下よ、寛大なお心遣い感謝いたします。ああ審問官殿、『裁定の天秤』を出して戴きたい。是非とも僕の言葉一字一句が神に誓って真であると証明したまえ!」
『裁定の天秤』とは神代より大聖堂に伝わるエルネスタの祝福がかけられた神具であり、対象の発言の嘘に反応して天秤を傾けるという。
聖女だった時に自ら執り行った審問で、シルヴィアは一度だけこの神具を使ったことがあった。それ故に、その効果が正しく本物であると知っている。正真正銘真実暴く神具が、審問官の手によって起動され、天秤が淡く光を放った。それを合図として、レスター子爵が芝居がかった仕草で両手を広げた。
「ああ、お前はきっと八年前に生まれてすぐ生き別れた我が娘に違いなく――」
「違う。私は貴方の娘なんかじゃない。適当なこと言わないで」
「しかし、お前のそのアッシュブロンドの髪と青い瞳は生き別れた娘と同じ特徴なのだ! どうか今一度、僕の目をしかと見て欲しい。そうすればきっとわかってくれるはずだ」
「なんども同じ事を言わせないで。貴方の妄言に付き合っている暇なんて無いの」
まるで気が狂っているとしか思えないようなレスター子爵の演説。聴衆のどこからか、次第に嘲るような笑い声が漏れ聞こえてくる。
しかし不思議なことに、裁定の天秤は反応せずレスター子爵の言葉が真実であると示している。
天秤が暴くのはあくまでも明確に虚偽を述べたのみ。曖昧な供述は見逃してしまうと言う欠点もあり、言い回しを変えるだけでいくらでも回避できてしまうものだ。
(どうやら生き別れた娘がいるってのは本当みたいかしら? ……まあ所詮その程度ね)
天秤の判断を回避する方法など、この場に集った者達には公然の秘密。相変わらず誰一人としてレスター子爵の味方をしようとする者はおらず、公正に判ずるべき審問官の男ですら冷ややかな目を向けている有様だ。
ここまで自信ありげに出てきて一体どんな手を出してくるかと思えば。また何度も繰り返される、表現を変えただけの主張を聞き流すアリスはもううんざりだとため息をついた。それを聞いたレスター子爵は顔を手で覆い天を仰いだ。
「おおなんということだ! か弱い子羊は悪しき者達の謀略に陥り、全くの赤の他人を両親だと血の繋がった両親だと思い込まされているのだろうか!」
「……何?」
「確か木工士のロナルドと裁縫士のミーネだったであろうか。君は、君自身は彼らが本当に実の親だと証明できるのかい? 彼らに、そしてベイルーク司祭や街の者全員に嘘を吹き込まれている。その可能性を確信を持って否定できるのかい?」
「それは……」
勿論、否定できる。転生者であるアリスは生まれたその瞬間から明確な自我があったから、その記憶から二人が実の親だと証明できる。
とはいえそれを証明すれば必然的に自分の秘密も明かすことになり、決して言える事では無い。
「……じゃあ逆に聞くけど、そういう貴方は何か証拠でも出せるのかしら? 自分の主張に証拠を出せないのは貴方も同じでしょう? 結局は妄言に過ぎないわ」
出来るわけが無い。そう言外に含んだアリスの反撃に――レスター子爵はニヤリと笑った。
「では、僕の言葉を裏付ける根拠をお見せしよう」
「へ?」
「こちらをご覧あれ!」
そう言って、レスター子爵が胸元から取り出したのは……白く輝く羽。
「……ッ!」
「皆様方もしかと目に焼き付けて欲しい。しかしご老輩の閣下ら猊下らにおかれましてはこの上なく見えづらきこと、どうか許して戴きたい。何故ならこの小さな……とてもとても小さな羽は、生まれてすぐの赤子の身体から採られた天使の羽なのだから!」
レスター子爵が高々と掲げた羽は、子供の手の平にも収まりそうなほど小さなものだ……生後間もないアリスの羽がそうであったように。
(まさか……!)
羽に目をこらせばうっすらと感じ取れる……セティナの魂。勿論セティナは千年以上を生きた天使で、幼少期の羽が今更出てくる筈が無い。
きっとあれは神兵計画の副産物だ。恐らく生まれたばかりの赤子を試作品の材料にしたか。
貴族達の間にざわめきが広がる。
「この場に集う皆様方には言うまでもないことでしょう。今や世界に天使はいない……ましてや赤子の天使など、聖典に記された神代の時代にすらいなかった。ただアリスという唯一の例外を除いては! ……さて、ここまで言えばもうおわかりですね?」
「違う。あれは私の羽じゃない」
「では逆に問おう、この羽は誰のものだい。まさか知られざる赤子の天使が他にいて、その者が残した貴重な羽が、永い時を超えて偶然に僕の手に渡った。そのような奇跡が起こったと言いたいのかい?」
天使は神代に起きた『審判の日』を境として、人間に存在を知られることを自ら禁じた。
アリスにはその制約に従う理由は無いが、それでも今も正体を隠して動いている親友クシャナの意を汲めば、破るわけにはいかない
そしてレスター子爵はその制約のことをセティナを通じて知ったのだろう。口をつぐむアリスに、勝ち誇ったような笑みを向けた。
「失礼、レスター様。その羽は本当に……?」
「審問官殿、良い質問だね。真実誓って答えよう。これは僕がこの手で赤子の翼から抜いた、正真正銘の天使の翼だ。巷で出回っているような贋作などでは無い」
審問官は依然としてレスター子爵の主張を信じていない。それ故に一切反応を示さない天秤に動揺を隠せなかった。動揺は観衆の貴族達にも伝わり、中には「まさか本当に……?」などと呟く者も出る始末。
動揺の中、手を叩いて注目を集めた者が一人……ルードベルド伯爵だ。
「これはこれはどうしたことか、黙って見守っていれば全く不可思議な話ですな。天秤は、どちらの主張も真であると告げている……どうやらこの騒動は、天使殿の身の上以上に重要な問題を孕んでいる様に見える」
「じゅ、重要な問題ですか?」
「天使殿はバード……エルドラン伯爵家の庇護を受けているが、これは天使殿が彼の領民であるからこそに正当性が認められる。しかしレスター子爵の主張が正しいとすれば話は変わる。彼には天使殿を庇護する正当性が無くなるどころか、他領主の縁者、すなわち他領の財産を不当にせしめた罪人ということなる。さて審問官殿、この場合どちらに正当性があると認められるのかね?」
審判を急かす問いに、未だ動揺に陥っている審問官は即座に答えられない。
「ふーむ、どうやら極めて判断が難しい問題のようだ。では質問を変えよう。財産の所有権を巡る争いにおいて決着がつかなかった。この場合、王国法ではどの様に処するのだね?」
「それは……」
王国法は聖女が建国の時に定めた法律だ。それ故に覚えて居るアリスは、審問官よりも速く諳んじてみせた。
「正当な所有者の認められない財産は、王家、あるいは大聖堂の管理下に置かれるものとする。王国法第二十七条四項だったかしら」
「おや流石天使殿。幼い身ながら博識ですな」
「……読めてきたわ。それが、貴方たちの目的なのね」
アリスの身柄に対してエルドラン伯爵が関与する正当性、そのものを攻撃する。それがこの茶番が仕組まれた真の狙いだった。
「なんのことやらわかりませんが……さて、通例では王家の管理下におかれるものですが天使という事情を考えると、その役割は我らが大聖堂が担うのが妥当と思われるが。審問官殿はいかがお考えですかな?」
「それは……しかしグランザロ猊下も仰った通り大聖堂は決して天使を従属させるようなことは」
「勘違い為されぬよう、あくまで従属では無く保護だよ。幼い身ではるばる異郷の地までやってきたのだ、保護者は必要であろう?」
(……どうする? いっそセティナのことを明かす? それか……)
いっそのこと多少の実力行使に出るか……けど故郷で待つ両親や、何より共に王都に来ている親友の身の安全のことを考えれば避けたいことだ。
とはいえ真実はこちらにある以上、まだ有利な状況にあるのは間違いない。状況を見かねただろうアインズバードが動き出す気配がした。もう役割としては十分こなしただろう。いい加減面倒くさくなってきたアリスは、大人しく場の主役をアインズバードに譲ろうとして。
「失礼、審問官殿。レスター子爵の主張には看過できない問題が」
「――あら、まだこんな茶番続けてますの?」
被せるように、鈴と鳴るような少女の声が響いた。
次回の投稿は一週間後を予定していますが、少しスケジュールが不安定になるかも知れません。
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