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五話 召喚状

 まずは落ち着いて話が出来る場所へ。そう促され入った家のダイニングで、カルトロはアリスに翼を見せて欲しいと頼む。


「これでいい?」

「――確認した、協力感謝する……まだ信じがたいが、本当に天使であるのだな」

「それで、私に何の用? お腹すいたんだけど」

「夕食時に邪魔をしてしまったことはすまない。しかし、これは極めて重要な話だ……こちらを」

「手紙?」


 大聖堂のシンボル入りの封蝋がされた手紙。中身をアリスが見るより前に、カルトロがその内容を要約して伝えた。

 

 『天使アリスは聖女の祝福を受けし王国へ三神が使わした存在であり、司教ベイルーク、ならびに平民ミーネと平民ロナルドは此れを不当に簒奪した重罪人である。直ちに正当な所有者である大聖堂へ返還せよ』。


 そのような主張を聞かされたアリスは、困惑を隠せなかった。


「……なにそれ。面白い冗談なの」

「冗談でも無く、これは大聖堂の正式な見解である。二人には、大聖堂より簒奪した天使の返還に大人しく応じれば不問に――」

「ふざけるな! アリスは俺達の子だぞ!」

 

 怒りに打ち震えたロナルドの拳がテーブルに叩きつけられる。ミーネも咄嗟にアリスを守るように抱え上げた。


「そんなでたらめな話、誰が応じられるか! さっさと帰ってくれ!」

「ええ、この子は渡さないわ! 大事な娘よ、奪われてたまるもんですか……!」

「繰り返すがこれは大聖堂が下した正式な勧告、それも枢機卿であらせられるルードベルド伯爵閣下を筆頭に、複数の貴族が連名で出したもの。覆されることは無い」


 一方のカルトロも、断固とした態度を貫く。アリスが助けを求めるようにベイルークへ視線を向けるが、首は横に振られる。


「……すみません、アリス様。昔ならともかく、今の私には……いえ、例え王都にいた頃であっても、私にはこの決定を覆すだけの力は無いのです」

「そっかぁ」


 かつて大聖堂で有数の聖職者だった過去を持つとは言え、ベイルークは平民の生まれ。伯爵位を有する貴族に抗うことは無理な話だ。それを理解しているから、アリスも大人しく引き下がる。


(身分ってのは面倒な物ね。国造りの時に撤廃しとけばよかったなぁ)


 今までの人生では魔王と聖女という、どちらも世界の頂点に立つ存在だったために身分制度の負の側面のことは意識することは無かった。今となってそれが足枷となってしまうことにもどかしさを感じていた。


(うーん、いっそコイツ殺しちゃう?)


 せかっく得られた平凡な暮らしを邪魔するなら容赦はしない。その魔の手先であるカルトロは騎士らしく、腰につるすように帯剣している。


 アリスは考える。かつては世界最強の座に君臨していた身、隙をついて武器を奪うことぐらい造作も無いことだ。


 ではその後は? 所詮は五歳の幼女の身体、奪った剣を振り回すのには無理がある。それ以前に、すぐに取り押さえられて終わるだろう。


 あるいは運良く倒せたとして……根本的解決にはならない。いずれ第二第三の刺客がまた来るだけだ。それとも大聖堂を相手にいつ終わるかもわからない戦いに身を投じる? それこそ、このようやく得られた平凡な暮らしを捨てて?


(……馬鹿馬鹿しい。どっちにしろ変わらないじゃない)


「あなたたちに同情するところが無いわけでは無い。だが最後の警告だ、返還に応じないようであれば……」

「ええやってみなさいよ。そのご自慢の剣だって、娘がいなくなる恐怖に比べたら全く怖くないのよ!」

「言っておくがな、こっちは毎日でかい木材運んで鍛えてるんだ、そっちこそただで済むと思うなよ」


 頑として一歩も引かない両親に、カルトロはさっさと切り伏せてしまえばいいものを……鞘に入ったままの剣をちらつかせながらも武力行使には出ない。その表情にあるのは、無実の者を手にかける事に対する躊躇と罪悪感。


(……話が通じそうな相手が来てくれたことが、唯一の救いね)


「ねえ、お母さん……お腹すいたー」


 一触即発の雰囲気を、アリスの最大限子供らしさを意識した声がぶち壊す。


「今日はシチューでしょ? お母さんのシチュー大好きだから、冷めちゃう前に食べたいの。きょうかいちょーも、せっかくだしカルトロさんも一緒に食べようよ。晩ご飯まだ食べてないでしょ?」

「あ、ああ……いや、私は流石に……」

「アリス! 今はそんな場合じゃ――!」

「こっちの方が大事だよ。だって、もうお母さんの作るご飯食べられなくなるんだから」


 全員の表情がさっと固まる――当のアリスが覚悟を決めたのだと、その言葉で察したのだ。


「ねえ、王都にはいつ向かったらいいの? 流石にお母さんのシチュー食べる時間ぐらいはあるよね。あと、明日の朝にはアップルパイ食べたいんだけど」

「……指定された期日から逆算して、明日の日の出には此処を出る必要がある。済まないが、後者は諦めて貰う」

「ケチ……随分と、容赦のないスケジュールなのね」


 おそらく、小細工したり身を隠したりする時間を与えないためのギリギリの期日設定だろう。


(……こんなことになるのなら、世界なんて救わなければよかったな)


 こんな不条理がまかり通る世界ならば、いっそ滅んでしまっていたら。今となってはもう取り返しがつかないことであるから。


「お母さん、シチュー大盛りでお願いね!」


 せめて、少しでも後悔しないように。




◇◆◇




 夜、満月がすっかり天高く昇った頃。いつもはアリスはすやすや寝ている時間だが、さすがに今日は寝付けなかった。寝心地の悪さにもすっかり慣れた堅いベッドの上に座りながら、開け放たれた窓から覗く夜空をぼんやりと眺めていた。


(この家ともお別れか。あっという間だったなぁ)


 小さな家。特に貧しい訳ではなく。森を内側から切り開いて開拓した土地柄、広々とした土地を使えないという制約ゆえのものだ。かつて過ごした魔王城や、大聖堂に比べたら掘っ立て小屋のようなものだが、この家にはこれまでに無かった家族の温かみがあって、何よりも気に入っていた。


(何回か、寝ぼけてお父さんを蹴っ飛ばしたっけ)


 いつもは一つの寝室に並べたベッドで、両親と並んで眠っている。しかし今夜はアリス一人だけだ。ミーネとロナルドは今も扉の向こうのダイニングで相談を続けている。


 ――やはりアリスを連れて逃げるべきか――でもどうやって――誰かにかくまって貰うのは、迷惑が――ならば――


 耳を澄ませば、そんな会話が延々と聞こえてくる。決して離ればなれになどならまいと最後まで抵抗を続けるその姿に、アリスの胸中に温かい気持ちが宿る


(家族に愛されるって、こういうことなんだね)


 魔王セレナーデには、肉親に愛された記憶は無い――物心つくよりも前に、自らの手で両親を殺したからだ。シルヴィアの人生は大聖堂に捨てられていたところを神官達に拾われ、両親の事はどこの誰かもわからない。


 家族の愛情を受けて育つというのは初めてで……決して悪くない経験だった。それだけでもこの五年間の人生にはかけがえの無い価値があったと、アリスは思う。


 アリスはベッドから飛び降りると、居間に繋がる扉をキィと開いた。蝋燭の薄ぼんやりとした明かりに照らされた中、テーブル越しに話し合っていたミーネとロナルドは、いつもならばとっくに寝ている娘がまだ起きていたことに驚く。


「お父さん、お母さん。はやくねないとだめだよ」

「アリス……」

「こんな時間まで、ろうそくもったいないよ」


 アリスは、甘えるときにいつもしているようにミーネの膝の上に座った。


「ねえ、、お父さんはいつかこの日が来ることしってたんでしょ?」

「……どうしてそう思うんだ?」

「あの騎士を見たとき、青ざめてたもん。何で来たか、わかってたんでしょ?」


 指摘され、ロナルドは「よくみてるなぁ」と苦笑する。


「……アリスが生まれた次の日にな。教会長殿から、いずれこうなるだろうと聞かされてはいたんだ」

「だから私たちも覚悟はしていたつもりだったのだけれどね……やっぱり、ダメだったみたいね。今だって、悲しみに胸が張り裂けそうだわ」


 ぽたり、と静かに流されたミーネの涙がアリスに落ちる。ロナルドも悲痛な面持ちでいながらも、涙を流さないのは男親としての意地だろうか。


「……だいじょうぶ。わたし、寂しくないから。あっちでもがんばれるから」


 二人の悲しみを振り払うように、アリスはにっこりと笑みを作ってかわいらしく小首をかしげてみせる。


「はやくねよう? 明日は朝はやいよ」

「アリス……」


 するりとミーネの膝の上から降りる。引き留めようと伸ばされる母の手を躱し、「おやすみなさい」と短く告げて二人に背を向けると、足早に寝室へ戻った。


 キィ、と音を立てて閉まる扉にもたれかかり、アリスは目を閉じる――まぶたの裏に思い出すのは、数少ない、今も記憶に強く焼き付いている者達の最期・・


『ウソ、シルフィ、どうして……』

『嬉しいです、魔王様……ようやく……私の願い、を……』


 災厄と恐れられた自分に。ただ一人心を開いてくれた副官の少女も。


『シンディオ!? 何をする気!?』

『ああ聖女様、貴女と最後まで共に居れないこと、残念でなりません――』


 世界を救う希望を守る盾として、最期の一瞬まで尽くしてくれた聖騎士も……誰もが、自分を置いていなくなった。


(別れなんてもう慣れてるんだから)


 寂しくない。両親に言ったその言葉は気遣いでもなく、紛れもない本心。今、アリスの心は不思議と凪いでいる……それどころか、四百年の時を得た王都は今はどうなっているのだろうと、淡い期待感すら抱いていた。思っていた以上に薄情な自分に気づき、軽い自己嫌悪に陥りそうになる思考をアリスは頭をぶんぶんと振って振り払う。


(それに大丈夫。別に王都に行ったからって平穏な暮らしができないってわけじゃないから)


 平穏な日常をつかみ取ってみせる。その願いは忘れたわけではない。大聖堂に出向いたからってむざむざ彼らの道具になるつもりはさらさら無かった。魔王をやって聖女のお役目だってこなしたのだから、今更その程度の困難なんて大したことない。逆に王都という場で権力を勝ち取ってしまって、好き勝手するのも悪くないだろう……と、自分に言い聞かせる。


 ……ただ、一つ心残りがあるとすれば。


(ケリーとの約束、守れなかったなぁ)


 ――うん、わかった。絶対だよ! 約束だからね!


 この街で初めて出来た小さな友達が別れ際に残した寂しそうな表情だけが、どうしてかアリスの頭から離れなかった。

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呟いています:X(旧Twitter)→@Ressia_Lur

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