四十六話 聖女候補Ⅲ
王都のちょうど中心に、三つの尖塔を携えた大聖堂がそびえ立っている。本来ならば王都の象徴であるべき王城を隅に追いやって鎮座するその姿は、この街の本当の主が誰であるかを物語っているよう。
事実、間違っていない。かつてこの地は世界で最も神の力が強い聖地として独立してきた。あらゆる国家に属さず、あらゆる君主を排し、ただ人々が真摯に神に祈りを捧げるための場がクラビスという地であり、大聖堂はそれを象徴する聖域であった。
それが変わったのが魔王の災禍により世界が滅びた後のこと。聖女シルヴィアが世界の復興を生まれ故郷である大聖堂を中心にして始めたことで、大聖堂は新たに誕生した国の中枢としての役割を担うようになり、クラビスは事実として王国の心臓部と姿を変えた。
シルヴィアはいつまでもその状況を良しとするつもりは無かった。復興が落ち着いた十六歳の時に、地に縁のある血筋の者から新たに国と聖地の主となる王家を定め、それまで大聖堂と聖女が担っていた政治の中枢としての役目を引き渡した。
もちろん聖女様こそが王になるべきという声も多く出たが、その時にシルヴィアが言った『我が身は世界の奉仕者でこそあれど、世界を統べる者では無い』という言葉は今でも聖職者の在るべき見本として語り継がれている。なお、当人の本心としては言うまでもなく『政治なんてクソめんどくさいことこれ以上やってられっか』だった。悲しいかな、政治が聖女の手を離れるより前にシルヴィアは過労死したのだが。
ともかく、そのような歴史的経緯から大聖堂は王都クラビスの主で間違いは無い。けれど、決して王都クラビス、ひいてはアミルツィ王国の中枢では無い。
(そう決めたはずなんだけどねー)
大聖堂の中、無数にある貴人の控え室の一つで、大聖堂のシスターに手伝われて法衣に着替えさせられながらアリスは思う。いつから道を間違えたのだろうと。
そもそもこのような貴人のための控え室などかつては無かった。確かこの部屋って物置じゃなかった……? とぐるりと見渡せば、貴族の部屋もかくやとばかりに並べられた数々の調度品。お着替えをここでと言われて通された時など、どこの王城に迷い込んだのかと思ったほど。あまりの変わり様に、いつもならば蘇るはずの当時のトラウマすら呼び起こされなかった。
改めて呆れていると、外から扉を叩く音。隣の控え室で同じく準備をしていたアインズバードだ。
「もういいか?」
「うん伯爵様、もう着替え終わったよー」
部屋に入ってきたアインズバードの前で、アリスはその場でくるっと回って見せた。三年祭で母に用立てもらった、ドレスの様な法衣の裾がふわりと広がる。
シスター達はどこともしれない市井の者が仕立てた法衣にいい顔をせず、大聖堂の祝福を受けた仕立て屋で用立てたという上等な法衣を勧められた。それをきっぱりと断ってこっちを選んだのだというアピールで、どや顔で胸を張った。
「改めて確認しておくが、これより大聖堂の貴族共との対面だ」
「……あ、スルーなのね」
「把握している範囲で列席する枢機卿が六人。ルードベルド伯爵とグランザロ侯爵は出てくるが、一神分派のもう一人の重鎮であるナタリアは領地での公務で不在のようだ。他四人の中ではウィッタリア伯爵、赤髪の老人には愛想を振りまけ。突出した思惑は持たない穏健派の部類だが、一度機嫌を損ねるとネチネチと面倒なタイプだ。反対に気に入った相手は露骨に贔屓するから、味方につけることができれば理想的だ」
「ふぅん、わかったわ。出てくるのはそれだけ?」
「いや、他にはそれぞれの派閥に属する教会派貴族が多数。とはいえ枢機卿を差し置いて前に出ることは無いだろうから、背景だと思っておけばいい……ただし、レスター子爵の発言には注意しろ。三年前の原因を作った男だ」
「……ッ!」
アリスの表情に緊張が宿った。
「三年前の件の騒ぎはレスター子爵が発案して始まったようだ。そして今もなお、天使の身柄を手にいれることに執心している。曰く、件の天使が本当は生き別れの娘だと方々に触れまわっているらしいぞ」
「……呆れた。まだそんなこと言ってる奴がいるのね」
「無論、まともに相手にされてはいない……が、天使の身柄を押さえることは、派閥を問わず大聖堂の思惑と一致する。レスター子爵を足がかりに何か行動を起こすはずだ」
「それで、私は何をしたらいい?」
「まずは何より、決して言質を取られないことを最重要に考えろ。少しでも都合良く解釈できる失言があれば、そこからつけ込まれる。特にレスター子爵は話術が巧みで、相手の失言を引き出す技術に関してだけは有能だ。気を抜いていると食われるぞ」
「うぅ、そういうの一番苦手なんだけどなぁ」
実力でねじ伏せるやり方しか知らない、何気に力任せなアリスである。もういっそずっと黙ってようかなぁ、と考えていると、表情に出ていたのだろう。アインズバートに釘を刺された。
曰く、容易に御せる相手と見なされるのは危険だ、と。
「今日の会合は、未だ出方を決めかねている日和見派にとって、天使という存在を見極める場という意味合いが強い。そこで小物の妄言一つにも言い返せない非力な小娘と侮られれば、得られる味方もいなくなるぞ」
「変なこと喋ってもダメ、黙っててもダメかぁ。会話一つで随分と器用に戦うものね、はぁ」
「億劫に思うのには同意するが、そういうものだと諦めろ。時間だ、いくぞ」
「はぁい」
覚悟を決めて、アリスはアインズバードの後に続いて控え室を出た。部屋の前ではいつもの騎士達が待機していて、その中にここ暫く見ていなかったゴードンとエルリックの顔もあった。思わず名前を呼ぼうとして、アインズバードに肘で小突かれて制止された。
大聖堂は王国でも最大の建造物で、その中に包するのは礼拝のための聖堂や重要な神具を収めた宝物庫、更には聖女シルヴィアを初めとする過去の聖人達の亡骸を丁重に収めた霊廟。それだけでなく大聖堂に所属する聖職者の生活区画や神学校、果ては枢機卿のための別邸まで敷地内に建てられている。もはやひとつの城と言うべき様相だ。
とはいえ、そのほとんどは聖女の時代になってから増築されたもの。本来の姿は――魔王の災禍をも乗り越え、そして聖女が産まれた故郷としての大聖堂とは、巨大な一つの礼拝堂だ。
大聖堂の建設にあたり、フレイヤは人々に一つの苗を贈り、それは一夜で天を衝く巨木となった。人々はアシュヴァルドの力を借りてそれを伐採して、大聖堂の門扉を作った。そのような言い伝えが残る見上げるほど巨大な扉が、アリスの目の前で大きな音を立てて開かれた。
不可侵の聖地として在りし日には、数千もの信者が一堂に介して祈りを捧げていた礼拝堂。巨大な空間を、アリスはやや視線を伏せながら迷いのない足取りで進む、その後ろにアインズバード、そして騎士達が続く。
やがて奥までたどり着く。最奥には百人のドワーフの名工が協力して彫ったという神々と仕える天使達を象った巨大な石像が在る。
右側にアリスが神域で出会った黒の長髪の男神アシュヴァルド。その手に握った三日月の描かれた槌と鉈が象徴するのは、滅びをもたらす邪神ではないもう一つの顔――既に在る物の形を壊して作り替えることを生業とする職人の守護神としての顔だ。
対となる位置にあるのは女神フレイヤの像。アシュヴァルドと双子のように瓜二つの、ただしこちらは白い長髪をなびかせる女神の手は、太陽の描かれた杯を高々と掲げている――命とそれが生きる糧を世界に生み出した創造の偉業を象徴する神具だ。腰に佩いたレイピアは、世界の終わりにアシュヴァルドがもたらす滅びを止めるその日に初めて抜かれると言い伝えられている。
そしてその二柱の間に、秩序と裁定を象徴する天秤を手に持ち、世界の循環を象徴する円環を背に負った神エルネスタの神像。ただし、先の二柱とは異なりエルネスタの姿は一切伝えられていない。故に、神像が象る髭を蓄えた老賢者の姿は、当時の枢機卿達による想像だ。
そして三神の像に祈りを捧げるための祭壇。その前に、対峙する者達が並んでいた。彼らの顔が一人一人判別できるまでに近づいて、アリスは顔を上げた。
(……わかりやすく、派閥に別れてるわね)
フレイヤの像が位置する左側には、見覚えのある老紳士、ルードベルド伯爵だ。アリスと目が合って穏やかに微笑むその腹の内は、その魂の色を見ても読み取れない。
対して反対側に位置するのは茶髪の中に一部白髪の目立つ初老の男。その人相はあらかじめアインズバードから教えられていた、グランザロ侯爵だ。
(確か最初は中立を保ちつつ、グランザロ侯爵派閥と関係を強めるのよね)
いずれは自身の派閥を築き、二代目の聖女の地位を――アリスはまだ承諾していないが――狙う。ただし、その計画を本格的に進めるのはまだ当面は先のこと。そもそも本当に二代目聖女の選定などということが行われるのか、どのように選ばれるのか。それが確定するまでは、一神分派と対立するグランザロ侯爵と友好関係を築きつつも、明確な勢力への所属を避けるというのが現状の第一段階だ。
そして両者の間に位置しているのが現状中立を貫いている四人の枢機卿。その中に聞いていた特徴のウィッタリア伯爵を見つけた。他の枢機卿と同じくアリスを見ていることには変わりは無いが、値踏みするような類いでは無く、まるで珍しい生き物を見つけたようなものだ。
身を乗り出し気味にぎょろりと見つめてくる視線が合って、アリスはとりあえず友好を示そうと、露骨ではない程度に微笑んで見せた。それが功を奏したのか、老人は僅かに驚いた後、雰囲気が柔らかくなったようだ。
そして両翼に並ぶように枢機卿以下の貴族達――その中の一人が、思わずと言ったように叫んだ。
「待て、翼が! 翼がないぞ!」
俄に広がるざわめき……それが大きくなってきた頃、アリスは億劫そうに右手を振って、隠していた翼をバサリと広げた。
「これで満足かしら?」
「あ、ああ……」
聞かれるまで翼を隠していたのも、本来は必要の無い手を振るような動作を入れたのも、アリスという存在を印象づけて場の流れを掌握するためのパフォーマンス。アインズバードの考案した小手先の演出だが、それなりの効果があったらしい。
ざわめきが静まりかえった中、アリスはこれ見よがしにため息をついてみせる。そしてこの場には一人だけ場違いな聖典を抱えて黒染めした法衣を纏った神官に視線を向けた。抱えている法典の表紙に金糸で刺繍されたエルネスタを象徴する天秤が示す役職は、教会の審問官だ。
「それで、今日は私が本当の天使か確かめるとかだっけ? 貴方が司会役かしら?」
「え、ええその通りです」
「じゃ、さっさと始めて。私は暇じゃ無いんだから」
『神託により王国に遣わされた天使が真に神の御使いであり、世界を導く新たな存在である事を大聖堂の名の下に判じ、聖認する』。それが今日、アリスと枢機卿達がこの場に会した表向きの理由だ。
王都に着いたその日に正式に届けられた、日付と時間まで向こうで指定された召喚状。そしてアリスの存在を大聖堂の名の下に認めるという文言。エルドラン伯爵家という後ろ盾がついたことで三年前のような理不尽な通達では無くなったにしろ、あくまで自分たちが上位であると信じて疑わない内容だ。
それ故に、まずは自分が大聖堂に従属する程度の存在ではないと示す必要がある……と、アインズバード曰く。アリスはあくまで不遜に、一つの敬意を払うことも無く、この会合そのものが極めて不服だという意志を乗せて審問官を睨み付ける。追加で魔王の威圧を少しばかり放つのも忘れずに、だ。
しどろもどろになった審問官が、法典を開いた。
「そ、それでは。聖法第二十八条二項の規定に基づいて、三神の祝福を受けし大聖堂の名の下に審問を始めます」
次回の投稿は9/27を予定しています。
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