四十四話 聖女候補Ⅰ
『聖女』というのは、特別にして不可侵の称号だ。女神フレイヤの加護を受けて世界を救ったシルヴィアのみが名乗ることを許され、死後もその称号を受け継ぐ者はいなかった。
それが、何故今になって二代目など。
「密偵に大聖堂を探らせたところ、一年前に女神フレイヤからの神託があったことがわかった」
「そうなの? そんな噂、全然聞かないけど……」
「まだ上層部の間で話が止められているようだ。噂程度も広まってないのを鑑みるに、相当厳しい情報統制が敷かれているらしいな。恐らく、こちらの密偵には意図的に情報を掴ませたと見るべきだ」
「ふぅん、神託があったならさっさと報せちゃえばいいのに」
「神託の内容が問題のようだ。曰く、『聖女の器を我がもとに』と告げられた」
聖女の器。それを女神フレイヤに捧げろと。一見は極めて単純な内容だが……。
「……で、聖女の器って何なの? そんな物あったっけ? ……まさか、わかってないなんて事は無いよね」
「ああ、そのまさか、だ。ある説では聖女の後を継ぐ者が生まれた、ある説では聖女が祝福を授けた杯を示していると。その正確な意図が判明するまでは周知を避けているようだ」
「なるほどね、それで二代目の聖女なんて話が出てきたのね」
新たに聖女となるための、器としての少女。一応解釈としてはつじつまが合う。
「結局のところ、考え得る単純な……そして、教会にとって都合の良い解釈に落ち着いのだろうな。既に聖女候補として多くの名が挙げられているが、その中で最有力と見なされているのがルードベルド伯爵の孫娘、シャルローゼ・ルードベルドだ……最有力と言っても政治的な理由で、だがな」
「まあ、枢機卿なんてお偉いさんの孫娘だもんねぇ。でも、だからって他の人が黙ってないんじゃないの?」
然り、とアインズバードは首肯した。
「聖女となればこの国、ひいては周辺諸国にも通ずる不可侵の権力を手に入れるに等しい。故に二代目聖女の決定は一筋縄では進まない筈だ。地位争いが本格的に激化すれば、国を揺るがすほどの大事となるだろうな」
「わかった。その混乱に乗じてこっちに構うどころじゃ無くするのね……あれ、違う?」
「ああ、その考えもよぎったのだが……もっと単純で効果的な手があると気づいてな」
アインズバードはニヤリとあくどい笑みを浮かべた。何故だろう、アリスの背筋を嫌な悪寒が走り抜けた。
「むざむざ不可侵の権力を他にくれてやる道理は無いだろう――アリス、お前が二代目の聖女となれ」
◇◆◇
二日の後、引っ越し後の暮らしが落ち着いてきたところで、アリスはリチャードをお供に連れて平民区画をぶらぶらと歩いていた。今日はお忍びのさらにお忍び、せいぜい裕福な商家のお嬢様と言った装いで、横を歩くリチャードも騎士と言うよりも付き人の装いだ。無論、服の下には隠した帯剣。
「聖女の器かぁ」
「お嬢様、あまり往来でみだりに口にするのは……」
「あ、そうだった。一応秘密なんだもんね」
たしなめられながらもアリスは考える。大聖堂が出した見解では二代目の聖女となる人物を連れてこいということだが、アリスにはもう一つ思い当たることがあった。
聖女の器とは、シルヴィアの生まれ変わりである自分のことを指すのでは無いかと。
(……でも、それなら器って表現は変よね? 器よりも聖女の中身の方だし……っていうか、それだとやっぱり私になっちゃうじゃん!?)
なぜここまで真剣に神の真意を考えているのか。もちろん、二代目の聖女になるなんていう考え得る最悪の未来を回避するためだ。どうにかして、フレイヤが求めているのは新しい聖女などでは無いと言う話にもっていければ……そうでなくても、具体的に聖女は誰と指名してくれれば……
「……あ、ていうか直接聞いたらいいじゃん」
「ふむ?」
「神託のこと。器ってどういう意味なのか、誰が次の聖女になればいいのか。当の神様に聞けば解決じゃん。なんでしないの?」
「はは、神の声とはそう易々と聞けるものではないのですよ」
「そうなの? でもわた……じゃない、聖女様は自由にフレイヤと会話できたはずだよ」
ついで魔王セレナーデだったときも同じく。好き好んで自分から語りかけることなど皆無だったが。不思議そうに見上げれば、リチャードの困ったような苦笑い。
「確かに聖女様のように、加護を授かりし神意の担い手ならば可能でしょうが、聖女様以降、神の加護を授かった者がいません。そのため、そもそも神託を聞くということ自体が難しくなっているのですよ」
「でもそれなのに神託を聞ける人がいたんだ。ねねっそれって女の人? ならその人が聖女で決まり、全部解決ね!」
「いえ、男性だという話です……それにですね、大聖堂で神託を聞くというのは、素質の問題では無く実際には運の問題のようですよ」
聖職者の中から少しでも素養のある者達を集めて大聖堂の祈りの間にて祈りを捧げさせる。そうして、運良く神の目に留まることができた者が、偶々神の意識と交わることが出来た時にのみ神託を授かることができるという。
曰く、百人の素養ある者を集めて毎日一日中祈りを捧げても、神の声を聞く事が出来るのは数年に一度あるかどうか。それも意味のある御言葉とは限らないという。文字通りに神頼みとも言うような気が遠くなる事実を聞いて、アリスは思いっきりうめいた。
「そこまでして神の言葉なんか聞いても、意味なんて無いと思うけどなぁ」
「いえ、とても重要なことだと」
「だって、神なんかが何をどう言ったところでどうするかなんてこっちの自由でしょ? 気にすることなんて無いよ。わ、あのお花綺麗」
当の神の使いが言うことなのか……? とリチャードから向けられる視線には、残念ながら道端の鉢植えに気を取られていたアリスは気づかなかった。
「……きっと凡人には推し量れない、お嬢様ならではおわかりになる世界があるのでしょうな。しかし内容はどうあれたった一言でも神の声を聞く事が出来れば、それだけで聖女とはいかなくとも、将来の枢機卿の位が確約されるほどの権力を得られるそうなのですよ。それ故に、かくも神の御言葉を求めるというわけですな」
「ふぅん、結局は人の業ってわけね。そんなくだらないもののせいで、私はこんなに悩まされているの」
この際、神託なんか聞きやがったどこぞの誰かを腹いせにぶん殴りたい。そんな何の解決にもなっていない逆恨みに、段々と考えが支配されてきた。
「そういえば、私が生まれるって時もエルネスタから神託があったんだよね。きょうかいちょーも一日中祈ってたりしてたのかな?」
「いえ、なんでも午後の執務を終えて紅茶を飲んでいるときに突然語りかけられたとか……ここだけの話、あまりの驚きにカップをひっくり返して手を火傷したそうで」
「あはは、きょうかいちょーらしいね」
きっと、熱くてそれどころじゃ無い中で必死にエルネスタの言葉を聞いたに違いない。思いがけない身内の笑い話を聞いて少しだけ気分が晴れてきたところで、アリスは通りの街並みが少しずつ変わってきたことに気づいた。
「そろそろかな? アムテ通りって」
「ええ、あそこの石畳が新しくなっている場所からですね」
ぶらぶらと歩きながら目指していたのは、ウィト族の少年が働いていたという酒場があるストリートだ。
この辺りは聖女の死後に増築された区画らしい。アリスの見覚えが無い街並みには飲食店と屋台が建ち並んで、お昼時を過ぎたにも関わらず、それまで歩いていた居住区画から一段と人通りが増えていた。
「お嬢様、はぐれない様にお手を……あ、お待ちを!」
リチャードが差し出した手をすり抜けて、アリスは人並みをかき分けて駆けだしていた。その先にあるのは、甘い生地を一口サイズに焼き上げた菓子の屋台。香ばしいバターの香りに引き寄せられた……のでは無く。
「なにこれ……」
「お! 可愛いお嬢様も食べていかれますかい、この天使焼き!」
「て、天使焼き?」
ひょいっと店主が見せたのは何の変哲も無い簡単な焼き菓子……ただ、それが翼の形に焼き上げられていた。屋台にかけられた看板には、教会の聖典にある挿絵を真似て書いたらしい天使の絵図と、『天使様のお気に入り!』という売り文句。
勿論、アリスの身に全く覚えが無い。にも関わらず堂々とウソを掲げる看板が余りにも衝撃的すぎて、思わず駆け寄っていたのだ。
「お嬢様もご存じでしょう? 遙かな時を超えて我が国で生まれられた天使様が、いよいよ我らがクラビスに来られたという話ですよ! ……実はですね、ウチの焼き菓子はその天使様から直々にレシピを教えて貰ったんですよ!」
「ふぅん」
「そりゃあもう、さすが天上の御方が食べられるお菓子! 舌がとろけちまうぐらい美味いですぜ! どうです? 今なら一つオマケしますぜ」
相手が誰かも知らず熱心に、というよりも必死に売り込みをする店主。アリスが黙って冷たい目を向けていると、すぐにリチャードも追いついてきた。同じく屋台の看板に気づいて、表情を顰めてアリスに耳打ちする。
「お嬢様、お気に召されられない気持ちもあるでしょう。厳重注意もします、ですが……」
「ううん、ただ呆れただけだから……放っておいていいよ。ここだけじゃないみたいだしね」
周りを見渡せば、同じような宣伝文句を掲げた店が至る所に並んでいた……もはやキリが無いと思えるぐらいに。道行く人々は天使の名を謳う宣伝文句に全くの感心を示さず、それほどまでに、今や氾濫しているということだろう。
天使焼きなんて安直な名前は自分が焼かれてるみたいで嫌だなぁと思いつつ、態々文句を付ける気までは湧かなかった。興味を無くしたとばかりに背を向けようとして、その前に一つ気になることを思いついた。
「ねえ、屋台のおじさん。噂の天使様ってどんな人なのかな?」
「へ?」
「私ね、前に噂の天使様に似てるって言われたことがあるんだけど、ほんとにそうなのかなーって気になってるの。会ったことがあるなら知ってるんでしょ?」
別に意地悪をしたわけで無く、アリスは自分のことがどう王都で広まっているか知りたかっただけだ。もしも容姿の特徴までちゃんと伝わっているのなら、翼を隠すだけじゃ無くてもっと気合いを入れて変装しなければいけない。
やや踏み込んで聞いた質問は、最悪身バレに繋がる可能性もある。内心で冷や汗を流すアリスに、店主は下品に笑って答えた
「そりゃあ、天使様ってのは輝くような金髪でおっぱいのでけえ美女ですよ! お嬢様のようなちんちくりんとは似ても似つかねえですな!」
「……ソウナンダー」
……当面は全く変装の必要は無さそうだなぁと、アリスは口元をひくつかせながら思うのだった。
次回の投稿は9/8を予定しています。
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