四十三話 仮住まい
『魔王様、忘れないでくださいね。私の名前はセシルフィーラ……セシルフィーラ・ファル・ウィトです』
ある日、とある戦場で、返り血に塗れた副官の少女は笑いながら自身の生まれを語った。
『私たちウィト族は遠い昔から、日の光が差さない渓谷の奥底で暮らしてきました。なので色素を失い、真っ白な髪と紅い目を持つようになったんです。ああ、私の髪が黒いのは突然変異みたいなんですよね。こんなおばちゃんみたいな髪で生まれなくてよかったです』
右手で自分の髪をクルクルと弄ぶ少女の、反対の手には白髪の女の生首が無造作に捕まれていた。たった今セシルフィーラが殺した相手だ。
セシルフィーラは気まぐれに戦場についてきても、魔王の獲物を奪うことはしない。けどその女を見つけた途端、セシルフィーラは敬愛する主を押しのけてまで自ら惨殺することを欲した。
『魔族ってみーんな、髪も目も暗い色彩が普通ですからね。真っ白な髪はウィト族の血を引いている証なんですよ。ええそうです、私を迫害して、そして愛する魔王様に出会わせてくれた、あの忌々しいクソ共のお仲間です……え? この人が誰かなんて知りませんよ、そんなの関係ないですから』
セシルフィーラは落とした女の首を踏みつけ、楽しげに笑った。
『魔王様、私の名前を忘れないでくださいね? ……そしてこの忌々しい血を、いつの日か根絶やしにしてください、私の命もろとも、ね?』
その日以来魔王として、あるいは聖女としてどれだけ世界を巡っても、髪が白い魔族に出会うことは無かった。だからてっきりあの女と、そしてセシルフィーラを最後に血が絶えたのだと思っていた……このときまでは。
「ね、そうでしょ!」
「え、あの……おれ、たしかにウィトって姓ですけど……」
「やっぱりー!」
アリスはウィト族に思うことは無く、セシルフィーラの願いを叶えてあげようという気もさらさら無い。ただ聖女時代から数えても久しぶりに出会う魔族――かつての同胞に、テンションが上がっていたのだった。
そんな事情を知らないウィト族の少年は、突然鼻息荒く詰め寄られて出身を言い当てられたことに困惑していた。アリスが一歩にじり寄ると、少年は一歩下がる。静かで無意味な駆け引きが数回繰り返された頃、遠くから走ってくる足音。
「……ッ!」
「あ、誰か来るね……って、ちょっと!」
足音を気にしてアリスが目を離した一瞬の隙に、ウィト族の少年は足早に走り去っていた。廃屋を飛び越えて姿を消した少年の背中を、アリスは追いかけようとして、それより一瞬早くやってきたテセウスがアリスの首根っこを掴んで持ち上げる。
「テセウスさん、離し……」
「大人しく帰るのと隊長のお説教が三倍に伸びるの、どっちがいい?」
「……帰ります」
残り九人の襲撃者達は、ラッドとテセウスの手練れ二人によって難なく捕らえられたらしい。捕らえた者達の引き渡しのために、裏路地を離れて向かった先は衛兵の詰め所。そこでアリスは簡単な事情聴取を受けていた。
「――なるほど、では例の人攫い集団の主犯格は、大柄の男では無く正体は細身の女だと」
「うん、間違いないよ」
「顔は見ませんでしたか? 他に何か特徴は……」
「そこまでは見てなかったなぁ。役に立てなくてごめんね?」
「い、いえ!? 滅相も無いです、ご協力感謝いたします!」
高位貴族のお嬢様(偽)に対して萎縮気味の衛兵に、アリスは天使という話は伏せつつ対峙した女の情報を伝える。
「しかし体格まで偽装するとは、相当に用心深いようですね」
「あーうん、そうだろうね」
適当に話を合わせつつ、アリスも疑問に感じていた。わざわざ、体格を見紛うほどの巨大なローブを羽織って翼を隠さなくとも。
(魔法で隠しちゃえばいいのにね)
今もアリスの背中から翼をきれいさっぱり消し去っている魔法は、クシャナ曰く皆が先輩の天使から教えられているのだという。例外はアリスのような、ごく最近に生まれた天使だけ。
(あの人も、最近天使になったのかな?)
そして、一つ思い当たる話があった。
『実はね、フレイヤ様が急に新しい天使を生み出しているんだ』
かつてクシャナが語っていた、世界中を飛び回って探している者達の存在。その一人があの女天使だとすれば。
「……あの、どうされました?」
「あ、ううん、なんでもないの。ところで、あいつらの目的ってなんなのかな。ねえ、何か掴んでない?」
「ええと、まだ不確定ですが、大規模な人身売買組織に関わっている可能性が浮上しています」
「へ? 人身売買? でもそれって……」
「もちろんこの国では厳格に禁止されています。かの聖女様が定められたことですからね。それでも違法に行っている組織がいくつも存在しているのですよ」
「ふぅん、人なんか売り買いして何が楽しいのやら」
「ええと、たぶん楽しいとかそういう話じゃ……あ、いえなんでもないです。あとこれは大きな声では言えない話なのですが。今回の件、大元にどこかの貴族がついていようなんですよ」
「へー、教えてくれてありがとね」
とりあえず、その貴族も頭の中のぶっ潰す対象リストにいれておいたアリス。罪状は『人が死ぬほど苦労して作った法を踏みにじりやがってコノヤロウ』罪だ。
「……そういえば、クージンさんってエルフのことは知らない? 多分あいつらに連れてかれたと思うんだけど」
「へ? しょ、少々お待ちください、ええと確かこの資料に……はい、薬草売りのクージン氏ですね。少し前から行方不明となっていますが、消息については何も……」
「そう、何もわからないのね」
手がかり無しかぁ、とアリスはため息をついた。途端、衛兵の肩がビクゥ! っと震えた。
「ももも、もちろんお嬢様のお望みとあらば最優先で捜索をすすめさせていただきますです、はい! ですので何卒ご容赦を……」
「……わぁ、助かるなぁ」
別に脅したつもりは無かったのだが、都合が良いので勘違いさせたままにしておくことにした。
「じゃ、私はもう行くから、クージンさんの捜索よろしくね。あ、追われてた男の子も最優先で探してねー」
「は、はいぃ……」
権力って便利だなー。そう密かに思うアリスだった。
予定時刻を遅れに遅れて日暮頃にようやく辿り着いたのは、王都の貴族区域にあるエルドラン伯爵別邸だ。今日から、ここがアリスの仮住まいとなる。
「……ねえリチャード隊長」
「ふむ、どうした?」
「このお家ってすっごく普通だね。なんていうか、無味無臭って感じ」
別に地味なわけでも小さいわけでも無い……ただ、必要十分にして最低限の装飾は全て王国では定番とされているもので、恐らく伯爵という位に求められる豪勢さを満たすためだけの広さ。まるで貴族とはこうあるものというお手本をそのまま形にしたような、そんな変哲のなさを感じる邸宅だった。密かに楽しみにしていたのに期待外れ、とため息をつくアリスにリチャードも苦笑い。
「コルドの方のお屋敷は結構見所がある感じだったのにねぇ、お庭だってすっごく綺麗だったし」
「こちらの別邸は今の代になってから新しく建てられたものでな、主の性格がよく出ているのだろう。さて、入ろうか」
「はぁい」
外観が無味無臭ならば内部も実用一辺倒。そんな面白みの無い邸宅を進んで当主の執務室へ入った。そこで、執務机に向かっていたアインズバードがアリスの来訪に気づいて顔を上げた。
「伯爵様、来たよ」
「ああ、随分と遅かったな。昼前には着く予定と聞いていたが」
「ちょっと、面倒ごとに巻き込まれちゃってねー」
「先に届いた報告では、自分から首を突っ込んだとあったが?」
「……そ、それよりケリーはどこ? もうこっちに来てるんでしょ?」
一足先に王都に来ているはずの友人を探してキョロキョロと見回していると、アインズバードは「ここにはいない」と告げた。
「後見しているというだけで平民の娘を貴族街に住まわせるわけにはいかない。あの娘には学園近くのアパートメントの一室を与えてある……リチャード」
「はっ。御使い様、住所なら私が知っている故、明日にでも案内しよう」
「んー……まあ会いに行くのは今度でいいや」
「よろしいので?」
「学園って何するところかよくわからないけど、とにかく騎士になるために頑張ってるんでしょ? 邪魔しちゃ悪いもん……それに、ここには遊びに来たわけじゃ無いからね」
自分の自由を侵す者どもを排除し、運命に決着を付ける。ついでに未だ大聖堂に囚われの身となっている天使、セティナを助け出し、さっさと故郷に帰って家族と穏やかに暮らす。それがアリスにとって最優先の使命だ。とはいえ、そのためのプランがあるわけではないので、そこは伯爵頼りだが。
「ねえ、何か大聖堂の奴らを倒す計画があるんでしょ? そろそろ聞かせてよ」
「倒す、というのは大げさだがな。お前の庇護を決めてから、奴らの干渉を退ける計画を考えていた」
考えがある。その言葉とは裏腹に、アインズバードの表情はやや苦い。
「障害となるのはルードベルド伯爵と、枢機卿ナタリアの二人をはじめとする一神分派の勢力だ。奴らが最もお前の身柄を狙っている。恐らく、件の神兵計画とやらの生け贄としてだろうな」
「ええ、そうね……ってあれ? 伯爵様、なんでそのこと知っているの?」
「半年前の不法侵入者がいただろう、奴らに吐かせた……というか、やはりお前も既に知っていたのだな。どこから情報を掴んだ?」
「……ナンノコトカナー」
アリスはついーっと目をそらす。アインズバードは「まあいい」と呆れたため息をついた。
「大聖堂には一神分派と敵対する勢力もある。枢機卿のグランザロ侯爵がその筆頭だな。故に第一段階として、古典的な方法だがグランザロ派閥に取り入りつつ、対立を激化させて大聖堂を機能不全に陥らせる。そうなればこちらへの干渉も弱まるだろう。その隙に、天使を筆頭とする第三勢力を立ち上げ、大聖堂での権力基盤を築く……そう計画していた」
「していた、って過去形なのは……やっぱり、あれのせい?」
「ああ、半年前にあのジジイが寄越した、奴曰く招待状だ。これが全くの想定外だった」
アインズバードが引き出しから取り出した、開封済みの封筒……三年祭の日、ルードベルド伯爵自らがアリスへと送ったものだ。
招待状、という言葉には偽りなく。書かれていたのは大聖堂のトップの一人として、召喚では無く賓客としてアリスを招くということ。同時にルードベルド伯爵個人として開いている社交界への誘い。それだけならば何も気にすることは無い。
――問題なのは、まるでついでとばかりに最後に添えられていた一文。そこにはこう書かれていた。
『二代目の聖女となる孫娘も、貴女様が来られるのを楽しみにしている』、と。
次回の投稿は9/3を予定しています。
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