四十話 ウェシロ村Ⅱ
やがて、夜を迎えた。
アリスが泊まるのは広大な畑が一望できる、小高い丘に建てられたコテージだ。今は亡きとある豪商が別荘として建てて、持ち主がいなくなってからは高位貴族専用の宿泊地として使われるようになったという。
「んじゃ、僕は扉の前にいるから、なにかあったらすぐ呼んでね」
「はーい。おやすみ、テセウスさん」
扉が閉められ、アリスはもぞもぞとベッドに潜り込む。やがて穏やかな寝息を立てた――フリをして、そっと起き上がった。
「『サーレント』」
魔法で音を遮断し、それでも気分的にそろーり、そろーり、と忍び足でドアに向かう。扉越しに外の様子を窺えば、夜の番をするテセウスに変わった様子は無い。
「……よし、これなら大丈夫ね」
突然の隠密行動の目的は一つ。誰にも邪魔されない、一人の時間だ。
「慣れているとは言え、それでもずっとついてられると窮屈なのよねー」
脱出ルートは日没前に確認済み、静かに開けた窓から小さな身体ですり抜けて部屋の外へ……出て行く直前、ぽすっと物音が聞こえて振り返った。
「あ、ぬいぐるみ」
枕元にちょこんと並べておいていた、三年祭の日に双子に貰った天馬のぬいぐるみがベッドから落ちた音だった。
ぬいぐるみは小物入れにもなっていて、そこに自分とクシャナの羽を一枚ずつ、そして偽天馬が遺したセティナの羽が大事に収めてある。一人でに動いたのは、セティナの羽を依り代に宿る魂の欠片が「自分も連れてけ」と抗議したのだろうか。アリスは苦笑いして部屋に戻った。
「しょうがないなぁ。連れていってあげる」
改めて、ぬいぐるみを抱えて飛び越えた窓の外。防音魔法で届かないと知りながらもテセウスに向けて「いってきます」と小さく言い残して、アリスは夜の村へ繰り出した。
「えーっと、ジット君が言ってたのはあっちの方かな」
『――温泉?』
『そう、日が沈む方に渓流があるんだけどさ、沿ってずーっと歩くと、不思議なことに熱い水が出てる場所があるんだよ』
『へえ、後で行ってみようかな』
『なら昼の内にいっちまえよ? 夕方はおっさんどもがいくし、夜は村からでちゃいけないんだからな!』
『(……つまり、夜は誰もいないのね)』
『ん、なんか言ったか?』
『んーん? それより、教えてくれてありがとね』
昼に仲良くなった少年、ジットから村の外れに小さな温泉があるという話を聞いたので、そこで誰にも邪魔されずに湯浴みを楽しもうと考えていた。ついでに、『翼隠し』でずっと隠していた翼を洗ってしまおうとも。
『翼隠し』で消している間は翼に汚れはつかないのだが、気分的に洗いたかった。
目印だと教えて貰った切り株は、夜闇を照らす月明かりのおかげですぐに見つけられた。渓流に沿って歩けば、小さいが確かに温泉が湧いていて……そこに、先客が一人。
「……女の人?」
「ッ、誰だ!」
一糸まとわぬ身体を隠して誰何した女は、闖入者が幼い少女だとわかって警戒を解いた。
「なんだ、子供か。何しに来たんだい?」
「お姉さんと一緒だよ、お湯に入りに来たの」
「こんな夜中にか? 親に怒られるよ?」
「まあまあ、そう言わずに。私も一緒に良いかな? あ、私はアリスよ」
「もちろん……私はティッタだよ。よろしくね」
先客の女――ティッタは「構わない」と快諾したので、アリスも服を脱いでお湯に入る。予想外の先客で当初の目的は叶いそうに無いが、それよりも驚いたことが一つ。
「ねえ、もしかしてティッタさんって……エルフだよね?」
「あはは、気づかれちゃったね」
ティッタの耳は横に長くとがっていた。森の民、エルフの特徴だ。
「よかった、この村にもまだエルフがいたんだ」
「うん? あたしはこの村の者じゃないよ?」
「あれ、そうなんだ……もしかして王都から旅に出てきたって人?」
「そう、正解……故郷に帰るまで正体を隠すつもりだったのに、まさか初日にバレちゃうなんてねー」
「ん、ごめんね? 言いふらしたりはしないから」
「あはは、それなら安心だ」
ティッタは気にしてないようで、「ほら、遠慮しなくていいから入りな」と手招きしたので、アリスも服を脱いで湯に入る
「あ、ちょっと待って、髪を纏めてあげるよ。最近の王都ではお湯に髪をつけないのがマナーらしいよ」
「そうなんだ? じゃ、お願い」
「お任せあれ。森に居た頃はよく妹の髪を結ってあげてたから、お手の物だよ」
背中をくるっと向けて、すっかり背中に届くまで伸びたアッシュブロンドの長髪を委ねる。ティッタは「わっ、すっごい髪つやつや」などと驚きながら、手早くくるくるとお団子に纏めた。
「はい、できあがり。もう浸かっていいよ」
「ありがとう……はふぅ」
「ちっさいのに疲れた大人みたいな声だね」
「だって、一ヶ月も馬車の旅が続いたんだもん。ケールっていう遠い街から来たんだよ」
「ケールって確かベルフ大森林の。そりゃあ大変だ」
星空を見上げながら湯の中で脱力すれば、長旅の疲れが湯に溶けていくよう。二人で並んで、穏やかな時間が流れる。
「そうだ。アリス、君の故郷にはエルフはいたかい?」
「んゅ? いなかったよ、ていうかここまで旅してエルフと会ったの初めて……エルフもドワーフも、人間と同じぐらいこの国にいたはずだよね?」
「ずっと昔はそうだったらしいね。今ではすっかり少数派だよ」
「やっぱりみんな故郷に帰っちゃったのかなぁ」
「いや、聖女様亡き後も半分ぐらいは残ってたらしいし、王都にはそれなりの数の同胞がいたよ。どちらかと言えば、人間の方がすごい勢いであちこちに増えていったというべきかな」
「あー……そういや人間ってすぐ増えるもんね」
エルフやドワーフのような長命の種族は、総じて子供が出来づらいという事実をアリスは思い出した。世界が一度滅びてからたったの四百年では、王国中に広がるほどに増えていないということだろう。
「まあなんにせよ、アリスがこれまでに同胞と出会ってないならいいんだ」
「……何かあったの?」
「そうだね。もし同胞と出会ったら伝えてほしいんだ。『王都は危険だから近づくな』と」
不穏な言葉に、アリスは眉を顰めた。王都はそんな危険な場所では無かったはずだが。
「今ってそんなに治安が悪いの?」
「ああ、アリスは心配しなくてもいい。危険なのはあたしみたいな、人間にとっての異種族にとってだけだ……王都で人攫いが増えているという噂は知ってる?」
「うん、物騒な話だね」
「あれは、無差別に狙っているようだけどそれはカモフラージュ。真の狙いは人間以外の種族だよ。王都にいた同胞も何人もやられたんだ」
「それで、ティッタさんは王都を出たのね」
「その通り……情けない話だよ。逃げてきたんだ」
俯いたティッタの目から一粒の滴がしたたり、湯に混じって溶けた。
「母なる森と同胞を捨てて人の国へ出てきた。あたしは森で一番の弓の射手だったから、かの弓聖様の後継者になれると信じて疑わなかったんだ」
「弓聖?」
「かつて聖女様と共に戦ったエルフの弓兵だよ。あたしの憧れだった。弓の射手としてこの国で名を上げて、弓聖様に認めて貰うんだって……ただの思い上がりだった。あたし程度の腕じゃ結局何も成せなくてさ。同胞の一人すら助けられないんだ」
「……辛かったねぇ、よしよし」
何も出来ないけどせめて慰めてあげようと、アリスは精一杯背伸びしてティッタの頭を撫でた。ティッタは「あはは、元気出るよ」と照れくさそうに笑った。
「ところで、ティッタさん。弓聖ってもしかしてまだこの国に……ってか生きてるの?」
「ああ、この国のどこかの山に隠居してるらしいよ。具体的な居場所はわからないけどね」
「そっかぁ」
聖女と共に戦ったエルフと言えば、聖騎士の中で唯一最後の戦いを生き延びた弓兵の少年のことだろう。戦いの後、いつしか行方知れずになっていたのだが。
(……また会えたらいいな)
「アリスは不思議な子だね」
「へ?」
「ちっこいのに変に落ち着いてて、なんでか子供と話してるって感じがしないんだよね……それにさ、人間なら普通は『エルフは子供が出来づらい』とかいうんじゃないか? 『人間がすぐ増える』なんて言い方、まるであたしたち側みたいだね」
「あ、あはは……」
元はと言えば魔族の生まれなので、アリスは二度生まれ変わっても自分が人族だという感覚はあまり無かった。なお、魔族もどちらかといえば子供が出来づらい種族だ。
「あ、わかった! 実は人間の子供じゃ無くてホビットかドワーフの大人なんでしょ! んじゃ、実年齢は……百歳ぐらい?」
「正真正銘の子供だよ!? まだ八歳になったばかりだから!」
人間じゃない、というのは否定できないのだが。
「あと、ちっこいっていうのやめて。これでも順調に背は伸びてるんだから」
「ごめんごめん。じゃ、育ち盛りの子供は背が伸びなくなっちゃう前に寝ようか。あたしももう上がるからさ……ちなみにあたしは百六十歳だけど、これって人間で言うと二十手前ぐらいだから。くれぐれもばあさん扱いはしないようにね?」
「……はぁい」
結果的に一人の時間をゆっくり楽しむことも、翼を洗うことも出来なかったが、ティッタとの思わぬ出会いは良いものだった。満足してお湯からあがり、服を着直していると、隣で着替えているティッタがじっと見ていることに気づいた。
「ん、どうしたの?」
「結構良い服着てるんだね。髪もあり得ないぐらい艶々だったし、やっぱりアリスって良いところのお嬢様?」
「あー、うん、不本意だけどそういうことになってる」
「なにそれ。でもそっか、騎士とかメイドさんとかぞろぞろ来てたもんね……そういえば、噂の天使様とやらも南の方から来るとか聞いたような。アリスってもしかして……」
「……そ、それよりほら、見て! これ可愛いでしょ!」
「へえ、馬のぬいぐるみ? 可愛いじゃん、翼なんてついちゃってさ」
「でしょ!? これね、よく遊んであげてた子供達がプレゼントしてくれたの!」
抱えた天馬のぬいぐるみをずいっと差し出して誤魔化そうと図るアリス。ティッタは話に乗ってくれつつも、困ったように苦笑い。
「翼のある白馬が子供を攫って、天使様が退治したんだってね。王都でも噂はすっかり広がってるんだよ?」
「うぇっ」
――あ、これもう完全にバレてる、とアリスは冷や汗を流した。
「ねえ、アリスって実は……」
ギクッと、アリスが固まったその時だった。ティッタは突然空を見上げ、表情をこわばらせて暗闇の先をじっと見つめる。
「望まぬお客さんが来たみたいよ」
「……敵襲? もしかして噂の人攫い?」
「違う、魔物みたいだね。空を照らせるかい?」
「任せて」
渓流の流れる涼やかな音に混じって耳に届く、バサバサと羽ばたく音。アリスが光魔法で生み出した明かりを宙に浮かべれば、襲撃者の姿が薄ぼんやりと照らし出された。
次回の投稿は8/15を予定しています。
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