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三十八話 このままがいい

 教会長の執務室に入ると両親はもうおらず、代わりに迎えに来たケリーがそわそわと待っていた。


「あ、アリスちゃんおかえ……大丈夫?」

「疲れたぁ」


 部屋に入るなり、アリスは法衣のままソファに突っ伏した。気分が優れないという場を抜け出すための方便もあながち嘘では無かった。

 

「お疲れ様……あの、それで後ろにいるおじさん……いやあの、お貴族様はもしかして……?」

「ああ、ケリーは初めて会うのね。これ、領主様。悪巧みが大好きで意地の悪いおじさんだから関わっちゃダメよ、目をつけられちゃう前に帰りなさい」

「アリスちゃんお世話になってるんだよね!?」


 それはそれ、これはこれだ。


「くだらないことを言うな。それに出て行かれては困る……そちらの娘にも用があるのでな」

「え、何。もしかしてケリーを拐かして手込めに……痛い!?」


 アリスが叩かれた頭を涙目で押さえている傍ら、ケリーは真剣な表情で領主に向かい合っていた。その緊張は高位貴族を前にしたことによる、というよりもまるで重大な審判を前にしたときのようで――


「単刀直入に言おう。例の件、許可する」

「……やったああああ! ありがとうございます!」


 瞬間、ケリーが喜びを爆発させた。数年一緒にいて初めて見るレベルの喜びように、アリスは目を白黒させた。


「え、何? 何の話?」

「アリスちゃんやったよ! これで一緒にいられるよ!」

「いや、だから何が……」

「私頑張るから、待っててうひゃあ首冷たい!?」

「何だ、この娘から聞いていなかったのか?」

「ええ、何も……ケリー説明してくれる?」


 アリスがケリーの服の隙間から首筋に当てた手――氷魔法でキンキンに冷やしていた――を外すと、ようやく落ち着いたケリーが、それでも興奮冷めやらぬと言う様子でアリスに告げる。


「私ね、王都の学園に通えることが決まったの! そこでお勉強して、卒業したら正式にアリスちゃんの騎士になるんだ!」

「へ?」

「本当は学園に入るのにも王都に引っ越すのも高いお金が必要だけど、領主様が全部出してくれるって!」


 全くもって、寝耳に水な話だった。確かに、いつか騎士になるとは常日頃から聞いていたが……そこまで話が進んでいるとは。

 

「伯爵様、それ本当?」

「ああ、半年ほど前にリチャードを通じて談判されてな。この娘には私の推薦を受けて騎士科に入って貰う。卒業後、即座に蒼影騎士団第二部隊へと配属し、お前専属として護衛の任を任せる予定だ……無論、学費を含め王都での生活は私が保証する」

「何のつもり?」

「リチャードを始め、第二部隊の騎士全員がこの娘の才能を認めているのだ。ならば、その才能をわざわざ見逃すこともあるまい?」


 もっともらしい理由だ。それでも不信感を拭えず半目で睨んでいると、アインズバードはニヤリと笑みを深めた。


「子飼いの鳥が手元から逃げてしまわないためには、枷は必要だろう?」

「ああ、理解したわ」


 伯爵がケリーのパトロンとなる……言い換えればケリーを手中に収めると言うことになり、ひいてはアリスに対する人質となるということだ。


(ほんと、油断ならない相手ね)


「ま、良いわ。別に今更伯爵様を裏切るつもりなんかないから」

「ああ、それでいい」

「――ところでケリー? 何でそんな大事なことずっと黙ってたの?」

「……あっ」

「教えてくれないなんて酷いじゃない? 私、傷ついたなー」


 にこーっと笑みを浮かべたアリスがにじり寄る。その両手に再び冷気を纏わせて。


「あ、あはは……その、隠してたわけじゃないんだよ? たまたま言うタイミング無かったっていうか、すっかり言うのを忘れてたっていうか」

「えい」

「うひゃああああ!?」


 狭い部屋の中で逃げる親友を茶目っ気たっぷりに追いかけ回すのは、大事な話が自分そっちのけで進んでいたことに対する八つ当たりで――同時に、この先もずっと共にいてくれる、そんな友達への照れ隠しだった。


 ともかくアリスの気が済んだ頃、せめて祭りを少しでも楽しむべく、私服に着替えたアリスは街へと繰り出していた。


 屋台で食べ物を堪能して、踊りに飛び入りで交ざって、行く先々で顔見知り達に囲まれて……夜も更ける頃にはもうすっかり疲れて、家に戻って寝る準備を調えていた。


「この街でのお祭りもしばらくお預けかぁ」


 正直なところ、祭りそのものにはそんなに思い入れは無い。けれど、カイとララの二人……そして今日祝福を授けた子供達が成長する姿を見れないのが少しばかり残念だった。


 王都は、気軽に帰ってくるには遠すぎる。そう考えて、アリスはふと気づいた。その気になれば飛んで帰ったら良いじゃ無いか、と。


「そうね、今度クシャナに会ったら早く飛ぶコツでも――」

「呼んだ?」

「へぁっ!?」


 ひょこっと窓から顔を覗かせたのは、アリスがまさに今思い浮かべていたその人だった。


「え、なんでいるの!?」

「様子見ついでに、デートのお誘いに来たんだよ」

「デート?」

「そそ、僕といっしょに夜の散歩に行かないかい?」


 クシャナからのお誘い。アリスは「んー」と少し考え込んで……布団に潜り込んだ。


「ん、やめとく」

「ええ!?」

「今日はもう眠いの。おやすみー」

「あ、待って! ちょとだけでいいから! 見せたい物があるんだ!」


 器用に窓から入ってきたクシャナに揺さぶられて、アリスは渋々ながら誘いを受け入れた。ちょっとだけなら、と。


「良かったぁ。それじゃ、行こうか」

「ふぁあい」


 アリスを抱っこして、クシャナは空へと飛び上がった。そのまま半分寝ぼけながら空へと運ばれていたアリスは、クシャナの「着いたよー」という声で目を覚ました。


「……わぁ!」

「ふふ、気に入ってくれたかい?」


 連れて行かれたのは、教会の鐘楼の上。街の中央にして、そしてこの街で最も高い場所だ。


 そこから見下ろす街は、常ならば最低限の明かりだけを残して暗闇に静まりかえる中、今日ばかりはいたる所に掲げられた松明の明かりで一面が朱色に照らし上げられていた。


「見上げれば星と静寂が支配する真っ暗な空、見下ろせば明かりと喧噪に満ちた街並み。まるでここは昼と夜の狭間にいるみたいだろう? 今日この時ばかりは、僕たちだけが楽しめる景色だよ」

「うん……」

「これを見せたかったんだ。君がこの街を離れる前の一つの思い出になると思ってね」


 二人で並んで座り、眼下の光景を眺める。それは、とても心地よい時間であった。


「ねえ、アリスちゃん」

「なに?」

「君は……この世界でどう生きたい?」


 じっと見つめてくる視線は、真剣そのもの。


 その問いに対するアリスの答えは決まっている。


「今でも変わらないよ。災厄でも救世主でも無くて良いからさ、日々のちょっとした幸せを素直に喜べる、そんな風に生きたい」

「……それは、なによりも幸せな生き方だね」

「でももうわかってるよ。そんなの無理だって」


 ――『お前に幸せな人生なんてあり得なかったんだよ』


 アシュヴァルドから告げられたことを今でも覚えている。


 自分の本質は世界の敵。この世界にとって有らざるべき存在。それは現代に蘇った天使とか、かつて世界を滅ぼした災厄だとか、世界を救った希望だとか、そんな事実を些細な過去に変えてしまう程の残酷な現実だ。


 自分が自分で有る限り、自分の望みは叶わない。


「……じゃあ質問を変えようか――君は、この世界をどうしたい・・・・・?」


 次に問われた問いは、考えもしないことだった。


 この世界をどうしたいか。


「君はこの世界の運命からは逃れられない。否が応でも、これから世界は君を中心にして動いていくんだ。だからといって世界の運命を仕方ないと受け入れる……そんな諦めの良さ、君には無いだろう?」

「当たり前でしょ。これ以上、理不尽に振り回されてたまるか。世界の運命やらがあるのなら、私の手で好きに書き換えてやるわよ」

「うんうん、それでこそ君だ。だから問おう。君は、この三度目の生でどちら・・・を選ぶ? ――魔王か、聖女か」


 クシャナはふわりと飛び上がる。


 まるで神託を告げる巫女のように。あるいは誘惑する悪魔のように。


 クシャナは両手を広げてアリスに問う。


「知ってるだろう? 世界にはね、嫌になるほど人の幸せを踏みにじる奴らばかりさ。そんな世界ならいっそ、もう一回魔王となって滅ぼしちゃえばいいじゃん。不幸も悲しみも消し去った世界でずっと幸せに暮らそうよ。望むならば再びアシュヴァルド様の加護だって与えられるさ。どうだい、今一度災厄となろうじゃないか」

「そんなの嫌」


 アリスは即答する。


 そんな未来、例え選べたところで望む気も無かい。その答えは考える前に口に出ていた。


「では、こうしようか。君は再び聖女となるんだ、伝説の聖女が今一度蘇ったことを世界に知らしめるんだ。この世界にはまだまだ救いが必要だ。世界の誰も君を歓迎し、喜ぶだろうさ。君が、君こそがこの世界をよりよく変えるんだ。悪い未来じゃないだろう?」


「それも絶対に嫌……いや、過労死とかの話じゃ無くてね?」


 それも、悩むまでも無く答えが出ていた。


 何故、望まないのか。自分の無意識のうちに出た答えの根源をアリスは考え……納得する。


 ああ、簡単なことだった、と。


「私は――このままがいい・・・・・・・


 滅びでも無く救いでも無く、今このままが良いと。


「きっと傲慢なんだろうね。だってこの世界自体、私のせいで歪んだようなものだもの……それでも、この世界が好きなの」


 身勝手に滅ぼして、身勝手に救った。そうして成り立った今の世界が、果たして本当に正しい世界の在り方と言えるのかはわからない。


 見下ろすと、かがり火に照らし出された街の中で思い思いに生きる人々の姿。彼らは災厄に怯えて暮らすことも無ければ、無償に差し伸べられる救いの手を知ること無く、ただ目の前の日々を全力で生きている。


 それでよかった。


「滅びも救いもいらない。この何も無くて平凡で……でも良いことだって悪いことだってたくさんある、この世界のままでいい」

「……そっか。いやぁ、残念だなー。それじゃ、退屈な世界のままじゃないか」

「ふぅん、その割には随分と嬉しそうね。本当はどっちも選んで欲しくなかったでしょ?」


 残念だ、と何度も呟く言葉とは裏腹にクシャナは満足げに微笑んでいて、アリスがジト目を向ければ「あ、バレた?」と肩をすくめて見せた。


「だけどね、アリスちゃん。世界は今、変わろうとしている。そして僕たちは天使……天上の存在だ。本来ならば、この世界の行く末に干渉するべきでは無いんだよ」

「だから?」


 アリスはバッサリと切り捨てる。そんなの知ったことではないと。そもそも望んで天使などになったのでは無い。


「やるべきでは無いとか、正しくないとか、そんなの関係ないから。せっかく力があるんだもの。なんと言われようが私は自分のためにこの世界を振り回してやる。ケチつけてくる奴がいるなら、例え神様でも潰すから」

「あはは、とんでもない身勝手だね」

「悪い?」

「いいや、そんなこと無いさ。誰よりも傲慢で横暴で、自分の欲望に忠実。そのために誰かを犠牲にすることなんて厭わない。それでこそ君だ」


 アリスは嫌そうに顔を顰めた。

 

「……言葉にしたらすっごい最悪だね。ただの暴君じゃないの」

「言い換えれば、それは力を持つ者の最も純粋で、自由な在り方だよ。そもそもね、君のその純粋な傲慢さに僕は惹かれたんだ」

「変なの」

「あはは、伊達に滅びの神の使いをやってないってことさ……さて、アシュヴァルド様に怒られる前にお仕事に戻らなきゃ。アリスちゃん、家まで送るよ」

「ううん、私はまだいるよ。大丈夫、これぐらいなら一人で降りられるから」

「……ほんと、成長したねぇ。それじゃ、またいつの日か」


 いつものように頬に口づけをして、クシャナ空へと羽ばたいていった。その姿が見えなくなるまで手を振って見送ったアリスは、ふぅ、と一息ついた。その瞬間、鐘楼を強く吹き抜けるつむじ風。


「あ、羽」


 風にあおられて、抜けかかっていた羽が一枚ふわりと宙に舞った。ひらりと舞い落ちた羽を……自分という存在を証する象徴を見て、アリスは自嘲する。


「ほんと、おかしな話ね。こんなのが秩序の神の天使だなんて」


 世界のイレギュラーとして生まれ、ただ自分の願いのためだけにこの世界の運命すらねじ曲げる。秩序とは最もかけ離れた存在である事は間違いない。


 未だ沈黙を保つ主神は、一体何を考えているのか……それは、もはやどうでもいいことだった。今更何かを命じられたところで、従う気など無い。


「ねえ、エルネスタ。私は貴方に誓ってみせるわ――私なんかを天使にしたこと、絶対に後悔させてあげる・・・・・・・・から」


 夜空のその先、遙か頂にあるだろう天上の世界で。そこに座するであろう、いまだ声すら知らない神へ向かって、アリスは宣言する。


 平凡な人生が欲しかった。


 世界の理不尽にも神の思惑にも振り回されない、ただ穏やかな生き方。


 それがもはや望むべくもないというのならば、せめてでも。


「私は――この三回目の人生で、ただ自分のために生きてみせるわ。たとえ、どんな手を使ってでも」

  

これにて第一章完結です。ひとまず、ここまで読んでいただきありがとうございました。


評価・感想などいただけると励みになります。

呟いています:X(旧Twitter)→@Ressia_Lur

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