三十七話 宣戦布告
少しの想定外を除けば『聖誕の儀』は無事に終わり、最後は領主からの演説の後、子供達とその保護者は一足先に礼拝堂を後にした。出て行く子供達をにこやかに見送った後、アリスは緊張の糸が切れたように、長椅子にぐでーっと突っ伏した。付き添うベイルークが笑う。
「……はふぅ」
「ほほほ、お疲れですな……ですがもう少しだけ踏ん張りを」
「無理」
まだ列席した貴族達やシスター達、護衛のリチャードが見ている前なのだが、そんなこと気にする余裕が無いぐらいアリスは疲弊していた。主に精神面で。
(……けど皆喜んでくれてたし、やってよかったかな?)
皆、今日という日を心に留めて、あるいは成長してから親から伝えられて、人生の一つの宝物にしていくのだろうか。その手伝いが出来たと思えば、決して悪くは無い経験だった。
もっとも、次また頼まれても断るだろうが。
「随分と腑抜けているな」
「あ、伯爵様」
すっかり久しく会っていなかった庇護者がやってきても、アリスは頑張る気は無かった。顔だけ向けてひらひらと手を振る。
「久しぶりー元気だった?」
「……特に気の利いた再会など期待してなかったが、他に言うことは無いのか?」
「んー、そんなこと言われても」
庇護者と庇護を受ける者……けれど実体としては二年以上前に数回会っただけの相手だ。考えてみれば、特に話すことなど何も無かった。
「そういえば、個々に集まった人達って伯爵様の知り合いなんだよね。思ってたより友達いたんだね」
「……私の庇護を受けるなら、彼らと関わる機会は多いだろう、今のうちに顔と人物を覚えておけ」
「それって私の味方になる人って事?」
アインズバードはニヤリと笑うと、アリスの耳元に囁いた。
「懐に入れた者こそ、何よりも疑え。それが王都の貴族社会を生き延びる心得だ」
「……なるほどね」
とりあえず少しぐらいは覚えておこうと、アリスは貴族達の顔ぶれをぐるりと眺める――と、不意にその中の一人、でっぷりと太った青年が目が合った瞬間、好機とばかりに目を輝かせて近づいてきた。
「いやあ、素晴らしいものを見せて貰った! これはまさしく王国の歴史に名を残す一瞬、その場にこうして居合わせられた幸運に感謝を!」
「誰?」
「おお、これは失礼を、レディ。私は王より子爵位を賜り、スウェルトの穀倉地帯を領するウルラルト・コッセルである。我がコッセル領はエルドラン伯爵領と隣り合っており、その縁あって閣下とは先代の頃から親交を――」
「ふぅん」
顔と名前を覚えなければいけない……が、それはそれとして全く興味が湧かなかった。
椅子に突っ伏したままめんどくさそうに生返事を返す無礼に、コッセル子爵は一瞬眉を顰めるが、すぐに表情に笑みを貼り付ける。
「それにしても噂の天使がこのような可憐な少女であったとは! 実は私にも君と同じ年頃の息子がおるのだ」
「へー」
「我が息子は器量が良く、更にリュート演奏の名人なのだよ。その腕前たるや幼いながらに既に領一番の腕前と名高く……どうであろう、アリス嬢も一度、息子の演奏を聴きに来られては如何がかね?」
「うーん、わざわざそのために遠出したくないなぁ」
「そ、そうであるか……ああ、では来月に我が領都のオペラハウスにフォルストル・レビュエを招くのだ。かの世界三大の一つにも数えられる管弦楽団! そのハーモニーを一度耳にすれば誰もが心奪われ「興味無いわ」……そ、そうですか」
どうにか繋がりを得られたら。コッセル子爵は興味を惹こうと話題をふるも、疲れきったアリスの塩対応にことごとく流されていく。貴人に対してとるべき礼儀など完全に無視した態度に、コッセル子爵が表情に貼り付けた笑みも次第に剥がれ、口元をひくつかせた。
「こほん、あー、少しは身分の差というものを自覚されてはいかがかね? 伯爵閣下の庇護を受けているとはいえそのような態度、本来ならば一族もろとも処罰されても――」
「私の家族に手を出す気?」
瞬間、その場にいた全員の背筋が冷える。
「私ね、もう理不尽を大人しく受け入れるつもりも、どこかの誰かに運命を弄ばれるつもりもさらさら無いの。子爵だがなんだか知らないけど、私の平穏を乱すのなら……全力で潰してあげる」
場を支配するほどの重圧。
そのプレッシャーを放つアリスは、やる気無さそうに長椅子に突っ伏したまま、しかし底冷えするような笑みを浮かべていた。
かつて世界を滅ぼした少女の放つプレッシャーを、そうとは知らず真正面から受けたコッセル子爵は、訳もわからないまま後ずさり、助けを求めて周囲に視線を巡らせる。一足早く我に返ったリチャードが間に入ろうとするが、それより早く意外な人物が動いた。
「そこまでにしたまえ、コッセル」
「ル、ルードベルド伯爵閣下……!」
「この娘は平民である以上に、神々の世の末席に名を連ねる存在でもあるのだ。身分を持ち出すのならば、其方こそが膝をつくべきでないのかね? 下がりたまえ」
ルードベルト伯爵に厳しく見据えられ、コッセル子爵は悔しげに――そして同時に安堵の表情で離れる。そして、アリスもまた椅子から立ち上がり、ルードベルド伯爵を厳しく見据える。
「そう、貴方が。道理で一人だけ、そんな仰々しい法衣を着てきていたわけね」
かつて、家族との平和な日常を壊しかけた忌々しい一枚の手紙。その筆頭に名を連ねていたことを覚えている。そんな因縁の相手が目の前にいると知り、ようやくアリスも身を起こして警戒する。
両者の間を支配する重い静寂。先に動いたのは、ルードベルド伯爵だった。
「……まずは、謝罪を」
「へ?」
ルードベルド伯爵はその場に跪いて、アリスと目線の高さを合わせた。頭こそ下げてはいないが、それは教会のトップの一人が目の前の少女を対等の相手として扱ったと言うことで、貴族らの間にどよめきが広がった。
「二年ほど前であったかな。我が派閥の者が少々勘違いをしていたせいで、其方とご両親には迷惑をかけてしまった。遅くなってしまったが、名を連ねた者の一人としてここに詫びよう」
「ふぅん、謝罪ねぇ……よりにもよってそれを着ているときにいいの?」
「……ほう」
これでも元聖女、目の前の老人が纏っている神典法衣の意味は知っている。神の名の下に、その神意を司ることを意味する装束を着ての発言だ、すなわち大聖堂に属する者が過ちを犯したと、公式に認めることになる。
よりにもよって、その関係者である教会のトップが、だ。
「どうやらただ無知な子供というわけでは無いようですな……ええ、構いませんぞ。あの件は完全にこちら側の非であったと認めるのですよ」
「……」
果たして、一体何を企んでいるのか。
真意が掴めず黙っていると、庇護者が再び耳元に囁いてきた。
「ここは、受け入れろ」
「でも」
「恐らく、早期に和解する方が利があると判断したのだろう。こちらとしても、王都へ向かう前に余計な火種は消しておいた方が良い……何より無条件で相手が非を認めたのだ、この機会を逃す手は無い」
「……それもそうね」
いわば、教会のトップに対し優位に立てる材料となるわけだ。自分の感情はともかく、政治的に考えれば利が大きいことは流石のアリスにもわかった。
「ええ、貴方の謝罪を受け入れましょう」
「慈悲に感謝を」
無論、形式的に受け入れただけで本当に許したわけでは無い。変わらずに厳しい目でルードベルド伯爵を睨んでいると、相手が自分の翼をじっと見つめていることに気づいた。
「何? そんな見られるとちょっと居心地悪いんだけど」
「一つ、儂の願いを聞いてくれないだろうか」
「羽ならあげないよ」
「そんな畏れ多いこと頼まんよ……ただ少しの間だけ、其方の翼に触れることを許して欲しい」
「は? つ、翼に?」
「無論、其方にとっては身体の一部だ。不快に思うなら無理にとは言わんよ」
「別にそういうわけじゃ無いけど……え、触りたいの? 別に楽しくないよ?」
ひょっとして特殊な性癖の持ち主なのでは……? とアリスは疑って目をこらすが、ルードベルド伯爵に宿る魂からは不純な感情は読み取れなかった。
「……まあそれぐらいならいいよ。ただし、変な魔術かけたり無理矢理羽を引き抜いたりしたら怒るからね」
「三神に誓って、そのような不埒な真似はせぬと約束しよう。では、失礼する」
不埒な真似はしないという言葉は本当のようで、優しく……むしろ、触れるか触れないかの際をなぞるように翼の輪郭に手を添えるだけだった。
ケリーがしてくれるブラッシングとはまた違ったくすぐったさにアリスが身をよじる中、ルードベルド伯爵はアリスをじっと見つめて――けれど、その視線はアリスでは無いどこか遠くに向けられている様だった。
「……遠慮しなくても、変なことしないんだったら普通に触って良いよ?」
「いや、これで十分だ。これだけで、身に余る僥倖であるよ」
「そ、そう……ならいいけど」
むしろくすぐったいので困るのだが。
(……そういえば、今って内緒話するにはうってつけの状況ね)
ルードベルド伯爵は正面からアリスの肩越しに手を伸ばしているため、丁度、顔が近い位置にある。今がチャンスだ。
「『サーレント』」
不可視の防音壁を展開。二人の顔だけ覆うような最小限の魔力だけで展開したため、気づいた者は範囲に取り込まれたルードベルド伯爵を除いて他にいない。
……いや、庇護者だけは不審な魔力の流れに気づいたようだ。余計な行動を起こされる前に、アイコンタクトで手出し無用と伝える。
「私からもお願いしたいことがあるの。聞いてくれるかしら?」
ルードベルド伯爵はすぐに内緒話をしたいというアリスの意図を悟ったようだ。今も一見何事も起きていないかの様に装い、会話をしていることを悟られないよう最小限の頷き動きだけで応じてくれる。
「ナタリアって枢機卿に伝えなさい。セティナを返して貰うから、それまでくれぐれも丁重に扱いなさいってね」
――その平静も、アリスの要求の前には保てなかった。
「どこでその名を。もしや例の被検体は其方が……いえ、不用意な詮索はやめておきましょうか」
「この件は貴方が首謀者ってわけじゃないわよね?」
「いえいえ、この老骨などただの使いっ走りにすぎませんぞ。では、言づて確かに届けましょう」
「お願いね」
『サーレント』を解除する。同時に、ルードベルド伯爵の手が離された。
「さて、儂はこれでおいとまさせて貰うよ……ああ、忘れるところだった。これを、其方に」
「……なにそれ、手紙?」
「誤解無きよう、これは不埒者の企みなどでは無い、正当な招待状だよ。後で庇護者と共に開き給え」
招待状をリチャードに預けると、最後にアリスに意味深に微笑みを向けて、ルードベルド伯爵が礼拝堂を後にした。
招待状。その中身は気になるが、それよりも……
(さて、これで教会が敵に回ることは確実になっちゃったわね)
せっかく和解した矢先の宣戦布告。ちょっと早まっただろうか、まあどのみちぶっ潰すことは変わりないから別にいいか――とか考えていると、ようやく気づく。
いつの間にか、欲望にギラつく視線が複数向けられていることに。
皆この場において最高位であるルードベルド伯爵の前では遠慮していたが、それがいなくなったことであわよくば自分もと考えているのだ。
「うわぁ……」
畏怖や恐怖の類いを向けられることは慣れっこでも、こうも直接的な欲望を向けられるのは不慣れ。背筋を虫が這いずるような不快感に耐えかねて一歩後ずさると、リチャードが向けられる視線を遮るようにアリスの前に割り込んできた。
「失礼ながら、どうやら御使い様はとても気分が優れない様子。主殿、すぐに休ませることを具申いたします」
「ふむそうか、筆頭護衛がそう言うのであれば無視できないな……皆の者、誠に申し訳ないが今宵はここまでにさせていただく。アリス、行くぞ」
「あ、うん」
庇護者に促されて、アリスはリチャードの影に隠れながらそそくさと礼拝堂を後にした。
残念そうに向けられる視線を扉で遮って向かうのは、着替えの服が置いてある教会長の執務室。その道すがら、隣を歩く庇護者の訝しげな視線がアリスへと向けられていた。
「わざわざ魔術など使って、一体何を話していた?」
「あ、やっぱりバレてた。ちょっとした宣戦布告をしたの、それ以上は秘密」
「……もはや、隠し事をしていることを隠そうとすらしなくなったな・私の不利益になる様なことでは無いのだな?」
「三神に誓っても良いよ?」
「……しばらく見ない間に随分と強気になったな?」
「もう、理不尽に渡される運命を黙って受け入れるのはやめにしたの。私は、私のやりたいようにするの」
少なくとも――今はそれだけの力がある。
「……アリス、こっちを向け」
「ん、なに……むぐっ!?」
何かが口に突っ込まれた。直後、口いっぱいに広がる尋常では無い苦み。
「頼まれていた胃薬だ、そういえば渡しそびれていたからな。ほら、水も飲め」
「むー、むぅ!」
薬草を煎じたらしい、紙に包まれた青臭い粉末を口に突っ込まれ、反射的に咳き込むより前に小さな水差しで口を塞がれる。
確かに頼んでいたのは事実。けれどこのタイミングで飲ませてくるのは、ただの鬱憤晴らしにしか思えなかった。
「言いたいことは山ほど有るが、一つ忠告をしておこう」
「ぶはっ、文句言いたいのは私の方なんだけど!?」
「『サーレント』は使い方次第では暗殺にも利用される。それゆえ、習得には制限がかけられている魔術だ。人前で無闇に使うな。先の行いも、ルードベルド伯爵に一つ弱みを握らせてしまったことになる」
「……ねえ、それなんだけどさ。あのおじいちゃん、本当に悪い人なのかな」
「まさか、あの口先だけの謝罪を真に受けたのか?」
「そんな訳ないじゃない……でも、なんていうかね」
神の使いの象徴である翼を尊いものであるかのように触れる姿。アリスを通じてどこか遠くを見ていたような目。
似ているのだ。聖女としての自分を育ててくれた、かつての枢機卿達と。
四百年前、滅びた世界の中でただ愚直に信仰を守り続け、生涯を通じて真摯に神に奉仕した。聖女のことを見ていながら、時々自分を通じて遙か頂に座する神へと思いを馳せていた彼らと、ルードベルド伯爵は同じ雰囲気を纏っていたのだ。
「……本当に、悪い人なのかなぁ」
次回の投稿は5/6を予定しています。
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