四話 ケールの街のアリスⅢ
――ゴーン、ゴーン……と、鐘の音が鳴り響く。日の入りの時刻を報せる鐘だ。
「あ、もう夕方……」
「そろそろかえらなきゃねー」
歓楽街などを除いて、夜に街中をランプで照らすことなどしない。日の入りが来ればそれぞれの家に帰り、家族との時間を過ごすというのが一般的なライフスタイルだ。礼拝堂に残っていた者達も、それぞれ帰り支度を始めている。
「うぅ……」
ケリーは泣きそうな顔でアリスの服をぎゅっと握る。出会った直後の人見知りはどこへやら、今ではすっかり打ち解けて……というより、懐かれていた。言葉にはしないが、全身でまだ帰りたくないと主張していた。
(なんか、昔拾ったケルベロスを思い出すわねー)
前々世で抱き枕に丁度よさそうだと攫って……もとい拾ってきた仔ケルベロス。アレも私が城を離れる度に寂しそうに泣いてたなーと思い出す。
(そういや、あの子って結局どうしたんだっけ?)
どっかの戦場に気まぐれに連れて行ったっきり、いつの間にか姿を見なくなかった。野性に返ったのか、巻き込まれて死んじゃったのか――と、アリスが思い返している内に当のケリーはと言えば、無情にもマイサにアリスから引き剥がされてひょいと抱えられていた。
「ほーら、帰るわよケリー。アリスちゃんだってそろそろ迎えが来るだろうし」
「やーだーまだ帰りたくないー」
「……なんか性格かわってない?」
「あはは、この子は本当は結構甘えん坊だよ」
ケリーはいやいやとだだをこねる。なんでここまで懐かれたんだろうなぁと思いつつ、アリスは困ったように笑いかけた。
「ケリー、わたしは明日も会えるから」
「……ほんと? 」
「ほんと。だからあしたまたいっしょに遊ぼ?」
「……うん、わかった。絶対だよ! 約束だからね!」
約束だよ。そう何度も繰り返しながら、ケリーは今度こそマイサに連れられて教会を後にした。二人を最後にして礼拝堂にはアリスと教会長のみが残され、静寂が訪れる。
「かえっちゃったねー」
「ほほほ、良い友達ができたようで」
「あ、きょうかいちょー。遅かったね」
「申し訳なく……何やらこの後緊急で王都から重要なお客様が来られるとの先触れがあり、受け入れの準備に手間取っておりまして」
「ふーん……確かきょうかいちょーってちょうちょー代理もやってるんだっけ」
大変だねー、と他人事に呟きつつ、アリスは礼拝堂の外をじっと見つめていた。
「……寂しいですか?」
「んゅ?」
「いえ、アリス様が誰かとあれほど仲良くなられた姿は初めてみたので……少々心配になりまして」
「私、友達いなかったもんねー」
精神年齢の違いゆえにアリス自身が他の子供を避けていたのもあり、他の子供達も世界でただ一人の天使という存在にどうすればいいのかわからなかった。
もっとも、友達がいないのは今に始まったことでは無い。魔王時代は友人を作るどころか世界の全てから恐れられていた。ただ一人、妙に歪んだ愛情を向けてつきまとってきた自称副官の少女を除けば、まともに言葉を交わした相手すら少ない。
そして聖女時代とは言えば、それまでとは反対に現人神に等しい存在として崇められた。当然、友達になろうなどと微笑んでくれる相手などいない。
友達、そう呼べる存在がいて、友達との楽しい時間が終わる。それは初めての経験だった。
「……うん、寂しいよ。でも大丈夫、慣れてるから」
「慣れてる……?」
「あっ、じゃなくて。ほら、あしたもあえるんだから」
――そう、別れは慣れている。
聖女シルヴィアとして生きた時代は、全てが滅びた世界の中でただ生き延びることすら難しかった。今日隣にいた人が明日はいないなど当たり前だった。
それと比べたら、その気になればいつでも会いに行ける相手だ。たった一晩会えなくなることぐらいなんていう事は無い。
「でも、うん……ちょっと明日が待ち遠しいかな」
「そうですな。さて、迎えの時間までまだ少しありますが、お茶でも飲んで――」
「失礼します、あの、教会長にお客様がお見えです」
「む? そうですか、すぐに伺います。アリス様、すみませんが……」
「ううん、こっちも丁度きたみたいだし。あ、きょうはおとうさんだ」
◇◆◇
「おとうさんが迎えにくるの、めずらしいね」
「ああ、今日は珍しく仕事が早く終わったからな。母さんのほうが嬉しかったか?」
「ううん、お父さんでもうれしいよ」
夕日に照らされて橙色に染められた通りをアリスは父であるロナルドと手を繋いで歩く。ロナルドは茶髪青目の、物腰柔らかな青年だ。やや細身で一見頼りなさそうな外見だが、家具工房で働いていて常日頃重い木材を運んでいるため、見た目からは想像つかないほど力が強い。
「そっかそっか! そうだ、お父さんが久々に抱っこしてやろう」
「わわっ」
「ほら、たかいたかーい! ん? アリス、重くなったか?」
「おろして」
「あ、ごめんな……」
子供の体重が増えた……というのは成長の証と言うべきなのかも知れないが。中身はとっくに大人の女性であるアリスにとって重くなったは禁句であった。愛娘から凍てつくような冷たい視線を向けられ、ロナルドはしゅんとしてアリスを地面に下ろした。
「お父さんは、ちからよりもデリカシーを身につけるべきだとおもう。おかあさんにもおこられたでしょ?」
「……あー、それで今日はどんなことがあったか、お父さんに聞かせてくれないかい?」
あ、逃げた……と思いつつも、アリスはとりあえずジト目を向けながら今日の出来事……人見知りの少女との出会いを話す。そうしている内にこれまでの不機嫌はどこへやら、すっかり楽しげな様子に戻った。
「――それでね、ケリーって子と仲良くなったの!」
「そうかー……アリスにも、良い友達が出来たんだな」
「うん、それで明日は一緒に遊ぶ約束を……あそ、ぶ……」
ふと、アリスは固まった。
初めての友達。初めての約束。初めて一緒にあそぶ――
(……友達と遊ぶってなにしたらいいの!? ていうか子供て何して遊ぶんだっけ!?)
これまでの幼少期を思い返す。そう、まずは気まぐれに襲った街の騎士団に出会い頭に魔法を打ち込んで――違う、これは魔王時代の黒歴史で――日の出と共に街を十周走った後に筋トレをした後は精根尽き果てるまで師範と剣の打ち合い――これも聖女時代の思い出したくない鍛錬の記憶で――だめだ、碌な思い出がない。頬に冷や汗がたらりと流れた。
「お、おとうさん……ともだちとあそぶってなにしたらいいの……?」
「え? あー、そうだなー……かけっことか、ボール遊びとか? そうだな、お父さんの小さい頃はなー」
娘はなんでこんなに悲壮な様子なんだろう……と不思議に思いつつ、ロナルドは自分の子供時代の思い出を語る。どこの子供も同じように経験したような、普通の子供時代。それをアリスはまるで勇者との最終決戦を目前にした魔王の様な真剣さで聞き入る……が、やがて余りに自分の知る世界と乖離していることを悟り、愕然とする。
「お父さんどうしよう……私にできる気がしない……!」
「お、おちつけ?」
もはや、アリスにとっては友達と遊ぶというミッションは勇者を倒す事よりも史上困難な命題に思えた。
「あくまで父さんはこうだったって話だ。アリスはアリスの好きなようにしたらいいんだぞ?」
「で、でも、ケリーに嫌われたら」
「大事なのは何をするかじゃなくてどうしたいか、だ。お互い仲良くなりたいと思う気持ちがあれば、どうとでもなるもんさ」
「そっか……うん、そうだよね!」
よーし、がんばるぞー! 闘志を燃やし始めたアリス。背中の羽もピコピコとせわしなく羽ばたく程の気合いの入れっぷりだ。
「そこまで気負うことか……? ていうか……」
そんなちょっと変わったアリスを微笑ましい目で見つつ、ロナルドはどうしても言わねばいいけないことがあった。大事な愛娘にそこまで真剣に思いやれる友達が出来たことは、親として大変嬉しいのだが。
「明日は父さんと市場に行く約束じゃなかったか?」
「……あっ」
「まあ、お友達との約束の方が大事だもんな……うん、お父さん気にしてないぞー……
楽しんでこいよー……」
「えっと、その、ごめんね?」
気にしてないと言いつつうなだれるロナルドを、アリスはちょっとめんどくさいなーと思いつつなだめる。最終的に、その次の休みに一日付き合うことで手打ちとなった。
そうしているうちに、家へと着いた。街を覆うベルフ大森林からもたらされた木材で建てられた小さな平屋。一歩一歩近づくごとに、暖かな良い匂いが漂ってくる。
「いいにおいがするねー」
「ああ、今日はシチューかな?」
家の扉を開ければ、キッチンで楽しげに鼻歌を歌いながら鍋をかき混ぜるミーネの姿。ただいま、と揃って言えば、笑顔でおかえりーと言ってくれる。
絢爛豪華な調度品の揃えられた魔王城や、聖女シルヴィアとして生を受けた王都の大聖堂に比べたら、今生の家など余りにも小さい物だ。しかし、今までの暮らしではこうして誰かが温かく迎えてくれるということは無かった。
(こういうのを、温かい日常って言うのかな)
かつては得ることの叶わなかった平和で何もない暮らし。転生してしばらくは戸惑ったものだが、今ではすっかり順応して、かけがえのないものと思えるようになっていた。
家族が居て、帰るべき家があって、友達と遊ぶ約束をして。そんな日常がこれからも続くのだと、いつのまにか信じるようになっていた――
「アリス様! いますか!」
「……きょうかいちょー?」
扉を閉める寸前、息を切らして家に飛び込んできたのはベイルークだ。明らかに尋常では無い様子のその姿に、ミーネも不審に思って玄関までかけてくる。
「ぜぇ、ぜぇ……よかった、みなさんお揃いですね」
「どうされたのですか。そんなに急いで」
「えっと、お水飲みます?」
「いえ、それよりもう時間が……どこでもいい、一刻も早くアリス様を隠して――」
「それは困るな」
教会長の後ろから割り込む、冷たい声色。いつの間にか、ベイルークの後ろには鎧を纏った騎士が立っていた
「……誰?」
「ああ、これは失礼を。我が名はカルトロ・ヴィッカーナ、栄えある聖堂騎士である。此度は君へのメッセンジャーとして、大聖堂の御意思を伝えに来た」
「ふぅん……?」
聖堂騎士……それはここアミルツィ王国の王都にある、シルヴィアの故郷にして三神聖教会の総本山でもある大聖堂に所属する騎士のことだ。
そんな都会の騎士様がこんな辺境に何をしに? そんな疑問をアリスが抱いた一方……両親はと言えば、顔を青ざめさせていた。わなわなと震えるミーネの手から、持っていた匙がするりと落ちて、カーン……と鳴り響く。
「――単刀直入に言おう。天使アリスよ、私と共に王都へ来て貰う」
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