三十四話 明かされる物語Ⅱ
「はっ、納得できねーってツラしてんな?」
「……」
「お前らの崇める神様の言うことだぜ? 受け入れろよ」
「……私が淵源の王だって言うなら、どうして生物として生まれてきたのよ」
アリスの知っている淵源の王は、すべからく非生物――魔力によって肉体が構成され、死ねば再び魔力の粒子に還元される――そして本体である世界の瑕が消失しない限り、やがて蘇る。生命という概念をもたない存在だ。
だけど魔王セレナーデはたしかに両親の血を引いた子供として生まれ、生を営み、成長し――最後には死して、世界の循環へ取り込まれた。それは、一体どういうことなのか。
「ああ、そりゃオレがお前を生まれる前のセレナーデの身体にぶち込んだからだな。起こった結果はちぃーっと想定外だったが」
「は?」
さらっと、何でも無いようにアシュヴァルドは暴露した。
「魔力の化物として生まれるはずだったお前は、セレナーデという実体を得たことで、一個の生命として存在が固定されてしまったんだよ。だから呼吸もすれば成長もするし、死ねば世界の循環に還る。けど、結局のところお前の魂は世界のシステムから外れたイレギュラーだからな、循環に還ったところで漂白されることなく、そのままの形を保ったまま新たに生まれ落ちる魂の一部へと――」
「話を聞いてりゃ、私がこうなったのは結局貴方のせいじゃ無いの! やっぱり死ねええええ!」
「おっと、今度はちゃんと殴ってきたな……まぁ落ち着けよ。お前がどのみち世界を滅ぼしてたってのは変わりないんだぜ?」
「うっさい、もうその手には乗らな――」
「問おう。お前の自我は、一体誰のものだ?」
ピタリと、アシュヴァルドを殴る手が止まる。
「セレナーデか? それとも淵源の王か? ――答えは後者だ。セレナーデという魔族の魂は、お前という淵源の王に取り込まれて……違うな、喰い殺されて消えた」
「……何よ」
「仮定の話をしようか。オレが何も手を下さなかった、そんな可能性の話だ。そうなれば確かにセレナーデはただの魔族として生まれただろう。何も知らない、世界の命運にに巻き込まれない、民に愛されるお姫様の誕生だ。はい拍手ー……そんな怖え顔すんなよ、ノリ悪ぃな」
おお怖い怖い、とアシュヴァルドはわざとらしく怯えた様子を見せる。
「けどそれはセレナーデというどこかの誰かの物語だ――決してお前のことじゃ無い。そうなりゃお前は世界のどこかで理性も意志もない、ましてやどっかのお姫様とも関係ないただの魔物として生まれただけだ……ここまで丁寧に説明すればわかるか? どちらにせよ、お前に幸せな人生なんてあり得なかったんだよ」
「何よ、それ……」
もはや、怒りをぶつける気力すら湧かず、力なくその場にへたり込んだ。
「ま、くよくよすんなや。お前がお前である事には変わりねえんだぜ?」
「……一つだけ聞かせて」
「おう、一つなんてケチくせえこと言わず、何でも答えてやるぜ?」
「なんで、そんなことしたの……そんな人の人生を弄ぶようなこと」
――瞬間、アシュヴァルドはニヤリと嗤った。
「よくぞ聞いてくれた! 何故魔王は災厄となったか! 何故、世界は滅ばなければならなかったのか! ――それが、世界に与えられた試練だからだ!」
まるで、喜劇を演じる役者のように。
「オレはこの世界を心から愛している! だからこそ、この世界に試練を与えるんだ! 何故か? 世界は試練を乗り越えてこそ、新たな段階へと進むことが出来る、進化を果たす! そう、災厄とは、悲劇とは……滅びとは試練だ! 世界が進化するためには、オレが与える滅びこそが必要なんだ!」
あるいは神の恩寵に歓喜する狂信者のように。アシュヴァルドは己の行いがいかに素晴らしいものであるかを、声高らかに叫ぶ。
「オレは間違っていなかった。淵源の王の魂と世界最強の魔王の肉体、そして滅びを司るこのオレの加護が合わさった結果、愛すべき世界に与えられた試練はどんな災厄ですら並び立つことが出来ないほど、険しく困難なものになった! 喜べ魔王! お前は確かに、世界が高次の段階へ導かれるための礎となれたのだ!」
「ッ、何それ……!?」
「確かに数え切れない命が失われた。それはとても悲しいことだ……しかしどうだ! それまで種の違いというただそれだけで争い合い、決して互いに相容れることの無かった世界は、災厄を前にして確かに一つとなった! どんな優れた英雄も、賢者も、天使も実現し得なかった世界の融和が、確かに成し遂げられたんだ! まさしく歴史に残る偉業……お前は、正しく試練となった! お前が成した滅びは間違っていなかったんだ!」
目の前の男から嬉々として語られる言葉の意味が、アリスには理解できない。だが、一つわかったことがある。
――コイツは狂っている。理解の範疇を超えた存在だ。
「……どこに行くんだ?」
「帰る。もう疲れた」
「まだ夜は長いんだぜ? もっとゆっくりしていけよ」
「うるさい、貴方と話してると頭が痛くなるのよ。さっさと出口まで案内しなさい」
「つれねぇな。この神殿から出ればそのまま現世まで直通だぜ……まあ待てよ、最後に一ついいことを教えてやる」
アリスを呼び止めたアシュヴァルドは、祭壇に浮かぶ世界の循環に歩み寄り、その瑕を指でなぞる。
「お前を生み出したこの世界の瑕はな、最古にして最も深い……フレイヤでさえ癒やせない瑕だ」
「ふぅん、だから何よ?」
「この瑕はな、確かに古いが元から存在していたわけじゃない、ある一人の天使がつけたものだ……さあ、その天使ってのは誰だと思う?」
アシュヴァルドは意地悪く表情を歪め、その名を告げる。
「アリシエル……過去に唯一エルネスタに仕えた天使こそが、お前という存在が生まれた元凶だぜ」
◇◆◇
「やあ、おかえり」
神域から現世に帰ってくると、クシャナは花畑に座りこんで、浮かべた小さなかがり火の明かりの下で本を読んでいた。その本の表紙には見覚えがある……というより、ついさっきまで読んでいたものだった。
「それ、持って帰れたんだ」
「一応、この記憶の書は偽天馬討伐の功績に対するアシュヴァルド様から君へのの褒美だからね」
「そういえば、褒美とか言ってたね」
「アシュヴァルド様は、この戦いを世界が君に与えた試練だと捉えたみたいだ。生命には試練を、そして試練の先には、報いを。それがアシュヴァルド様の掲げる信念にして、あの神様なりの生命に対する愛なんだよ……その在り方が、どれだけ歪んでいようとね」
「それで好き勝手振り回される身としては、たまったもんじゃないわね」
アリスの不満に、クシャナは同意見だと言わんばかりに肩をすくめて苦笑いした。
「さて、本題に戻ろうか」
「……そうだね」
二人の視線が、倒れ伏す偽天馬……否、偽天馬であった白馬へと向けられる。
いつの間にか、半人半馬の異形の姿から、元の白馬の姿へと戻っていた。巨大な体躯は元々の特徴だったのだろう、相変わらずであったが。
「姿、元に戻ってるし……それに翼、無くなってるね?」
「世界の理に反していた魂が正しい在り方に戻り、現実の姿も元の形を取り戻した……っていうことなのかな?」
「はっきりしないね」
「だってこんなの僕も初めてだし……でも確かなのは、かの魂は最後に救いを得られたということだよ」
白馬は既に事切れて、冷たい骸となっていた。そして魂は世界の循環へと還っていったのだろう、アリスが骸にどれだけ目を凝らしてもその中に魂は見えなかった。
既に見えなくなったから、その魂が本当に救われたのかはわからない。けれど白馬の最後の表情はとても穏やかなもので、きっと安らかに眠りにつくことができたのだろう。
……そうであってほしいと、アリスは願った。
「助けることは出来なかったのかな」
「助けたよ、間違いなく……元々、白馬の魂は負荷に耐えかねて崩壊する寸前だったんだ。これは、避けられない終わりだったんだよ」
「そっか」
「……でも、こっちは救えるだろう?」
クシャナは一枚の白い羽をアリスに差し出した。アリスのともクシャナ自身のものともちがうそれは、偽天馬に生えていたものだ。
そして、アリスは気づく――その一枚の羽の中に、セティナの魂の欠片が封じられていることに。
「翼が消えた後、白馬に寄り添うようにこの羽が落ちていたんだ。これ、アリスちゃんが持っていてくれないかな?」
「私が持っていていいの?」
「彼女はアリスちゃんの救いを求めて、ここまで来たんだ。まだ本当の意味で救うことは出来なくても……せめて、それまで側に寄り添っていてあげなよ」
「……そうだね。わかった、大事に持っておくよ」
クシャナから受け取った羽を、アリスは一度優しく抱きしめてから大事に上着のポケットにしまい込んだ。
「あと、ヴィーゴルの魂の欠片が入った羽も落ちてたんだけど」
「燃やして」
「え、でも一応事件を追う手がかりに……」
「いらない燃やして気持ち悪いこの世に存在しちゃいけない見てると鳥肌立つ」
「わかった、わかったから……ほら、処分したからそんな離れないでよ」
クシャナがもう一枚の羽を跡形も無く燃やせば、思いっきり距離をとっていたアリスが、恐る恐る近づいてきた。
――そしてもう一人、二人を遠巻きに眺めていた少女が、恐る恐る近づく。
「アリスちゃん」
「ケリー」
「その……んと……」
ケリーは不安げに胸の前で手を組んで、アリスと並んだクシャナの間で視線をさまよわせていた。何事かを言おうとして、けれど言い出す言葉が見つからなかったのだろう、すぐに口を閉ざしてしまう。
(……混乱するのも、無理ないか)
クシャナの事、変貌した偽天馬のこと、豹変したアリスのこと……この僅かな時間で目にしたものが多すぎたのだろう。
そしてアリスも同じく、何を話したらいいかわからなくて……けれど、一つだけ言わなければならないことがあった。
「大丈夫、私は無事よ……ちょっと怪我もしたし、すごく疲れたけど。でも大丈夫だから、心配しないで」
「……よかったぁ」
ふわりと微笑んだケリーの目から、一粒の涙がこぼれ落ちた。その涙を見て……アリスは決めた。
「……クシャナ、ちょっと耳貸して」
「え、何?」
屈んだクシャナにアリスが何事か耳打ちする。
「――ね、できる?」
「うん、出来るけど……いいの?」
「お願い、やっちゃって」
「……わかったよ。アリスちゃんがそう言うなら」
クシャナは困ったように微笑んで立ち上がる。そして静かに泣いているケリーの前へと歩み寄り、その額に指をそっと突きつけた。その先に小さな火が灯される。
「先に謝っておくよ、ごめんね?」
「え、何……」
「『焼却せよ』」
「――あっ」
火が額に吸い込まれ……その瞬間、ケリーは意識を失った。クシャナは倒れかけたその背中をそっと抱き留めると、花畑の上に優しく寝かせる。
「終わったよ。これで、目が覚めたらここでのことは全部忘れているよ」
「……ありがとう」
アリスがクシャナに頼んだこと――それは、ケリーがこの場で見聞きした事の記憶を全て消して欲しいということだった。
「今更だけど本当に良かったの? 全部消さなくても、僕に関する記憶だけ焼却することもできたんだよ?」
「いいの……まだ、ケリーには知らないでいてほしいから」
「君の正体のことかい?」
「うん」
眠るケリーの顔にかかった前髪を優しく払いながら、アリスは頷いた。
「……その娘のことはよく知らないけどさ。いい子だってことはわかるよ。友達なんでしょ?」
「うん。一番の友達だよ」
「ふぅん、ちょっと妬けちゃうなぁ……ならさ、もう明かしちゃってもいいんじゃないかな?」
「……怖いの」
「拒絶されることがかい? でも、きっとその娘なら……」
「わかってるよ。きっと……ううん、絶対に本当の私を受け入れてくれると思うよ。友達なんだから、それぐらいわかるよ」
もし、正体を話せば……アリスがかつて世界を滅ぼした魔王で、そして世界を救った聖女で、更には世界そのものを破壊しかねない災厄の魔物だと、ケリーが知ったなら。
きっとすごく驚くだろう。突拍子のなさに混乱して、どうしようかとオロオロして……最後には「まぁアリスちゃんだもんね」と、困ったように笑って受け入れてくれるだろう。
だから、怖いのは拒絶される事では無くて。
「多分、変わってしまうことが怖いんだと思う」
友達という関係が未来永劫変わることはないとしても、これまでの時間が嘘にはならないとしても……知ってしまったなら最後、目に見えないほど深いところで二人の距離が、歩み方が変わってしまうだろう。
その変化が良いものか、あるいは悪いものかまでは想像つかない。けれど無知なままだからこそ築けたこの心地良い関係が変わってしまうことが……酷く、恐ろしかった。
感情の吐露のまま語られたアリスの内心を黙って聞いていたクシャナは、その場にしゃがみ込んで一本の花を摘み取った
「……確かに、その娘がこの場で見たものの記憶は焼いたよ……けどね、それは完全に消えたわけじゃ無いんだ」
摘み取った花が、火に包まれた。花は一瞬で姿を無くし……けど、クシャナの手の平には微かな灰が残されていた。
「焼け跡には灰が残るように、微かに残った記憶の残滓まで消えない……そしてその残滓から記憶を取り戻してしまう事だって、あり得ることだ。いつかは全て明かさなければならない日が来ることを……覚えておいて」
「……うん、いつかは絶対に打ち明けるよ」
「それにしても、思いっきり唇を奪った記憶までなくしちゃうのはお姉さん感心しないなぁ。女の子のファーストキスは一生の宝物なんだから、大事にしなきゃ」
「うわぁ、それ、クシャナが言う?」
唇には決してしてこないとは言え、会う度にキスをしてくるのはいったい誰だっただろうか。神妙な様子から一転してニヤニヤ笑いになったクシャナにジト目を向けると、クシャナは返事の代わりに、アリスの前髪をそっとかき上げて額に口づけを落とした。
このキス魔め……とアリスが更にジト目を深める中、クシャナは手の平に一際大きな火の玉を生み出した。
「さて、最後の始末をつけちゃおうか」
「あっ……」
ふわりと飛んでいった火の玉は、白馬の骸にたどり着き、一瞬にして巨大な火炎となって骸を包み込んだ。轟々と音を立てながら花畑を朱色に照らし出す火柱を見て、アリスはようやく意識した。
(これで、終わったんだ)
「……あれ、力が……はいら……」
「おおっと危ない……今日はすごく頑張ったもんね」
ぐらりと傾いた身体が、クシャナに優しく抱き留められた。アリスは急に重くなったまぶたをぐしぐしとこすりながら立ち上がろうとするが、クシャナに優しく押さえ込まれて、そのまま膝枕された。
「ほーら、よい子は寝る時間だよ」
「でも……みんなをおうちにかえさなきゃ……」
「大丈夫、こっちでなんとかするから。ゆっくり休みな」
「……ありがとう」
優しく笑みを向けるクシャナが口ずさむ子守歌の音色に包まれながら――アリスは長い一日を終えたのだった。
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