三十話 偽天馬Ⅲ
背後から迫る光の槍を身を捻って回避。そのままくるりと踊るように氷の刃を飛ばし、自らも追随して偽天馬へ迫る。
巨体の下から『フリーゼベルジュ』を一閃……光の盾に防がれる。流れるように剣戟を浴びせて盾を破壊。がら空きとなった胴体、その心臓部に向けて無意識に剣を突き立てようとして、寸前でとどまる。
(殺したいわけじゃ無いんだから、気をつけなきゃ)
剣を引いて、代わりに選んだのは風の爆発を引き起こす魔法『ブラストロア』。
「――!?」
「ごめんね」
小さな嵐のような暴風を無防備な身体に受けて、偽天馬が苦悶の悲鳴を漏らした。
「こうしてちゃんと戦うのは七年ぶりかぁ」
災厄として世界を滅ぼした魔王時代も、世界を救うために奔走した聖女時代も、常に戦いは身近なものだった。そんな血なまぐさい日常と離れて随分と長い時間が経った。
求めていた平和な日常が手に入って、どっぷりと浸って、再び血なまぐさい世界に戻りたいなんて思うことは無かったのだが。
「なんだかんだ、楽しいものね」
「――ア――ちゃん――れてってば!」
「ッ!?」
意識の外側から聞こえてきた声……よりも、チリチリと肌を焼く熱に気づいてアリスはとっさに飛び退さる。直後、偽天馬の身体に絡みつく炎の蛇。
変わらず背後から聞こえる雑音を意識の外に追いやって、身動きのとれなくなった標的に向かって駆けだした……瞬間、右足が地面に設置されていた魔法陣を踏み抜く。
「しまっ……!?」
拘束魔法『サンクチェイン』。三本の光の鎖がアリスの足に絡みついて動きを縛る。そこへ迫る光の槍。
油断した。
前世ならば引っかからなかった、初歩的な罠。鎖を魔法陣ごと切り払ったときには光の槍を防ぐにも避けるにも遅く――
「もー、だから危ないって叫んでたのに!」
咄嗟に間に割り込んだクシャナがアリスを抱きしめて代わりに背中に槍を受けた。ぐっ、と苦悶の声を漏らしたクシャナの背から炎が吹き上がり、光の槍を飲み込んで消した。
「クシャナ!? 大丈夫――」
「こんぐらい痛くない! 痛くないけど涙が出そうだよ、違う意味で!」
「へっ?」
涙が出そう、というか既に涙目になっていた。
「全然話聞いてくれない! さっきだって魔法撃つから離れてって言ったのに、アリスちゃん聞いてないし! 地面注意してって言ったのに無視するし……」
「あ、あはは……ごめんね。どうにも戦いになると周りの声が聞こえなくなっちゃって」
一度戦闘のスイッチが入ると周りが見えなくなってしまう。聖騎士の筆頭であったシンディオにもよく苦言を呈されていた悪癖は、転生しても治らなかったらしい。
「気をつけてね……ッ!?」
二人の周囲に、キラキラと輝く無数の光の粒子が現れた――瞬間、粒子の一つ一つが爆弾となって爆ぜる。
光系統上級魔法『エクスネセンス』。地を揺るがすような轟音と辺り一帯を純白に染め上げる閃光が。花畑に炸裂した
「そんなもん!」
「当たらないよ!」
爆心地にとっくに二人の姿は無く。
上空に逃れていた二人は反撃とばかりに氷の刃を、炎の弾を放った。
「うん、思ったとおり、この程度ならいけるわね」
アリスが取り戻しつつあるのは、聖女時代に培った力の一部のみ。全盛期の聖女が振るった力の大部分や、肉体の種族の違い故か、片割れである魔王の力はまだ全く引き出すに至っていない。
それでも戦闘はアリス達の優勢で進んでいた――全盛期には及ばないとはいえ転生前は世界最強の座にいた少女と、四百年の時を生きた天使の共闘であれば当然のことだ。
氷の刃を避けたが、炎弾の直撃を食らった偽天馬は、気づけば全身傷だらけになった姿でよろめく。首を天にもたげ、一際甲高く嘶くと、背中の純白の翼が赤黒い光を放って怪しく輝いた。
瞬間――魔物の咆吼が花畑に轟いた。
「……はぁっ!? 嘘でしょ!?」
魔物が現れた……それも一体だけでは無い。
ホーンウルフ、ヴァンパイアリザード、トゥループ・ウェスペの群れ――森に生息する魔物が種族問わず大規模な群れを成して、一直線に花畑へと向かっていた。
「魔物!? アイツが呼んだのか!」
「でもおかしいよ。『誘引』じゃあんな大きな魔物は呼べないはず!」
人ならば十歳の子供まで、動物ならば狐程度大きさまで。それが『誘引』がその強力さ故に持つ制限だ。だが、集められた魔物はその制限を大きく超えている。
魔物達の目にはしっかりとした意志の光が見える。操られて来たのでは無く、自らの意志でこの場に現れたかのようだ。偶然という事はないだろう、血の気の盛んな魔物が、種族の壁を越えて徒党を組むなど普通あり得ない。
――『北門が魔物に襲われている』と、エルリックが言っていた。思えば、それも偽天馬の仕業だったのだろうか。
「とにかく、このままじゃ子供達が危ない……!」
「僕に任せて、あんな奴ら消し炭にしてあげるよ」
「おねがい!」
偽天馬に背を向けて、両腕に炎を纏ったクシャナが駆ける。遠くで炎の柱が魔物を飲み込む光景を横目に、アリスは偽天馬へ氷の剣を突きつけた。
「さあ、今度は一対一ね。もしかして、これがお望みだったのかしら?」
「――」
偽天馬は答えない。代わりに、その背後に百を超える魔法陣が現れ、一斉に光の槍を放った。
「さっきから、攻撃がワンパターンなのよ!」
雨の様に降り注ぐ光の槍を、アリスは翼を羽ばたかせての急加速と急減速で避けながら逆に偽天馬へ向けて迫る。
「もっかい、キツいのくらいなさい!」
懐に潜り込んでの、再びの『ブラストロア』。先の一撃より魔力を込めて放たれた暴風を受けた偽天馬が吹き飛ばされ、花畑の中を転がった。
「あはっ、ちょっとやりすぎたかな?」
よろよろと立ち上がった偽天馬が、口から鮮血をゴボリと吐き出した。
あかい、なつかしい、ちのいろ。
したたり落ちる鮮血を見て、アリスは胸の奥、その中に眠る魔王の魂がざわりとざわつくのを感じる。二年半前に、トゥループ・ウェスペの返り血を浴びたときの感覚と同じだ。戦いを愉しみ、破壊を是とする甘いささやき。
以前と違うのは戦う力を取り戻し、そして戦うべき相手が目の前にいるということ。
だからだろうか。久しく忘れていた甘い衝動に、アリスは無意識のうちに身を委ねそうになり――
「……アリスちゃーん抑えて! 魔物がそっち行っちゃう!」
「ッ! ごめん!」
気づけば漏れでた魔王の魔力のざわめきに花畑に集った魔物達が当てられ、正気を失いかけていた。
「気をつけてね! てか、やっぱりアリスちゃんもこっち加勢できない!? 流石にこれは多すぎるって!」
クシャナは驚異的な速度で魔物を灰に変えていく……が、それよりも魔物の増援が到着するペースの方が早い。このままでは、いつかさばききれなかった魔物が子供達の方へ向かってしまうだろう。
「わかった! すぐそっち向かうね!」
「なるはやでお願いねー!」
食欲に血走った目で子供達の集団に向かおうとする熊の背中に、跳び蹴りしながら涙目で叫ぶクシャナ。アリスは加勢に向かおうとして……背を向けた隙に迫った光の槍を、振り向きざまに切り払った。
「……そうね、貴方には暫く眠ってて貰わなきゃ……ね!」
翼で空気を叩きつけての爆発的な加速で偽天馬の懐に潜り込んだ。そして左手を突き出すと、二度も食らって流石に警戒したのだろう、腹を覆う装甲のように何枚もの光の盾が張られた。
「当然警戒してるでしょうね――それぐらいお見通しよ」
伸ばした左手からは、魔法は出ない。代わりに偽天馬のゴワゴワとした体毛をぎゅっと掴んで、それを起点に跳び上がった。
そうしてアリスの目の前に映るのは、無防備な首筋。
「ちょっと眠ってなさい!」
「――ッ!?」
氷の刃での峰打ち。急所に強かな打撃を受け、巨体がぐらりと傾く。地面に降りたアリスが胴体をトン、と優しく押せば、意識を失った偽天馬がドサリと倒れた。
「ごめんね、すぐに楽にしてあげるからそれまで待っててね?」
「……早く来てー!」
「うん、今行くねー!」
アリスは申し訳なさそうに偽天馬の頭を撫でる。そして今度こそ背を向けようした、その時だった。
――バァン!
「へっ?」
何かがはじけるような破裂音が響くと同時、アリスの全身に降りかかる真っ赤な血しぶきと生々しい肉片。恐る恐る、視線を下に向けると……偽天馬の首から先が、はじけて無くなっていた。
「……へっ?」
再びアリスの口から間の抜けた声が漏れる。全身に浴びた血肉のせいで一際強く魔王の魂がざわつくが、それどころではなく、アリスの顔色を真っ青になっていた。
「わー! アリスちゃん何してるの! 殺しちゃったらダメじゃんかー!?」
「ち、違う、違うもん! 殺してない! ちょっと、その、強く叩いただけだから、こんなことになるなんて……! え、ほんとに力加減間違えちゃった……!?」
クシャナから非難の目を向けられて、アリスはオロオロと弁明を述べる。すると、クシャナはアリスの後ろを見てぎょっとした。
「あれ? 生きてるぅ!? きもちわるっ!」
「へっ!? ……うわぁ」
首を失った偽天馬がよろよろと立ち上がった。あまりにもグロテスクな姿に、流石にアリスもドン引きした。
だが、偽天馬の魔力が急激に膨れ上がったのを感じて気を引き締めた。更に、失った首の断面から肉が急速に盛り上がっていく。
「……ああ、なるほどね、こっから第二形態ってやつかしら?」
ふと、アリスは偽天馬の素体となった魔術師の拠点に乗り込んだときの事を思い出した。
うち捨てられた貴族の屋敷を改造した研究所の中で、キメラ研究の試作品として生まれた醜悪な化物が何体も立ち塞がった。倒すとそれらも同じように、死の直前に身体がはじけ飛んで、傷口から肉が盛り上がっていた。
その時の試作品達は結局ただの肉塊となるだけだったのだが……偽天馬の変化は、明確に意味のある形をつくっていた.
白馬の下半身から生えた肉塊が、腹部、胸部となり、両腕が形作られ、最後に頭部――出来上がったのは人間の男性の上半身。
その顔を……見覚えのある、そしてもう二度と見たくなかった顔を見てアリスは思いっきり表情を顰めた。
「久しぶりね、もう会いたくなかったわ……ヴィーゴル」
かつて聖女によって封印された、狂気の魔術師の姿がそこにあった。
次回の投稿は3/10を予定しています。
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