二十八話 偽天馬Ⅰ
――ずっと求めていた、もう一度会いたかった気配が遙か遠くにある。
被検体二十七番と……あるいは天使達に偽天馬とも名付けられたその存在は、生み出された瞬間からそれを感じとっていた。
その正体が何か、まではわからない。存在が混ぜ合わされ、もはや己が何者かさえわからなくなった存在には、所詮、記憶のひとかけらに過ぎない願いの正体などわかりはしない。
ただ、強く惹かれていた。
監視の目をついて逃げ出した存在は、遙か遠くの気配の元へ駆けつけた。人里を避けて何日も休まずに駆けた先で、求めていた気配を色濃く纏う少女を見つけた。
この娘が欲しい。側にいたい。
衝動のままに少女を求めたが、少女を守る人間達に邪魔をされてしまった。ならば、と、皆が寝静まる夜に『力』を使って少女を呼び出したが、それも少女を守護する者に邪魔された。
気づけば少女が残していった彼女の肉体の一部――少女を『力』で呼び出すための縁も奪われ、『力』は不思議な守りに阻まれて少女に届かなくなっていた。それでも諦めきれない存在は、少女を手に入れるための方法を探した。
答えを与えたのは、その存在を構成する魂の一つが持つ記憶だった。
己の欲望のために子供を攫い、攫い攫い……その果てに聖女に討たれた男の記憶。
その記憶が意味することを存在は理解はしていない。ただ、答えを得たことだけ理解した。
同じようにすればいい。
男が持っていた、そして自身にも受け継がれた『力』を使って、少女の周りにいた子供達を、少女がその場を離れた隙に攫った。更に邪魔が入らない用に手を打った。邪魔な人間共につけられた傷もすっかり癒えている。
きっと少女は来てくれる。攫われた子供達を助ける為に、必ず自ら来るだろう。
――記憶の中におぼろげに残る『彼女』が、いつもそうしていたように。
◇◆◇
南門の前から離れて、ロナルドの仕事場にいた時間はそう長くない。その短い間に、子供達の姿は一人残らず消えていた。
もう夕暮れ時、ただ帰宅したという可能性もあるが……ジーニーの迎えを待つはずのカイとララまでもが姿を消している。何より、見守りを頼んでいた門を守る衛兵が倒れていたことが、異常な事態が起きていることを告げていた。
「おいおっさん! 大丈夫か!」
「……うぅ」
門兵は気を失っていただけらしく、エルリックに身体を揺さぶられてすぐに意識を取り戻した。
「何があった!」
「突然背後から衝撃が……俺にも、何がなんだか……」
「ガキ共はどこに行った!?」
「すみません、さっぱり、って子供達に何かあったんですか!?」
「ちっ、何も手がかり無しかよ……なぁジーニーさん、ほんとにあの二人が勝手にいなくなることは無いんだな?」
「はい、絶対に無いです。子供達だけで勝手に何処かに行かないようにいつも言い聞かせていますから……二人は聞き分けが良いですから、私たちが来るまでは待つはずなんです!」
「んじゃあやっぱり何者かに連れ去られたか……」
「ああ、神様!」
ジーニーの目から涙がこぼれたその時だった。エルリックの上着のポケット越しに、何かが明滅する光が見えた。
「エル兄、それ何?」
「……ああ、隊長からの緊急連絡だ。ちょっと待ってな」
『速聞の魔法片』――『遠聞きの魔法珠』から通信範囲と使用回数を制限した使い捨ての魔道具で、もしもの時のために持たされていた物だ。回数制限付きという特性上、決して気軽に使われることの無いそれが使われたと言うことは、それだけの事態が起きている。
「――はい――ええ、こちらは無事です。けど街のガキ共が――はい――」
淡く光る結晶片越しにリチャードと会話するエルリック。簡潔にやりとりを終えて振り返った表情は硬い。
「……何があったの?」
「もしかして、あの子達の身に何か……!」
「二人の安否はまだわかってねえ。隊長からの連絡の内容だが――」
――曰く、北門で複数体の魔物の襲撃が発生。現在、警備に当たっていたラッドとテセウスおよび灼陽騎士団の騎士数名が戦闘中で、エルリックには状況の共有とアリスの安否確認をしてきた。
エルリックが受けた通信の内容を聞いて、一番動揺したのはジーニーだ。顔を青ざめさせてわなわなと震える声を漏らす。
「魔物……!? もしかして、子供達は魔物に食べられて……!?」
「……ううん、その可能性は低いと思う。魔物が襲ってきたのなら、門兵さんだってあの程度の怪我じゃ済んでいないでしょうし、子供達だって悲鳴ぐらいあげるでしょ?」
南門からロナルドの工房までは近い。姿は見えずとも悲鳴や異常な物音がすれば聞こえたはずだと、アリスは指摘する。
「多分、ただ連れて行かれただけ……少なくともすぐには危険は無いと思う。エル兄、リチャード隊長は他に何か言ってなかった? 例えば、子供達の様子がおかしいとか」
「……よくわかったな。街中の子供達と、ついでに猫とか鼠の類いが、一斉にふらふらと南に向かっているらしい。ひっぱたいても揺さぶってもずっと歩き続けているんだと、ってアレ、まさにそれじゃねえか?」
「やっぱり」
エルリックが指さした先に、ふらふらとおぼつかない足取りで歩く一人の少年がいた。その目は虚ろで、明らかに正気では無い。
消えた子供達。導かれるようにふらふらと歩く。かつて退治した胸くそ悪い魔術師が起こした事件と、全く同じ兆候。
――間違いない。あの偽天馬の仕業だ。
どういうわけか、偽天馬は自分に執着しているように思えた。クシャナと戦って逃げてからずっと足取りを掴めなかったのだが――決して諦めたとは思えなかった。
そして、何故急に狙いをアリスでは無く他の子供達に変えたのか……決まっている。おびき出すためのエサだろう。
(舐めた真似してくれるじゃないの)
「冷たい水」
「え?」
「ふらふら歩いてる子供には、冷たい水をかけてあげて。おぼれるほどたっぷりと……叩いたり揺さぶったりするよりも、効率的に術を解除できるから」
「お、おう!」
アリスは辺りを見回し、荷馬用の飲み水が門の前に置かれているのを見つけると、それをふらふらと歩く子供へ向けて思いっきりぶちまけた。
「わ、わぷっ……!? あれ、僕、どうしてここに……?」
ずぶ濡れになった少年が正気を取り戻したのを確認したアリスは、空になった桶をジーニーへと投げ渡した。
「遠慮はいらないから、他に同じような子供達がいたらやってあげて」
「わ、わかりました……」
「カイ君とララちゃんのことは、絶対に私が助けるから安心して、ジーニーさんはまだ連れ去られていない子供達を助けることに専念してほしいの――それじゃ、行ってくるね!」
「あ、アリス様!」
「おいちょっと待て! ……あー、追いかけるからジーニーさん後よろしく!」
偽天馬が待つであろう南の森の奥へ向けて、アリスは駆けだした。
翼隠しの術で身軽になった身体で、アリスは森の中を機敏に駆ける。一瞬出遅れながらもすぐに追いついたエルリックが隣に並んで、走りながら呆れた目を向ける。
「なーせめて走り出す前に一言ぐらい声かけてくんねーかな? びっくりするだろ」
「エル兄は、来なくて良かったんだよ?」
「いや、俺アリスちゃんの護衛だから。来ないわけにはいかねーからな? ……んで、さっきからまっすぐこっちに向かってるけど、合っているんだな?」
「さっき誘導されていた男の子がいたでしょ? あの子この方角に向かってまっすぐ歩いていたから、間違いないよ」
固有魔法『誘引』の効果は対象を自身の元まで誘導するというものだ。言い換えれば、その誘導される先には必ず術者がいる。
「りょーかい。そんで、今回の犯人ってのはアリスちゃんが襲われたっていう例の馬で合っているか?」
「鋭いね。確証は無いけど、でも間違いないと思う」
「ふーん間違いない、ねぇ……随分とアイツの事に詳しいんだな。俺らでさえもまだ何も情報を掴めていないのにさ」
「……えーっと、偶々だよ。偶然知る機会があったの」
「ふーん、それってさ」
エルリックから向けられる、訝しげな目。
「四日前の夜に会ってた女と、関係ある?」
「――!?」
――クシャナのことだ。
思わず、足を止めた。
「なんのこと?」
「とぼけても無駄だからな。深夜の見回りをしてたときに偶々見つけて気づかれないように遠目から見てたから何話してるかまではわかんなかったけどさ、随分親しげだったじゃん」
「……デートの盗み見なんて、サイテー」
「はっ、デートとか。ほんとガキのくせにませてんなー……で、どうなのよ? マジでアリスちゃんの恋人? だったらお兄ちゃん、ちょっと挨拶したいかなー?」
「そうねー……」
ニヤニヤと冗談めかして訊いてくるが、その目は笑っていない――確実に、真実を探ろうと一歩踏み込んできている。
(……大丈夫、まだ肝心な部分は知られてない筈)
クシャナは飛ぶ時以外は外套の下に翼を隠しているから、外見では天使だとはわからない。話の内容も聞かれてないなら、遠目にはただの逢瀬にしか見えないはずだ。クシャナの正体に繋がる情報も、自分の前世の事に繋がる情報も、まだバレていない。
「彼女は、私の味方だよ。言えるのはそれだけ」
――嘘は言わない。ただ、それだけだ。
「……そんだけか?」
「エル兄に嘘はつきたくないもん、ていうか私ってウソ下手だし。でも、今は言えない……ううん、言いたくないことがたくさんあるの。だからね、内緒」
「一つ確認。前に誘拐の時に襲ってきて、伯爵様の屋敷に侵入して見舞い品の果物を置いてった奴と同一人物か? ああ、思えば背格好はよく似てたな」
「うん、そうだよ……あれっなんでエル兄が背格好を知ってるの?」
「あっやべ」
「……もしかして、あの時の黒装束の人ってエル兄? そういえば声似てたかも……」
「まあ、ほら、その話は今はいーだろ? それよりアリスちゃんのお友達のことだよ」
誤魔化された。アリスがジト目でエルリックを睨むがどこ吹く風だ。
「もう一度訊く。あの女はアリスちゃんの味方。それでいいんだな?」
「三神に誓って」
「伯爵様に仇なす者では無いとも誓えるか?」
「……たぶん? うん、まあ大丈夫かな」
「そこは断言してくれねーかな」
「だってそこまで聞いてないもん……まあ伯爵様が私の味方でいてくれる限りは、きっと大丈夫だよ。私からも敵対しないようにお願いするから」
「そうか」
見定めるようなエルリックの視線をアリスは真っ向から受け止め――
「それだけアリスちゃんの口から聞けたんなら、今は十分だ」
エルリックの表情がふっと和らいだ。
「……いいの?」
「けど、今の話は伯爵様に報告させてもらうぜ? 立場上黙っとくわけにはいかねーからな。後でめっちゃ問い詰められるだろうがガンバ」
「うへぇ」
厳つい表情で淡々と尋問してくる伯爵の顔を想像して、アリスは表情を歪めた。
「せめてもの情けだ、報告するのは祭りが終わってからにしといてやるよ。伯爵様に睨まれたままじゃ、楽しいもんも楽しめなくなるだろ?」
「……ありがとう。そうだね、せっかくの三年に一度のお祭りなんだから楽しまなきゃ損だよね」
――そして、憂い無く心の底から楽しむために、子供達は全員無事に救いださなければならない。
「先を急ごう。はやくカイ君とララちゃんを助けないと」
「ああ――けど、その必要は無さそうだな。向こうの方からおでましみてーだ」
パキパキ、と、木の枝を踏み折る足音。木々の隙間を縫うようにして、偽天馬の巨体が姿を現した。
「うーわ、でけー馬。ゴードン先輩達から話は聞いていたが、コイツだな?」
「そうだよ……ねえ、貴方一人? 連れて行った子供達はどこ?」
言葉は通じるようだ。アリスの問いに、偽天馬は首をしゃくって森の奥を示した。そして背を向けて、再び森の奥へと消えていく。
「ついてこいってこと? いいわ、何の企みか知らないけど乗ってあげ……エル兄、邪魔しないでよ」
偽天馬の後を追おうとするアリスをエルリックは手で制した。その視線は偽天馬が消えていった方向とは別、森の中にひっそりと佇む、苔むした大岩に向けられている。
「――さっきからそこに隠れてるあんたら、出てこい。バレてんだよ」
次回の投稿は2/25を予定しています。
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