三話 ケールの街のアリスⅡ
今でこそ平和ぼけした幼女とはいえ、中身の元を辿れば世界を恐怖の底に突き落とした災厄の魔王。強さを尊ぶ魔族の生まれらしく根っ子の部分は完全に武闘派で、更に言えば戦闘に関して言えば天賦の才を持っていた。だからこそ、災厄と恐れられるまでになったのだ。
「誰?」
「ひゃああああああ!?!?」
故に、寝顔をじっと見下ろす人の気配に気づいた瞬間飛び起きて、床に押し倒すなど造作も無いことだった。
「寝込みをおそわれるなんてひさしぶり――」
「ご、ごめんなさい離してぇ!」
「……あ、逃げちゃった」
もっとも、肉体は非力な幼女なのであっさりと逃げられてしまうのだが。
「……女の子?」
「全くあの子ったら自分から会いたいって来たのに」
「あ、マイサさん」
マイサはミーネの働く服飾店の店主の女性。アリスのことを生まれてすぐの頃から面倒を見ていた縁だ。
「どうしてここに?」
「そりゃあもちろん、可愛い可愛いアリスちゃんを愛でに来たのよ! そのついでに教会長様にお届け物」
「……逆じゃ?」
「いいのよ。ね、それより新しい髪飾りを持ってきたのよ、付けてあげるからちょっとじっとしててね!」
「はぁい」
熟練の裁縫士であると同時に服飾のデザイナーであるマイサ。美幼女に美しい翼が生えたアリスの姿は彼女の琴線に触れたらしく、会う度にアリスを着飾らせて遊んでいた。
花に止まった蝶を象ったシュシュでセミロングの髪を纏められたアリスがお披露目とばかりにくるっと回ってみせれば、マイサは恍惚とため息をつく。
「あぁ、可愛いわぁー……インスピレーションが沸々と湧いてくるわぁ……」
「あはは……ねえ、ところで後ろにいる子って……?」
いつのまにか、マイサの後ろに女の子が隠れていた。マイサと同じく青い髪の、アリスよりも少し背が高い女の子……ついさっき捕まえようとして逃げられた子だ。
「ああ、忘れてたわ! この子の紹介をしなくちゃ! ほら、隠れてないで前に出なさい」
「あぅ」
「この子は私の娘で、ケリーって言うの。誰に似たのか随分と引っ込み思案でねー、もう六歳になるって言うのに全然お友達がいないもんだから、アリスちゃんに友達になってほしくて連れてきたのよ」
「へー、六歳って事は私の一個上だね」
「そうそう! この子ね、ずっと前からアリスちゃんのこと気になってたみたいで、でも自分から話しかけにいく勇気がなかったのに、今日初めてお話ししてみたいって言ったのよ! なのにいざ連れてきてみたら逃げちゃって、ほんと困った子ねー」
「あ、あはは……」
逃げたのは不意打ちで押し倒したからじゃないだろうか、と苦笑いするアリス。
件のケリーを見れば、気がつけばまたマイサの後ろに隠れて、けれどちらちらとアリスのことを窺っていた。目が合ったのでとりあえずにっこりと笑って見せた。
前世で愛想を振りまくために身につけた『聖女スマイル』を更に愛嬌たっぷりに進化させた『天使の微笑み』。この笑顔で笑いかけて墜ちなかった者はいない。
背後に後光が見えそうな輝く笑顔を向けられたケリーは……びくっとしてマイサの背中に隠れる。無敗の笑顔が敗北した瞬間である。
「こら、ケリー! ごめんねーアリスちゃん、うちの子、緊張しちゃってるみたいで」
「だいじょーぶ……むしろ、もえてきたわ」
「あらあら」
メラメラと闘志を燃やすアリスはぴょんと祭壇から飛び降りる。こういう、警戒心の強い相手と立ち向かうときの対処法は聖女時代に開発してあるのだ。
(そう、あれは精霊樹の呪いを解くためにカーヴァンクルを捕まえたとき――)
カーヴァンクルとは額に赤い紅玉を持つウサギのような魔物だ。強力な解呪魔法を使えるが、とても臆病で人を見るとすぐに逃げてしまう。そんな警戒心が強い生き物を捕まえるために試行錯誤したアリスが最終的に編み出した方法だ。
まずは、両手をばっと広げて武器を持っていないことを示す。更に満面の笑みでじっと相手の目を見つめ、敵意が無い事をアピールする――突然のアリスの行動に、ケリーはまたビクッと跳ねた。
そのまま、幽霊のようにゆらゆらと左右に揺れながら、一歩ずつ距離を縮めていく――ケリーは恐怖で半泣きになりながら後ずさる。
そして、そのまま手の届くところまで近づく……と見せかけ、アリスはぴたっと立ち止まると、「あっ!」突然何かを見つけたように天井を見上げる――アリスの行動を注視していたケリーもつられて上を見た。
「――つかまえたぁ」
「ぴゃあああああああ!???」
次の瞬間、アリスはケリーを背後からひしっと抱きしめていた。視界から消えた一瞬の隙に距離を詰める、見事な早業だ。
ケリーは盛大に悲鳴を上げ、マイサは爆笑した。
「ふふ、観念して……」
「や、やっぱり帰る!」
「あっ」
またもや振りほどかれた。ケリーが逃げ出した。アリスは追った。そうして礼拝堂を舞台にぐるぐると追いかけっこ。
「何で追いかけてくるの!?」
「ほら、逃げる小動物ってつい追いかけたく……」
「獲物扱い!?」
「さあ、大人しく捕まりなさ……って、足速っ!?」
「うわぁん、ゆるしてぇ!」
アリスから逃げようと、更に加速するケリー。子供のレベルを超えた俊足にアリスは驚き……追いすがろうと自分も加速したのが失敗だった
「きゃっ!?」
前世や前々世での感覚のまま、まだ出来上がっていない身体で無茶をした結果、途端にもつれる足。スローになった視界の中で、近づいてくる地面にぎゅっと目をつぶり……予想していた衝撃は来ない。
恐る恐る目を開けてみれば、目の前には泣きそうな……というより完全に泣いているケリーの姿。
「受け止めてくれたの?」
「ぐすっ、えぐっ……だい、大丈夫……?」
「ええ、大丈夫……ありがとねー、ほんとうにたすかった」
かなり勢いよくこけていたので、あのままなら相当に痛い目をみていたはず。アリスが本心から感謝すると、ケリーは更に大粒の涙をこぼし始めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……私のせいで、やっぱり私が悪くて……」
「……マイサさん?」
「まあちょいと訳ありでね……」
マイサはしゃがんでアリスに耳打ちする。
「父親、この子が三歳の時に死んじゃってね……その死んじゃった理由に、ちょっとだけこの子が関わってるんだよ」
「そうなんだ」
「おまけにその後立て続けにこの子の知ってる人達が次々と死んじまって。もちろん、この子が悪いことなんて一片も無い。全部たまたま、巡り合わせが悪かっただけさ。けどそれで、自分が関わると人を不幸にしてしまうって思い込んじゃったみたいなのさ」
ケリーはまだ泣きじゃくりながら、うわごとのようにごめんなさいと繰り返している。小さい頃の経験がそれほどのトラウマになっているのだろう。
(……別に、変な呪いがかかっているわけでもなさそうね)
前世で何人か不幸を呼び込む呪いを見てきたが、その手の呪いに特有の怪しげな魔力は感じられない。マイサの言うとおり、たまたま不幸が重なったのだろう。
「……まあいいや、捕まえた」
「ぴゃあ!?」
とりあえず、隙だらけだったのでアリスはケリーをぎゅっと抱きしめる。今度は簡単に逃げられないようにしっかりと、だ。
「正直、貴女の事情はどうでもいいけど、逃げられるのはプライドが許さないのよ!」
もがくケリーと、意地でも離さないアリス。しかし、今回も軍配はケリーに上がる。
「は、離して!」
「わぷっ」
ケリーがアリスの拘束を逃れて飛びずさった。その瞬間――二人の間にひらり舞う一枚の白い羽
「……あっ」
「あー、ぬけちゃったんだね、私の羽」
ケリーがもがいたときに手が触れて、その拍子に抜けてしまったのだろう。ふわりと地面に落ちた羽をアリスはよいしょと拾い上げた。
「ご、ごめんなさい。私、傷つけるつもりじゃ……」
「あー、大丈夫だよー。いたくなかったから」
「ほ、ほんと? 痛くないの?」
「うん、もう抜けかかってたみたい」
天使の翼にも痛覚はあるので、無理矢理引き抜いたら痛みを感じる。しかしごく希に自然に抜ける場合もあり、その時は特に痛みは感じない。今回は後者だったようだ。
「そっか、よかったぁ……」
それを聞いて、ケリーは安堵の表情を浮かべる。そんな彼女に、アリスは抜けたばかりの羽を見て「んー」っと、考えると、それをケリーに差し出した。
「はい、これは貴女にあげる! 天使の羽はねー、こううんのおまもりなんだよ」
「あ、それ、お母さんから聞いたことがある……」
「『ヤギカのお守り』の話だよ。寝る前に、何度か語り聞かせたねぇ」
ある日、牧童の少年ヤギカが傷を負って倒れた天使を家に連れて帰り、熱心に介抱した。ヤギカの介抱のおかげですっかり元気を取り戻したその天使は、褒美に自然に抜け落ちた一枚の羽をヤギカに与えた。
天使の羽は、当時も価値がある物だったが、ヤギカはそれを売ったりせずにお守りにして大事にした。ある日、ヤギカが魔物に襲われた窮地に陥ったときにその羽が神聖な光を放って魔物を追い払った……という話だ。
そのため天使の羽とは幸運を呼び込み、悪しき物を祓う象徴とされ、お守りに刺繍される定番の模様にもなっている。
ちなみに、悪しき方法で手に入れた羽は反対に天罰をもたらすのだとか。
「そ、そんな貴重なものもらえないよ」
「あはは、そうでもないよ。半年に一回は抜けちゃうの。せっかくだから貰ってよ」
「……ほんとにいいの?」
「いーのいーの。せっかくだし、ちょっとおまじないかけちゃおうか」
「おまじない?」
アリスは両手を祈りの形に組んだ。
「うん、とっても御利益のある祝福の魔法……『ブレシング』」
――瞬間、二人の間から光の奔流があふれ出した。
「わぁ……!」
光の奔流は礼拝堂を縦横無尽に駆け巡り、やがてケリーが手に持つ羽へと吸い込まれていった。
「どう? 気に入ってもらえたかしら」
「すごい、すごかった……! あ、これもしかして物語で聖女様が使ってた魔法!」
「その通り。本物の聖女様の祝福だよ、すっごい効果あるんだから」
(まあウソなんだけどね。今日のこれは見かけだけ……昔の力がちゃんと使えたらなぁ)
天使という身柄故だろうか、幸いにして、今生の身体でも潤沢な魔力を有しているようだが……どういうわけか、生前に身につけた力は全くと言って良いほど使えなかった。既に失った神の加護に由来する力ならともかく、自らの研鑽で覚えた術ですら、だ。
ちなみに、前世の聖女時代も魔王だったときに覚えた魔法が使えなくなっていたので、転生の弊害かもしれない。
だからこれは見た目だけでっち上げた、ただのパフォーマンスでしかない。それでもやってみせたのは、少しは気が晴れるだろうというちょっとした気まぐれ。アリスはにっこりと微笑んで見せた。
「天使の羽に聖女の祝福がついてるんだから、それを持っていれば絶対に貴女のせいで誰かが不幸になるなんてことないよ」
「ほんと? もう、だれもいなくなったりしない?」
「ほんとほんと。きっと、魔王にだって負けないぐらい強力な加護があるはずだから」
「……じゃあ、信じる」
そう言って、ケリーは今日初めて微笑んだのだった。
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