二十六話 揺さぶり
――三年祭まで後五日。
都市コルドにあるエルドラン伯爵の邸宅、その最上階に位置する執務室にて、アインズバードはゴードンから緊急の飛竜便で届けられた数枚綴りの報告書――昨日にアリスを襲撃したという、翼を持つ白馬についての報告をじっくりと読み込んでいた。
「……むっ」
コンコンと執務室の扉をノックする音に、書類から顔を上げて「入れ」と答える。入ってきたのはクラークだ。
「失礼します。ルードベルド伯爵様が到着されました。ただいま、応接間でお待ちいただいております」
「そうか、もうそんな時間か」
三年祭に招待した貴族の一人の到着を聞いたアインズバードは書類を置いて立ち上がった。
ルードベルド伯爵の待つ応接間は伯爵邸の二階にある。クラークを伴って階下へ降りたアインズバードが応接間に入ると、ソファに座っていた白髪の老紳士が立ち上がり、気さくな様子で微笑んだ。
「失礼、お待たせして申し訳ない……王都から遠路はるばるよくご足労戴いた、ルードベルド伯爵」
「なに、それほど待っとらんよ。久しぶりであるな、バード。息災であったか?」
ユストゥス・ルードベルド伯爵――王国の西方、隣国との国境帯を広く治める伯爵にて、教会に十人いる枢機卿の一人でもある。アインズバードより二十歳は年上なのだが、同じ伯爵位を戴く国の重鎮という立場故に何かと関わる機会が多く、既に旧知の仲とも言える間柄だ。
もっとも、それはあくまで表面上の話……ローテーブルを挟んで対面のソファに座ったアインズバードは笑顔で歓待しつつ、席について優雅に紅茶を飲むルードベルド伯爵の姿を油断なく観察する。
「これは驚いた。神典法衣を持ち出して来られるとは、気合いが入っておられる」
「当然であるよ、此度の祭事は長い王国の歴史に新たに刻まれる、重要な祭事であるからな……しかし、この服は仰々しすぎる。動きづらくてかなわんよ」
装いは、その人物の立場を明確にする。今回、ルードベルド伯爵にはあえて立場を指定せずに旧友として招待を出すことで、出方を窺った。
王国貴族と教会の重鎮という二つの立場を必要に応じて使い分けるルードベルド伯爵は、今日は貴族の礼服では無く教会の法衣を身に纏っている。彼に従う付き人も同じく。すなわち、ルードベルド伯爵が教会の総意を司る枢機卿としてこの場に来ているということだ
それも纏っているのはただの法衣ではなく、神典法衣と呼ばれるもの。神に代わって神意を伝えると言う意味を持つその装束は、教会にとって最も重要な神事を執り行う時のみに纏うものだ。
なるほど、確かに史上初めて天使が直々に執り行う祭事となれば重要なのも頷けるが。聖地である大聖堂の外で行われる小さな祭りに、それも当のアリスの身柄がまだ係争の中にあるタイミングで持ち出してくるとは。
――一体、何を考えている?
「しかし、祭事はまだ五日後のこと。ケールまでの道中は再び森の中を通るので、今は動きやすい服装に着替えられるとよろしいかと」
「ふむ、楽しみすぎて少々早とちりしすぎたようかの。後で着替えさせていただくとしよう」
もちろん聡明な老紳士はそんなこと今更指摘されずともわかっていたはずで……それでも敢えてこの場に法衣を着てきたのは、自身の立場を先んじて表明することで、こちらの対応を量る意図だろうと推測する。
「しかし、バード。こうして直接話すのは実に五年ぶりだな。君が王都の社交界を好まないのは知っているが、領地にばかり籠もっていないでたまには顔を出すべきではないかね?」
「申し訳ない。つい仕事に没頭してしまってね。今後はもう少し出向くとしよう」
「人間、たまには羽を伸ばすことも必要だよ……だがしばらくはそんな暇は無いと見えるがね」
応接間の窓からは屋敷の正面に広がる庭園から門までを一望できる。その景色の中に、丁度同じようにケールの三年祭に招待された貴族を乗せた馬車の一行が入ってくる様子が見えた。
「あの家紋と派手な装飾の馬車は、コッセル子爵かね。確か昨年に当主が代替わりして、前当主の長男が継いだのだったか……色々と噂を聞く男だ」
「コッセル領は我が領地と接するので、そのよしみでね」
「人脈は宝、隣領と良好な関係を築く事は自領の発展に繋がるものだよ。是非とも繋がりを大事にしたまえ」
「ご教訓、痛み入る」
「……そうそう、当主の代替わりと言えば昨年王都でこのようなことがあってね――」
五年ぶりの再会と言うこともあり、積もる話もある。それは王都の情勢の情報であったり、ケールから最近もたらされた特産品の取引に関する個人的な話であったり、あるいはつい先日に暴かれたある貴族の不祥事についてのゴシップであったり……その内容は酷く当たり障りないものだ。
ところが、目下の関心事であるアリスに関わる話題をルードベルド伯爵は一切口に出さない――意図的に避けていた。
それを悟って、アインスバードも当たり障りのない受け答えに徹する。和やかながらも空虚な会談が半刻ほど続けられた頃、応接間に一礼して入ってきた侍従の一人が、アインスバードの後ろに立って控えるクラークへと何かを伝えた。それを聞いたクラークがアインスバードへその内容を耳打ちする。
「……了解した。失礼、どうやら後がつかえてしまっていてな。続きはまた夜にでも話すとしよう」
「ああ、そういえばコッセル子爵が到着していたのだったな。儂のことは気にせず、ホストとしての責務に専念したまえ」
「この後の卿のご予定は? 我が領地を見て回られるなら、案内をつけさせるが」
「いや、長旅で疲れた。しばらく休ませて貰おう」
「では、また夜に。そうそう、今宵の晩餐会ではベルフの恵みをふんだんに使った馳走を用意する予定だ」
「おお、それは今宵が楽しみだ。では、儂はこれで」
ルードベルド伯爵は立ち上がって一礼する。そうして部屋を出る直前……アインズバードは一つ揺さぶりをかける。
「そうそう、最後に一つ、面白い話がある」
「ふむ?」
「つい先日、我が領で翼を有する白馬が発見されたらしい」
――一瞬、ルードベルド伯爵の表情が微かに変わった。
「ケールに住む狩り人の少年が森で見つけたらしくてね。それを私が飼っている小鳥が面白がって見物に行ったのだが、その白馬はどうにも気性が荒かったそうでな。出会い頭に襲われてしまったと言う話だ」
「……それは、なんとも不思議なものだな。いやはや、良い話を聞かせて貰った。妻へ持って帰る土産話が一つ増えたよ」
ルードベルド伯爵は愉快そうに笑って、何でも無いように付き人を伴って部屋を出て行く――だが、アインスバードは彼が表情を変えた一瞬を見逃さなかった。
「……やはり黒、か」
「確証がお有りだったのですか?」
「いや、証拠があったわけではない。これで手応えが無ければ他の可能性をあたったまでだ」
白馬の存在は既にアリスやアベルの証言を通してケールの民には周知の物となっていて、遅かれ早かれ、その存在は知れ渡る。
ならばと、先手を打って情報を明かすことで反応を確かめた。幸運にも、その目論見は成功した。
「今回の件、教会が一枚噛んでいる」
「……僭越ながら、ただの未確認の魔物という可能性はございませんか? 前回の森林攻略隊による遠征の際にも、例の正体不明の魔物を含め、幾つか新種が確認されました。ベルフ大森林の奥に生息していたものが偶然姿を現した、という可能性もございます」
「どうにもタイミングが良すぎる。人為的に引きおこされた一件と見るのが妥当だろう」
「承知しました。では、ルードベルド伯爵様の近辺を探らせますか?」
「そうしよう。ただし、過剰な深入りはせず、怪しい行動が無いか感ずる程度に留めておけ」
「では、そのように手配させていただきます」
◇◆◇
応接間を出たルードベルド伯爵は、屋敷の従僕につれられて貴賓用の客室へと案内される。
「こちらが閣下のお部屋となります。晩餐までまだお時間がありますが、何かお持ちいたしましょうか」
「結構。何かあれば私の侍従を使いにやるので、もう下がりなさい」
「承知しました」
部屋の扉が閉められると、伯爵は椅子に座って法衣の襟元を緩めた。
「懐かしいものだ。この客室に通されるのは十何年ぶりだろうか……以前はただの物見遊山で来れたのだが。しがらみが増えると、旧友との再会の一つですら、気を張らなければならぬ」
ため息をついたルードベルド伯爵は、早速とばかりに連れてきた自身の侍従に目を向けた。
「さて、感傷に浸る前に一つ仕事をせねばな……タルオ、遠聞きの魔法珠を。それと鼠避けもな」
「承知しました……『サーレント』」
タルオは、預かっていた主人の荷物から、紋様の描かれた台座に青い宝珠がはめられた通信用の魔法珠を取り出す。更に外部に音を通さないための魔法を唱え、内部の会話が外へと漏れないようにした。
慣れた様子で起動された魔法珠は。数秒のノイズの後、王都にいる一人の相手を呼び出した。
『……随分と早い連絡ね。何かあったのかしら?』
「先日ぶりだね。少しばかり、ナタリア殿の耳に入れておきたい話があってね」
通話の相手は十人いる枢機卿の一人、ナタリア。
北東に小さな領地を構える貴族、サフテッカ子爵の夫人という立場といまだ三十代という若さでありながら、教会の熾烈な権力闘争を勝ち抜いて枢機卿の座を手に入れた女傑だ。
そしてルードベルド伯爵と同じく一神分派に属していて、穏健派のルードベルド伯爵と異なり過激派として知られている人物でもある。
「件の逃げ出した被検体が、ケールで発見されたらしい。それもよりによって天使と接触し、主の耳にも入っている」
『……最悪の報せね』
魔法珠を通して、苦虫を噛みつぶした様な声が聞こえてくる。
「研究者共は被検体の逃走先をベルフ大森林と予測していたが、正解だったようだね。なんとも優秀じゃないか」
『ふん、逃がした時点で無能である事は変わりないわ……けど、想定では見つかるまでまだ猶予があったはずよ。まさか、どこかで情報が漏れていたとでも言うの……!?』
「詳しいことはまだわからないが、話を聞いた限りだと恐らく、偶然見つかったようだね。まったく不運な話だ。やはり悪事はかならずどこかでバレてしまうものなのだよ、良い教訓では無いか」
『茶化さないで頂戴……けど、裏を返せば所在が発覚したのは良い報せでもあるわ。そちらにいる間にどうにかして捕獲しなさい』
「ふむ、無理だね」
『……なんですって?』
魔法珠越しの声が、冷える。
『どういうことかしら?』
「バードがこの話を儂にしたということは、こちらに疑いをかけていることに他ならない……いや、というよりもこれで疑惑を抱かれたというべきか?」
うっかり反応してしまったのは悪手だったねと、ルードベルド伯爵はまるで疚しいことなど何一つないように笑う。
「何にせよ迂闊な行動はできないだろう。何より、アレを捕らえられる程の手勢など連れてきておらんよ。大人しく見えて、中々に気性が荒いという話だろう?」
『手駒が必要ならばこちらで用意するわ。それに疑われているのならもう関係ないでしょう。とにかく、あれだけは誰にも知られては――』
「それに、どうにか出来ようとも儂にはどうする気も無いよ」
『……なんですって?』
「この件は君の管轄で、儂は手も口も出さない……そういう取り決めだったのではないかね。派閥のよしみでこうして報せはしても、それ以上のことをするつもりはないよ」
そういって肩をすくめるルードベルド伯爵の様子は、心の底から自分には関係ないと断じているようだ。
『……貴方、本当に理解しているのかしら? この神兵計画は我らが悲願を叶えるために重要なものなのよ!? それなのに――』
「では、また新たに情報があれば報せよう」
甲高くわめく声を無視して、ルードベルド伯爵は通信を切断する。そして椅子に深く沈みこんでため息をついた。
「ヒステリックな同僚の相手は、老齢には堪える」
「……お疲れ様でした。しかし、よろしいのですか? 枢機卿ナタリアのおっしゃるとおり、かの計画は我らにとって最重要機密。決して見過ごせる話では無いと思うのですが」
「なれば、それが三神の定められた我らの運命だというだけの話だよ。我々の様な矮小な存在には、もはやどうすることも出来ぬ」
その口ぶりは何一つ、動揺も焦りもした様子はない。
「それで計画が終わるというならそれだけのことよ。あるいはナタリア殿が手を下すならばそれでよい。それが神の思し召しであるならば――儂はただ見定め、受け入れるのみだよ」
次回の投稿は2/11を予定しています。
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